第45話 風雲急を告げる
「石井さん、その東新総業って、こっちとは関係がない会社なんですよ」
「えっ! やっぱりそうやったんですか!」
私は紳に、メモを取るようにジェスチャーで伝えた後、
「はい、それで、その東新総業の連絡先って書いてますか?」と、訊ねました。
「はい、書いてますよ。03やから東京ですね。言いますよ?」
「はい、どうぞ」
石井さんが読み上げた数字を復唱して、紳に伝えた後、
「それで、吉川さんは留守というか、家の中にいない感じなんですか?」と訊ねました。
「いや、留守というか、看板は玄関のドアを塞ぐような感じで掛かってるから、もう引越しした後っていう感じやね。私は毎日この前を通るけど、昨日まではこんな看板掛かって無かったから、昨日の夜か今日の朝に取り付けたんやと思いますわ」
「・・・・」
私は少し考えた後、
「とりあえず、私は今からそっちに行きますから、石井さんは今日、時間はありますか?」と訊ねました。
「はい、大丈夫ですよ。じゃあ、他の売主さんにも声を掛けておきましょうか?」
「はい、よろしくお願いします。それじゃあ、現地に着いてから、また連絡させていただきます」と言って、電話を切りました。
目敏い紳は、私が説明しなくても電話の内容を理解していましたので、自室から近江精工所の移転に関する資料を持ってきまして、地図を広げて二人で改めて吉川さんの土地を確認しました。
「完全に歯抜けの状態になりますね・・・」
「そうやなぁ・・・」
吉川さんの土地は、面積は大して広くはないのですが、県道に面しておりまして、新しく取得する土地のちょうど中間地点に位置し、新工場の完成時の予定では、大型トラックが出入りするための出入り口となっているため、もしも吉川さんの土地を取得することができなければ、新たに取得する土地はまるで、歯が抜けたような状態となってしまい、敷地全体が利用価値のない死に地になってしまうのです。
近江精工所はこれから、リニアの製造に関する新たな事業をJR側から約束されており、その事業を展開するために今回の工場の合併を計画したのです。
もしも近江精工所の工場をひとつにまとめることができなければ、新たにリニア専用の工場を建設することになってしまい、その場合、近江精工所は滋賀県内の狭い範囲に5ヶ所の工場を構えることにり、現在よりも更に効率が悪くなるために、今回のような社運をかけた思い切った設備投資に踏み切ることになったのです。
しかも、近江精工所の滋賀県内の4つの工場のうち、3つが移転後に買い取ってもらうことが既に決まっており、その売買代金を新しい工場の建設費用に充てる計画であったので、今更それらの計画をひっくり返すことなどできないのです。
用地買収の場合、何よりも前捌きが大変重要で、できるだけ同時期に、しかも一気呵成に不動産の売買を行わなければ、値を吊り上げる人が出てきたり、今回のように横槍が入る危険性がありますので、細心の注意を払わなければならないのですが・・・
今回、吉川さんには通常では考えられないような十分すぎるほどの好条件を提示しておりましたので、私と紳は何の警戒もせずに、ただ時間が経過して吉川さんの亡くなられたお父さんの一周忌が無事に終わるのを待っていたのです。
とにかく、ここであれこれと考えていても埒が明かないので、私と紳はそれぞれスーツに着替え、千里とマリには急用が出来たので適当に過ごしてほしいと言って自宅を出ました。
私の車を紳が運転して滋賀県の米原へ向かい、車中で滋賀のお父さんに連絡して事情を説明しました。
話を聞き終わった滋賀のお父さんは、
「圭介、それって、どいうことやねん?」と、声を少し荒げました。
「お父さん、ごめんなさい。とりあえず今、紳と現場に向かってるから、自分たちの目で実際に確認して、それからまた連絡入れるから待っといてください」と言って電話を切りました。
私と紳は互いに無言で、それぞれ今回の不始末の真相を解き明かそうと必死に思いを巡らせた結果、
「紳、やっぱり、これは東興物産やろうな?」
「そうですね、東新総業っていう似たような名前と、東京っていうことを考えたら、おそらく間違いないでしょう。やっぱり、近江精工所に対して、昔の恨みを晴らすのを狙ってたんやと思いますよ」
と、私も紳と同じ意見に達したのですが、なんとしてでも打開策を見出さなければなりません。
「仮に、裁判を起こした場合、勝ち目はあるか?」
「100パーセントありませんね。うちと吉川さんとの間で、売買予約とか売り渡しの仮契約とかの、何らかの契約を書面で交わしていて、尚且つこちらが手付金とかを支払ってるんやったら話は分かりますけど、あくまでも口頭での約束だったんで、裁判自体も起こせないですよ」
「確かに、そのとおりやな・・・」
「とにかく、理由はどうであれ、どう考えても今回の僕と圭介さんは間抜けもいいところやし、これは下手したら、リニアの仕事もひっくり返ってしまう可能性がありますね」
「リニアにも影響が出てくるか?」
「はい、出てくると思いますよ。だって、このまま工場の移転にもたついてたら、リニアの部品の製造もできませんし、そうなったら近江精工所の本体もぐらついてくるから、JR側も黙って見てないでしょう。
それに、こんなド素人もせんような初歩的なミスを犯す間抜けに、国家プロジェクトなんか任せて貰えるとは思えませんから、どっちにしても一番早い解決方法は、圭介さんと僕で、東新総業の言い値で土地を買取るしかないと思いますよ」
「・・・・・」
私の脳裏に、様々な関係者らの顔が浮かんできました・・・
みんなに会わせる顔がないと思いながらも、少しでも厳しい現実から逃れ、或いは目をそらすために、竹然上人が千里に語った話を紳に話しました。
「千里さんが握ってる切り札?・・・」
「そうやねん、じっちゃんがそない言うててんけど・・・」
紳はしばらく間を置いた後、
「それって、たぶん嘘じゃないですか?」と言いました。
「うそ?」
「はい、千里さんを元気にするための、方便として嘘をついたんやと思いますけどね。どう考えても、東興物産をやっつける切り札が思い浮かばないんですけど・・・」
(なるほどな)
確かに紳の言うとおりで、私が幾ら考えても思いつかず、紳が思い浮かばないということは、千里を元気にするためについた嘘だということなのでしょう。
「とにかく圭介さん、負けは負けですよ! もしも、その切り札が存在していたとしても、この用地買収に関しては、これ以上なにも好転することなんかありませんよ」
「・・・・・・」
その後、私たちはお互いに無言のまま米原に到着し、吉川さんの自宅の前で車を停めて外へ出ました。
石井さんが言っていた通り、吉川さんの自宅の玄関のドアを塞ぐような感じで、東新総業のちゃんとした立派な看板が針金で強固に貼り付けられており、外から見る限りですが、吉川さんは既に引っ越していることが窺い知れるほど、自宅は必要以上にひっそりと静まり返っておりました。
紳と相談した結果、これ以上事態が悪化しないように、このまま残りの5人の地権者から予定通りに土地を取得した上で、東新総業と交渉することがベストだと判断し、先ずは滋賀のお父さんに電話をして現況を説明したあと、これから残りの地権者と会って、予定通りに買取りを進めると話し、全ての作業を終えたあとにまた連絡すると言って電話を切りました。
次いで石井さんに連絡すると、石井さんは既に、残りの地権者を自分が経営する喫茶店に集めてくれているということで、ここから150メートルほど離れた喫茶店に向かいました。
石井さんの喫茶店に到着すると、皆さんはそれぞれ様々な憶測を巡らせていたようで、表情が優れず不安を抱いていることが一目で分かりました。
素早く空気を読んだ紳が話し始め、早速明日から予定通りに買取りの作業を開始するということで皆さんは納得し、安堵の表情を浮かべてくれました。
その後、不動産の売買に関する細々とした実務の説明を終えた後、紳と私は皆さんと別れて車に乗り込み、再び滋賀のお父さんに電話をして、今後の対策を打ち合わせるために、そのまま大津市の自宅へ向かいました。
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