第4話 これが床ドンですか?

 この反応を見るや俺の予想は外れていなかった。

 つまり、その、秋穂さんは高ぶる感情を一人で抑え込んでいたというわけですね、はい。何考えてんの俺!?

 こっちまで恥ずかしくなるほど顔を真っ赤にしている秋穂さんから目を逸らしてしまっていたが、チラッと様子を窺うと何やらぶつぶつ呟いている様子。

 ……というか格好がとてもきわどい。秋穂さんの寝間着は俺が貸したTシャツのみで下は何も履いていない。

 一回り大きいサイズなので下半身もある程度カバーしているが、ちょっとでも大きく動いたらパンツが見えてしまいそうだ。

 そもそも履いているのでしょうか? という野暮な考えを抱いた俺の思考はどこかに捨てて、色香で混乱しつつある思考を元に戻す。

 まずはこの場を解決するのが先決だ! これ以上、この場にいるのは流石にまずい。

 

「と、とりあえず俺は何も聞いてませんということで! じゃ、部屋に戻るのであとは――――」

「待ってハルくん」

「え、えーっと……」


 秋穂さんは去ろうとした俺のズボンを掴んで止めた。

 ゆっくりと視線を動かし、止めた本人の顔を見ると涙をためつつもしっかりとした瞳で俺を捉えていた。

 直接触れなければとりあえずギリギリセーフな俺の体質。

 しかし布越しでも触れられているのに変わりないので徐々に嫌な汗が噴き出てくるが、秋穂さんの瞳に魅入られ動けない。

 


「流石に私でも声を聞かれるのは死ぬほど恥ずかしいよ。もう、お嫁にいけないくらい恥ずかしい。ハルくんのお嫁以外になるつもりはないけど! ……そうじゃなくて、ね、その」

「……な、なんでしょうか?」

「私だけ恥ずかしい思いをするのは不公平だと思うの。ま、まぁ、ここまで昂っちゃうなんて自分でも驚いているんだけど、それも仕方ないよね、と納得した私は……――どうせなら思いっきり振り切っちゃうことにしました、てぇい!」

「うわあ!?」


 気合の入った声と共に力強く引っ張られた俺の視界は、情けない自分の声と共に大きく揺れる。

 秋穂さんの不意打ちに反応できずそのまま転がされ、部屋の中に連れ込まれてしまった。

 何事だ!? とこっちが現状を把握する前に秋穂さんは扉を閉め、鍵をかけ、倒れた俺の上に覆いかぶさる。

 ギリギリ触れないよう絶妙な距離加減を維持し、俺が逃げないよう左右を両手できっちり封鎖した。

 あ、これ少女漫画とかで見たことある、やられているのはヒロインの方だけど!

 

「ハルくん、ドキドキするかな?」

「い、色んな意味で心臓がバクバク鳴ってます!」


 緊張とか、女性が近いことやら色々混ざってぐちゃぐちゃだよ!


「私はね、もうずーっとドキドキしっぱなしなの。

 ハルくんのお父様にしばらく会うのは駄目だって言われて、ずっとずーっと我慢してたんだよ。何年もハルくんのこと考えて、定期的に送られてくるハルくんの写真で自分を納得させて、やっと会ってもいいって言われて、それで、それでね、本物のハルくんは私が思っていた、私が知っているキミと一緒だったの!

 ううん、それよりも素敵、もっと、もっと、もっと、もっと素敵だった! ねぇ、その時の私の気持ちわかるかな? 凄かったんだよ、頭の中がくらくらするくらい、私興奮した! もう、自分でも駄目だな私って思うくらいにね」


 興奮した様子で語る秋穂さんの顔が少しずつ近くなっていく。

 ……か、考え方を変えればとても素敵な状況だ。

 視線を落とせば襟元の隙間から見える大きな谷間、迫る美少女。

 このまま男になってしまえ、といわんばかりの状況だよ本当に! 目がめちゃくちゃ怖いのと、こんな状況でもやっぱり身体が拒否っているってことを無視できればな!

 

「ハルくんと一緒の時間を過ごして、もうどうしようもないほど興奮が抑えられなくなった私の心情を少しは察して欲しいな。

 同じ屋根の下にいられて、いっぱいお話して、いろんな表情を見られて、うん、無理。我慢する方が無理だよ。そんな時にキミは寝間着といって、自分の服を私に貸しちゃうんだもん、酷いよね本当、抑えられる訳ないもん。

 ……その結果がこれだよ、いつもの何倍も興奮しちゃった私は自分を抑えきれず、ハルくんに聞かれてしまうのでした。ねぇ、ハルくんはそんな変態さんの私をどう思う、軽蔑する?」

「…………」

「でも、軽蔑しちゃ嫌だよ? しちゃうなら、この場でハルくんも変態さんにしちゃうんだから」


 どうして秋穂さんがこんなにも俺のことを想ってくれるのかわからない。

 何にせよ、クソ親父が一枚噛んでいることだけはわかる。

 もしかしたら今回ウチに来ることになったのも俺のためじゃなくて“秋穂さんのため”、なんて考えがふと頭の中をよぎった。

 妖艶で、綺麗で、このまま身を任せてしまいたくなるほどに魅力的な人だけど……――それ以上に目が真剣で怖い。

 どうしてこんなにも秋穂さんは俺に必死なんだろうか? わからない、ぜんぜんわからない。

 時間がまるで足りない。だから俺は動く。

 俺の服を脱がそうとする秋穂さんの細い手を気合いで掴み、冷や汗増量な自分を抑え込んではっきりと口にする。

 じっと見つめる真剣な瞳を、俺なりの真剣で見つめ返して。

 

「秋穂さんは綺麗で可愛くて凄く魅了的な人だよ。だけど、俺はまだ表面以上の秋穂さんを知らない、だからこの先に進むならもっと互いを知ってからの方がいいって俺は思―――」

「じゃーこの機会に私の全部を知っちゃおう! 私が知らない、本能剥き出しな私のこともねっ」


 わーい、俺の真面目だった考えはどこに消えた!? こっちが絞り出す思いで出した答えをあっさりと欲望で踏みにじっちゃったよこの変態さん!

 一度決心を砕かれた人間はとても弱いものです。

 具体的に言えば、手を掴んでいたはずの俺が今度は手を掴まれ、そのまま攻め入られてしまいました。

 足を絡められ、体重を乗せられて動けない俺。

 秋穂さんそのまま俺の胸元に顔を埋め、子犬のように擦りつけながら少しずつ上へ上へと迫る。


「ハルくんの匂い大好き」

「あばばばばばば」


 俺はというと、もう完全に触れ合ってますので今にも失神しそうな勢いです。

 本当にまずい、このままじゃ意識飛ぶ……!


「あむ」

「はひぃ!?」

「えへへ、ハルくんの味も大好き」


 今度は首筋にキスをされた。冷たくも柔らかい不思議な感触に思わず変な声がでる。

 秋穂さんはそれが気に入ったのか、何度も何度も繰り返す。

 される度に俺は興奮するのではなく、意識をガツンと殴られたような感触に襲われ、くたばらないようにと必死に耐える。

 い、いっそこのまま気絶した方がいい気がしてきた。

 

「首筋にキスマークつけたら楓夏ちゃんにばれちゃうけど、いいよね。いっそ、ハルくんは私のだって派手に見せつけたほうが楓夏ちゃんのためかも、ふふ」

「あ、ああああの! 先に言っておきますけど、これ以上接触されますと俺気絶するので悪しからず!」

「うん、いいよ~。今は仕方ないもんね、ハルくん病気だし。――……でも、安心してハルくん」


 まるで吸血鬼のように首回りを吸っていた秋穂さんは顔を上げ、トロンと蕩けた瞳で俺を見つめて妖艶に笑う。

 あ、これは冗談抜きでマズイ奴だ、と俺の本能が告げるが口を開く秋穂さん止めることができない。

 

「ハルくんが気絶しちゃっても、私はそのまま|最後まで続けるから(・・・・・)。はじめては互いに見つめ合って~、なんて思ってたけど、もうそんなものどうでもよくなるくらい、今はハルくんが愛おしいの」


 倒れている俺の上に跨るように姿勢を変えた秋穂さん、ちょうど乗られているお腹の位置が冷たい。

 こりゃ洪水ですね、とオヤジ臭いことを考える余裕が俺にあったことに驚いた。

 両手をばたばたさせていると何やら布らしいものが手に触れる。横目でそれを見ると黒い下着だった。なるほど、こりゃ確かに凄い。

 ……ああうん、わかってる、現実逃避している場合じゃないってことくらい。


『もういいんじゃないの俺? 固い考えなんて捨ててさ、男の欲望のままに身を任せても。きっと秋穂さんは喜んで受け入れてくれると思うぜ』


 俺の決心を崩そうと欲望が語りかける。

 秋穂さんの提案は魅力的で、そのまま身を任せてしまっていいかもしれないと思いそうになった。

 でも、やっぱり素直には受け入れられない。この体質のこともあるが、それ以上に――――

 “兄様は兄様が思う兄様でいてください”

 楓夏いもうとと交わした言葉が頭のなかをよぎった。

 ああ、そうだよな、俺は俺らしくいるって決めたんだから。


「ねぇ、ハルくん。しちゃおう、うん、しよ? もう私は準備できてるから、ね」

「し、しません!」

「……どうして?」

「あ、秋穂さんは、情欲に感情に任せて全部決めちゃうような安い人間じゃないと思うんだ! もっと考えて―――」


 俺が言った言葉に少しだけ驚いた顔をした秋穂さんは、一瞬可愛い方の笑顔を見せたあと、白い指で俺の唇に触れて言葉を遮った。


「うん、ハルくんはやっぱり私が大好きなハルくんだ。私はね、キミに全部あげようと思っているのをけして安いと思っていないよ? ううん、むしろ私が強引にハルくんを安く買っちゃおうとしているだけで――」 

「――そうですね。変態はさておき、兄様はそんなに安い男じゃありません。欲望塗れの今の貴女には勿体なさすぎます」


 秋穂さんの言葉を遮る形で暗かった部屋に明かりが灯る。

 同じくして底冷えするほど低い声で言葉を塗りつぶしたのは、突き刺すような氷の瞳で睨み、怒りを露わにしている楓夏だった。

 楓夏は俺と秋穂さんの顔を交互に見て嘆息する。

 何か言いかけて、俺の現状況に気が付いた有能な妹殿は、今俺が一番欲しかった言葉を口にしてくれた。

 

「よく耐えましたね兄様。もう気絶していいですよ」

「……ははは、助かったぜ……マイ……シスター」


 秋穂さんに長時間触れられていたのを我慢していた反動が一気に襲い掛かる。

 とても不満そうな顔をしている秋穂さんと珍しく大真面目に怒っている楓夏が何やら言い合いを始めたところで意識が微睡む。

 もう何を言っているのかわからないが、とりあえず今はゆっくりと休んでリセットしたいという欲望に呑まれ、意識を沈めた。

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