第30話 異変

 渡瀬さんと別れた後、一度自宅に戻ろうかと思いましたが、せっかく梅田に出てきていますので、抜き打ちで紳に会いに行くことにしました。もしも事前に連絡をすれば、居留守を使われるか、どこかに雲隠れされるかもしれないと思ったからです。

 紳に千里の取り扱い上の注意事項を説明しておかなければ、この先また同じような痛い目に遭いかねないので、嫌な思いをするのは懲り懲りです。

 ということで、いつものように裁判所の北側にある駐車場に車を停めて、紳の事務所のインターフォンを押しますと、

「お疲れ様です。圭介さん、すぐに開けますね」と、ウォルソンの事務を代行してくれている慶子ちゃんという、30歳の新婚ほやほや、最近幸せ太り気味の事務能力の高い女性職員がオートロックを解除してくれましたので、ドアを開けて中に入りますと、

「おはようございます。圭介さん、所長に用事なんですか?」と、慶子ちゃんに訊ねられました。

「慶子ちゃん、おはよう。紳はおる?」

「はい、いますけど、いま接客中なので、奥でお待ちください」と言って、紳のプライベートルームに案内されました。

 ソファーに座って待っていると、慶子ちゃんがコーヒーとビアードパパのシュークリームを持ってきてくれましたので、おいしくいただきながら新婚の惚気話のろけばなしを聞いていると、

「圭介さん、お待たせしました!」と、紳が現れましたので、慶子ちゃんは交代して退室しました。

「急に、どうしたんですか?・・・ じゃないですよね・・・」

「じゃないよ」

「ほんとうに、すみませんでした・・・ 反省してます」

「まぁ、酒を飲んでるのに呼んだ俺が間違ってたんやけども、千里のことがよう分かったやろう?」

「はい・・・ やっぱり千里さん、怒ってはるんですか?」

「いいや、もう仲直りしたから大丈夫やけど」と言ったあと、千里に対する注意事項を話し、今後は決して女性の話はしないと約束させたました。

「それでな、明後日の夜に、うちの家で婚約記念パーティーするから、お前も来いよ」

「パーティーですか、はい、行きます」

「来て、お酒を飲んでもいいけど、千里の両親も呼ぶつもりやから、さっき約束したことは絶対に守ってくれよ!」

「はい、分かりました。それで、今朝のお父さんとの話はどうだったんですか?」

 と、紳が訊ねてきましたので、島崎と田辺の話をして、二人の行方を渡瀬さんに捜索してもらうことにしたと話しました。

「そうだったんですか。渡瀬さんなら抜かりはありませんから、おそらくすぐに見つけてくれるでしょうけど・・・ でも、その二人が見つかったとして、圭介さんはどうするつもりなんですか?」

「どうするって、今は何も思いつかへんけど、もしもじっちゃんの言うとおりに、どっかで飼われてぬくぬくと生活してるんやったとしたら、たとえなんぼかずつでも回収したいわなぁ」

「でも、話を聞く限りでは、お父さんは投資として田辺の会社に出資したんでしょう? だったら、おそらく借用書もないから給料の差し押さえは無理でしょうし、道義的責任を追及するしかないと思いますけど、そんな奴等に道義的もクソもヘッタクレもないでしょうから、やるとしたら法律ぎりぎりの追い込みか、嫌がらせくらいでしょうね」

(こいつ、ほんまに弁護士か?)と思いながら、

「確かに、そんな奴等に嫌がらせをしても仕方がないから、どっちにしても最後は泣き寝入りっていうことになるわなぁ・・・ ほんまに悪は損をせぇへんのぅ! 会社の名前をヨイソンに変えたくなってくるわ・・・」と言いました。

「そんな、立ち上げたばっかりなんですから、弱音なんか吐かないでくださいよ」

「それにしても、親父が相手にしたこともない大物って、やっぱりみらい観光開発のことなんやろうか?」

「・・・・・」 

 紳は真剣な表情で、しばらく間を置いたあと、

「僕もそのことをずっと考えていたんですけど・・・ 圭介さん、どっちにしても、みらい観光開発の事を、詳しく調べたほうがいいんじゃないですか?」

 と言った時、私の携帯電話が鳴り、相手はお父さんからだったので、話を中断して電話に出ました。

「お父さん、お疲れ様です」

「お疲れ様、圭介君、今大丈夫かな?」

「はい、大丈夫ですよ」

「あのな、実は今、うちのメインバンクの担当者から電話があって、」

 と、いつも冷静沈着なお父さんが珍しく、少し慌てた様子で話し始めました。

 お父さんの話によると、今日の午前中に大阪インペリアルホテルの第一根抵当権者である銀行と、みらい観光開発の坂上との話し合いが持たれることになっていたのですが、約束の時間に坂上が現れなかったそうです。

 銀行の担当者が坂上に電話をしましたが、留守番電話で通じなかったため、今度はみらい観光開発に電話をしたところ、坂上は先週の金曜日で会社を退職したと告げられたそうです。

 銀行の担当者は驚きながらも、引継ぎはどなたがされるのかと訊ねたところ、みらい観光開発は大阪インペリアルホテルのことは初めて耳にすると言ったあと、坂上が何をしていたのか全く報告が無かったため、彼がやっていた仕事に関しては一切関知していなかったと言われたそうです。

「・・・・・・」

 私は言葉を失い、頭の中を整理するのにしばらく時間が掛かりましたが、「お父さんは今、どこにいるんですか?」と、先ずはお父さんと会って話すことにしました。

「いま自宅なんやけど、今から銀行に行って話をしに行くことになったから、すぐに本町に向かうつもりなんよ」

「そうなんですか」と言ったあと、もしも自分が銀行との話し合いに同席した場合を考えて、(逆効果やな)と判断し、

「じゃあ、お父さんは銀行と話が終わったら、僕と会って話ができますか?」と訊ねました。

「うん、それは大丈夫やで。私は話が終わったらそのままホテルに入ることにするから、銀行との話が終わったら、圭介君に電話するわな」

「はい、分かりました」と言って、電話を切りました。

「圭介さん、どうしたんですか?」

「あのな、いまお父さんからやねんけど・・・」

 私は紳に、事情を話しました。

 紳は話を聞き終わったあと、

「・・・・・・・・」

 しばらく無言で、何かを考えておりましたが、

「ということは、坂上は初めからホテルを買うつもりなんかなくて、大阪インペリアルホテルを倒産に追い込むことが目的やったっていうことですね」と言いました。

 確かに紳の言うとおり、坂上は金融機関をひっかきまわして雲隠れしたことによって、お父さんは信用を失い、各金融機関は債権を回収するためにあらゆる手段を行使してくると思われます。

「圭介さん、ホテルは今の稼働率半分の状態で、借入金の返済は可能なんですか?」

 私はしばらく考えた後、

「いや、おそらく今の状況やったら、金利を支払うのがやっとこさやと思う。銀行とお父さんが最終的に合意した再建案は、あくまで全室の稼動が前提ではじき出した返済計画やから、改装を済ませて稼働率を上げない事には、どうしようもないやろう」と言いました。

「じゃあ、とにかく銀行が保全に走る前に、4階から上の改装費用を用意しないと、自主再建は無理ということになりますね」

「もし、このままの状態で、何とか支払いだけ続けたら、ホテルはどうなると思う?」

「おそらく、お父さんは著しく信用を失くしていますから、仮に支払いを続けたとしても通常取引は無理でしょうし、金融機関は事故扱いにして、待ったなしで回収に走るでしょう。だから、残された道は会社更生法の民事再生手続きをするか、破産の申し立てをして破産するか、最悪の場合は夜逃げですね」

 確かに紳の言う通りなのですが、

「俺の親やぞ、破産とか夜逃げなんかさせられる訳ないやろう!」

 と、声を少し荒げてしまいました。

「確かに・・・ そうですよね」と、紳は申し訳なさそうにしておりましたが、とつぜん何かを思い出したときのような表情で、

「それじゃあ圭介さん、いっそのこと大阪インペリアルホテルを、ウォルソンで買収したらどうですか?」と言いました。

「買収って、どういうこと?」

「ようは、みらい観光開発がしようとしてたことを、そのままウォルソンでやってしまうんですよ。それも、資金を出すことなくホテルの債務はそのままにして、ホテルの土地と建物の名義を事件売買でウォルソンに移転してしまうんですよ」

(事件売買かぁ・・・ なるほどな)と思いながら、

「そっちの方が、銀行と話がしやすいんか?」と訊ねました。

「はい、不動産を一旦こっちの名義にして、経営権も営業権も含めた全ての権利と、借入金とかリース代金とかの負債の一切合財をウォルソンに移してしまった方が、話はしやすいですね。向こうは嫌でもこっちと話をしないといけないようになりますし、お父さんの負債をそれでチャラにしてしまうんですよ」

(そういうことか・・・)と思いましたが、公的な金融機関に対して、通常の売買と違って事件売買を仕掛けるということは、真正面から喧嘩をふっかけるようなものなので、

「でも、そんなにすんなりといくか?」と訊ねました。

「はい、事件売買なんかしたら、勿論すんなりとは行かないでしょうから、向こうがテーブルに就きやすくするために、先にこっちが改装費用を捻出して、すぐにでも改装工事を始めて、ホテルの経営を立て直すっていう姿勢を見せないと、相手は乗ってこないと思いますけどね」

「そうやなぁ。じゃあ、金はこっちが出すから、相手をテーブルに就けさせて、尚且つお父さんに箕面の家をきれいにして残すことができるか?」と、私が訊ねると、

「そんなん、僕が交渉するんですよ!当たり前じゃないですか!」

 と、紳は自信満々に答えました。

「よし、じゃあ改装費用はウォルソンから出すことにしようか」

 紳は少しだけ首を傾げたあと、

「それは、止めておいたほうがいいと思います」と言いました。

「なんで?」

「圭介さん、ウォルソンは株式会社で、出資してくれた株主たちがいますから、会社の金を動かしたら後で報告しないといけないんですよ。それに、大阪インペリアルホテルは普通やったら絶対に手を出さない案件なんで、株主たちに納得のいく説明ができないですから、会社の金は使わないほうがいいですね。

 それと、会社の金は使わないほうがいいという一番大切な理由は、圭介さんはこれから千里さんと結婚して、株主の人たちに千里さんをお披露目しないといけないじゃないですか。それで、大阪インペリアルホテルが千里さんのお父さんの案件ということが株主たちに知られたら、圭介さんも千里さんも肩身の狭い思いをすることになるでしょう?」

(こいつ、やっぱり酒を飲んでなかったら凄いわ・・・)と、あらためて感心しました。

「確かに、その通りやな・・・ じゃあ、俺の個人の資金を出すことにするわ」

「そんな、圭介さん一人に出させる訳にはいきませんから、僕と半分ずつ出しましょうよ」

 私はホテルの悲惨な現況を思い出しながら、

「お前、そう簡単に金を出すって言うけど、壁とか天上とか床も張替えやし、部屋の内装に什器備品が乗ってきて、水道の配管やら電気の配線も、全館でやり直しせなあかんし、おまけにエレベーターもやから、軽く5千万は越えてくるし、下手したら億までいくかもしれんねんぞ」と言いました。

「別に、5千万が一億になってもいいじゃないですか。あとで僕が必ず回収しますし、僕も自分で掛け金を払わないと気合が入らないんで、半分出しますよ!」

 こうなってしまうと、これ以上紳を説得しても言う事を聞かないことは分かっておりますので、

「分かった。半分出してくれ」と言いましたが、何かが引っかかっているような気がしました。

「じゃあ、今からお父さんに話をして、了承してもらったら、すぐに業者の手配に入りますよ」

「うん、分かった」と言ったあと、(そうや!)と、引っかかっていたことを思い出し、

「考えたら俺、千里には全財産が六千万って言うてるから、もしもそんなことを訊かれたら、話を合わせといてくれよ」と言いました。

「六千万!?・・・ なんでそんな嘘をついたんですか?」

「いや、実際に俺の名義の資産は六千万だけやから、先にそれを渡して後から他の分を正直に言おうとしてんけど、六千万って知ったただけで、なんでこんな大金を持ってることを黙ってたの?とか、私のことを騙してたとか、試してたとか言われたから、これはいっぺんに言わない方がいいやろうと思って、まだほんまのことを言ってないねん」

「分かりました。もしも何か訊かれた時は、話を合わせときます」

「まぁ、とりこし苦労やろうけど、千里はまだ、俺のことを全部知ってるわけじゃないっていうことを自分で認識してるから、お前に何を訊ねていくのか分かられへんから、今後はその点も注意してほしいねん」

「分かりました。注意しますね。それじゃあ、僕はまだ仕事が残ってますから、今日は遅くなりそうなんで、できたらお父さんとの打ち合わせは10時くらいが有難いんでけど、大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫やで。じゃあ、紳は10時にホテルに来てくれや」

「はい、分かりました。それじゃあ仕事に戻りますね」と言って、私たちは一旦離れまして、私はお父さんからの電話を自宅で待機しながら待つことに決めて、愛する千里が待つマイホームへ向かいました。

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