第29話 依頼
この日も千里は夜の10時から仕事ということで、私と千里は10時に出勤してきた社員にマリと進の研修を任せて、二人でホテルを出ました。
難波の百貨店に行って、私の両親に供える花と花瓶を購入し、地下の食料品売り場でお供え用の和菓子と食材を買い込んで自宅に戻りました。
千里は買ってきた花瓶に花を挿して両親の写真に飾り、和菓子をお供えしたあと、昼食用に買ってきた海鮮丼を二人で食べて、食後のコーヒーをリビングのソファーに座って飲みました。
「圭介は今からどうするの?」
「俺は今から事務所に戻って、いろいろとやることがあるからもうすぐ出掛けるけど、千里は今から寝ないとあかんやろう?」
「うん、そうやねんけど・・・」
「夜までには帰ってくるから、それから一緒にご飯を食べて、また二人でホテルに行こうな」
「でも、そんなことしてたら、圭介の体が持たないやんか」
「そんなこと大丈夫やって! 千里が働いてるのに、俺が家におってゆっくりしたり、寝たりできると思う?」
「でも・・・」と言って、千里が不安げな表情をしましたので、
「千里が働いてる間、俺は事務所のソファーで仮眠取ったりするから大丈夫やで。だから千里は何も心配せんと、もうねんねしいよ」と言って、千里を軽く抱きしめました。
「うん、じゃあ今からねんねするから、私が眠るまで隣で一緒に横になってくれる?」
「いいよ」と言って、二人で寝室に行きました。
千里はパジャマに着替え始め、私はスーツがしわになるのが嫌だったので、ネクタイを外してカッターを脱ぎ、ズボンを脱ぎはじめたときに、何を勘違いしたのか、千里は顔を赤くして、
「私、横になってって言っただけやで・・・」と言いました。
「うん、分かってるよ。スーツがしわになるから脱いだだけ」と言って、恥ずかしそうにしている千里を(可愛いなぁ)と思いながら、二人でベッドに入りました。
いつものように、おやすみのキスをした後、千里の頭を優しく撫でながら、島崎と田辺を捜し出す方法を考えはじめたとき、
「!・・・」
ふと、千里に田辺のことを訊ねてみようかと思いました。
「・・・・」
しかし、千里は今まで一度も、東京での生活を私に話さなかったということは、おそらく話したくないことが多かったのでしょう。
もしかすると千里は、自分が田辺の傍で働いていたにもかかわらず、適切な判断を下せなかったことで、お父さんの借金が膨れ上がってしまったと、自らの責任を感じているのかもしれません。
なので私は、千里には何も訊ねないことにしました。
私は今までお付き合いをしてきた女性に、男性関係を含めて過去を訊ねたことが一度もありません。気にならないという訳ではないのですが、聞いて嫉妬するくらいなら、知らないほうがいいだろうと思っておりますので、相手が自ら話してこない限り、私からは決して過去を訊ねないようにしてきたのです。
そんなことを考えているうちに、千里は静かな寝息を立てて眠り始めましたので、私はそっとベッドから抜け出て、千里の額に軽くキスをして自宅を出ました。
車に乗り込み、島崎と田辺の捜索はプロに任せることに決めて、梅田にある探偵事務所に電話を掛け、所長の渡瀬さんに繋いでもらいました。
「所長、ご無沙汰しております」
「圭介さん、こちらこそご無沙汰しております。元気でしたか?」
「はい、元気にしてました」と挨拶したあと、私と渡瀬さんの間に、前置きなど必要なかったので、
「実は、人探しをお願いしたいんですけど、今からそちらにお伺いさせてもらってよろしいですか?」と訊ねました。
「はい、大丈夫ですよ」
「じゃあ、3、40分くらいで到着できると思いますので、よろしくお願いいたします」
昔から懇意にしていただいてる探偵事務所で、所長の渡瀬さんと会うのはもう2年ぶりくらいだと、最後に仕事を依頼した時のことを思い出しながら、車を梅田に向けて走らせました。
今から約2年前、ある事件がきっかけで、私は今回と同じように渡瀬さんに人探しを依頼したのですが、その時は残念ながら上手く見つけ出すことができませんでした。
渡瀬さんは年齢45歳で、中肉中背の黒縁メガネを掛けた、至って普通の中年男性といった外見をしており、彼を一言で表現するならば、市役所の地域振興課の課長といった、生真面目そうな雰囲気を持つ、見た目通りの物静かな男性です。
世間一般の探偵のイメージとして、派手なアクションをこなすタフガイを想像される方も多いと思われますが、渡瀬さん曰く、
「探偵って、いかに目立たなくするのかが難しくて、優秀な探偵ほど、どこにでもいるような普通の雰囲気を持ってますから、圭介さんは探偵には向いてないですね」と言われたことを思い出しました。
道路は比較的に空いていて、ちょうど30分で梅田に到着し、探偵事務所の近くのコインパーキングに車を停めて、事務所へ向かいました。
事務所はお初天神の近くの雑居ビルの5階にありまして、私は事務職員に案内されて所長室に入りました。
「圭介さん、久しぶりですね」
「はい、所長もお元気そうで」
「まぁ、お掛けください」と言って、私たちは応接セットのソファーに腰掛けました。
「圭介さん、もう2年ぶりですね。あの時はお役に立てなくて申し訳ございませんでした」
「いえ、こちらこそ無理なお願いをしてしまって、ご迷惑をお掛けしました」
「いえいえ、こちらこそ本当に申し訳なく思っています。それで、あれから圭介さんは、
心配はしてたんですけど、少し前にまた新しく会社を立ち上げたっていう、風の噂を耳にして、安心してたんですよ」
私は名刺入れから名刺を抜き出し、所長に手渡しました。
「株式会社ウォルソン・・・ また、ガラッとイメージを変えた名前を付けたんですね。仕事の内容は同じなんですか?」
「はい、内容は同じなんですけど、」と言った後、ウォルソンの名前の意味を説明しました。
すると渡瀬さんは、普段はにこりともしないのに、
「悪が損する・・・ 圭介さんらしいですね」
と言って、にっこりと微笑んでくれました。
「それで所長、今回の依頼なんですけど、」と言って、島崎と田辺の写真と資料を渡瀬さんに手渡し、依頼内容を詳しく説明しました。
話を聞き終わった渡瀬さんは、
「分かりました。これは私が直に調べることにしますから、報告は圭介さんに直接するということでいいですか?」
「はい、ありがとうございます」と言って、渡瀬さんは無駄話を一切しない人なので、席を立って帰ろうとしたとき、
「圭介さん」と呼び止められました。
「はい」
と言って、何の話だろうと思っていると、
「私はあれから、あの事件のことがどうしても忘れられなくて、個人的にアンテナを張って、何か分かればすぐに圭介さんに報告しようと思ってたんですけど・・・ 結局は警察も犯人を捕まえられず、私も何も分からないままで、本当に申し訳ないですね」と、渡瀬さんが言いました。
「いえ、本当に所長が気に病むことじゃありませんよ。警察も本腰を入れて、親父を殺した犯人を捕まえようとは思ってないでしょうし、社会の屑かダニが一人減ったというくらいにしか思ってないでしょう」と私が言うと、渡瀬さんは今まで見たことがないような冷たい表情で、
「会長は、本当に立派な方ですよ。だから圭介さんは、そんなことは思っていないことは分かっていますけど・・・・・」と、静かな口調で、後の話を濁しました。
私は渡瀬さんが何を言いたいのかが分かっておりましたので、
「・・・・・・」
沈黙で理解していることを伝えました。
「私は探偵で駆け出しの頃から、会長には本当にお世話になりっぱなしで、いつかは恩返しをと思っていましたから、本当に残念でならないですけど・・・ こうやって圭介さんが無事に立ち直られたことで、会長も安心されていると思いますから、これからは圭介さんの役に立つことで、私は会長に恩返しができると思っていますから、よろしくお願いいたしますね」
「はい、ありがとうございます。では所長、失礼致します」と言って、事務所を後にしました。
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