第2話 千里

「あっ、来た!」とマリは席から立ち上がり、小走りで玄関のドアに駆け寄り、勢いよくドアを開いた瞬間、

(オー、ジーザス!)と、思わず心の中で歓喜の叫び声を上げてしまいました。

(*注意① 私は無神論者です)

 千里は目を引くような美人ではなく、一見、どこにでもいそうな平凡な感じの娘なのですが、白磁のような白い肌に、肩口までの艶やかな黒髪、やや細めの目元は涼やかで、清楚な感じの白いワンピースがよく似合う、清潔感漂うお嬢さん、という感じでした。

「ちさと~! 久しぶり~!」と、マリが両手を広げて、おそらく身長160センチ、体重50キロの千里を迎え入れ、軽くハグしている姿を後ろから眺めながら、

(あかん・・・ ドストライクや)と思いました。

 私は昔から、目鼻立ちのはっきりしない、どこか霞がかったような、ぼやけた印象の娘が好みであったのですが、まさに千里がズバリその通りでありました。

 逆に私は、目鼻立ちのはっきりとした、色の黒い女性が苦手で、私がマリを採用した一番の理由は、彼女とならば、絶対に恋愛関係に発展しないだろうと思ったからです。

 社内恋愛禁止というわけではありませんが、なにぶん小さな会社なので、男女間のもつれが仕事に影響するといったトラブルを、できるだけ避けたかったのです。

 とにかく千里は、清楚さの中に控えめなエロさを包み隠しているといった、なんとも表現しにくい神秘的な魅力を持った女性でありました。

 マリは千里を4人掛けの応接セットのソファーの前に誘導し、

「圭介さん、早く」と、私を手招きしましたので、私は席から立ち上がり、千里の真向かいのソファーの前に行きました。

「これが噂の圭介さん。言ってたとおり、見た目はどっから見てもマトモやろう?」

 千里はマリの問いかけに、無言のまま笑顔で頷きました。

 私は(どういう意味やねん?)と思いながら、

「まぁ、とりあえず座ってください」と促し、私と千里がソファーに座ると、

「めっちゃ美味しいケーキ持ってくるから、待ってて」と言って、マリは奥の給湯室に向かいました。

 私は勇気を振り絞って、千里の顔をチラッと見たとき、お互いの目が合った瞬間、

「はじめまして、原田千里です」と、千里が先制攻撃を仕掛けてきましたので、私も負けじと、

「はじめまして、北村圭介です。僕の事は圭介って呼び捨てにするか、圭ちゃんって呼んでください」と言いつつも、千里があまりにもドストライク過ぎて、恥ずかしさのあまり彼女の顔を直視することができませんでした。

 千里は「くすっ・・・」と、小さな笑いのあと、

「じゃあ、私はマリと同じように、圭介さんって呼ばせてもらいますね」と言いました。

「じゃあ僕は、せっかくのご好意なんでお言葉に甘えて、千里って呼び捨てにしますね」

 千里は「くくっ」とくぐもった笑いを浮かべ、「いいですよ」と言ってくれましたので、これからは呼び捨てにすることにします。

「圭介さん、身長が高いですね。マリと並ぶと、二人ともモデルみたいですよ」

「そうですね。確かに身長は181センチありますから、高い方やと思いますけど、マリと並んだらモデルじゃなくて、逃走中の凶悪犯の夫婦っていう感じがしませんか?」

「うくくっ・・・」と、小さく噴出したということは、おそらく私の表現は、千里のイメージの的を射たのか、それともかすっていたのだろうと思ったとき、

「千里、コーヒーはアイスとホット、どっちがいい?」と、奥からマリが訊ねてきました。

「じゃあ、ホットで」と、千里が答えた瞬間、私はこれからの会話の主導権を握るために、不意打ちを食らわせようと、

「二人は、和歌山の女子刑務所で知り合ったんでしょう?」と訊ねてみました。

「えっ?・・・」

「僕たち三人は務所仲間やって、マリから聞きましたけど」

「ムショナカマって・・・ どういう意味ですか?」

 恥ずかしくて顔が見れないので、千里がどんな表情なのか分かりませんが、おそらく疑問と不安と不信感が合わさったような、複雑な表情だと思います。

「マリは僕と一緒にコンビニ強盗で捕まって、千里は車上荒らしで捕まって、3日前に刑務所から出所してきたばっかりやって、マリから聞きましたよ」と言ったとき、背後から殺気とともに、

「おっさん、殺すぞ!」という、殺害をほのめかす供述をしたマリが、トレーにコーヒーとケーキを載せて戻ってきました。

 マリはそれぞれの目の前にコーヒーとケーキを置いた後、

「私と千里は立命館の同級生です!」と言って、千里の隣のソファーに腰掛けました。

「えっ! マリ、お前、生野出身やのに立命館に行ったん?」

「生野の出身やったら、立命館に行ったらあかんのかぃ!」

(*注意② 私は決して、生野区を馬鹿にしているわけではありません。私自身、生野区の舎利寺に2年住んでおりましたし、鶴橋の鶴一の焼き肉最高! 万才橋のチリトリ鍋最高! オモニのお好み焼き最高!と思っております)

「いうても私の場合、スポーツ特待生やったんで、あんまり自慢できないんですけどね」

「スポーツって、なんのスポーツ?」

「陸上の短距離なんですけど、こう見えても私、高校3年のときに、インターハイで100メートルが2位で、200メートルが3位やったんですよ!」

(やっぱり、口の周りが黒い犬や)と思いましたが、口に出しませんでした。

 ということは、千里も立命館なので、(頭もいいんや)と、さきほど一目惚れしたばかりなのですが、あらためて惚れ直してしまいました。

「二人はすっごく、仲が良いんですね」と千里は言ったあと、知的な微笑みを浮かべたまま、

「それに、良かった・・・ 想像していた以上に、圭介さんが話しやすい人で」と言ってくれました。

 そんなことを言われてしまいますと、こちらも気分が良くなってしまい、もっと自分の事を知ってもらうために、

「そうですね。僕の特技は話しやすいことと、親しみやすいことと、もてあそばれやすいことなんで、僕の事をもてあそんでくれませんか?」と、自己アピールをしたのですが・・・

「・・・・・」

 千里の微笑みは、バツが悪そうな苦笑いに変化し、マリは蔑みと憐みを含んだ、侮蔑的な目で私を見つめていました。

 その後、場の和んだところで私たちはケーキを食べながら、

「圭介さんは、何歳ですか?」

「来月の誕生日で34歳になります」

「へぇ~ 実際の年齢より、若く見えますね」

「それは多分・・・ 精神年齢が14歳くらいやからやと思います」

 といったような会話を千里と楽しんでいたのですが、

「圭介さん、そろそろ時間ですよ」と、マリがいきなり横から口を挟んできました。

「時間って・・・ 何の時間?」

「マリ~! ガクッの時間じゃないですか!」とマリが言った瞬間、

「ぷっ!」

 と、千里が大きく噴出したということは・・・ 

 もしかするとマリは千里に、私との秘密の不適切な関係を、洗いざらい全て供述しているということではないでしょうか?

「佐々木さん、今は一応、仕事中やから、そういう冗談は、」

「佐々木さんって・・・ 今の今まで、私のことを苗字で呼んだことなかったじゃないですか!」

「・・・・」

「だいたい、千里の前やからって、ええかっこしても無駄ですよ。私、千里には圭介さんのことを、何から何まで全部、電話で話してるんですから!」

「何から何までって・・・・ どんな話をしてるの?」

「私に毎日、セクハラしてることとか、ヤギの鳴きマネするド変態やとか」

(ヤギじゃなくて、ヒツジじゃ! ボケ!)と、訂正を促そうかと思いましたが、やっぱり止めました。

「千里も『ガクッ』っていうのん、見たいやろう?」

 話を振られた千里は、困惑した表情で、

「私は別に・・・」と、右の掌を小刻みに振りました。

 これ以上、千里の前で生き恥を晒すことに堪りかねた私は、終業時に行うマリへの挨拶を少しアレンジして、

「マリ~!」

 と叫んだあと、

「ハウス!」

 と言いました。

 ちなみに通常の終業時の挨拶は、普通のテンションで、

『マリ、ハウス』です。

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