第58話 決着
東興物産が目立った動きをしていなかったのは、目立った動きができなかったほど、資金繰りに困っていたということが分かり、表から見ただけでは中身が分からないもので、まるで巨象のように思っていた強大な敵が、あっけない幕切れを迎えるということに、栄枯盛衰と諸行無常という言葉を思い浮かべました。
「それで、私はこれから東興物産を解散するつもりなのですが、どうしても名古屋の土地をこのままにしておく訳にはいきませんので、北村さんのウォルソンで引き継いでもらって、最後の総仕上げをして頂きたい、というのが3つ目の話です」
「・・・・・・」
私はしばらく考えて、頭の中を整理したあと、
「でも、今お聞きした話でしたら、名古屋の土地は相当ややこしくなっているということで、私なんかが出て行って、解決するとは思えないですし、その最後の総仕上げというのは、どういったことなんですか?」と訊ねました。
「確かに名古屋の土地は東興物産以外に3社の名義になっていまして、その3社はどれもややこしい連中なので、インペリアルホテルは手を引かざるを得なくなってしまったのですが、やはり名古屋への進出は20年近くの歳月を掛けて行ってきた大事業ですから、おいそれと手放すことは出来ないのが実情なのですよ。
ですから、出来ればもう一度整理しなおして、きちんと仕上げることができれば、インペリアルホテルはいつでも買い取る用意は出来ているということなのです」
「ということは、私にそのややこしい連中の取りまとめをやってほしいということなんですか?」
「いえ、そのややこしい連中は私が取りまとめるつもりなので安心してください。そこで4つ目の話なのですが、私に奈良の木村さんを紹介して頂きたい、というのが最後の話なんです」
「!・・・」
私は坂上の言葉に驚き、何を意味するのかということは理解できたのですが・・・
おそらく、名古屋の土地の名義人となっている連中は、木村さんクラスの大物がバックに付かなければ取りまとめることが出来ないほどややこしいということなのでしょう。
どちらにしても、私が木村さんを紹介するということは、相手があることですから即答できるような話ではないので、
「じゃあ、木村さんを紹介することが、私の最後の総仕上げということなんでしょうか?」と訊ねました。
「いえ、木村さんを紹介して頂く以外に、北村さんには一番大切な仕事を用意していますので、その仕事が最後の総仕上げということになります」
「?・・・」
私は意味が分からなかったので、
「その、最後の総仕上げということを説明して頂けますか?」と訊ねました。
「はい、では説明いたします。北村さんは、名古屋の老人ホームの地権者である遠山さんのことは、どこまでご存知なのですか?」
「いや、私はご存知も何も、お会いしたこともありませんし、名前も遠山さんと、憶えていなかったくらいなので、何も分からないのと同じですね」
「それじゃあ、遠山さんがなぜ、インペリアルホテルに拘っているのかも、勿論ご存じないということですね?」
「はい、そうですね」
「・・・・・」
坂上はしばらく無言で、何事か思案中といった表情をした後、
「用地買収は、木村さんがバックに付いてさえくれれば、私が必ずまとめてみせます。でも、最後の遠山さんとの契約は、是非とも北村さんにお願いしたい、ということが最後の総仕上げで、どうしても北村さんに、遠山さんとの契約をお願いしたい大切な理由があるのです」
「?・・・・」
私は益々意味が分からなくなり、
「その理由というのは、どういうことですか?」と訊ねました。
すると坂上は、しばらく間を置いた後、
「実は・・・」
と言って、理由を話し始めました。
15年以上も土地を手放すことを拒み続けた遠山さんは、地上げの後にホテルが建つという事は噂話で知っていたようで、地上げを行っていた連中に、どこのホテルが建つのかをしつこく訊ねていたそうです。
しかし、インペリアルホテルとの契約で絶対に秘密にしなければならなかったため、遠山さんに明かすことは出来ませんでした。
そうこうしている間に東興物産の資金繰りがいよいよ苦しくなり、社長の森田は坂上を呼び寄せ、遠山さんとの契約を依頼しました。
「それで、私が遠山さんに会いに行きまして、色々と世間話をしながら、何度も足を運んで、ある程度の信頼関係ができましたので、インペリアルホテルからは内緒にすることが絶対条件であったのですが、これ以上時間を掛けることができなかった事と、これは正直に話さなければまとまらないと私が直感で判断して、インペリアルホテルが建つことを遠山さんに話したのですよ。
そしたら遠山さんが非常に驚かれて、インペリアルホテルが建つのであれば、喜んで立ち退きましょうと、二つ返事で了承してくれたんです。
それからは話がとんとん拍子に進んで、遠山さんは契約の条件に、必ずインペリアルホテルが建つということを明記してくれと言われまして、その通りの文言を入れて仮契約を結んだ後に、なぜ、遠山さんはそれほどまでにインペリアルホテルに拘っているのかと訊ねてみたんですよ。
すると遠山さんはね、戦争中に南方戦線に送られて、フィリピンのある島に上陸したんですけど、上陸してすぐに高熱が出て動けなくなってしまって、物資の補給を上官が自分の代わりに行ったときに、その上官は敵襲に遭って腕を吹き飛ばされたそうです。
それで、その上官はインペリアルホテルの元料理人ということで、遠山さんは自分の身代わりになって腕を失ってしまったことを申し訳ないと思い続けていて、いつかその人に恩返しを、という気持ちがあったんですね。
だから、インペリアルホテルが買い取ると言った瞬間に、契約してくれたんですよ」
「!!!」
私とお父さんは互いに顔を見合わせ、
「坂上さん、もしかしてその料理人っていうのは?・・・」
と、お父さんが坂上に訊ねました。
「はい、原田さんの大叔父の原田義夫さんだったんですよ。
私は大阪インペリアルホテルを倒産させて欲しいと近藤から頼まれまして、普段はこういった話には乗らないのですが、東興物産との絡みもありましたので、どうしても断ることが出来なくて引き受けたんですけど、その時に近藤から大阪インペリアルホテルの名称に関する話は聞いていたので、遠山さんから原田義夫さんの話を聞いたときに、非常に驚いたのと同時に、この話は東興物産では絶対にまとまらないなと思ったんですよ。
今だから正直に話しますけど、私は初め、北村さんの正体が分からなくて、探偵を使って北村さんのことを調べたんですよ。
そしたら北村さんが、北都興産の北村会長の実子であることが分かった時に、初めはとても驚いたのと同時に、みんなは不思議がっていたのですよ。
なぜ、北村さんが大阪インペリアルホテルの再建に乗り出したのか、その意味が分からなくて、どう対処すればいいのかを考えたんですけど、答えが見つからなかったのですよ。
そしたら北村さんが、原田さんのお嬢さんとご結婚されたことを知った時に、みんなは益々分からなくなりましてね・・・
もしかすると、東興物産に対して正面から喧嘩を売るための偽装結婚ではないかと、みんなはそう解釈したんですけど・・・
でも、私はすぐに気付いたんですよ。
これは偽装とか政略結婚なんかじゃなくて、東興物産を叩き潰すために、亡き北村会長と原田義夫さんが二人を引き合わせたんだということが分かりましたから、これはもうこちらが完全に負けたと思いまして、大阪インペリアルホテルの名称に関する権利を、はした金で買い取るという、最後の仕上げを放棄して、私は全てのことから手を引いて、あとは見守ることにしたんですよ。
それで私は、北村さんがどんな手を使って攻撃してくるのか、こう言っては不謹慎なのですが、楽しみにしていたんですよ。
私が北村さんの立場だったら?、ということで色々と考えてみたんですけど、どうにもこうにも答えが出なくて、いったいどうされるんだろうと思っていたら・・・
まさか、東興物産じゃなくて、インペリアルホテルに攻撃するとは思っていなくて面食らいましたし、それも豚の頭と犬の肉で攻撃するなんて、想像すらしていなかったので、これはもう、完全にこちらの負けだと認めた瞬間に、なんだか笑いが止まらなくなってしまいまして、こんな痛快な負け方があるんだなと、あらためて思い知らされましたよ」
「・・・・・」
ここまで坂上の話を聞きまして、全ては進とピロシの活躍だと明かし、私のことを大いに買いかぶり、過大評価しすぎだと訂正を促そうと思いましたが・・・
今後のことを考えまして、進とピロシは私の懐刀として存在を隠し、坂上に勘違いしたままでいてもらうことにしました。
「それで北村さん、今後の参考に是非ともお聞きしたいのですが、次は、どんな攻撃を仕掛けるつもりだったんですか?」と、坂上が訊ねてきました。
すると、紳がタブレットの電源を入れて画面を呼び起こし、坂上にタブレットを手渡しました。
「・・・・・」
坂上は時間をかけて、じっくりと画面に見入ったあと、
「なるほど・・・ この画面をデータで私のパソコンに送っていただけますか? この画面をインペリアルホテル側に見せるだけで、名称の買取金額を、あと1億円以上は上乗せできるでしょう」
と、こちらにとって非常に有難い話をしてくれましたので、紳が早速、坂上からアドレスを聞いて、送信しました。
「それにしても、よくこんな作戦を思いつきましたよね・・・
私も長いことこの世界にいますけど、こんな作戦は見たことも聞いたことも無かったので、まさに目から鱗の前代未聞の素晴らしい作戦で、今回のことで良い勉強をさせて頂いたと、本当に感謝しています。
ですから北村さん、是非とも名古屋の総仕上げを引き受けてもらえませんか?
元々、名古屋の用地買収は、北村会長が北都興産で仕上げる仕事だったことを考えると、最後の総仕上げは北村さんにお願いするのが筋だと思いますし、ましてや原田家のお嬢さんとご結婚された北村さんが、遠山さんの願いを叶えるということにもなると思うのですが、どうでしょうか」
千里の先祖であり、お父さんの大叔父さんである原田義夫氏の遺産を、巡りめぐって原田家の一員となった私が受け継ぎ、戦友であった遠山さんの願いを叶えることになろうとは・・・
ただの偶然などではなく、とても深い
私は坂上さんの目を見ながら、やはりこの男はそんじょそこらの事件師とは次元の違った、超一流の事件師であり、日本有数の仕事師であるということを理解し、遠山さんとの契約は、坂上さんが私に用意した
この男なら信用できるということで、視線をお父さんに移して、
「お父さん、大阪インペリアルホテルの名称を売却してもいいですか?」と、訊ねました。
「うん、圭介君の思うとおりにしてくれたらいいよ」
「ありがとうございます」と言って頭を下げた後、坂上さんに視線を戻して、全ての決着をつけるために、
「坂上さん、分かりました。お聞きした4つの話は全て了解ということで話を進めましょう。インペリアルホテルへの攻撃は中止しますし、大阪インペリアルホテルの名称も売却します。それと、遠山さんの件と木村さんの件もお引き受けしますけど、ひとつだけ坂上さんにお訊ねしたいことがあるんですけど、よろしいですか?」と、最後の質問をすることにしました。
「はい、どうぞ」
「こうやって坂上さんがこちらに来られて、私と会って話している時点で十分に理解していますし、私に対して餞まで用意して頂いていることもそうですし、ましてや木村さんを紹介してほしいということで、本当に不仕付けな質問になって申し訳ないんですけど、坂上さんは、父の事件に関与はしていなかったんですよね?」
坂上さんは私と視線を合わせたまま、真剣な表情で、
「はい、私はまったく関与していません。あの事件に関する私が知っている全てを北村さんに話すつもりなのですが、できれば木村さんとお会いした時に、北村さんと木村さんの前で話そうと思っていたのですが、いま話したほうがいいですか?」と、最後まで視線を逸らさず、私の目をまっすぐ見つめたまま話しましたので、本当に関与はしていなかったと確信を持ちました。
「いえ、それは木村さんと会った時にしましょう」
「はい、分かりました。それで、私があの事件に関与していなかったということは、おそらく木村さんはもうご存知だと思いますよ」
「?・・・」
私は意味が分からなかったので、
「それは、どういうことですか?」と訊ねました。
「東興物産がインペリアルホテルの中国進出に向けた前捌きを行っていた事はご存知ですよね?」
「はい、知っています」
「その時に現地での協力を要請していた実業家の楊さんが、3日前から行方不明になっている事はご存知ですか?」
「!」
私はお父さんの前なので、これ以上の話を避けることにしました。
「坂上さん、申し訳ございませんでした。木村さんとの顔つなぎは、私が責任を持って必ずセッティングしますから、全てはその時に話しましょう」
坂上さんも私の胸の内を察したようで、
「いえ、こちらこそすみませんでした。では、私は今から東京に戻りまして、インペリアルホテル側と話をつめることになっていますので、申し訳ございませんが、これで失礼致します」と言って、私たちはお互いの携帯電話の番号を教えあったあと、坂上さんが手を差し伸べてきましたので、私たちはガッチリと握手を交わし、これからはファミリーとして付き合っていくことを互いに黙契し、坂上さんは東京へ戻っていきました。
2日後、再び坂上さんがこちらへやって来まして、私と一緒に木村さんの自宅に行って顔つなぎを済ませ、名古屋の用地買収を木村さんが引き受けることが決まり、父の死の詳しい真相を聞きました。
やはり、渡瀬さんが調査した通りでありまして、東興物産の森田が海外へ逃亡した本当の理由は、中国の実業家が行方不明になったことが、直接の原因であったということを知りましたが、それ以上の話は木村さんによって、私は席を外されてしまったので、あとの話はどうなったのかは分かりません。
私が知る必要がないということなのです。
その通りだと、私自身も納得しました。
そしてその2日後、私はお父さんとお母さんと千里を連れて、家族4人で名古屋へ行き、坂上さんが用意してくれた料亭で、遠山さんのご家族と一緒に食事を楽しみました。
遠山さんは涙を流しながら、とても喜んでくれました。
こうして、インペリアルホテルとの決着がつきまして、これにて一件落着と言いたいところなのですが・・・
このまま終われるはずがありませんよね?
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