第5話杏子の父
交差点の雑踏の音。
(宮本)「若林君、おひさしぶり!」
(若林)「ああ、こんにちわ。宮本さんか?」
(児玉)「よう、今日が平日じゃけえの、わしと宮本さんしか
来れんかったんじゃ。すぐそこじゃけえ15分ありゃいけるよ。
横断歩道渡ろう」
横断歩道の信号音。
車の音。雑踏。足音。
(児玉)「そこの角を曲がるんじゃ」
雑踏遠ざかり消える。
小鳥の声。三人の足音。
自転車の鈴。
足音だけがゆっくりと響く。
(宮本)「杏子は若林君のことが大好きだったのよ」
(若林)「え、うそだよそんな事。1度も聞いたことないよ」
(宮本)「ほんとよ。小学校の6年の時、皆誰が好きって言い
っこした時。あの無口な杏子が最初に若林君って言ったのよ」
(若林)「うそだよそんなの。本人から1度も聞いたことないよ」
(宮本)「当たり前でしょ。本人を前にしてそんなこと言えるわけ
がないでしょ。それでその時、若林君のどこが良いのて聞いたら、
死んだお兄さんにとてもよく似てるからって言うのよ」
(児玉)「へー、初めて聞いたのう、杏子に兄貴がおったんじゃ」
(宮本)「そう、ひとつ上のお兄さんだったんだけど、その前の
年に亡くしてるのよね彼女。病気だったらしいんだけど」
(児玉)「そういやあ、なんとなく兄弟みたいじゃったのうお前ら」
(若林)「そんなことないよ」
砂利道を3人が歩む音が続いている。
(宮本)「ねえ、憶えてる?私が若林君に手紙渡したこと?」
(若林)「忘れたよ、そんな事」
(宮本)「柴山さんのこと好きですか?って書いて渡したじゃない?
憶えてない?」
(若林)「憶えてない!」
(宮本)「彼女、返事がなくて落ち込んでたわよ」
(若林)「知らないよそんなこと。だって好きとか嫌いとか、
分からないよ小学生じゃ。わっ、いきなり立ち止まるなよ」
(宮本)「若林君!じゃ、今はどうなの?」
(若林)「むむ、いや、それは、それこそ妹みたいで、
ちょっと太めだけど何と言うか嫌いじゃないし、
どちらかと言うと好きだったかも?」
(宮本)「ほら見て御覧なさい。はっきり言って欲しかった
のよ彼女。その一言で幸せに死ねたのに。
男ってほんとに鈍感なんだから」
(若林)「そんなバカな!ちょっと待ってくれ。それじゃ
まるでこの俺が悪者みたいじゃないか!」
(宮本)「そうよ。女の気持ちも分からない、無神経で
わがままなあなたが彼女を不幸にしたのよ!」
(若林)「そりゃひどいよ。どうしてそういうことが
分かるんだよ。勝手に決め付けると俺だって怒るよ!」
ゆっくりと歩き出す音。
(宮本)「私のかってな決めつけじゃないわ。
彼女が入院した時お父様から若林君の居所
分かりませんか?連絡つきませんかと訊ねられたの。
あなたの実家にも連絡して秋口に海外へ飛び出したきり
全く連絡がつきませんとのことだったわ。ねえ児玉君?」
(児玉)「ほうよ。ほんまじゃのー。会いたがっとったんじゃのー」
(宮本)「そうよ。ほんとに会いたがっていたのよ」
(若林)「分かった。どうも俺が悪かったような気がしてきた。
それで、なにかな?杏子は何をいおうとしたのだろうか?」
(宮本)「若林君、あなたってほんとに鈍感ね。言うんじゃなくて、
言って欲しかったのよ。たった一言」
(若林)「ひとこと?」
(宮本)「そうよ。好きだって」
(若林)「そんなこと。(おどけて)いくらだって言えるよ。
好きだ。好きだ。好きだ。ほら?」
(宮本)「そうじゃなくて。心を込めて。一言でいいのよ」
(若林)「よくわからないなあ」
(宮本)「だから男は鈍感って言うのよ」
足音がつづいている。
(児玉)「あ、この寺がそうじゃ」
砂利道の足音。
水道、手桶に水を入れる音。
(児玉)「宮本さん花もってえや。若林、この手桶、ほれ。
わしゃ線香に火点けるけえの。右の一番奥のとこらへんじゃ。
柴山て書いてあろう」
砂利の足音。手桶の音。
(若林)「あれ、この新しいの違うみたいや」
(児玉)「ああけむた。その新しいのんは去年亡くなった
お母さんのじゃろう。真ん中が杏子の墓。一番奥のんが
兄さんのじゃろうて」
(宮本)「そうよ。今はもうお父さん、お店を閉めて
お一人で暮らしておられるそうよ」
墓石に水をかける音。
(児玉)「さあ三人で祈ろうか」
(若林)「ああ」
(宮本)「ええ」
小鳥のさえずり。
静寂が続く。
砂利をふむ弱々しい足音が近づいてくる。
足音止まる。
(杏子の父)「こんにちわ」
(若林のN)「男の人の声に振り向いて驚いた。
そこには今にも倒れそうな白髪の老人が、重そう
な包みを持って立っていた」
(三人)「こんにちわ」
(杏子の父)「よく来てくれました。あなたが若林さん
でしょう?これを渡さないかんかったのです。娘の
形見ではありますが、この日記と手紙だけはあなたに
お渡します。どうか、受け取ってください」
包みを渡す音。
(若林)「え、あ、はい」
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