第2話 女神のような人……?

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 そして現在。

 妹の魔の手から逃げ延びて一時間後、辺りは暗くなってしまい夕食時となっていた。

 お腹を空かせてふらふらと夜道をさまよう俺はまるで敗残兵のようである。

 行く当てはなく、今日から大和谷敗残兵と名乗ってしまおうか、なんて気分なこの瞬間。

 何よりも財布を忘れてしまったのが致命的で、スマホはあるけど電源は切っている。

 どうせしばらくは楓夏からの連絡ラッシュだろうし。

 

「……はぁ、どうしよう」


 逃げ出すのはいい、とういうか逃げ出すのは得意だ。

 そもそも普段の楓夏はあんな重症ブラコンではなく、クールな妹だ。

 しかし時たま(わりと頻繁に)癇癪を起したかのように襲ってくる。

 そのたびに逃げ出しては落ち着いたであろうタイミングで帰宅するのだが、今回はその手が通じない。

 親父がアホなことを言いだしたせいでずっと暴走モードだろう。

 このまま帰ると……あー、うん、無理、想像しただけで無理。

 しかしずっと帰らないわけにもいかない。

 どうにかしてこの窮地を脱する方法を考えなければ……――――

 

「あれ、ハル……くん? 大和谷蒼春くんだよね?」

「うわっ! ……って、へ?」

 

 いきなり名前を呼ばれて驚きでビクッと飛び跳ねる。

 一瞬、楓夏に追いつかれたと思ったが声は別人。

 呼ばれた方を見るとそこには見覚えのない女の人がいた。

 歳は俺と同い年か少し上かの女性で、腰まで流れる濡羽色の黒髪が美しく、思わず見惚れてしまうほどに綺麗な人。

 美しさだけではなく、優しげな瞳と白百合のような可憐さを併せ持ち、豊かな膨らみが服の上からもわかるほどにスタイルがいい。

 これだけ綺麗な人と知りないなら忘れるわけがない、と思ったとき親父が言っていた親戚ことを思いだす。

 というかよく見りゃ面影が……えっと、確か従姉妹の、姉の方だよな? 名前は、


「……秋穂さん?」

「うん! そうだよ、篠戸瀬秋穂しのとせあきほ! わぁ~久しぶりだねハル……じゃなくて、えーっと、蒼春くん」

「はい、お久しぶりです! というか、俺だってよくわかりましたね」


 こっちは名前を呼ばれるまで、まるでわからなかったのに。

 

「わかるよ、蒼春くんは変わってないもの。……うん、ずっと私が思っていた蒼春くんのまんまだ」

 

 秋穂さんはそう言ういと、花が咲くような、見惚れてしまうほどの笑顔を見せてくれた。

 わぁ……なんて美女、大和撫子! このお淑やかな成分が今の楓夏に少しでもあれば……

 待てよ……? これは好機かもしれん。

 いかにあの駄妹でも人前では襲ってこないはずだ。

 家族の前でこそ駄妹だが、人前では立派な優等生だからなあいつ。

 となると、俺がとる行動は一つ!


「そう言われるとちょっとむず痒いですね、あはは。――――あー、そうだったー! 親父から聞いたんですけど、秋穂さんうちに来る途中だったりしますか? というか来るんですよね!?」


 これ、聞きようではかなりアウトな感じもするが、今はそんなこと気にしている場合じゃないんだ!

 俺が血走った目で口を開いても、大和撫子の化身たる秋穂さんは女神のような対応をしてくれた。


「うん、そうだよ~。夏休みの間ここにいない妹共々よろしくね、蒼春くん」

「こっちこそよろしくお願いします! いやぁ……助かった、本当に助かった……あ、それじゃ家まで案内しますよ! と言っても場所知ってるとは思いますが」

「ふふ、それじゃあ立派な男の子になった蒼春くんにエスコートお願いしちゃおうかな、なんてね♪」


 そう言って秋穂さんはあどけない笑みを浮かべる。

 綺麗な人と思っていたが、こんな可愛い顔もするんだなぁ、と思わず見惚れた。

 こんなにも綺麗な人だ、夏休みは恋人や友人とたくさん予定があっただろうに……

 あの糞親父が無理を言ったに違いない、と再び親父へのヘイトが募りつつある。

 ……といっても、俺も秋穂さんが来てくれたおかげで家に帰れそうだから複雑な気持ちだ。

 このお礼はきっちりしなきゃ――――

 

「――――本当に、ほんとーっに、ハルくんは素敵な男の子になったなぁ~ぐふふふ。でも今は我慢、我慢よ私」

「……えーっと、な、何か言いました今?」

「ううん、何も言ってないよ。それじゃ蒼春くんの家に行こうっ♪」


 ……おかしいな、今、我が家の駄妹と同じ気配がしたような?

 いや、気のせいだ! 気のせいに決まっている! と、自分に言い聞かせて帰宅の途についた。




「兄様! やはり妹が恋しくなって帰ってき――――」

「た、わけじゃないぞ楓夏! お客様だ、親父の言っていた従姉妹を連れて来たぞ」

「おお、楓夏ちゃんはけっこう雰囲気変わったね~。……どうしてそんな薄着なの?」


 玄関を開けるや否や相変わらずの裸同然な格好で出迎え、もとい強襲をしかけてきた楓夏の動きが固まる。

 その反応を待っていた! 突然現れた第三者の前では迂闊な真似はできまい!!


「え、えーっと、兄様? そちらのお方はもしやお父様が言っていた篠戸瀬さんでしょうか?」

「そう、その篠戸瀬秋穂さんだ。楓夏も昔会ったことがあるよな? 今日からしばらくこっちにいるらしいから、まぁよろしく頼むよ、しっかり者で優秀な妹さん」


 あえて“今日から”を強調するのがポイントだ。

 それが効いたのか、悔しそうに歯ぎしりする妹を前にして勝利を確信した。


「ぐぬぬぬ、そ、そうですか、そうきましたか。聞いた話だといらっしゃるのはもう少し先だったはずなのに……流石兄様、どんな手を使ったのかは存じませんが、確かにこれでは妹も安易には動けません。しかし! 簡単に妹が諦めるとは思わないことですねっ!」

 

 ビシッと指差し、意志の強い瞳で気高く宣言する駄妹殿。

 場所を選べばもっと素敵な一面だと思うのに、格好と内容で気高さはゴミ山に直行である。

 まぁ、楓夏の話を聞くぶんに俺はかなり運がよかったらしい。

 理由は知らないが、秋穂さんが予定を早めてくれたおかげで無事に帰宅できたのだ。

 秋穂さんはというと、楓夏の意味不明な言動が上手く頭に入らないのか、ハテナマークを浮かべて不思議そうな顔を浮かべていた。

 それが常人の正しい反応だと俺も思います。

 

「とりあえず楓夏ちゃんは服を着よっか! お兄さんとはいえ蒼春くんは男の子だしね」

「そうですよね秋穂さん! いやぁ、お姉さんは頼りになるなぁ~、はっはっは!」


 手を合わせ、菩薩のような笑顔で諭す秋穂さんに便乗する俺、なんとも情けないがこのさい手段は選ばないのだ!

 何か言いたそうな顔をしていた楓夏も観念したようで、軽く会釈をしたあと駆け足で二階にある自室へ行った。

 その後ろ姿を確認し、とりあえず一安心と安堵の息をつく。

 いやぁ~、一時どうなるかと……

 

「それじゃさっそく、蒼春くんのお部屋にお邪魔しちゃおうかな」

「そうですね~、俺の部屋はこっち……って、どうして俺の部屋なんですか?」


 今、俺の部屋は楓夏が荒らしてぐちゃぐちゃで、とてもじゃないが人を入れられるような状況じゃない。

 しかしそんなのお構いなしの笑顔で秋穂さんは言葉を続ける。

 

「どうしてって……|これから入り浸る(・・・・・)ことになる部屋だもん、私の荷物もいくつか置いておきたいしね」

「あ、あの、どうして入り浸るんでしょうか?」

「どうして? それを聞いちゃうのかな蒼春くん……ううん、ハルくんは♪ ふふ、決まってるでしょ~」


 秋穂さんのニッコリ女神スマイルがニヤニヤ悪魔スマイルに変化する。

 先ほどのまでの“しっかり者の綺麗なお姉さん”という印象は脆くも崩れ去り、どこかで見たことあるよう……そう、駄妹がそのまま成長したよな感じが――

 

「ふふ、ふふふふ……いいなぁ、ハルくんの困り顔も! ああ、早めに来て大正解だったよ! あうー、もう辛抱できないー!! 何年も我慢してきたんだもん! はぁはぁ……ハルくん!! 私とお部屋でいいことしましょ!」

「ぎいやああああああああああ!」


 猫を被っていた秋穂さんは本性を見せると、鼻息を荒くしたまま俺の腕に抱きついてきた。

 秋穂に抱きつかれた! 効果抜群だ! ってな感じで、大ダメージを受ける。

 条件反射のように悲鳴をあげてしまい、力任せに腕を振り解き距離をとった。

 まずいまずいまずい! 鳥肌が収まらん、動悸が激しい、冷や汗も大量放出!

 そんな俺の様子を見ていた秋穂さんは一瞬だけ不思議そうにしたが、納得したように手を叩くと笑顔を浮かべる。

 

「あー、これが叔父様が言っていたハルくんの病気かぁ~、確かに重症かも。でも大丈夫、私が絶対に治して見せるから! さぁ、そのために私とイチャイチャしましょー!!」

「ちょっとは俺の意見も聞きましょうよ!?」

「みなまで言わなくてもわかるから安心して。男の子だもん、我慢してるんだよね! 大丈夫、だーいじょうぶ、任せて!」

「こいつも人の話聞かねぇタイプかー!!」


 笑顔(狂気)を浮かべたまま、涎を垂らしながら特攻してくる秋穂へんたいさんを寸前のところで回避し、自室へ走るが思い出す。

 ……そういや俺の部屋、ドア壊れてた。

 追跡してくる変態は勢いを止めることを知らない。

もう一度抱きつかれたら次こそ失神してしまう、そう覚悟した時にもう一人の楓夏へんたいが立ちはだかる。

 

「正体を現しましたね、篠戸瀬秋穂!! 誰であろうと兄様に近づく異性は許しません、兄様は私以外の女性が触れたら死んでしまうのです! さぁ諦めて巣穴に返りなさい」

「さらっと嘘つくのやめよぜマイシスター!」

「兄様は私が触れても死んでしまう可能性がありますが、そこは愛があるのできっと大丈夫です!」

「その都合のいい考えはどうにかした方がいいと兄は大真面目に思うぞ!」

「兄様は私のモノです!」

「シンプルでも許されねぇよ!?」


 前門には駄妹、後門には変態。絶体絶命の危機である。

 というか、久しぶりに出会った従弟相手に何を暴走してるんでしょうかこのお姉さん!? 駄妹はいつも通りだけどな!

 

「楓夏ちゃん、大人しく部屋で待っててくれないかな? お姉さん、ハルくんとやらなきゃいけないことがあるの」

「奇遇ですね、私も兄様としなければいけないことがあります。ですので、部外者の方はどうぞ回れ右して帰ってください」

「俺はどちらとも何かをする予定はないよ!?」

「ふふ、ハルくんが素敵なお兄さんだからブラコンになる気持ちはわかるけど、あんまりベタベタしてお兄さんを困らせちゃ駄目だよ。ハルくんの病気は私に任せて、ね?」

「寝言は寝てから言ってください。突然現れた従姉妹風情が何を口走ってるんですか、兄様の病気は私が治します」

「だから人の話し聞けよお前ら!!」


 じりじりと一歩、また一歩距離を詰める二人。

 あ、これまずい、さっきのダメージがまだ残ってるから意識が……――

 階段の中心で己が願いを叫ぶ俺でしたが、願いは届かず意識は反転し、ふわっと世界は暗転していくのでし……た。

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