第120話 『種子』と『養分』の逢瀬

 ――他の研究員たちは、アルスリアがどこからともなくグロウの部屋に入ってきたのを見て、さっと血の気が引いて恐や恐や……と言った感じで部屋を出て行った。やはりアルスリアは下士官だけでなく、ガラテア軍の敵にも味方にも恐れられる存在のようだ……。




「ふむ。私が来て自然と人払いしてくれたか。ここの研究員たちはまずまず賢明だな。」




 部屋に立ち入り、2歩3歩とグロウにゆっくりと歩み寄る。





「…………っ」





 ――――ニルヴァ市国を滅ぼし、自分と共にエリーを攫い、他の仲間たちを放逐した憎き敵。当然グロウは警戒し、後退りする。






 だが、グロウの力を以てしても逃げられはしない。窓があるが特殊な強化ガラスが張られ、グロウの力で変質させて破壊しようと試みたものの、あまり効き目が無い。






 よしんば、窓から脱出出来たとしても外には屈強なガラテア兵が一分の隙も無く研究所の警備にあたっている。グロウ1人ではまず逃げおおせないだろう。






 ――アルスリアが手を伸ばしてくる。きゅっ、と身を縮めて瞼を固く閉じ、死を覚悟するグロウ。






「――心配要らないよ。私は君を……グロウを傷付けたりなんかしない。もちろん、他の誰にも…………私たちは『つがい』。君は私のたった1人のダーリンなのだから…………」






 ――アルスリアはニルヴァ市国でグロウを攫った時同様、きわめて優しく、温かな感情を持ってグロウを抱き締めた。






「――あっ…………」






 ――グロウは以前感じた感覚と同じく、恐らくガラテア軍人としてその手は血で真っ赤に染まっているであろうはずのアルスリアに抱き寄せられても……不思議な安らぎを感じていた。






 まだ幼いグロウには理解しがたいところも多いが、その温かな感覚は親子や兄弟の親愛でもなく、ましてや友人と交わす友情でもなく――――恋人同士がスキンシップをした時に生じる幸福感に非常によく似ていた。






 アルスリアの言う『つがい』や『ダーリン』という言葉は何なのか。本当に、グロウと結ばれるべくして現れた運命の人なのだろうか。






 こうして抱かれていると、心身共に温かさと安らぎでまどろんで、溶けてしまいそうな錯覚すら覚える――――グロウは咄嗟に、両手でアルスリアを押し退けた。





「――おおっと……」





「――ふ、ふざけないで!! 君はニルヴァ市国の人たちを沢山殺した! 僕とエリーお姉ちゃんを攫って、ガイたちを何処かへ吹き飛ばした! 『つがい』なんかになれるもんか!! 一体……何が狙いなんだ!?」






 アルスリアはグロウの拒絶に一瞬呆然としながらも、すぐに穏やかな笑みを返した。






「――すまないすまない。婚約者へと近付くには些か乱暴だったね…………だが、君と私が結ばれるのは本当に運命づけられているのだよ。少し、話をしよう。私と一緒についてきてくれ――――」






「――あっ……?」






 アルスリアが再びグロウに近付き、何やら念じると……グロウを縛る手錠も足枷も鍵が外れて、その身を自由にしてしまった。






「――さあ。私とデートでもしよう。まずはお散歩だ。研究所の中は殺風景だけど…………まあ、中庭やカフェぐらいはあったはずだ。さあ……行こう。」





「………………」






 ――グロウは内心、「早くエリーを解放し、皆のもとへ帰せ」と叫びたいところだが…………容赦なく国を滅ぼしたほどの恐ろしい相手。抵抗すればどうなってしまうか…………並みのガラテア兵や研究員と違って全く予想が出来ない。






 グロウは恐れながらも、歩み出てアルスリアの手に引かれ、独房を出て共に所内を歩き始めた――――






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 所内を歩いていると、すれ違う研究員もガラテア兵も、皆アルスリアを警戒して道を開ける。そして何やら陰口のようなことを仲間同士で呟いている…………やはりアルスリアは敵味方問わず恐れられる存在のようだ。






 だが、グロウへの接し方はまるで正反対だ。





 グロウの手を取って、かつ離れないように優しくエスコートしている。アルスリアは外見はどう見ても妙齢の美女だが、その立ち振る舞いや仕草、語り方は淑女と言うより紳士のようであった。





(……この人…………パッと見は女の人っぽいけど……何だろう。男の人っぽくもある。混じり合っていてよくわからない…………)






 グロウは、単なる禍々しさとは別に、アルスリアから特殊な雰囲気を感じ取る。





「――ふふ。私のことが気になるかい、グロウ?」



「――えっ?」





 ――一瞬、考えを見透かされたのかとびくつく。






「……まあ、無理もないだろうね。私は肉体こそ女だが、精神的な、本質的な性はとても曖昧なものなんだ。男性的でもあり、女性的でもある。両方の性を持つのか中性なのか、それともどちらでもないのか。私自身でも性はどうなのか解りにくいんだ。」







 ――自らを性自認が曖昧な、カテゴライズし難い性であると語る。確かに、口調や仕草などはやや男じみている。かと言って女性的な部分を感じないわけでもない。





「――だが、私にとってはそんなことは大して問題ではないかな……解っているのは、グロウ。君の結婚相手フィアンセということだけで充分さ。」






「………………」





 ――アルスリアが、会って間もないはずなのにやたらと『つがい』『結婚相手』と口にする度、グロウは不安に駆られた。何か性愛だけではない大きな感情も感じるが……この妖女も小児性愛者で、グロウと一方的に契りを交わそうと言うのだろうか? 貞操の危機かもしれないと、殊更身を縮める。






「――あはは。悪い悪い。君の方の精神と肉体年齢だと小児性愛ペドフィリアだと思われても仕方ないよね。安心しなよ。私はグロウとセックスしたりしない。何故なら……そんな交わりよりももっと深く、心安らかに結ばれる使命が私たち2人にはあるのさ……」






 ふと、アルスリアが中庭近くのカフェの看板を指差した。






「――込み入った話を、往来の中で立ち話するのも憚られるな。あそこでお茶をしよう。そこで大事な話をするから――――」






「――大事な、話…………」






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 ――2人はカフェの中の、中庭が一望出来て、日光も心地良い位置のテーブルで、お茶とケーキを喫食することになった。





「――良い席が空いていたね。ここなら落ち着いて大事な話も出来そうだ。」




「……話って、一体…………」





 アルスリアはきわめて紳士的に、穏やかにグロウに接してくるが、やはり緊張と警戒心は解けようはずもない。目の前に置かれたお茶もケーキも口にする気にならないが――――






「――食が進まないかね? まあ、無理もないか。だが、これは私たち2人で話し合っておかなければならない――」






 アルスリアはお茶を一口啜って飲んだ後、両手をテーブルの上で組んで話し始めた。






「――純然たる『真実』を話そう。私と、君が『種子の女』と『養分の男』であり、幻霧大陸にある『創世樹』の要であることを――――」

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