第67話 ド根性登山

「――ふうーっ……ふうーっ…………」




 エリー一行は皆、一様に息を弾ませ、額に汗を滴らせながらけもの道を往く。





 ニルヴァ市国はこの高山地帯をある程度登った先、ひらけた地点にあると言う。






 最初の4合目ぐらいまでは乗り合いバスよろしく、ガンバとバイクでも何とか走れたのだが、さすがに斜面に角度が付き、ごつごつとした石や背の高い草むらが増え、目に見えて険しくなったので、そこからは全員車両を降り、徒歩で昏きけもの道を歩く外なかったのだった。





 車両を置いていくのはさすがに勿体ない……と思えそうだが、有難いことにこの世界ではナルスの街の外でも使ったインスタント・ポータブル・コテージのようにある程度のサイズと質量の物体を圧縮空間に封入し、カプセルで持ち歩ける便利な技術がある為、シャンバリアの街でも調達したそれらの類いのカプセルストレージでガンバとイロハのバイクは一旦封入し、荷物に入れて持ち歩いている。走れる場所に再び辿り着けばすぐに取り出して車両を走らせる寸法だ。





 だが、車を次に使えるのは果たしていつになるだろうか。そう思えてくるほど5合目、6合目と山道は険しかった。





 超人的な身体能力を誇るエリーや、常日頃肉体の鍛錬に余念が無いガイとセリーナはともかく、まだまだ体力的に華奢な年少者であるグロウやデスクワーク型のテイテツにはなかなかにつらいものがあった。殊更息を弾ませ、汗が噴き出る。





「はーっ……はあーっ……」


「ふうーっ……ふうーっ…………」





 2人は頻りに汗を垂らしたり、スポーツ用ドリンクを飲んではいるが、それでも弱音ひとつ吐かずに厳しいけもの道を往くのだった。






 グロウは、ただただ自然崇拝的な精神性で踏みしめる山の土ひとつひとつに、自然に対してその存在意義を認め、苦しくてもむしろ感謝しているように瞳には光があった。





 テイテツは尚更身体的に苦しいが、そもそも弱音を吐くことの理論的価値など些細なものである、と割り切っているので何も言わない。






 だが――――






「――ぜえーっ…………ぜえーっ……ひゅーっ……ひゅーっ…………こう、まともな道も無いけもの道が続くとっ……はあーっ、キッツいっスねえ、ぜえーっ…………」






 ――意外にも、武闘派3人に次いでタフなはずのイロハが、精神的にはともかく、肉体的に音を上げかけていた。






 それもそのはず。如何にイロハが若くタフとは言え、一行の中で最も重い荷物を背負って山を登っているからだ。元々常に重装備のイロハ。背丈は低い本人の体重が50kg前後だと推察されるが……大きなリュックサックにあらゆる装備や消耗品を詰め込んで抱えているその重量はおよそ40㎏、有事の軍人の大の男の装備に匹敵する、ほぼ体重の8割にも迫ろうかという大荷物を担いでいるのだ。さすがに巨大な鉄塊である戦闘用のハンマーなどはヘヴィ過ぎるのでカプセルに封じているが……厳しい登り坂が続くと人一倍疲れるのも当然と言えよう。






「――ふうっ……おい、大丈夫かよ、イロハ? 息切らしてんじゃあねえか……」





「さすがに、荷物を持ち過ぎなんじゃあないのか? そのペースだと、きっとニルヴァ市国に着く前に倒れるぞ……」





「あたし、まだまだイケるよ!! 荷物持ってあげよっか?」






 さすがに一行は心配になって来た。最も体力的に余裕のあるエリーが手を差し伸べようとする。





「――いーやっ!! いいっス。結構っス…………この程度、親父と強行軍で山越えした時に比べりゃあ、屁でもないっスよお……ぜえーっ……ぜえーっ…………」





「……んじゃあ、せめて荷物の一部でもカプセルに入れて運べばいいんじゃあねえか? 何でわざわざコンパクトにせずに背に担いでやがんだよ?」





 もっともな問いにイロハは息を切らしながら答える。






「――いやあ、その…………確かに……割りが合うっちゃあ合うっスけどっ……金とか冒険の7つ道具はっ……ぜえーっ……自分で重さを感じるほど手で持って、触れとかないとっ……なんか、不安になるんスよねえーっ……ぜえーっ……」





「……なーにー、その妙なこだわり。自分の身体が参っちゃったら元も子もないじゃん……」





「はっ……御心配なくっス! ぜえーっ……こういうのっ……親父からの教えでもあるんスっ……ふっ……『荷物はなるべく重くしろ、若いうちからスタミナはカチこんで鍛えろ』ってね……ひゅーっ…………」






「……うーわー…………あの親父さん……つーかイロハの一族の教育方針も大概スパルタ仕込みもイイとこねー……確かに、そりゃあガイやセリーナにも負けないスタミナが付くはずだわあー……」





「……私のグアテラ家での道場時代の荒稽古とどっちがキツいんだかな…………私でも基礎体力が付くまでは吐いてばかりだったが……」





「おっかねえな……タタラ家の家訓おっかねえ。」






 ――あのイロハの親父のおおらかそうな人相からは想像もつかないほどの厳しい家訓である。スパルタ仕込みの体力、精神の、それも現場叩き上げの鍛錬のやり方に、ガイとセリーナは顔をしかめるのだった。心なしか修行によって極限まで体力的に苦しい状態を思い出し、頭痛がする。





「――はい。イロハ。ドリンクだよ。無理せず飲んだ方がいいよ……」





「おーっ……ありがとっス――――って、このドリンク、どこから取り出したっスか!?」





「えっ……普通にイロハのリュックからだけど……すぐ前を歩いてるし――――」





「――だあーッ!! 駄目っス! 駄目っス!! ウチの荷物はウチが全部徹底的に管理するんス!! 例え冒険者仲間でも、他人がウチの荷物をっ……ぜえーっ……触るのは御法度っス!! ――んぐっ、んぐっ、んぐっ……ぷはあ~っ…………いいっスか!? 今後は気を付けて欲しいっス!! ったく…………」





「えっ……でも…………うん…………」






 ――親切心からスポーツドリンクを渡したグロウだったが、息を切らしながらも言下に怒鳴り、マイルールを掲げて注意するイロハ。どうやら、自分の管理下にある物は例え飲み物ひとつとっても自分の判断抜きに他人に触らせるのは拒絶反応が出るらしい。






 その様子を見ていた一行は何となく理解した。






 イロハは、確かに鍛え上げたスタミナがあり知恵も回るが……最も強いのはその商売人気質からなる強靭なメンタルであると。






 16歳という若さもあるが、何が何でも自分主体のことは自分でやり遂げる、という強靭なメンタル、ド根性とでも言うべきものが常人離れしているのだった。






 身体能力などはさすがにエリー辺りには負けるだろうが…………少なくとも己の肉体を精神が上回って、まるで重戦車のように肉体を引き摺ってでも突き動かす。そんな根性比べにおいて、イロハに勝てる者などそうはいなかった。エリー一行はもちろん、世の中の多くの人ですらも。






 人間の活動というものは、精神と肉体の両輪で走っている…………そう考えられがちかもしれないが、ある者は『肉体を内包した精神の単輪である』と説いた。






 なるほど、イロハを見ると、肉体そのものも強靭だが、それ以上に精神がとても強靭だから猛烈にエネルギーを使う活動が可能と見える。






 およそ大多数の人間にはまず真似出来ないが、イロハの場合は肉体がいくら悲鳴を上げようが、その猛烈な精神力、ド根性でキツい山のけもの道だろうが突き進む。そんな逞しさがあったのだった――――








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 ――そうして8合目辺りまで登って来た辺りだろうか。やや拓けた空間に出た。






 頭上を覆う樹木が少なく、ちょっとした広場のような処。近くには川の清水が流れている。広場の真ん中には焚火の痕跡…………人間が立ち寄り、この先のニルヴァ市国へと往来している証拠のような物すらある。







「――はあっ……はあっ…………僕……もう駄目…………」


「――私も……膝が上がらなくなってきました…………」






 ――とうとう、一行の中で体力が弱いグロウとテイテツが先に音を上げた。






「――もう限界っスか? しゃあないっスねえ…………ちょうどあそこに焚火痕があるっス。あー、腹も減ったし、飯にしてちょっと休むッスよー!!」





 ――先ほどまで最も苦しそうにしていたイロハが、息は弾んでいるものの、結局ここまでペースを落とさずに登り切って来た。やはり凄まじいバイタルとメンタルである。過労で吐き気を催してもおかしくないはずだが、食欲は全く落ちず、カロリー消費した分一層腹を空かしているようだ…………。






「……たまげたな……あんな大荷物を少しも減らさずに、調子も落とさずここまで来るたあ…………」


「ああ…………仮にも武人の端くれ……行商人に遅れを取って堪るか。負けられん――――!」



「セリーナ…………自分のプライドで無茶言わないで~? このままだとグロウとテイテツがぶっ倒れちゃうわよ……」






「――そう言うこった。イロハに従って、ここで飯にして休んでいこうぜ。」





 そして焚火痕を車座に皆が荷物を下ろし、食事の準備を始めた。





 とは言っても、山登りとなるとキャンプインとは違い充分な料理を出来る環境があるとは限らなかったので、皆あらかじめ朝のうちに弁当をこしらえて持って来たのだった。手に手に作った弁当の蓋を開け、チョップスティックを取り出す。足りない分は携帯食料か、獣肉を焚火で焼いて食べることにした――――






「――――ふうーっ…………グロウくん。良かったら飯の前に、これを飲むッス。」





 イロハが何やらシェイカーのような溶液の入った容器を差し出してくる。





「……何? これ……何となく生気を感じるけど、飲み物?」





「そうっス。たんぱく質とアミノ酸を極めて効率よく摂取できるプロテインっス。せっかくキッツい運動して来たんだから、身体を休める前に飲んでおくと筋肉がよく育つッスよー!」





「…………な、なんか……ネバネバしてない……? 臭いもキツい気が…………」






「そりゃそうっス。普通のプロテイン粉末に加えて、牛乳と卵をしこたま混ぜてたんぱく質を増量してるッスからねえ。ウチやグロウくんみたいに10代の若いうちにしっかり筋肉を鍛えておくと、大人になってからどんなキツい冒険にも負けないタフガイになれるっスよ!!」





「………………」





 ――味噌などの未知の食品に興味を示したグロウ。何やらグロテスクな感じがする目の前のプロテインなるものに好奇心を惹かれ、口に付けてみるが――――






「――――ッ!! うええっ…………ゲッホ、ゲッホ! うわあああ…………確かに……生気を凄く感じるけど…………僕、無理だあ、これえ…………吐きそう…………」







 ――身体を鍛える為にプロテインを試してみた人の中には経験した人もいるかもしれないが、プロテインに牛乳やら卵やらを足すのはかなりの筋肉トレーニング上級者向け。アスリートや肉体労働者ではなく、とにかく健康を度外視して筋肉を付けるボディビルダーが飲むような代物だ。







 当然、味は余程調味でもしない限り最悪である。グロウもちょっと舌に触れただけで肉体が拒絶する。






「――グロウ、貴方もプロテインを?」






 イロハとグロウのやり取りを遠くから見ていたテイテツが声を掛ける。





「……う、うん…………で、でも、イロハのこれは……味も舌触りも気持ち悪くて…………」






「グロウくんって、意外と上品な舌してるんスねえ――――んぐっ……んぐっ……んぐっ…………」





「……うわああ…………イロハ、すっごいなあ…………」






 グロウは舌で舐めた程度で受け付けなかったプロテインを、イロハは全く嫌悪せずにイッキ飲みしている。完全に風味や舌触りの不快さには慣れているようだ…………。







「――ふむ。確かに、イロハのプロテインは非常にたんぱく質が豊富。ですが、慣れない人は受け付けられない人も多いですね。」






「テイテツ……とてもじゃあないけど飲めないや…………でも、僕やイロハみたいに若いうちから飲んで、筋肉を付けた方が良いって…………」






 テイテツは、おもむろに携帯端末で日々の食事記録などを確認しながら、何やら考えている。






「――グロウ。それは確かに殊勝な心掛けですが…………たんぱく質というものは過剰に摂取すると却って内臓を傷める恐れがあります。ですが、筋肉を育てる為のたんぱく質というものは体内でアミノ酸に分解されます。ですから、要はアミノ酸を効率よく傷んだ筋肉に吸収出来れば良いわけで――――」







 そう語りながら、テイテツは鞄から別のスティック状の包装を施された粉末を取り出した。






「――実は、昔から鍛錬を続けるエリー、ガイの為に私が風味を飲みやすく調整して、吸収率も良い特製のプロテインも作っています。これなら内臓にかかる負担も少ないでしょう。適量を水と一緒に飲んでみてください。」







「本当に? よおし――」







 グロウはテイテツ特製のプロテインの包装を開け、ざーっと舌の上に流してすぐに水筒から水と飲んでみた。







「――――んっ…………これ、飲みやすいや! 果物の味がして美味しい~!!」






「どうやら口に合ったようですね。ですが、それでも飲み過ぎは禁物です。筋肉トレーニングや今やっている登山などの激しい運動をある程度こなした後、30分以内に1本、それから夜就寝前に1本飲むぐらいが適量ですよ。適度な運動習慣と共に続ければ……それこそ将来的にタフネスが得られるかと思います――――もちろん、エリーとガイも飲んでいますよ。ただし、食事も大事です。バランス良く摂取することをお勧めします。」







 すると、たまたま聴こえていたのか、セリーナが寄って来た。






「おい、それは本当か!? 私もプロテインは飲んでいるが…………不味いやつばかりで我慢してたんだ。テイテツ! 私にも分けてくれないか!?」







 ――己の武の為に一心に肉体を厳しく鍛えるセリーナ。やはりプロテインなどの栄養補助飲料は摂っていた。ちなみにその後ろでは既にエリーとガイがいつもテイテツに調合してもらっているプロテインを飲んでいる。






「了解です。取り敢えず、グロウに渡したものと同じ、これを…………食事の記録や味の好みを教えてくだされば、セリーナ、貴女にも合うように調合致しますよ。」






「何で今まで気付かなかったんだろう…………では、頼むテイテツ。私のメニューはな――――」






 ――そうして、厳しい道のりとは言え、一行は仲間同士と楽しく談笑しながら、8合目付近での食事と休憩を執り行った。焚火痕など人の存在感も近い。地図やレーダー類で見ると、ニルヴァ市国はもう目の前だった――――

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