第36話 恋はそよ風と共に
紳の話を聞き終わり、今まで話していた仕事の内容とあまりにも掛け離れた突拍子もない相談であったので、拍子抜けすると同時に、馬鹿らしさを通り越してなんだかワクワクしてきました。
「紳、マリは俺の家族やねんぞ!」
「はい、分かってます」
「家族に手を出すっていうことは、どういうことか分かって言うてんねやろうな?」
「はい、それも十分に分かってます。でも、僕が今まで、圭介さんに女性のことを相談したことがありますか?」
どうやら紳は、千里と私の婚約記念パーティーでマリと知り合い、一目惚れしてしまったようです。
「確かにないけども・・・ でも、マリには彼氏がおるねんぞ」
紳は顔色一つ変えずに、
「そうなんですか」と、全く意に介していないようです。
「まぁ、彼氏がおろうがおるまいが、どうせお前にとっては、そんなこと関係ないんやろう?」
「はい、まったく関係ないですね!」
(この自信、どっから来るんやろう?)と思いながら、マリの彼氏に関するデーターを頭の中で呼び起こし、ここはひとつ、紳の自信過剰を懲らしめてやることにしました。
「でもな、マリの彼氏は、お前が今まで出会ったことのないタイプの強者やぞ!」
「えっ! それは、圭介さんから見ても強者っていうことですか?」
「そうやなぁ・・・ 俺も今まで出会ったことが無いくらいの強者で、まずは誰に対しても、敬語なんか一切使えへん奴や!」
紳は少し興味を持ったようで、顔色を少し変えながら、
「ということは、社会的な地位が相当高いっていうことですね?」と言いました。
「まぁ、地位が高いって言うよりも、どっちかって言うたら、波に乗ってるっていう感じやな」
「波に乗ってるっていうことは、IT関連か何かのトップっていうことですか?」
(えらい、勘違いしながらも食いついてきたな)と思いながら、
「いや、そんなITとかっていう横文字が大嫌いな奴で、アルファベットをぶっ飛ばすような凄い
すると紳は、少し身を乗り出すようにしながら、
「アルファベットをぶっ飛ばすっていうことは・・・・ じゃあ、日本の伝統工芸とか、伝統芸能とか・・・ もしかしたら歌舞伎俳優かなにかなんですか?」と言いましたので、
(こいつ、なに言うとんねん?)と思いながら、
「いや、そうじゃなくて、数字に対する概念が、俺らみたいな凡人と違って、独特の世界を繰り広げるというか・・・ とにかく凡人には理解できない頭脳の持ち主っていうことや!」と、勢い込んで力強く言い切りました。
「・・・・・・」
すると紳は、少し間を置いた後、
「じゃあ、どっかの大学の数学者ってことですか?」と、先ほどまでとは打って変わって、どこか元気のなさそうな声で言った後、
「なんか・・・ 圭介さんの話を聞いてたら、だんだん自信が無くなってきましたねぇ」と、へこんだ様子で力なく呟きましたので、
(もういいか)と、紳の鼻をへし折ったところで懲罰を解除して、マリの彼氏の真実を伝えてあげました。
「も~う、勘弁して下さいよ! そんな奴と僕は、ほんまに闘わなあかんのですかねぇ?」
「そんなもん、決めるのは俺でもないし、お前でもなくて、マリが決めることや」と言った後、(!)あることを思い出して、紳にいいアドバイスをしてやることにしました。
私が思い出したある事とは、たしか千里が言っていた、
「あのな、紳、いいこと教えてやるけど、マリはギャップに弱いらしいねん」ということでした。
「ギャップですか?」
「そうや、それで紳、お前の車、確かオープンカーやったな?」
「はい、そうですけど」
「よしっ! 俺がマリを落とす、とっておきの作戦を伝授するから、よう聞けよ!
名づけて、『魅惑のオープンカー、そよ風と共に』っていう作戦や!」
ということで2日後、ホテルの改装工事が終了するまでの間、一時的にホテルの事務所を谷町のウォルソンの事務所に移すことになり、作業で服が汚れないように千里とマリにみんなの分の作業着としてジャージとスニーカーを買ってこさしまして、みんなに配り終わったマリが、私の元へやってきました。
「圭介さん、沢木さんって、うちの会社の顧問弁護士さんなんですよね?」
「そうやで」
紳の話をしてきたということは、どうやら紳は、私が伝授した作戦を実行に移した模様です。
ちなみに千里には、全てを話しておりましたので、マリが話しやすいようにと、
「圭介、私はみんなのお弁当買って来るね」と言って、席を外してくれました。
「それで、沢木さんって、どういう人なんですか?」
私が紳の助け舟のつもりで、彼の良い所を話そうとした時、
「ちょっとマリ姉~、このジャージって・・・ よく見たらアシックスじゃなくて、
「あんたがリクエストしたピンクのジャージって、それしか無かったから仕方がないやろう? そのジャージ捜すのに、千里とどんだけ苦労したと思ってんのよ! 最期は鶴橋のバッタモン(偽物)の店で、やっと見つけてきたのに!
どうせ汗臭くなんねんから、アシックスでもアセックサでも、どっちでもええやんか!」
とマリは言って、私との話を再開しようとしたとき、
「進、この靴もよう見たらアシックスじゃなくて、今度は
言い遅れましたが、ピロシは親の後を継ぐために大阪市の東住吉で酒屋を手伝っていたのですが、彼ほどの豪傑を私が見逃すはずがありませんので、半ば強制的にウォルソンの正社員としてしまったのでした。
「ちょっとマリ姉、アシックサってどういうこと? 私、足臭くないし~!」
マリは鬼のような形相で二人を睨みつけながら、
「もううるさい! そんなもん、誰でも2,3回履いたら足なんか臭くなんねん! こっちは圭介さんと大事な話をしてんねんから、お前らはちょっと黙っとけ!」と吼えまくりました。
私は紳についての長所のみを、いくつかのエピソードを混ぜ込みながら話をすると、マリは真剣な表情で耳を傾けておりました。
そして更に2日後、大阪インペリアルホテルの改装工事が始まった日の夜、千里と両親と一緒に自宅でしゃぶしゃぶをして夕食を終えた後、リビングで酔い覚ましの紅茶を飲んでおりました。
ちなみに、お父さんとお母さん、そして千里には、東興物産やインペリアルホテルの近藤の話を一切しておりません。
余計な心配を掛けたくなかったことと、紳と相談した結果、あくまで想像の域を脱しない架空の話はしないほうがいいだろうと結論したからです。
人間とは一度腹をくくってしまうと、あとは気が楽になる動物のようで、たとえ相手がどこの誰であれ、戦うことを決意した後は頭も冴え渡り、非常にリラックスした気分で家族団欒の幸せな時間が経過し、時刻が10時を過ぎた時、
「圭介、電話やで」と言って、千里が私の携帯電話を持ってきてくれて、手渡す時に、「マリからやで!」と、にっこりと微笑みました。
千里に吊られて、思わず私もにっこりと微笑みながら、マリからの電話に出ました。
「はい、むしむし?」
「あのね、圭介さん! 今日、沢木さんとドライブに行ってきたんですよ!」
初めから『むしむし?』は無視されることは織り込み済みであったので、心が折れることなく、
「あぁそう、楽しかったか?」と、平常心で訊ねました。
「楽しかったというか、おもしろかったというか・・・ それでね、沢木さんが二人乗りのオープンカーしか持ってないけど、それでもいい?って言ってたから、どんな車で来るんやろうと思って、私はオープンカーなんか乗ったことが無かったから、楽しみにしてたんですけど・・・ でも・・・沢木さん、なにで来たと思います?」
「さぁ・・・ なにで来たん?」
「自転車ですよ! しかも、ママチャリで『チリンチリン♪』って、ベルまで鳴らしながら迎えに来たんですよ!」
(あいつ、ベルを鳴らすって、教えた以外の余計なアドリブをブッコミやがって・・・)と思いましたが、勿論口にはしませんでした。
「まぁ、確かに二人乗りのオープンカーに違いないけど、私、ビックリしてしまって、一瞬、言葉が出なかったんですよ!」
「・・・・」
どうやら生野区の法律上では、ママチャリは二人乗りのオープンカーというカテゴリーに属する模様です。
「でもね、そこから続きがあって、私が『自転車でサイクリングに行くんですか?』って訊ねたら、沢木さんが、『乗って』って言ったから、後ろに乗ったんですけど、そしたら沢木さんが自転車を漕ぎ出して、すぐそこの角っこを曲がったとこに、白いベンツのオープンカーが停まってて、その隣に行ってから沢木さんが『降りて』って言ったから私は降りたんですけど、沢木さんはそのまま自転車を乗り捨てて、そのベンツに乗り込んだんですよ!
だから私は、頭が混乱したまま、『自転車はどうするんですか?』って訊ねたんですけど、沢木さんがね、『そこの歩道橋の下からパクッてきたやつやから、気にしなくてもいいよ』って言って・・・
まさか、弁護士の先生が私を笑わせるために、わざわざそんな身の危険を冒してまでしてくれるんやと思って・・・私は笑うどころか、感動してしまったんですよ!」
(あいつ、自転車はその辺の人に借りろって言うたのに!・・・
弁護士がチャリパチって、捕まったらどうすんねん!)と思いながら、
「でも、お前、彼氏がおるんやろう?」と訊ねてみました。
「そんなん、もうとっくの昔に別れましたよ!」
私は千里から、マリが彼氏と別れたとは聞いていなかったので、
「えっ! いつ別れたん?」と訊ねました。
「5分前ですよ!」
「・・・・・」
どうやら生野区では、『5分前』というのは『とっくの昔』と定義されるのでしょう。
ということで、『魅惑のオープンカー、そよ風と共に』作戦は、どうやら成功した模様です。
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