第44話 目が覚めると

「――――はっ。」




 ――温かな木漏れ日と鳥や虫の囀りを感じる穏やかな空間の中、グロウは目を覚ました。



 寝起きでまだ意識がおぼろげながら、ゆっくり辺りを見回すと…………自分は温かいベッドに横たわっていて、辺りには人が何人かいる。



「おおっ、気が付いたぞ!」



 グロウが目を覚ましたと見るや、辺りの人はすぐに近付いてくる。どうやら看護してくれていたようだ。



「……ここは…………? 僕、どうしたの――うっ……」




 身体を起こそうとすると、俄かに全身が痛み、表情が一瞬歪む。




 掛け布団を少しどけて自分の身体を見ると……あちこち擦り傷や打撲だらけである。そしてその怪我の箇所全てに湿布や絆創膏などの手当てが施されている。




「これは――――ううっ…………」




 自分が怪我をしている。何故? と己に問いかけた途端に、グロウは全身の傷跡が軽く感じるほどの頭痛と恐怖感に襲われた。





 ――――思い出すのも恐ろしい、闘いの記憶。





 戦闘狂のガラテア軍人たちと生命をかけた死闘を展開し、自分はその修羅場の中……首の皮一枚繋がって生き長らえたこと。




 自分は改子と名乗る妖女に襲われ、テイテツがやられ、自分も犯されて死ぬところだったこと。




 エリーが『鬼』の力をレッドゾーンまで開放し、死を賭して敵と戦ったこと。




 そのエリーを何とか自分の力で鎮め、そのまま気を失ったこと。ガラテア軍人のうち2人にはこれもグロウの精神干渉の力で……結局どうなったのかは自分にも不明だが、窮地を脱したこと。





 思い出せば、黒渦のように恐ろしい感情が逆巻く、殺意。殺意。殺意。




 強烈な殺意の鉄火場から命からがら逃げられたのだと理解した。




「大丈夫かね、君? 私は医者で、ここはセフィラの街だ。顔色が真っ青だぞ……」




 医者と名乗る中年の男が心配そうに声をかけ、グロウを触診する。




「……ふむ。病気や重大な怪我の影響ではないようだ。だが、そうなるのも無理もないか…………非力な私たちを救う為に、あんな恐ろしい連中と戦ってきたのだ……どうかリラックスしなさい。ここはもう安全だから。」





 医者は優しい言葉をかけてはくれるが、グロウは死合いの恐ろしい感覚から悪寒が止まらず、たちまち全身を震わせ、両腕で己を抱き締める。





 ――――もう少しで死んでいた。





 それも、自分だけでなく、仲間たち全員が。





 戦いの中であの改子という妖女と接して、生命を侮辱するだけの穢れ切った生命の存在を思い知り、また自分自身も一種の、しかし過酷な世界を生きていくには大切な穢れと呪いの感情を、高い代償を払いつつ学んだことも。




 仲間たち――――





「――み、みんなは!? エリーお姉ちゃんたちはどうなったの…………無事なの!?」




 ようやく頭が冴えてきたグロウは、仲間のことを思い出し、周囲に尋ねる。





 周囲の町人たちは、皆一様に曇った表情をした。





「それは…………生きてはいるんだが…………」





 医者の歯切れの悪い反応に、グロウは忽ちのうちに不安が募る。何か重篤な状態なのか?





「――おーう! 半裸だった美少年くん! 気が付いたッスねー!?」





 突如、この場の雰囲気にそぐわない快活な声のトーンで話しかけてくる者がいた。その少女は部屋の入口からグロウを見ている。




「……君は…………確か、僕らを助けてくれた――――ううっ!」





 思い出すと頭痛がするが、微かに記憶に残っている。ガラテア軍人4人を謎のアイテムで何処かへ消し去り、暴走状態のエリーを背に担ぐドでかいハンマーで強引に鎮めた、紫の頭巾を被った少女。





 少女は速足でグロウに近付きながら、快活なトーンのまま話しかける。




「無理は良くないっス!! 君、5日間も意識なかったんスよー? あんな地獄のような闘いの後。相当な負荷が全身にも脳にもかかってる筈っス!!」





 少女はポンポン、とグロウの肩を優しく叩く。この少女は風呂にちゃんと入っているのだろうか。煤や埃、汗などの不潔な臭いが鼻をつく。





「んんっ……それでも……みんなは…………無事なの…………!?」





 グロウの懸念に、少女は僅かに伏した目で答えた。





「……科学者っぽい兄さんはもう回復して他の3人の看病に回ってるっスよ。でも、その3人…………『無事』とは、ちょっと言えないっスねえ……」



「え……」




「……自分の目と耳で確かめるのが早いっス。ほら、立てるっスか? お医者さん先生、車椅子借りるっスよ!」




「……うん…………。」





 ――不安を胸に、グロウは少女の手を借りながら車椅子に座り、エリーたちのもとへ向かった――――





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「――――これは…………そんな――――」






 少女が車椅子を押し、ひと際広い病室に通されたグロウは、愕然とした。





 エリーもガイもセリーナも、生きている。





 生きてはいるが――――





「――うう、うううう…………」




「うああッ……ぐ、ああああ…………!」




「くあっ、はっ、はっ、あっ、あああ…………」





 ――3人とも、意識が定まらない。




 エリーは氷嚢を額と首筋にあてがわれながら、魘されているように低く声を出すのみ。




 ガイは、全身に包帯とギブスを巻かれ、いまだ激しい苦痛に悶え苦しんでいる。




 セリーナは、全身に痙攣が走り、これではまともに飲食も摂れないだろう。森の神々に喰らった雷撃で痺れた時とは訳が違うようだ。




 3人とも、どうやらセフィラの人たちの手に負えないほどに重傷だ。




 果たして、治し切れるのだろうか――――?




「――――一番重傷なのが痙攣起こしている姉さん。お医者さん先生は急激な知覚への刺激で脳がやられたとか何とか。次に全身包帯巻きの兄さん。全身を致命傷もいいとこなレベルで骨も内臓も筋肉もバキ折りにされて、何故か急激に自然治癒しかけた状態。そして……ウチのハンマーでぶん殴ったピンクの髪の姉さんは、あちこち重傷負ったけど自然治癒した痕があって、目覚めないのはとてつもない過労で全身オーバーヒート状態らしいっス。それ以外はは原因不明…………まったく、一体何があって、どんな戦い方したらこんな有様になるっつーんすか……おっとろしい。」




 少女は、己の想像を絶する死闘を繰り広げたと見える一行を見て、嘆息せざる負えない。




「……みんな!」

「おっと……」




 グロウはいてもたってもいられず、自ら車椅子の車輪を回して3人に近付く。




「――みんな……こんなになるまで戦ってたなんて…………かわいそうに――――今すぐ治すからね!!」





 まずグロウは、一番深刻と見えるセリーナに近付く。




「――へっ? 何言ってんスか…………こんな状態になったらもう完治は無理っスよ…………良くて一生病院暮らし――――」

「ちょっと静かにしてて!!」





 これほどの重傷者に何をするつもりだ、と少女は訝るが、グロウは精神を集中する。無論、『力』で皆を癒すためだ。





「……すううううう…………」





 例の如く、緑色の清らかな光が発生し、セリーナの全身を包む。





「――う……うう……うう、ん…………」





 やはりグロウの治癒の力は凄まじい。完治不可能なレベルのダメージを負ったセリーナの痙攣が徐々に治まっていく…………。



 だが――――





「――セリーナ! 起きて! 怪我は治したよ!! 目を開けて!!」




「……すう…………すう…………」




「ど、どうして!? 脳に受けたダメージは全て治したはずなのに!!」





 グロウは全霊を以てセリーナを治療した。だが痙攣は治まり呼吸もしているが、セリーナの意識は戻らない…………。




「――こりゃあ、驚いたッス。その年でここまで重傷を治す回復法術が使えるなんて…………でも――――」




「――恐らく、過度のショック症状に加え、脳神経系にも深刻なダメージを負ったのでしょう。完治するには、グロウの力だけでなく投薬治療が必要です。」




「――テイテツ!!」





 部屋に入ってきて声をかけたのはテイテツだった。彼も首や後頭部に湿布や包帯などを貼ってあるが、一番症状が軽かったようだ。





「グロウ。無事で何よりです。過酷な戦闘に加え、グロウの心身に負担のかかる『力』を連続で使ったのです。下手をすればグロウこそ植物人間状態になっていてもおかしくはなかった。グロウ自身もかなりの自己治癒力ですね。」




「テイテツ! 大丈夫なの!?」




「私はどうやら頭部に衝撃を与えて昏倒する程度のダメージで済んだようです。今回、ガラテア軍人を退け、全員生還したのは奇跡的としか言えません。そちらの少女に感謝しなければ。貴女が介入してこなければ……私たちの生命は無かったことは確実です。」





 テイテツとグロウが、傍らの少女を見遣る。




「にっひっひっひ~。助けたのはそれなりに理由もあるんスけどね~。それより、グロウって言うんすか、君? ちょっと疲れるかもッスが、他の2人も取り敢えず治したらどうッスか?」





「あ……うん! 勿論だよ!!」





 セリーナを完全に治せなかったのが気にはなるが、次はガイだ。五体満足でいられたのが不思議なほどの大ダメージを受け、意識が臨界に達した状態での回復法術でギリギリ生還したが、激痛に悶える彼の傷の重さも計り知れない。





「待ってて! ……すうううううう…………」




 ガイにも『力』を使う。





 治癒している効果とはいえ、全身の骨が軋むゴキゴキッ、と言う音や筋肉が収縮するメリメリ……という不快な音がする。





「――ぜーっ! ハアッ……ハアッ……ハアッ…………こ、ここ……何処だ…………? 俺、生きてんのか…………?」





 忽ち、ガイは傷が治り、こちらはすぐに意識を取り戻した。手足を動かしながらじっと見遣り、自分が生きていることを確かめる。




「――ふうっ……ガイ! 気が付いたんだね!!」




 グロウは死の床から生還したガイを確認し、思わず抱きつく。




「おおっ、と……グロウ……グロウ、か…………どうやら、またおめえに助けられちまったみてえだな。セリーナ……テイテツも無事、か――――エリー! エリーはどうだ!?」





 ガイはエリーの存在に気付き、身を弾ませてベッドから飛び起き、エリーに近付く。





「うっわ……マジっすか…………全身がボキボキに砕けてた男がもう飛び起きて走ってるっス…………どーやらただの回復法術とはわけが違うっぽいス?」


「救助してくれた貴女には事情を説明せねばなりませんね。ですが、今はひとまずお待ちください。」





 少女は目の前の異常な治癒現象に、信じられない、と目を見開きながらも、冷静に情況を静観する。





「エリー! 熱は――――あちちッ!!」



 ガイが氷嚢をどけてエリーの額に触るが、あまりの高熱に反射的に手を退ける。





「――人間って、フツーどんなに激しい発熱が起きても42度超えたら死ぬッスよね…………この姉さん、70度以上出てるみたいっすよ…………ありえないっす。本当に人間なんすか…………?」





「高熱だと? 待てよ。もしかしたら、こいつは――――」





 ガイはエリーの状態を見て、過去の経験を思い返しているようだ。






「……こいつは多分、『鬼』の力を限界まで使い続けたオーバーヒート状態だ。電池は尽きたが回路に火が付いたまま熱が出てる状態……昔、何度か冒険の途中で無茶した時になった状態。だよな、テイテツ?」




「はい。ですが今回は少々無理が過ぎたようです。力を使い過ぎた状態になるとエリーは精神制御を失い、暴走状態にはなりますが……首と四肢のリミッターを取り付けてからは暴走しても肉体の疲労から活気を落としすぐに正気に戻っていた。今回生還できたのは……やはり、グロウの『力』で鎮めたのが大きいでしょう――いつもながら、感謝しますグロウ。」



「…………だな。」




 テイテツの見解に、ガイも納得したようだ。




「……そんな…………僕は無我夢中でいただけで……そんなことより、エリーお姉ちゃんも治さないと!」




 ――エリー一行に加わって以降、窮地を救い続けてきたグロウの謎の力。されどグロウ自身はそんな異能の力が使える自分自身の存在に戸惑い、悩むばかり。




 まず、目の前の現実だ。そう言い聞かせて考え込むのをやめ、すぐにエリーに駆け寄り、三度精神を集中する。




「……そうだな。頼む。寝てても治るだろうが、どうせ治すなら少しでも早いことに越したことはねエ。」




「……すううううう…………」






 エリーの全身を例によって碧色の光が包む――――





「――――う、うう…………す、ずしい……身体から炎が……消える…………」





 魘されている間も、エリーは猛火に包まれているような感覚だっただろうか。うわ言を呟く。






「――こ、の、感じ…………グロウ……? グロウなの――――?」





 やがて瞼を開き、自分を癒しているグロウ、そしてガイとテイテツ。自分を見つめる仲間を認識する。





「――はあっ……はあっ…………お姉ちゃん! 大丈夫!?」





 意識を取り戻した。そう思うや否や、グロウはエリーに抱きつく。先ほどのような異常な発熱もたちどころに治まり、平熱だ。





「――グロウ……みんな!」




 遂に目を覚ましたエリーは上体を起こし、グロウを抱きとめ、ガイやテイテツの顔を見る。





「――エリー、本当に良かったぜ。いつもヤベえ橋を渡ってる実感はあったが、今回ばかりはもういよいよお終エかと思ったぜ…………結局、俺たちはどうなったんだ? あの力も頭もイカれ切ってるガラテア軍人ども……俺たちは勝ったのか…………?」






「それは――」



「――――残念ッスけど、どう見ても負けてたッスねえ。ウチらが乱入してなかったら、多分今頃森も、このセフィラの街も火の海になってたッス。」





 状況を見ていた少女が口を開いた。





「そこのよくわかんない……回復法術? 的な力使う子は見てたと思うけど、ピンクの髪の姉さんが正気失って、ガラテア軍人4人も迫る中、『ああ、もうこりゃあ駄目だ』って思った時には……ウチらは軍人さんを遠くへ放逐して、虫の息だった姉さんらを救助するのを選んだッス。ひとまず、生命があって良かったっスねえ!」






 未だセリーナは昏睡したままだが、やはりこの少女が助太刀しなければ全滅……否、もっと多くのものが破滅していただろう。多くの人の破滅の運命を回避したとも言えるこの少女は、タフで剛毅な笑みを浮かべている。





「あんたが……俺らを助けてくれたのか…………あんた、何者だ?」





 ガイは何とか状況を飲み込みながら、少女に問いかける。





 少女は、にひひ、と屈託のない笑みを浮かべながら両手を腰に当てて仁王立ちし、堂々と、こう答えた。





「ウチは、タタラ=イロハ!! 世界を股にかける鍛冶錬金術師アルケミスト! そして正義の商売人ッス!! イロハって呼んで欲しいっス!!」





 ――――一行は、しばらく呆然とした。

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