第12話 麿と妾
「まぁ、なんにしても北村さん、じゃなくて、もう圭介君でいいか。千里のことをよろしくお願いしますね」
「はい。大切にします!」
ということで、私は馬を射ることはできませんでしたが、
『瓢箪から出た駒(駒とは馬のことです)』ではなく、瓢箪から出たお馬様のお力によって、千里とお付き合いができることになり、結果的に万々歳となったのですが・・・
「なんか・・・ どっと疲れた、っていうか・・・ お腹が空いた」
と、千里は本当に疲労困憊といった表情をしておりました。
「なにか、買ってこようか?」
と私が言うと、お父さんが腕にはめた時計で時刻を確認して、
「お昼にはちょっと早いけど、千里は圭介君と一緒に、ご飯食べてきたらどないや?」と言ってくれました。
「いいんですか?」
「いいよ。千里、行っておいで」
「うん」
「じゃあ、お父さんもご一緒に、どうですか?」
「ありがとう。でも、私は留守番せなあかんし、お母さんが作ってくれた弁当があるから、気にせんと二人で行っておいで」
と言って、お父さんが千里の背中に手を回し、立ち上がらせようとしました。
千里がゆっくりと立ち上がりましたので、私も続いて立ち上がると、
「お母さん、私のお弁当を作るの、うっかり忘れてたって言うたんですよ。ひどいと思いませんか?」
と、私に問いかけ、若しくは同意を求めてきました。
(それを、俺に答えさす?)
と、一瞬だけ返答に困りましたが、
「それは多分、千里さんがずっと東京におったから、お母さんはいっつもお父さんの分しか作ってなくて、それが習慣になってたからじゃないかな」と、我ながら見事な模範的回答だと思っていると、
「いや、私も弁当作ってもらったのは、もう20年ぶりくらいなんですわ」と、お父さんが隠された真実を白日の下に晒したことで、
「・・・・」
少し気まずい思いをしました。
「行こう」
と言って、千里が歩き始めましたので、
「じゃあ、すみません。行ってきます」と言って、千里の後に続きました。
ホテルを出て、左右のどちらに向かうか少し迷ったあと、繁華街に近い左側に向かうことにしました。
「千里は何が食べたい?」
「私は何でもいいですよ」
「俺も別に、何でもいいねんけど・・・ とりあえず近くを歩いてみて、なんか店があったら、そこに入ろうか?」
「うん」
二人で並んで歩き始めてすぐに、
「なんか、いきなり自分のことを僕から俺って言うてるし」と千里が言いました。
「えっ? 俺って言うてた?」
「もしかして圭介さんは、釣った魚にエサはあげない、付き合ったらいきなり態度が変わる人なんですか?」
「ちがうよ! じゃあ、今からは自分の事を、
千里はクスッと小さく笑ったあと、
「ほんまに、次から次と・・・・ でも、ワラワって漢字やと
(さすがは立命館!)と思いましたが、我が母校の近畿大学も決して負けてはおりません。
ひと昔前までは、近大のキンは、筋肉の筋と言われておりましたが、近年の卒業生たちの身を挺する、正に命を賭した輝かしい活躍を魅せる、『近大マグロと新発売の近大ナマズ』諸君を、私は先輩として誇りに思っております。
(*注意⑥ 大学の後輩たちを食するという、なんとも猟奇と狂気に満ちたおぞましい表現となってしまいますが、本当に美味です)
「じゃあ、これからは自分の事を麿って言うから、千里は妾って言うことにしよう」
「いいですよ」
「麿は、お腹が空いたでおじゃるよ」
「妾も、お腹が空いたでおじゃりまする」
「そうでおじゃるか。ならば、いざ参ろうぞ」
「・・・・」
しかし、公家ではない私たちは当然なのですが、その後の会話がまったく続かなくなり、私は麿から拙者、おいら、小生、われ、千里は妾からワチキ、あたい、わて、うち、といった感じで、一人称は様々な変遷を経て、結局は目についた定食屋に着いたころには、元に戻すことにしました。
「じゃあ、今からは俺って言うで」
「じゃあ、私は圭介って呼び捨てにするし、敬語も使えへん」
(変わり身が早いなぁ)と思いながら、
「まぁ、そっちのほうが気兼ねなくていいけど、いきなりやなぁ」と言いました。
「だって、圭介は私に自己紹介した時に、自分から呼び捨てにしてくれって言うたやんか」
確かに千里の言う通りであったので、黙って従うことにしました。
店内に入り、私はとんかつ定食の大盛りを、千里はサバの味噌煮定食を、食後のコーヒーは二人ともホットを注文し、料理が運ばれてくるまでの間、
「さっき、ホテルで案内し始めたとき、階段のところで私のお尻を見てたやろう?!」
「うん。見てた」
「変態!」
「お尻だけじゃなくて、太ももも見たで」
「変態!」
「それからついでに、匂いも嗅いだで」
「ド変態!」
「千里は、すごく良い匂いがした」
「もう、いい!」
といった、付き合い始めたばかりの初々しいカップルが交わす、ごくありふれた日常の爽やかな会話が続き、
「私、何でこんな人と付き合うことになってしまったんやろう?」
と、千里が真剣な表情で、しかもどうやら本気で悩み始めたもようなので、下手をすると、このまま別れ話に発展しかねないと思い、
「料理、おそいなぁ」
と、話題を違う方向に持っていこうとしましたが、
「だいたい、圭介がいきなりプロポーズなんかするから、私は頭の中が真っ白になって、それでパパが結婚前提で付き合うかって言ってきたから、結婚するくらいやったら、付き合うほうがまだマシかって、そう思ってしまってん」
と、千里はあくまで、この話題に固執するつもりのようです。
「・・・・」
「でも、圭介は本気で、私にプロポーズしてんやんなぁ?」
「うん、本気やで。でも、千里・・・ ほんまにごめんな・・・ 順序とか手順とか、プロセスを全部すっとばしてしまって・・・
女の人にとって、プロポーズがどんだけ大事なことかは分かってるし、もっとゆっくり時間をかけて、俺のことを知ってもらってとか、そういう手順も大事っていうことは分かってるねん。でもな、千里を初めて見た時に、ほんまに一目惚れしてしまって、絶対に千里と付き合いたいっ、ていうか、どんなことをしてでも手に入れたいって思ってしまったから、もう手段を選んだりしてる余裕がなかって・・・
ほんまに、いきなりでごめんなさい」
「ほんまに、悪いと思ってる?」
「悪いと思ってる・・・ だから、これからほんまに千里のことを大事にするから、ちゃんと見てて」
「・・・・・」
千里はしばらく無言で、私の様子を窺がっておりましたが、私の神妙な面持ちが功を奏したのか、
「うん、分かった。これから圭介のこと、ちゃんと見ていく」と言ってくれました。
(よかった・・・ 命拾いした)
と思ったとき、ようやく料理が運ばれてきました。
「美味しそう! なぁ、早く食べよう」と言って、千里が箸に手を伸ばしましたので、私も箸を手に取り、
「いただきます」と言って、楽しいランチタイムが始まりました。
千里は食べ始めてすぐに、
「この味噌煮、すごく美味しいよ」
と言って、自分の箸で一口大の味噌煮をつかみ、私の意思も確認することなく、何の躊躇も見せずに私の口に放り込んできました。
「おいしい?」
と、まるで自分が作ったかのようなドヤ顔で訊ねてきましたので、
「うん、おいしい」
と答えたあと、私もお返しということで、箸で一つまみして、
「こっちも美味しいよ。はいっ、あ~ん」
と言って、千里の口中に投げ込もうとしましたが、
「ふつう、キャベツじゃなくて、トンカツやろう!」と言われてしまいました。
「ほんまに、ちょっと気を許したら、すぐに細かいボケをぶっこんできて・・・ 私、大阪に帰ってきたばっかりやねんから、ツッコミのスピードがまだ元に戻ってないねん!」
と、キャベツをつまんだ時点でツッコめなかったのがよほど悔しかったのか、他府県から戻ってきた大阪人がよく口にする、言い訳ベスト3を口にしました。
その後、お互いにボケもツッコミもなく無難に食事が終わり、食後のコーヒーを飲んでいる時に、
「圭介、さっきから私、いろいろ言ってごめんね」
と、なぜか千里が謝ってきました。
「なんで、千里が謝るの?」
「あのね、ほんまは私も、圭介を初めて見たときに、多分この人と付き合うことになるんやろうなって思っててん」
「えっ! そうなん?」
「うん、そう思ってたよ。私、マリから圭介のことを変態やとか、どすけべぇやとか、いろいろ聞いてて、多分、圭介ってアホみたいな顔してるんやろうなって思っててんけど、マリが見た目はすっごく男前でかっこいいから、その見た目と言動のギャップが凄すぎて、あれこれ考えてる間に訳が分かれへんようになって、最期は圭介の言うことをなんでも聞いてしまうって・・・」
(マリ、それって、褒めてるつもりなんか?)と、会社にいるマリにテレパシーを送った後、
「マリが、そんなこと言うてたん?」
と、目の前の千里に訊ねてみました。
「うん、言ってた。それで、私が圭介に会いに行って、初めて会ったときに、いきなり呼び捨てにしろとか、刑務所がどうだとか、もてあそんでくれとか、最後は私の名前を叫んで・・・ とか、普通やったらドン引きするねんけど、なんか圭介やったらアホ丸出しでも許せるって思って・・・ それで仕事の話になったら、すごく真剣な顔になって・・・ マリが言ってたことって、こういうことやったんやと思ったあとに、こういう感じで人を好きになることもあるんやって・・・ 自分でも凄く不思議なくらい自然に、気が付いたらもう圭介のことを好きになってた」
私は千里がいま語ってくれた言葉をひとつひとつ噛みしめながら、
(えぇ話しやなぁ・・・ 録音しとったらよかった)
と、しみじみ思いました。
「千里、ありがとう。ほんまに大切にするからな」
「うん、私も圭介のこと、大切にするよ」
ということで、私が幸せな気分に浸っていると、
「でも、ほんまに先が思いやられるわ・・・」
と言われてしまい、
(中々安定して、情緒不安定というか・・・気分の浮き沈みが激しいなぁ・・・
これやったら、こっちがほんまに先が思いやられるわ)と思いながら、
「ごめんな。ほんまに大切にするよ」と言いました。
「ううん、違う。圭介の事じゃなくて、ホテルのこと」
今回は、流石にもう慣れっこになってしまったので、
(そっちか~い!)
と、思わないことにしました。
「私、今から明日の朝まで、ホテルでずっと働きっぱなしになってしまうねん」
「えっ! 明日の朝まで?」
「そう。今日は昼の1時から社員の人が出勤してきて、私はその人からいろいろと教えてもらうことになってて、私の本当の勤務時間は、夜の10時から明日の朝までなんよ。だから、今日の夜までにある程度仕事を覚えておかないと、大変なことになってしまうねん」
「そんなにシフトが厳しいん?」
「うん、そうやねん。ホテルって、24時間営業やから・・・」
これから先に、こんなことが続くようでは、千里が体を壊しかねないと思った時、
「!」
とつぜん良いことを思いつきました。
「じゃあさ、ひとつ提案なんやけど、マリと進っていう新入社員を、千里のお手伝いでホテルに行かせるから、それやったらシフトも組みやすくなって、千里の負担も減るやろう?」
「でも、それじゃあ圭介にあんまりにも悪いし、それに、うちはバイト料を払う余裕がないし・・・」
「そんなこと千里が気にせんでもいいよ。どうせうちの事務所におらしても、二人とも今はやることがないし、ホテルが売れるまでの期間限定っていうことで、二人には話をするわ。それに、マリは前から制服着たいって言ってたから、よろこんで行くやろうし、進はお坊ちゃんで、社会経験がほとんどないから、二人にとっても丁度いいねん。だから千里はバイト料とか気にせんと、二人をよろしく頼むわな!」
「・・・・」
千里はしばらくの沈黙の後、
「でも・・・ やっぱり悪いわ」と言いました。
「俺、千里のことを大切にするって、何回も誓ったし、お父さんの前でも誓ったやんか。だから、ほんまに千里のことを大切にさせて」
千里は困惑した表情が少しずつ和らぎ、
「うん、ありがとう」
と、とても素敵な笑顔で了解してくれました。
「よし、決まり。今からホテルに戻って、まずはお父さんに話をして、それから俺がマリに話したあと、千里に電話させるから、あとはマリと詳しく打ち合わせをしてな」
「うん、分かった」
ということで話がまとまり、私たちは定食屋を出ました。
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