第40話 手に負えない千里
進の実家で一泊して夕方に自宅に戻り、千里が夕食の準備を始めましたので、私はリビングのソファーに座りながら、予てから心に刺さっていた棘を抜くために、ひとつの決断を下しました。
私は千里と両親に、父は癌で亡くなったと嘘をついていたことを正直に話そうと決めたのです。
来週、奈良の県人会に行く前に、どうしても千里に父の過去を話しておかなければならない事情があり、たとえ棘を抜いて大量に出血したとしても、いつまでも隠し通すことはできないのです。
県人会に行けば、誰からともなく必ず父の話題になりますし、特に非合法の組織の方たちは言い方がストレートなので、どうしても千里に隠し通すことなど不可能なのです。
そして、県人会には木村さんという、父の同郷の幼馴染がメンバーに名を連ねておりまして、私が今回の会合に参加する本当の目的は、ただの理事から専務理事に昇進することなどではなく、木村さんに千里を紹介するのが真の目的なのです。
木村さんは奈良の建設会社の創業者で、奈良県ではトップクラスの実績を持った準大手の立派な会社なのですが、木村さんは3年前に会長を退いて、現在は相談役となっている方です。
しかし、それはあくまで木村さんの表の顔であって、木村さんの本当の姿というのは非合法の組織、いわゆるヤクザの大親分なのです。
私は幼い頃から木村さんに可愛がられておりまして、子供のいない木村さんにとって私は、親友の息子以上の実の息子のような存在であり、進の両親とは違った意味で、木村夫妻は私の裏の両親と言うべき存在なのです。
千里と入籍前に、私は奈良県生駒市の木村さんの自宅を訪ねて、結婚することを報告し、千里を紹介するために一席設けようとしたのですが、
「そらぁ、私も圭介の嫁に会いたいけど、私と会う時は若いもんがいつも一緒やから、その娘さんに変な風に思われるやろう?
だから、今度の県人会のパーティーやったら、若いもんは会場の外で待たせるし、うちのお母さんも一緒にパーティーに行くから、その時に圭介の嫁と会うことにするわ」
と、木村さんは四六時中、自宅にいる時でも部屋住まいの若いボディーガードに守られている自らの立場を考慮して、公の場で千里と会うことにしたのです。
ということで、いつまでも父の話題や、私の裏社会とのつながりを隠すことはできませんし、何よりも私たちの披露宴に父親代わりである木村さんを呼ばない訳にはいきませんので、とりあえず木村さんの話をして流れを作り出し、タイミングを見計らって父の話をすることにしました。
夕食はお好み焼きで、わざわざネットで注文して取り寄せしている、神戸の森彌食品の『ブラザーソース』の焼ける香ばしい匂いに誘われてテーブルに着きました。
千里が作ってくれた大阪風のお好み焼きは本格的で、生地には本だしと味の素、トッピングは豚とイカ以外に、マリから教えてもらった鶴橋の精肉店で買ってきた、『油かす』まで入っており、有名店に負けぬほどの美味しさでありました。
「これ、今まで食べたお好み焼きの中で、お世辞抜きで一番美味しいかもしれん」と、私が絶賛すると、
「うん、確かに油かすを入れたらこんなにコクが出て、香ばしくて美味しくなるんやってこともあるけど、やっぱりこのブラザーソースが最高に美味しいね!」と、千里は自らの料理の腕前を謙遜しました。
食事が終わり、いつものように食後のコーヒーを飲みながら、
「あのさぁ千里、来週の奈良県の県人会のことやねんけど」と、先ずは木村さんの話からすることにしました。
話し始めてすぐに千里の顔は曇り、表情も緊張のためか、少しこわばったように見えましたが、何とか最後まで話し終えると、
「・・・・・」
千里は無言のまま、複雑な表情で私を見つめていました。
私は本題に入る前に、気持ちを落ち着かせるためにコーヒーのおかわりを注文し、千里は私のコーヒーカップを手にして椅子から立ち上がり、もう一度コーヒーを入れて戻ってきて、私の前に置いた後、再び椅子に座り、私の目をまっすぐ見つめたまま、
「なんとなく、圭介にはそういう知り合いがいるんじゃないかって思ってた・・・ だって、圭介もスーツ着て黙ってたら、ヤクザに見えなくもないっていうか・・・ そういう雰囲気を持ってるもん」
と言いました。
「・・・・」
私はなんと答えていいのか分からなかったので黙っていると、
「でも、圭介の仕事には、そういう人たちの力が必要な時があるんやろう?」と、千里が言いました。
「そうやねん・・・ 正攻法で表から行くだけでは、どうしても解決しない問題とかが出てくるから、その時に・・・」
これ以上、説明することはできませんでした。
すると千里は、少しだけ表情を和らげ、
「わかった・・・ 圭介にとって両親と同じ存在なんやったら、私にとっても両親と同じやし、私は圭介の嫁になった時から、何があっても圭介に付いて行くって決めてるから、心配しなくてもちゃんと対応するから大丈夫やで」と言ってくれました。
「うん、ありがとう・・・」
とは言ったものの、本題はこれからなのです。
やはり、どう考えてもいきなりストレートな話はできないと思い、
「千里、あのな、俺の親父のことで聞いてもらいたい話があるねん」
と、私が知る父の一番古い話から、順を追って話すことにしました。
私の父、
浩介が中学に入学した頃、奈良県の桜井市で寺の住職をしていた母の兄が軽い脳梗塞で病に倒れ、左半身に麻痺が生じて住職としての勤めを満足に果たせなくなってしまいました。
跡継ぎを育成できるほどの立派な寺ではなく、だからといって宗教法人ごと廃寺にしてしまうのはもったいないということで、浩介に後を継がせようと考えた叔父は、浩介が中学を卒業後、知り合いの京都の寺へ修行に行かせることにしました。
その寺が、流清寺であったのです。
浩介は流清寺で私の母の
寺での修行を始めた浩介は、兄弟子であった竹然(後の竹然上人)と共に修行に励みましたが、どうにも隣家の祐美子が気になって仕方がなく、修行にはまったく身が入っていなかったそうです。
この頃の様子を、私は竹然上人から聞いたことがあるのですが、父と母はお互いに一目惚れであったそうで、由緒正しい良家の深窓の令嬢と、どこの馬の骨かも分からない小坊主との恋など許されるはずもなく、二人はいつも夜中に寺と自宅を抜け出しては、境内の竹林で逢瀬を重ねていたそうです。
しかし、そのような関係がいつまでも続くはずがなく、間もなく二人の関係は白川家と寺の関係者らに発覚し、浩介は寺を追い出されそうになったのを竹然が必死に嘆願したことによって免れましたが、祐美子は高校進学を機に、大阪の親戚の家に預けられることになり、二人は離れ離れになってしまいました。
その後浩介は、祐美子を忘れて寺での修行に打ち込もうとしましたが、若い浩介は忘れることなどできようもなく、寺を逐電して祐美子に会いに行くことに決め、世話になっていた竹然に全てを打ち明け、手助けを求めたそうです。
「浩介、お前はこのまま修行しても坊主になることは無理やさかい、わしは止めはせんけども、祐美子ちゃんとのことは修行よりも辛い棘の道になるけど、覚悟はできてんねやろうな?」
「
と言った浩介に、互いに修行の身であったので、まとまった金を持っているはずもなく、竹然はなけなしの現金六千円を手渡したあと、
「ええか浩介、お前は将来、必ず事業に成功して大金持ちになるやろうから、その時にこれよりも立派なものを寺に返しに来いよ!」と言って、寺に代々伝わる宝物の、純銀製のお輪を持たせてくれたそうです。
そうして寺を飛び出した浩介は、祐美子から届いた手紙の住所を頼りに大阪へ向かい、白川家と断絶した祐美子は親戚の家を飛び出して浩介と共に幼馴染の木村さんを頼って奈良に行き、紆余曲折を経て二人は結ばれ、私が誕生しました。
その頃、木村さんは家業のヤクザの組を継ぐために、三下修行中であったため、父も同じように組の構成員となる傍ら、木村さんと二人で建設業を立ち上げ、業績は順調に延びて行きました。
その後父は、建設業以外に宅建の免許を取得して、大阪で不動産屋を立ち上げ、バブルの頃に巨万の富を手にした後、白川家と流清寺と和解するために、様々な手を尽くしましたが、流清寺の方は純金製のお輪と、寺の修復に莫大な資金を寄進したことによって関係が修復され、その後に竹然が住職となったために、何の問題もなくなったのですが、祐美子の両親は生涯、浩介を許す事はありませんでした。
父は巨万の富を築き上げる間、木村さんと共に何度か身の危険を感じるような無茶を重ねており、母と私を実家に帰して雲隠れをする羽目に陥ったりしましたので、私と母の今後のことを考えて敢えて離婚し、白川家に帰したのですが、私が白川家で不当な扱いを受けていることを母から聞いて知っていた父は、自分の生活が落ち着いている間は私を迎えに来て共に生活し、また雲行きが怪しくなったら白川家に戻すといったことを繰り返しましたので、私は常に冷静で物怖じしない代わりに、想定外の出来事に対しては意外と打たれ弱い、といった複雑な性格に育ってしまったのかもしれません。
そうして父は、裏の経済界で知らぬ者のいない存在へと上り詰め、父と共に両輪となって組を成長させた木村さんは、日本で最も金を持ったヤクザの大親分となったのです。
しかし、その父が2年前、商談で東京の新宿に行き、一泊して商談を終えて大阪に戻るためにタクシーで東京駅へ着いた直後、白昼堂々と二人組みの殺し屋に銃撃され、命を落としました。
父を襲った犯人は、中国語を話していたという目撃証言と、その後の警察の捜査などから、新宿を根城とした福建省のチャイニーズマフィアであったということまでは判明したのですが、未だに犯人は逮捕もされておらず、そもそも父が何の目的で新宿まで行ったのかも分かっていないため、なぜ狙われたのかも含めて、全てが闇に包まれたままになっています。
父が殺された直後、木村さんは自ら動き、実行犯とその背景を警察よりも早く割り出し、父の仇を討つために関東のヤクザの協力を得て自らの組員を新宿に総動員し、ローラー作戦を展開しましたが、チャイニーズマフィアは想像以上に巨大であり、組織自体が複雑で尚且つ横のつながりが強いために、たとえ日本のヤクザが相手であっても全く怯まず、新宿は一触即発の異常は緊張がしばらく続きましたが、警察の面子を掛けた強烈な介入によって、木村さんの作戦は徒労に終わり、現在に至っています。
私は父の死に対して、あまりにも当事者でありすぎたために頭が回らず、全く思いも着かなかったのですが、紳が東興物産と思い至ったということは、おそらく木村さんも背景に、東興物産が絡んでいるのではないかと考えていたでしょう。
私は事件発生直後、紳と一緒に木村さんの作戦に参加しようと申し出たのですが、
「圭介、殺されたのはお前の親父やけど、こっから先は堅気のお前が手を出すもんじゃない」と言う一言で蚊帳の外に置かれてしまい、それ以来、木村さんは私の父の死に対する話を一切しなくなったため、木村さんが東興物産のことを、どう思っているのかは不明なのですが・・・
なので私は渡瀬さんに依頼して、背後関係を探ろうとしましたが、渡瀬さんを以ってしても真相を解明することができませんでした。
そうして私は木村さんと相談した結果、背景が分からないだけに第二、第三の犠牲者が出る可能性を払拭することができなかったことに加え、やはり、リニアの仕事は会長が射殺された北都では何かと不都合が生じるため、私は木村さんの許可を得て北都興産を一年がかりで解散したあと、一年間の休養と冷却期間を経てウォルソンを立ち上げ、そして千里と巡り会い、結婚したのです。
話を聞き終わった千里は、ただでさえ色白なのに顔面蒼白となり、しばらくは無言のまま思いつめたような表情をしておりましたが、
「別に、私は圭介が泥棒でも詐欺師でも、例えどんなに悪い人間でも別れようなんか思ってないよ。
でも、これから先に私は、圭介が仕事で出かけてる間中、ずっと心配し続けることなんかいやや!
だからお願い! もう今の仕事はやめて! もし、圭介がお父さんみたいに殺されたら・・・ 私、どうしたらいいの?」
と言って、堰を切ったように泣き出してしまいました。
「・・・・・」
私はしばらく考えた後、
「俺が今やってる仕事はお父さんのホテルのことだけやし、これからするリニアの仕事は、危険性なんか全くないし、それに俺は親父に比べたら、千分の一、じゃなくて万分の一も行かないくらいの仕事しかしてきてないから、誰かに命を狙われることなんかないよ」
と、これ以上、千里を動揺させたくなかったので、東興物産が父を狙ったのかもしれないということを含めて、余計な話は一切しないことにしました。
「でも、たとえ万分の一でも同じ仕事なんやし、ヤクザともつながりがあるねんから、お願いやから仕事はやめて・・・
パパなんか助けなくてもいいから、私は圭介の命のほうが大切やねん!」
自分でもやり口が汚いということは承知しているのですが、どう考えても今の仕事を辞めることなどできませんので、
「わかった・・・ 考えるから少し時間をちょうだい」
と、答えをはぐらかし、時間を稼ぐことにしました。
しかし、その後、千里は県人会には出席しないと言い出し、私との会話も必要最低限の言葉しか交わさなくなり、何かを急に思い出したかのようにいきなり泣き出したりして、食事もろくに摂らなくなってしまいました。
(じっちゃんが言ってた通り、手に負えん・・・)
ということで、千里と一緒に、竹然上人に会いに行くことにしました。
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