第18話 竹然上人(ちくぜんしょうにん)

《ルビを入力…》 和室の客間で竹然上人を待っている間、私はテーブルの横に並んだ下座の座布団の上で胡坐をかき、襖に描かれた竹林の絵を眺めながら、進のことを考え続けていました。

(あいつ、ようあんなモヤシみたいな体で、珍念に襲い掛かっていきよったなぁ・・・ 勝てると思ってたんか、それとも客人という立場を利用して、なし崩しを狙ったんか・・・)

 どちらにしても、意外と恋愛に積極的な、肉食系の進に対する根本的な見方と考え方を変えなければ、この先に何かが起こったとして、その対応を誤る恐れがありそうです。

 おそらく進は、幼い頃から自分がゲイであることが分かっていて、それを両親や他人に打ち明けることができなかったため、心のバランスを崩し、対人恐怖症のような状態になってしまったのでしょう。

 成長過程において親の関与が薄れ、高校、大学と進学して親との距離が離れたことによって、様々な抑圧やジレンマから解放され、徐々に社会生活に適応できるようになり、最終的にはここ流清寺での自分を見つめ直す修行に取り組んだ結果、ゲイに目覚めたのではなく、ゲイとして生きていくことを決意したのでしょう。

 私の考えが間違っているのか、それとも合っているのかは、今から竹然上人と話をすればすぐに答えが出ます。

 なぜなら竹然上人は、こちらが訊きたいことや迷っていることなどを、ぴたりと言い当てる達人であり、もしもこちらが間違っている場合は訂正してくれますし、こちらが迷っている場合は正しい方向へ導いてくれるという、まるで人間カーナビのような便利な機能がついた、特別なじっちゃんなのです。

 それにしても、客間で待たされて、かれこれ20分以上経過しております。

 おそらく麻雀の勝負が、神道側か仏門のどちらかが大負けしていて、抜き差しならない状態になっているのかもしれません。

 なので私は、時間つぶしのために本堂内はすべて禁煙でしたが、携帯灰皿とタバコとライターをスーツのポケットから取り出し、タバコに火を付けたあと、ライターを握りしめながら、

「それにしても遅い! 信長みたいに、このまま火点けたろか!」

 と、危ない独り言を呟いた直後、竹林の襖がゆっくりと開き、

「圭介さんが言うと、あながち冗談には聞こえませんね」

 と、珍念がお茶を運んできました。

「珍念、まだか?」

「いえ、もうすぐ来られます」

 と言って、珍念がお茶を差し出してきましたので、私は受け取って目の前のテーブルに置いた時、

「圭介さん、ひとつお訊ねしたいことがあるのです」と、珍念が言いました。

「おう、どうしたん? なんでも訊いてよ」

「圭介さんのお仕事って、どのような仕事なのですか?」

「俺の仕事?」

「はい、興味がありまして・・・」

(もしかして、こいつ寺を抜けて、俺と一緒に仕事がしたいんか?)と思いました。

 珍念はこの寺に来て、まだ2年も経っておりませんので、私は彼の将来と自らの立場を考慮して、石の上にも3年、という言葉の通り、もう少し竹然上人の下で修業をする方が賢明と判断しました。

 私は携帯灰皿でタバコをもみ消したあと、お茶を一口飲み、

「こう見えても俺は、本気で世界征服を企んでるから、もし珍念が今すぐ俺のところに来るんやったら、司令官になれるぞ!」

 と言いますと、珍念は間髪いれずに、

「いえ、ただ興味があっただけなので、お仕事がんばってください。では、これで失礼いたします」と言って、そそくさと立ち上がりました。

 私は遠ざかる珍念の背中に向かって、

(珍念、いつか一緒に仕事しような!)と、一抹の寂しさを堪えながら、客間から出ていく彼を見送りました。


 珍念が去って間もなく、再び襖が開き、

「やぁ、圭介はん、えらいお待たせいたしましたなぁ。それにしてもええ時に来てくれはりました。このままやったら、寺のお金を全部持っていかれるとこでしたわ」

 と言って、竹然上人が現れました。

 竹然上人の見た目は、身長が160センチに満たない痩せ形の小柄で、笑うと円らな目が新月のように隠れてしまい、70代にしては肌の色つやがよく、可愛い孫と遊ぶツルッパゲの好々爺といった雰囲気を持っておりますが、見ようによっては、穢れを知らない生まれたての皺ばんだ赤ん坊のようにも見えるといった、老若の文目あやめのつけがたい不思議な相をしております。

 人相学の一例として、年を取ってからの童顔は、善人か大悪人のどちらかに多くみられるというのがございますが、果たして善と悪のどちらなのか、付き合いの長い私でも判断に苦しむ、実に不可思議な老人であります。

「ほんまは、もうそろそろ圭介はんが来はる頃やと思うて、おとなしゅう待ってましたんやけど、急に勝負を挑まれましてなぁ」

 と言って、竹然上人は上座の座布団に座りました。

「もうそろそろ来るのが分かってたんやったら、俺がなにしに来たんかも分かってるやんなぁ?」

「分かっておりますよ。進君のことでっしゃろ?」

「そう。それで、じっちゃん、進に何したん?」

「・・・・・・」

 竹然上人は私の問いかけに答えることなく、いつものように黙り込み、精神統一を始めました。

 無表情のまま小さな瞳をより一層細め、私の目をまっすぐ見つめながら、口元をゴニョゴニョと小さく動かしております。

 それはまるで、無言でお経を唱えているようにも見えますし、硬いスルメを口中で舐め回して柔らかくしているようにも見えますし、もしかすると、放送禁止用語などの卑猥な言葉を無音で口走っているのかもしれませんが、やられているこちらとしては、決して気色の良いものではございません。

 何度やられても慣れるというものではなく、その度に自分が、別にやましいことは何もしていないのですが、何かしらの取り調べを受けているような気分になってしまうのです。

 やがて竹然上人は、「ふーっ・・・」と大きく息を吐いたあと、

「圭介はん、『芸は身を助く』っていう言葉を知ってはりますやろう?」と言いました。

「?・・・」

 私は質問の趣旨が理解できなかったので、何も答えませんでした。

「ただ、『芸は身を助く』っていう言葉には、もうひとつ違う意味があるのはご存じやおまへんやろう?」

「もうひとつの意味?」

「そうです」

「それは、俺が身につけた知識とか経験が役に立つっていう以外に、別の意味があるっていうこと?」

「いや、圭介はん自身じゃなくて、実は進君のことなんですわ」

「進のこと?」

「そうです。進君がなぜあないに変わってしまったのかは、圭介はんが思ってる通りなんで、敢えて詳しくは話しませんけど、私は進君と話をして、自分の気持ちを偽らずに、正直に生きなさいと言うたんですわ」

「正直に生きろって、ゲイとして生きろっていうこと?」

「そうです。それで私は、何回も進くんと話をして、圭介はんやったらありのままの進君を受け入れてくれるし、進君がこれからやるべきことを後押ししてくれるはずですから、圭介はんには自分がやりたいことを正直に全部話をしなさいと言うたんです」

「進がやりたいことって・・・ どういうこと?」

「それはね、進君は芸術家なんですわ」

「芸術家?」

「そうです。進君はこれから、芸術家として生きていくことになるでしょう」

 私は進の幼い頃からの記憶を呼び起こし、

「進が芸術家を目指してたって初耳やし、あいつの両親からも、そんな話は聞いたことないで」と言いました。

「それは、進君が今まで、自分を偽って生きてきはったさかいに、本来の進むべき道が見えてなかっただけで、あの人は素晴らしい感性の持ち主ですよ」

「その、芸術の中にもいろいろあるけど・・・ あいつは何を目指してるの?」

「それは今の段階で私にも分かりません。ただひとつはっきりと言えることは、圭介はんがこれから、進君の強烈な個性と独特な感性を尊重して、あの人の後押しをすることで、あとで圭介はん自身に、好事となって返ってくるということです」

「・・・・」

 話の内容があまりにも抽象的すぎて、私自身も何をどう訊ねればいいのか分からなかったので、

「とにかく俺は、進が何かをしたいって言うたら、それの手助けをしたらいいっていうことやんなぁ?」と言いました。

「そうです。そうすることによって、進君は圭介はんにとって、無くてはならない頼もしい存在に成長しますやろう」

 と言ったあと、竹然上人はテーブルの上に置いていた私のタバコセットに手を伸ばしてきて、

「圭介はん、一本おくれやす」と言って、煙草に火をつけました。

 住職自らが破戒しましたので、私も遠慮なく火を点け、二人で仲良くタバコを吸い始めました。

 竹然上人は実に美味そうにタバコを吹かしながら、

「浮世から離れた仏の道におります私が、ビジネスという厳しい世界におります圭介はんに、仕事のことで口出しするのはおこがましいことやと、よう分かっておりますけど、圭介はんの今回の相手は、よっぽど用心して掛かりませんと、えらい手痛い目に遭いますよ」

 と、今までの長い付き合いの中で、初めて仕事の話をされましたので、私は少し驚いて、竹然上人の顔を直視しました。

「今回の仕事の相手って・・・ 別に大した仕事じゃないよ」

「圭介はんはお父さんによう似て、確かに頭がよろしい。度胸もあるし、器量もある。しかし、今回の相手は私が見る限り、圭介はんが思っているような、こしゃな相手やおまへんよ。今は隠れて見えませんけど、おそらく圭介はんのお父さんでも相手にしたことが無いくらいの大物ですさかい、今の圭介はんの実力やったら、手も足も出ませんし、下手に噛みついて行ったら、手痛いしっぺ返しを食らうことになりますやろうなぁ」

「・・・・・」

 私は(どういう意味やろう?)と、混乱した頭で必死に大阪インペリアルホテルのことを思い返し、

「それって、この仕事に危険な奴が潜んでるっていうこと?」と訊ねました。

「いや、圭介はんが警戒せなあかんような、そんな危ない輩は見えませんけど、私からひとつアドバイスできるとしたら、『獅子身中の虫』を追いかけなさい。それが一番の安全策やと思います」

「獅子身中の虫って・・・ 俺の周りに裏切り者がおるっていうこと?」

「いや、もうその虫は体の中で食べられるだけ食べ散らかして、今は外に出て犬になってますさかい、その犬を追いかけなさい」

「いぬ?・・・ 虫が犬に変身したってこと?」

「そうです。飼い犬ですわ」

「飼い犬?・・・・ あのさぁ、もうちょっと具体的に説明してくれへんかなぁ」

「私はこれ以上の説明なんかできまへん。ただ、薄汚い犬が大きな家で飼われて、安穏としておる姿しか見えませんからなぁ」

 私は益々頭の中が混乱し始めておりましたが、落ち着きを取り戻すためにゆっくりとタバコを吸い、そして揉み消した後、

「じゃあ、この仕事は手を出さない方がいいって言うこと?」

 と、訊ねました。

 竹然上人も私から携帯灰皿を受け取り、タバコをもみ消しながら、

「そういう訳にはいきまへんやろう? お嬢さんのために、たとえ相手がどこの誰であれ、圭介はんは勝負せなあきませんし、必ず勝たなあきまへんやろう」

(今度は千里のことか・・・)と思いながら、

「それで、俺はその相手に勝てそうなん?」と訊ねました。

「それはやってみな分かりまへん。勝負は時の運やさかい、強い奴が必ず勝つとは限ってませんし、何よりも私が、圭介はんがどないして巨大な敵をやっつけんねやろうと、わくわくしてますさかい、用心して掛かればなんとかなるのと違いますか」

(無責任なこと言いやがって!)と思いましたが、言葉にしませんでした。

「それにしても、ええお嬢さんと出会いはったなぁ。今回の仕事の話を持って来はったのも、そのお嬢さんでっしゃろ?」

「分かるの?」

「わからいでか! ほんまに小股の切れ上がった、非の打ちどころのないええお嬢さんですわ」

(こ~のエロじじい!)と思いながら、

「ちょっと待って! 俺もまだ見たことないのに、変なとこ見るなよ!」と、抗議しました。

「ほう、圭介はんが『小股の切れ上がった』という言葉を知らなんだとは、えらい意外でしたなぁ。小股っていうのは、本物の股のことと違いますで。足首からふくらはぎにかけてキュッと引き締まった、足のきれいなスタイルの良い、粋なお嬢さんという意味ですわ」

「・・・・・」

 私は悔しさのあまりに歯噛みしましたが、これで一生忘れることはないでしょう。

「お母さんによう似た別嬪さんで、心が清らかで、思いやりがあって、聡明で気使いのようできる、我が侭なお嬢さんですわ」

(千里に言いつけたんねん!)

 と思いましたが、確かに私も相当な我が侭かもしれないと思い始めておりますので、チンコロは無しにすることにしました。

「そんなに、お母さんと似てるの?」

「まぁ、私としましてはお母さんの方が好みなんで、ここに連れて来はる時は、ぜひお母さんも一緒に連れて来てくれやし」

「なんで、ここに連れて来なあかんねん! しかもお母さんと一緒って・・・・ 俺もまだ会ったこと無いのに」

「明日、会いますんやろう?」

「・・・・」

「まぁ、どっちにしましても、もうちょっとしましたら、そのお嬢さんは圭介はんの手に負えんようになりまっさかい、その時に会うのを楽しみに待ってますわ」

 と、意味深な発言をして、竹然上人はゆっくりと立ち上がり、

「ほなら、はばかりさんどっせ。私はそろそろ体力の限界やよってに、眠らしてもらいますわ」

 と言い残して、客間を後にしました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る