第8話 月とスッポン
事務所を出て車に乗り込み、これから先の行動を頭の中で整理しました。
月曜日に千里の父である原田氏と会う前に、私は大阪インペリアルホテルのことで気になっていたことを、先に調べることにしたのです。
ひとつは、実際に自分の目で大阪インペリアルホテルを見ておきたかったことと、もうひとつは、なぜ、グループ傘下でもない千里の父が、インペリアルホテルという名称を使用しているのか、もしくは使用出来ているのか?ということです。
相手が大手であればあるほど、名称に関してはかなり厳しい制約や基準が存在しているはずですし、ましてや、相手が世界のインペリアルホテルグループともなれば、なまなかな条件で名前を使用できるはずはないでしょう。
ということで、我が社の顧問弁護士で、1歳年下の私の元部下であった、
「もしもし、紳、いま大丈夫か?」
「おはようございます、圭介さん。大丈夫です」
「あのさぁ、ちょっと調べてほしいことがあるねんけど」と、紳に大阪インペリアルホテルに関しての事情を大まかに説明しました。
すると紳は、自分が気になったことや、疑問に思ったことなどを簡潔に訊ねてきて、いつものように要点を得たと思った時点で、
「わかりました。さっそく調べてみます」と言った後、紳にしてはめずらしく、
「最後にもう一度確認しますけど、大阪インペリアルホテルの名称に関する調査だけでよろしいんですか?」と、付け加えてきました。
「ということは、不動産関係か?」
「はい。一応は調べておいた方がいいんじゃないですか?」
私自身は、今の段階でそこまでの調査は必要ないと思っておりましたが、彼が念を押してきた事もあり、
「そうやなぁ、とりあえず俺は今から現地に行ってホテルを見てくるから、その足でそのまま法務局に入って調べてくるから、夕方にそっちの事務所に顔出すわ」と言いました。
「わかりました。それじゃあ、夕方にお待ちしております」
電話を切った後、大阪インペリアルホテルを見に行くために車をスターとさせました。
大阪インペリアルホテルは大阪市中央区の西心斎橋にあり、難波の中心地である道頓堀と、若者が多く集うアメリカ村とのちょうど中間地点辺りに位置し、飲食店が多く軒を連ねる繁華街からは、少し離れた場所に建っています。
カーナビに導かれるまま車を走らせて10分後、大阪インペリアルホテルに到着しました。
私がホテルを見た第一印象は、
(まさに、月とスッポンやなぁ)
でした。
千里の話では、祖父が50年前に建てた、ということでしたが、ホテルの外観はおそらく、この50年の間に改装を最低でも2度は施したと思われ、見た目の印象はそれほど古びているふうには見えませんでした。
しかし、比較対象である同じ名前が冠された、本家本元のインペリアルホテル大阪が、あまりにも豪華で、威厳と風格に満ち溢れているため、本来であれば同じ土俵で比較すべき対象ではないということなのでしょう。
ホテルに駐車場が無かったため、近くのコインパーキングに車を停めて、再びホテルに向かいました。
大阪インペリアルホテルは、地上6階建ての長方形型で、千里から聞いていたとおり、ホテルの入り口の両サイドが10坪ほどの店舗となっており、向かって左側には若者向けの派手な色合いのジーンズやジャケット、靴やアクセサリーなどが雑然と並んだ洋品店となっており、向かって右側の店舗は、シャッターが下ろされたままになっておりました。
(ここで、旅行代理店?・・・)
このホテルを買収しようとしている『みらい観光開発』は、何の目的があってこの店舗で旅行代理店を始めようと思っているのか?・・・ 疑問に思わざるを得ませんでした。
駅前でもなく、繁華街でもなく、オフィス街でもなく、幹線道路沿いでもなく、人通りの少ないこの場所で、わざわざ店舗を出さなければならないテーマなど思いつきませんし、たとえ家賃がタダであったとしても、旅行代理店には立地条件があまりにも不向きなため、とても強い違和感と不信感を覚えました。
もしかすると、私の知らない何か特別なカラクリが存在していて、店舗はあくまでダミーとして使用するつもりなのかもしれません。
とりあえず、あまりウロウロして、不審者と思われても適いませんので、携帯電話でホテルの外観や、隣接の建物、前面の道路幅などを撮影して、再び車に戻り、大阪インペリアルホテルの不動産に関する権利関係を調べるために、天満橋にある法務局の大阪本局に向かいました。
時刻は午前10時40分なので、今からならどうにか午前中に間に合いそうです。
それにしても、どうも、みらい観光開発のことが解せません。
千里が言っていたように、みらい観光開発が大阪に進出するにあたって、拠点となる物件を探しているのであれば、他にいくらでも好条件の物件は見つかるはずで、なぜ大阪インペリアルホテルにこだわっているのかが、どうしても納得ができないのです。
とにかく、月曜日に千里の父と話すことによって、何らかの事情が判明するだろうと思ったとき、天満橋に到着しました。
法務局の駐車場に車を停めた後、大阪インペリアルホテルの不動産登記事項証明書と公図、地積測量図を申請して取得し、再び車に戻って、それらの資料に目を通し始めました。
すると、改装費用の資金調達に苦しんでいるということが、一目瞭然となりました。
第一根抵当権者である都市銀行が、ホテルの設立当初に設定した極度額2千万円から徐々に増額を続け、平成に入ってから箕面市の土地と建物(おそらく千里の実家)を追加担保として、4回も極度額を増額し、最終的には4億円にまで膨れ上がっており、第2根抵当権者である信用組合も、最終的には1億5千万円の極度額となっており、第3権利者である中小企業信用保証協会の抵当権の債権額は8千万円となっておりますので、登記簿上での借入金の合計は6億円を超えておりました。
借入残高が返済に連れて減っていく抵当権の債権額と違い、根抵当権の極度額というのは、実際の借入残高が変動(借入金は極度額の範囲内で出し入れができる)しますので、正確な数字は分かりませんが、おそらく大阪インペリアルホテルの借入金の残高は、5億円前後と想定できるでしょう。
その場合、箕面市の物件を省いた、大阪インペリアルホテル単体の現在の価値として、同質物件の相場よりもかなり低い、おそらく2億から2億5千万円と想定した場合、明らかにオーバーローンであることが伺い知れます。
なぜ、大阪インペリアルホテルの評価が、収益物件にもかかわらず、相場(5億円前後)よりもかなり低いのかというと、築年数が50年も経過しているため、建物の評価としてはゼロではなくマイナスということになり、不動産としての価値は土地の値段から建物のマイナス分、つまりそのまま営業を行うのであれば改装費用、潰して建て直す場合は解体費用と新たな建築費用などをマイナス分として計算するため、何の手直しも必要としない他の物件に比べて、かなりのマイナス評価とせざるを得ないのです。
本来であれば、この足でそのまま箕面市へ向かい、借入金の共同担保となっている千里の自宅を調査し、評価しなければならないのですが・・・
どうも、千里のプライベートに土足で踏み込んでいくような気がして、足を向ける気になりませんでした。
そして、何よりも新たな調査が必要なほど、今後の大阪インペリアルホテルに関する判断に苦しんでいるというわけではなく、私の中ではもうすでに答えが出ているということで、紳と約束した夕方まで時間がありましたので、先ほど近くを通った難波のニュージャパンサウナに行って、二日酔いの酒を抜くことにしました。
車を再び難波に向けて走らせ、道が混んでいなかったおかげで20分ほどで到着し、サウナの中に入りました。
このサウナに訪れるのは実に2年ぶりで、サラリーマン時代は紳とよく、南へ飲みに行く前に寄っていたことを思い出しました。
どうでもいい話なのですが、紳は身長が私よりも少し高い183センチで、顔は彫りの深いイケメンで、なおかつ弁護士であるということで、私たちがどこに飲みに行っても、私はいつも紳の引き立て役となってしまい、とても不愉快な思いをしていたという、本当にどうでもいい話でした。
サウナにゆっくりと入って、じっくりと汗を流した後、水風呂に浸かるという王道パターンを3度繰り返したことで、二日酔いはすっかり収まり、風呂上がりのビールを飲みたい衝動をグッと我慢して、トマトジュースとスポーツドリンクで喉の渇きを潤しました。
サウナを出た後、難波から堺筋を通って北へ向かい、紳の事務所が入った、大阪地方裁判所の裏手にある、弁護士事務所が多く入居したビルに到着しました。
32歳の若さで、しかも複数の弁護士による共同ではなく、単独の独立した弁護士事務所を構えているというだけでも、彼の弁護士としての図抜けた能力の持ち主であるということを物語っておりますし、事実彼は、私と一緒に前の会社を退社した後、元の取引先であった複数の企業からの要請で顧問を務めるなど、私としては実に頼りになる存在であるとともに、良い遊び仲間でもあるのです。
完璧なセキュリテーが施された、紳の事務所のドアの前に立ち、インターフォンを鳴らすと、私が名乗る前にドアが開き、
「圭介さん、お疲れ様です」と言って、紳がわざわざ出迎えてくれました。
私たちは事務所の通路を通り抜け、紳のオフィスルームではなくプライベートルームで打ち合わせをすることにしました。
今回の所用が、正式な業務依頼ではないからです。
互いに応接セットのソファーに腰掛けた後、
「何か分かった?」と、私が質問すると、紳はテーブルの上に置いていたファイルブックを手に取り、
「はい、こんなものが手に入りましたよ」と言って、差し出したのは、約10年前に結審された、ある裁判記録のコピーでした。
本家本元のインペリアルホテル大阪が、大阪インペリアルホテルに対して名称の変更、若しくは名称の譲渡返還の裁判を起こし、驚いたことに、本家本元側が敗訴したときの記録で、詳しくは以下のとおりです。
①大阪インペリアルホテルはすでに、難波で40年以上も営業を続けており、38年前には特許庁に商標登録も済ませている。
②設立当初、大阪インペリアルホテルの創業者である原田氏(千里の祖父)が東京のインペリアルホテルの本部に出向し、大阪でインペリアルホテルという名称で営業を行いたいとお伺いを立てたところ、大阪を含めた関西エリアへの進出予定がなかったため、当時のインペリアルホテルの総支配人であったA氏が、名称の使用を許可するといった旨の覚書を発行しており、現経営者である原田氏(千里の父)は、その覚書を現在も所持している。
③名称を変更した場合、大阪インペリアルホテルの著しい営業損失が発生する可能性がある。
以上のような理由で、インペリアルホテル大阪側の主張は認められず、裁判は敗訴となってしまったのです。
私は記録を2度読み直し、自身で納得した後、紳に法務局で取り寄せた資料を手渡し、携帯電話で撮影したホテルの写真を見せるために画像を呼び起こし、携帯電話も紳に手渡しました。
紳は無言でそれらを確認した後、顔を上げて私に何か話しかけようとしましたので、
「先に言うとくけど、箕面の物件は調査してないぞ」と、彼の機先を制しました。
すると紳は、また資料に目を戻し、2度目の確認を終えた後、
「まぁ、箕面の調査は必要ないでしょう」と言いました。
確かに紳の言う通りだと思いながら、
「それで、紳は、どう思う?」と訊ねました。
「はっきり言って、大阪インペリアルホテルは、『お前はすでに、死んでいる』状態ですね」と、至極真面目な表情で答えました。
ということで、私と紳の意見が一致したという結論に達し、お互いに納得したことを確かめた後、今後の方針として、
「なにがなんでも、みらい観光開発に買ってもらうことでいいか?」と、私が紳に念を押すと、
「たとえ騙してでも、それしか道はないでしょう」と、紳は答えてくれたのですが、
「最後にひとつだけ確認なんですけど」と言って、何か物足りなさげな表情を見せました。
「なに?」
「この仕事は、本当に圭介さんが引き受けなあかん、何か特別な事情があるんですか?」と、紳は小首を傾げながら訊ねてきました。
私は心を痛めている、千里の悲しげな表情を思い浮かべながら、
「退っ引きならない、深い事情がある」と言いました。
「でも、これって・・・ 圭介さんの復帰第1戦にしては、あんまりにも地味すぎませんか?」
「・・・・・」
私は紳の言いたい事はよく理解しているのですが、今の自分が置かれた状況や、力量などを判断して、
「まぁ、俺もリハビリを兼ねてっていうことやから、準備運動のつもりでぼちぼちやっていくわ」と言うしかありませんでした。
「なにかあったら、すぐに声かけてくださいね。僕ら、いつでも動けるように準備してますから」
「そんな、これ以上、お前さんたちに動いてもらうような仕事じゃないって」
と、この時はそう思っていたのですが・・・
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