第51話 挫折

 渡瀬さんを待っている間、紳と私は互いに無言で、それぞれ様々な想像をしながら、私はタバコを吸い続けていました。

 途中で紳が車を降りて、近くの自動販売機で缶コーヒーを買ってきましたので、飲みながらしばらく待っていると、時間にしておよそ30分ほどで渡瀬さんが戻って参りました。

 元々表情が豊かな人ではないので、顔から結果を読み取ることは出来なかったのですが、渡瀬さんは運転席に乗り込んだあと、

「ふぅー・・・」と、大きくため息をついて、次のように語り始めました。


 結論から言って、地上げに食い込む事は不可能であることが判明しました。

 一歩違いであったのです。

 いや、実際には一歩違いではなく、10歩も100歩も先に到着していたとしても、私たちでは地上げが不可能であったのです。

 渡瀬さんの話によると、老人ホームの所有者は渡瀬さんが話をした老人ホームの経営者の父で、地上げが掛かり始めたことは15年以上前から承知していたのですが、先祖伝来の土地を手放すことに頑として応じず、地上げは難航していたのです。

 地上げをされている他の地権者たちは、ここに何らかの商業施設、もしくはホテルが建つらしいという噂を耳にしていたので、公共性の高い施設が建つのであればという理由で、好条件を提示されて次々と地上げに応じていったのですが、老人ホームだけが最後まで抵抗して地上げは完了しなかったのです。

 痺れを切らした東興物産は、今月の初めに入って、秘密裏に行っていた方針を転換し、最後の手段として本当の買主はインペリアルホテルであることを明かした結果、

「私の先祖伝来の土地に、インペリアルホテルが建つのであれば、よろこんで立ち退きましょう」

 ということで、2日前に売買契約を取り交わして既に手付金は受け取っており、老人ホームは東興物産が用意する代替地で営業を再開するので、お父さんの入所の話は新しい場所も考慮して欲しい、と言われたそうです。

 なので、たとえ私が以前から情報を入手していて、横槍を入れていたとしても、買主がインペリアルホテルでなければ成立していなかったということなのです。

「万事休すかぁ・・・・」

 と、紳が呟きました。

 確かに万策尽きたといった感は否めず、なんだか全身の力が抜けて、体が妙に軽くなったような気がしました。

 もう何も考えたくはないといった投げやりな思いから、そのあと渡瀬さんと何を話したのかよく憶えておりませんでした。

 おそらく、引き続き東興物産の調査を続けて、何か反撃の糸口を見つけ出す、といったような内容であったと思います。

 とりあえず今のところ打つ手がありませんので大阪に戻ることになったのですが、法務局で渡瀬さんと別れたあと、紳に運転を代わってもらって、これから先のことをぼんやりと考えていたのですが、私に残された道は、大阪インペリアルホテルの経営以外に、何も残されていないのではないかと思えてきました。

 ウォルソンの全財産を処分して、今回の不始末の尻拭いをした後は、千里と両親を含めた社員たちを路頭に迷わせないように、ホテルの経営に専念して、一からやり直す以外に、何も考えられなくなってしまいました。

 やはり、こういった状況で目に浮かぶのは家族たちということで、今夜はみんなを自宅に呼んで、食事会を開くことにしました。

 集まる名目は何でも良かったのですが、とにかくみんなの顔を見ながら食事がしたかったので、先ずは紳に話し、次いで千里に電話をして今夜はみんなで鍋を囲もうと話し、マリと進とピロシを自宅に呼んでほしいと話しました。

「うん、わかった。じゃあ、なんのお鍋がいい?」

「そうやなぁ・・・ 魚がいいな」

「うん、今マリと一緒やから、いまから黒門市場に行って、お魚屋さんに選んでもらうね」

「うん、夕方には帰れるから、頼むわな」

「うん、気をつけて帰ってきてね」

「はい、じゃあ後でね」

 電話を切った後、何も考えずに眠りました。


 「zzzzzz」


 紳に起こされて目が覚めると、自宅に到着していました。

「運転ごくろうさんやったなぁ、ありがとうな」

「いいえ・・・ さぁ、今日はとことん飲んで、思いっきり酔っ払いましょうよ!」

 妙に明るく振舞う紳に申し訳ないという思いを感じましたが、

「そうやな! 今日は飲むぞ!」と言って、車から出て自宅に戻りました。

 紳は一旦自宅に戻って、風呂に入って着替えてくるということで、11階でエレベーターを降りまして、私は自宅に入ってマリが入れ違いで自宅に帰った後、千里にただいまのキスをして、そのまま一緒にお風呂に入りました。

「今日は何の鍋なん?」

「今日はカワハギやで! 黒門に行ったら大きなカワハギがあって、刺身と鍋と両方楽しめるようにいっぱい買ってきてんで」

「そう、カワハギの刺身って久しぶりやなぁ。楽しみや」

「うん、みんなでいっぱい食べようね」

 お風呂から上がってソファーに座りながらビールを飲んでいると、紳とマリが加わりまして、一緒に飲み始めた直後、進とピロシが到着しまして、鍋を囲んで食事会が始まりました。

 カワハギの刺身を肝醤油と旭ポン酢の両方で楽しんだ後、みんなで鍋をつつき始め、私は食事をしながら、みんなに今まであった出来事を全て話すことにしました。

 もう隠しても仕方がありませんし、経営者の義務として、これからの展望を社員に話さなければなりませんし、みんなの意見も聞きたかったのです。

 一通り食べ終わり、みんなの箸の動きが鈍った所で、私は話し始めました。

 みんなに聞いてもらうために話しているのですが、なぜか自分に言い聞かせるために話しているように感じて、少し不思議に思いながらも話し続け、みんなは食事の箸を止めて、真剣な表情で私の話を聞いてくれました。

 全て話し終えた時、別に悲しかったわけではないのですが、なぜか自然と涙が溢れてきて、とにかくみんなに謝ることにしました。

「みんな、ごめんな・・・ 俺って自分で何でも出来るって思ってたけど・・・ 親父の仇を討つどころか、実際はなんにもできひん、ただの腰抜けの間抜け野郎やったなぁ・・・」

「圭介、泣いたらいやや・・・」

 と言って、千里が泣き始めてしまいました。

 すると、今度は進が目に涙を浮かべながら、

「アニキ・・・ お願い泣かんといて・・・ アニキは腰抜けなんかじゃないし、間抜けじゃないってことは、私らが一番よく分かってるから、泣いたりしたら嫌!」

 と言って、大きな声で泣き出してしまいました。

「圭介さん、なに泣いてるんですか! 圭介さんが泣いたら千里も泣くし、みんな泣くじゃないですか! 私はそんな弱い圭介さんなんか見たくないですよ!」 

 と言って、とうとうマリまで泣き出してしまい、紳の胸元に顔を埋めました。

 私は沈痛な表情の紳と目を合わせたあと、マリが泣くのを見たのは始めてだと思った時、黙って私たちの話を聞いていたピロシが、泣きじゃくる進を連れてドアを開けてリビングから出て行ってしまいました。

 おそらく、ピロシは人前で泣くのが嫌なのだろうか、それとも進の泣き声がうるさくて連れ出したのか、どちらだろうと思っていたのですが・・・


「おい、進! 泣いてる場合じゃないぞ!」

「だって・・・ だって、私のアニキが・・・」

 ピロシは進が少し落ち着くのを待って、

「もう泣くな。 泣いてる場合じゃない」

 と言って、進を励ましたあと、大きく深呼吸をして、

「進! 俺らの出番や! 俺らがなんとかするぞ!」

 と、普段は感情を表に出さないピロシが、めずらしくとても力強い口調で言い切りました。

「うん、ピロシ分かった、もう泣かない!」

「二人で考えた、あれをやるぞ!」

 進は涙を拭い、今まで泣いていたのがまるで嘘のように目を輝かせて、次のように語りました。

「うん、分かったピロシ! あの作戦をやるんやね!

 よ~し、も~う怒ったで~! 私の大切なアニキと、千里姉とマリ姉まで泣かせやがって~! 

 よ~し、オカマの恐ろしさを、とことん思い知らせてやるねん!」


 こうして私たちは、彼と彼女?の本当の恐ろしさを思い知らされる時が、刻一刻と迫っておりました。

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