第5話 斜陽

 私は一瞬、自分の耳を疑いました。

「えっ!? インペリアルホテルって・・・ あの、天満にある、世界のインペリアルホテルが経営難っていうこと?」

 千里は神妙な面持ちで、

「いえ、違います。天満にあるのは大阪が後につく、インペリアルホテル大阪で、私の父が経営しているのは、難波にある大阪インペリアルホテルなんです」と言いました。

「え?・・・ 難波にインペリアルホテルって、あったっけ?」と、マリに確認しましたが、マリも首を傾げて、

「私も、聞いたことがないです」と言いました。

「地元の圭介さんとマリが知らないほどの、小さなビジネスホテルなんですよ」

「ビジネスホテルで、名前が大阪インペリアルホテルってこと?」

「はい、でも中身は全然違いますけど」

「それで、そのホテルの経営が行き詰ってるっていうこと?」

「はい・・・ そうなんです」

 昨今のホテル事情といえば、海外からの観光客が多数押し寄せ、特に大阪市内のホテルは中国からの爆買いツアー客で、どこも盛況だという情報を耳にしていたので、その点を千里に確かめると、

「はい、確かにホテルの利用者は外国人の観光客がすごく増えて、本来であれば経営が傾くことはなかったんですけど、父のホテルは、元々は祖父が50年前に建てたホテルなんですけど、設備の老朽化でいろいろとトラブルが生じて、今現在は利用できる客室が全70室の内の半分程度になってしまって・・・」

「なるほど・・・ 確かに稼働率が半分やったら、しんどいなぁ」

「それに、20年近く支配人をしていた人が、3か月前に突然退職してしまって、父は業務のほとんどをその人に任せていたので、いろいろと勝手が分からなくて、業務に支障が出ていますし、現場は混乱状態なんです」

「・・・・・・」

 千里の話は聞くに忍びなく、悲惨な状況が目に浮かび、二の句を継げませんでした。

「それで、圭介さんにお願いしたいのは、父にホテルを手放すように説得してもらいたいんです」

「ホテルを手放す?」

「はい。父にはもう手を引いてもらいたいんです」

 一般的なビジネスの世界で、手放す、もしくは手を引くとは二通り考えられ、ひとつは事業を誰かに委託し、自らは一線を退いて隠棲するということで、もうひとつは事業自体を売り払い、一切の関わりを断つということなので、

「手放すって、具体的にどういうこと?」と、千里に訊ねました。

「それは、ホテルを事業ごと売り払うってことなんです」

「ということは、いまそのホテルを買いに来てる人がおるっていうことなん?」

「実は、そうなんですけど・・・・」と言って、千里はホテル売却の経緯を語り始めました。


 遡ること今から約半年前、千里の父である原田氏の元へ、大阪市北区の『みらい観光開発』という、旅行代理店やホテル業などを手掛ける、レジャー関連の会社の坂上という者が訪ねてきたそうです。

 坂上によると、みらい観光開発は東京に本社があり、関西への進出を目指していて、拠点となる事務所と旅行代理店の店舗を兼ねた手頃なホテルを捜していたところ、大阪インペリアルホテルが立地条件とホテルの規模、その他諸々の条件(大阪インペリアルホテルの1階に、空き店舗あり)が合致しているので、ぜひとも売却を願いたいと申し出たそうです。

 しかし、原田氏はホテルの売却などは考えていないということで、全く聞き耳を持たず、坂上が提示した好条件を無下に断ってしまったそうです。

 しかし、その後も坂上は引き下がらず、何度も足を運び、粘り強く交渉していた矢先、ある事故が発生しました。

 今から4ヶ月前、ホテルの最上階である6階部分の水道管が老朽化のために破損し、漏水で6階から4階までが水浸しとなってしまい、漏電による火災の恐れもあったため、ホテルは現在も4階から上の階は閉鎖されているとのことです。

 大阪インペリアルホテルは、もともと経営が上手くいっていたというわけではなく、原田氏に潤沢な資金があるというわけでもなかったので、莫大な費用を伴う改装工事も行えず、資金調達も目途が立っていないため、このままでは経営が破綻しかねない状況にまで陥ってしまったようです。


「そんな時に弱り目に祟り目で、支配人が突然辞表を出して辞めてしまって・・・ それに、ホテルのスタッフは6人いて、その内の3人は正社員で、残りの3人はアルバイトなんですけど、支配人が辞めたことでそれぞれに負担が大きくなって、正社員2人とバイトの一人が、この2ヶ月の間に次々と辞めてしまって・・・

 それで私は、ホテルの廃業か、売却かを含めて、父といろいろ話し合ってみたんですけど、父との話でひとつ気になることがあって、そのことで圭介さんの意見を聞かせてもらいたいんですよ」

「いいよ、千里は何が気になってるの?」

「それはね、ホテルがこんな状況になったのに、みらい観光の方は以前と変わらない金額でホテルを売ってほしいって言ってきてるから・・・・うちのホテルって、そんなに価値があるのかなぁって、不思議に思ったんです」 

「その、みらい観光は買取の値段を下げずに、同じ金額で買い取らせてくれって言ってきてるの?」

「はい、そうなんですよ」

「・・・・・・」

 私は率直に、(どうも解せん・・・)と思いました。常識的に考えて、ホテルの資産価値が著しく下落したにもかかわらず、同じ値段で買い取るということは、裏に何か余程の特別な事情があるとしか思われません。

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