第11話 将を射んと欲すれば、先ず馬を射よ?

『人生とは、思いがけない出来事の連続であり、予測できないからこそ面白い』

 誰が言ったのか(おそらく日本人の登山家?)、すっかり忘れてしまった名言なのですが、まさにその通りであると実感しました。

 ほんの5分前まで、まさか千里のお父さんに、今から結婚の許しを得ようなどとは、これっぽっちも思っていなかったので、本当に人生とは、思いがけない出来事で成り立っているようなものなのかもしれません。

 しかし、いみじくも私は、千里と初めて出会った時に、半分冗談とはいえ、お父さんに結婚の許しを得ようと思っておりましたので、こうなることが千里と私の運命であったのでしょう。

「じゃあ、行くよ」

 と言って、お父さんの待つ、『運命の扉』を開き、千里と一緒に中に入りました。

 お父さんは先ほどと同じように、ソファーに腰掛けておりましたので、

「おまたせいたしました」と言って、私はお父さんの目の前に座り、千里もまた、お父さんの隣に腰掛けました。

「どうでした? ひどい状態でしたでしょう?」

「いえ、後片付けはお父さんお一人でされていると聞いたんですけど、お体の方は大丈夫なんですか?」

 私がさりげなく『お父さん』と呼んでも、何の反応も違和感も示さなかったので、少し安心しました。おそらく、千里が根回しをしてくれていたおかげなのでしょう。

「まぁ、片付けっていうても所詮は素人なんで、自分の体と相談しながら無理がない程度にぼちぼちとやってますから大丈夫ですよ。それで、専門家の北村さんの意見として、やっぱりこのホテルはもうだめですか?」

「そうですねぇ・・・」

 と言ったあと、今から私が話す内容というのが、千里のお父さんに引導を渡すことになりますので、私も経営者の端くれとして、痛恨の思いが込み上がってきましたが、これもすべてはお父さんを助けるためであると自分に言い聞かせて、大阪インペリアルホテルの現況と、今後の方針を簡潔にまとめて話しました。

「そうですかぁ・・・ やっぱり手放す以外に、道が無いっていうことですね」

「はい、残念ですけど、それが一番良い方法だと思います」

「実は、私もいろいろと考えまして、これ以上ホテルをやっていくことは無理やろうと結論を出してたんですよ。それで、こうやって北村さんの意見も聞いたことやし、みらい観光開発に売ることに決めました」

「そうですか、ありがとうございます。それで、売るのはいいんですけど、具体的にどういう条件で話を進められているのか、詳しく説明して頂けないでしょうか?」

「はい、わかりました。じゃあ、みらい観光開発の出してきた条件を説明しますと、」と言って、お父さんは詳しく話してくれました。


 お父さんの話によりますと、みらい観光開発が提示した条件というのは、大きく分けて3つありまして、ひとつは、大阪インペリアルホテルの買い取りの金額については、不確定とするというものでした。

 不確定という意味なのですが、通常の売買ですと売主と買主が合意して、売買金額というのが決定するのですが、大阪インペリアルホテルの場合、銀行とその他の金融機関からの借り入れの際に、ホテルの土地と建物が担保となっており、根抵当権や抵当権が設定されているため、売買する場合はそれらの権利を抹消しなければならず、そのためには借入金を全額返済せねばならないのですが、売買金額よりも借入金が多い場合、その担保を抹消できないことになってしまいます。

 つまり、みらい観光開発は大阪インペリアルホテルの買い取り金額を3億円と査定しているのですが、大阪インペリアルホテルに設定された担保を抹消するためには、実際の借入金残高の5億円が必要なので、2億円の不足金が発生します。

 こういった場合、貸主である各金融機関と、買主であるみらい観光開発が間に弁護士を立てて交渉し、不足分の2億円に対して減額若しくは放棄といった措置を執ってもらい、設定された担保を抹消してもらうのです。

 なぜ、こういった取引が成立するのかというと、金融機関としては、このまま大阪インペリアルホテルが倒産若しくは破綻した場合、貸付金の回収が困難となってしまい、最終的には不動産を競売にかけて回収するのですが、こうなってしまうと競売の落札価格が2億円前後と想定されるため、みらい観光開発に3億円で買い取ってもらったほうが、回収金額が増えるというメリットが生じます。

 競売の場合、1回目で入札者が現れない、若しくは入札者の入札額が最低入札価格を下回った場合、次回に持ち越しとなってしまい、最低入札価格は回を追うごとに減額されるため、貸主としては何のメリットも生じない競売を避け、貸付金を減額してでも、大阪インペリアルホテルが倒産する前に、みらい観光開発に任意売却でホテルを買い取ってもらい、できるだけ多く回収しようという仕組みなのです。

 以上のような理由で、大阪インペリアルホテルの買い取り金額は、金融機関が幾らの減額で任意売却に応じてくれるのかが、これからの交渉次第となるために、不確定となってしまうのです。


 そして、二つ目に提示した条件というのは、箕面市の物件に関するもので、簡単に説明しますと、通常であれば箕面市の自宅は、大阪インペリアルホテルの借入金の共同担保となっているため、前述したホテルと同じ経緯で競売となってしまうのですが、貸主側に箕面市の物件は初めから存在しなかったものとして、切り離して考えてもらい、物件に設定した担保を抹消してもらうということです。

 この場合のメリットとして、まずは、貸主側は箕面市の物件での回収金額は1500万円以下と想定しているため、みらい観光開発の提案を蹴って、機嫌を損ねてホテルの任意売却が流れるよりも、提案を受け入れて担保を抹消する方が賢明である。

 次に、原田氏のメリットとしては、ホテルを手放す代わりに、自宅の借金が無くなる、というメリットです。

 みらい観光開発にしてみれば、箕面市の自宅をきれいな形で原田氏に残すことによって、原田氏に対して顔が立ちますし、スムースにホテルを取得できるというメリットが生じるということです。


 そして、みらい観光開発が提示した、3つ目の最後の条件というのは、大阪インペリアルホテルの名称に関するもので、原田氏が現在有する、大阪インペリアルホテルの商標登録、及び営業権を含めた、名称に関するすべての権利を、みらい観光開発側に譲渡するというものでありました。


「という訳で、箕面の家がきれいになって戻ってくるんやったら、こっちも納得するという話になりまして、ホテルを売ることに決めたんですけど、ここまでの話で、何か間違っているようなことはありますか?」

 私は、最期の名称に関する条件だけが、少し腑に落ちなかったのですが、全体としては納得のできる条件であったので、

「そうですね、はっきり言って、今聞いた限りの話では、ただの旅行関連の会社にしては、抜かりがないというか、落とし所をわきまえているというか、専門家にしか分からないような手順を踏もうとしていますから、おそらくみらい観光開発の方にも専門家が付いていて、そこからアドバイスをもらっているんだと思います」と言いました。

「じゃあ、みらい観光開発の坂上さんの話に、そのまま乗っても大丈夫っていうことですか?」

「はい、でもやっぱり心配なんで、今度その坂上さんと話をするときに、僕を同席させてもらえないでしょうか?」

「はい、それは構わないと思うんですけど・・・ 北村さんはどういう立場で、向こうと話をされるんですか?」

「そうですね・・・」 

 と言ったあと、話の流れ的に、このタイミングだと思い、

「経営コンサルタントという立場って言えば、向こうが変に身構えてしまう恐れがありますし、それで話が流れてしまったら元も子もないので、できればお父さん、僕の立場のことで、大切なお話があるんですけど、今からそのお話をさせていただいても大丈夫ですか?」と言いました。

 お父さんは特に身構えることもなく、とても自然体で、

「はい、どうぞおっしゃってください」

 と、穏やかな表情で言ってくれました。

 私は居住まいを正し、千里と目を合わせて小さく頷いて合図を送ったあと、お父さんの目をまっすぐ見つめました。

 まさに、文字通り『将を射んと欲すれば、先ず馬を射よ』ということで、弓弦を力いっぱいに引き、照準を合わせ、

「お父さん、いきなりで驚かれると思うんですけど、千里さんと結婚させてください!」

 と矢を放ち、(決まった!)と思った次の瞬間、


「えぇ~っ?!」


 と、なぜか千里は大きな声で驚きを示しましたので、ついつい私もつられて、(えぇ~?)と、サプライズしてしまいました。

「なんや千里、ほんまはもう、お付き合いしてたんかいな?」

「つきあってないよ~! 圭介さん、なんでいきなりプロポーズなんかするんですか?・・・ お付き合いさせてくださいって、言うだけじゃなかったんですか?」

 私はまたしても、

(そっちか~い!)

 と思いましたが、もう賽は投げられた、というか、矢は放たれたあとなので、今さら後戻りはできませんし、私は後戻りをする気など毛頭微塵もございません。

 なので、今度は千里というゴールをめがけて、

「千里さん、本当にいきなりでごめんなさい。でも、僕は本当に本気なんです! 僕と結婚して下さい!」

 と、おもいっきりシュートを放ちました。


「・・・・・ ?」


 しかし、いくら待てど暮らせど、私の耳には『ゴ~ル!』という歓声は聞こえず、千里は顔を真っ赤にして、

「・・・・・・・」

 俯いたまま何も答えてはくれませんでした。

(これって・・・ もしかして私、またオウンゴールを決めちゃったっていうことなのかしら?・・・)と、非常に動揺しておりましたので、マダム風のオネェ言葉で軽く取り乱しながら焦ってみたあと、もういちど千里にプロポーズしなおそうかと思った時でした。

「まぁ、結婚はとりあえず置いておいて、どうも千里は私が見る限り、北村さんのことが好きみたいやし、結婚を前提にお付き合いするっていうことで、北村さんはよろしいですか?」とお父さんが、策に溺れて死にかけている私に、助け船を出して下さいました。

 馬を射るどころか、そのお馬様に命を助けられてしまい、

「はい、ありがとうございます。本当に先走りし過ぎまして、申し訳ございませんでした」

 と、心の底から感謝と謝罪の意を表しました。

「千里も、それでいいな?」

 千里は俯いたまま、こっくりと小さく頷いて、僕の大切な、とても大切な許嫁いいなずけに変身してくれました。

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