魔王、街に現れる

1-1:路地裏の住人

 魔王がうち滅ぼされてから数日後、魔族の領域から一番近い場所に存在している、人間の街の路地裏でコソコソと隠れるように移動する、頭までローブですっぽりと覆う怪しい風貌の男がいた。


 彼の名はバルクロム、先日勇者に滅ぼされたはずの魔王バルクロムである。


 彼は角を折られて力を失い、背中に魔を祓う剣を受けていたため動けなくはなっていたが、死んではいなかった。


 勇者が立ち去る際に剣を抜かれ、暫くしてなんとか動けるようになったのだが、力を失ってはもはや王ではいられない。


 力を失って尚、王座に固執しようものならば、より力のあるものに殺される、それが魔族というものであり、例え王座を退いたとしても次に王座に座るものは戦いで決められる。


 前王、彼のことだが、勇者との戦いで死んでいたのであれば、次の魔王は候補者が戦い決めていたのだろうが、彼は生きている。


 そうなれば、数少ない魔族のルールにより、前王を殺したものが次の魔王になる。


 そうして、力を失った彼は魔王城から逃げ出し、回復するまでの間、人間の領域で暮らすことにしたのだ。


「さて、逃げ出してきたはいいものの、我が人の世界でなど生きられるものだろうか」


 彼は魔族ではあるものの見た目は角がある以外はほとんど人と変わらない外見をしている、角さえ隠してしまえば見た目だけで人間でないなどとバレることはないだろう。


 しかし彼は魔族であり、人間の常識には詳しくない。


 魔王という役柄、人間という種族と魔族の意識の違いはある程度把握しているが、魔族とは違い群れとしての意識を大事にするということぐらいの認識しかない。


 それでも、彼は森で魔王の座を狙う魔族から命を狙われる状況に比べたら人間の街の中で暮らしていた方が安全だと判断し、人間の街で暮らすことに決めたのだ。


 ある程度の強さの魔族ならば、この街の常備軍によって追い払ってもらえるだろうという打算あってのことでもある。


 そんなこともあって、元魔王バルクロムは人間の暮らす街に隠れすむことにしたのだった。


 → → →


 元魔王バルクロムは困っていた。


 人間の街に来たのはいいものの、魔王城を出るときに倉庫に保管していた人間の貨幣を持ってくることを忘れてしまって、宿に泊まることもできない。


(こんなことならば貨幣とまでも言わず何か人間にとって価値のあるものを持ってこれば良かった)


 後悔してももう遅く、城に戻ることもできない。


 彼の人間の街での最初の夜は路地裏での野宿に決まった。


(どこか人目に付きにくい、ちょうどいい場所はないだろうか)


 できれば、ふかふかなベッドが捨ててないものかと、城暮らしに慣れきってしまった頭で考えながらそろそろ日も落ちて暗くなりつつある路地裏を散策する。


 歩いていると、人間の中では筋力に秀でた見た目をした男二人が魔王の行く手を遮った。


「おうにーちゃん、ここを通りたかったら出すもんだしな」


 この辺りで弱者から金品を巻き上げる、所謂強盗行為で生計を立てている、人間の破落戸ゴロツキという奴等だ。


 それに遭遇した人間は通常、余程腕に自信があるか無謀でも無い限り手持ちの金品を渡して難を逃れる、のだが


(視線に敵意があるのを感じるが、魔族では無さそうだな。

 強い力を持つ者が纏う独特の雰囲気も感じないし、なんだこの雑魚は?)


 彼はそんなことを恫喝どうかつされながら考えていた。


 人間の間では強盗と呼ばれる行為は魔族にとって当たり前のことではあるが、いかにも弱者である人間の彼等が魔法によって強化された武具も無しに、魔王である自分に立ちはだかる理由に思い至ることはできなくて当然のことだった。


 逆に人間の目から見れば、魔王は背丈だけはそれなりにあるものの、四肢の太さは破落戸達の半分もなく多少貧弱に見える。


 そして、纏っているローブはそれなりに丈夫な作りをしており、見た目だけならば裕福な家の坊っちゃんが家出をしてきているようにも見えるだろう。


 そんなが一人で薄暗くなった人目につかない裏路地を歩いていたら強盗から見れば格好の獲物である。


 襲われても仕方ないことではあった。


 しかし、彼が破落戸に襲われ金品を奪われそうなのは見た目だけだ。


 つまり、


「なんだ、やっぱり雑魚じゃないか」


 片角を失い、力を失い、弱体化しているとはいえ、魔王である。


 人間の破落戸程度に負ける訳がない。


「無視する気か?なら痛い目にあってもらおうか!」と、暴力を使い金品を出させるという短絡的、かつ弱者に対しては有効な手段を行使しようとした破落戸二人は、一瞬、そう表現される速さで地面に転がった。


 彼が事情を聞こうと手加減したお陰でなんとか命までは失わなかったが、意識を失ってしまっている。


 本当は意識も奪わないつもりだったのだが、思いの外弱かった為、手加減に失敗してしまったのだ。


「しまったな、もう少し丈夫だと思ったのだが。おい、起きろ」


 破落戸の頭を抱え込むようにして頬をはたく。


「う、うぅ…………」


 軽く頬をはたかれて破落戸の一人が目を覚ました。


「お、起きたか。それでお前らは何がしたかったんだ?」


「え、あれ?なんで」


「ほら落ち着け、一回息を吸え」


 混乱する破落戸は、素直に従うが、状況は理解できていない。


 それも無理はないだろう、見るからに貧弱な男に二人がかりで襲いかかって気がついたら頭を抱え込まれていたのだ。


 すぐに状況を理解できる方が異常だ。


「えーと、この状況はいったいどういう?」


「なんだ、説明が必要か?貴様らが俺に殴りかかってきたから軽く転がしてやっただけだ。

 貴様らが思いの外脆く、気絶させてしまったがな」


 顔の向きをもう一人の方へ向けさせ、先程までの自分の姿を見せる。


 状況を理解した破落戸は青い顔になりながら、謝る。


 敵意を失ったことを察して抱え込んだ頭を離してやると、身を翻して見事な土下座の体勢になった。


「それで、どうして俺を攻撃してきたんだ?」


 しばらく謝らせていたが、煩わしくなってさっさと話を聞くことにした。


 気絶したままにしていたもう一人も気がつき、今は並んで正座させている。


「いやぁ、旦那がこんなに強いとは思わなかったもんですから」


「あれですね、能ある鷹は爪を隠すってやつ?」


「そんなことはどうでもいいから、なんの目的か、それだけ言え」


(もし、裏に魔族が付いているとなるとこの街からも早々に逃げ出さなければならないだろうしな)


「なんの目的って、つまり?」


「俺を殺しに来たとか、そういうのだ」


「え、あー、別に命を奪おうなんて考えはこれっぽっちもありませんですぜ?ただ少しばかり金をいただけたらなぁと」


「金が目的で他人を襲う、そういう人間もいるのだな」


 弱者から力で物を奪うというのは魔族的な考え方で、そういうことをしている人間がいるなんて思っていなかったのだ。


(こいつらは人間の中でも魔族寄りの生き方をしているのか、しかし群れているあたりまだ人間か)


 魔族は通常群れない、個の力を重視しているからだ。


「まあいい、行っていいぞ」


「へ、あ、ありがとうごぜえます!いくぞ」


「ああ、では失礼しやすね」


 顔をあげて、そそくさと路地の闇の中へ逃げ去ろうとする二人に、思い出したように魔王は声を掛ける。


「ああそうだ」


「はいっ!なんでしょう!」


 軽く呼び止めただけなのに、背筋をビシッと伸ばして立ち止まる、振り向きはしないが、非常に緊張しているようだ。


 迂闊な対応をしたら命がないことを理解しているのだろう。


「置いてくもんがあるんじゃないか?」


「あ、はは…………」と破落戸達はひきつった笑いを浮かべた。

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