第8話 私は行商人です
嬰は歩き辛い服装の為か足取り重く、背後から尻を突かれながら渋々進み続ける。
前方へと目を向けると、彼方の明るみは空に輝く満月よりも明るく眩しく、かといって周りを照らすほどの慈悲はないと見え、暗闇との境は明瞭である。
光の中に包まれている人影に注目すると、六人が座って焚火を囲んでいる。
また、二人は少し離れた所で直立している様子で、あるいは暗闇の中に浮かぶ影を監視しているのかもしれない。
あの中に単氏がいるのだろうか、とも嬰は考えてみるが、ふと自分の装束を一瞥した後小さく首を横に振った。
「嬰殿……でしたかね。どうかなさいましたか?」
「え、いえ、えっと……」
「ああ、私は稀安と呼んでください」
「いや、焚火の周りには単氏はいないな、と」
嬰は振り返ってみたもののどの影が稀安なのかすぐにはわからず、見定めることを諦め再び前進し始めたところで、稀安の嬉しそうに弾んだ声が彼の背を突いた。
「彼らの装いからそう考えたのですね」
「商人はとにかく外見に気を遣いますから。彼らは商人というには地味ですよ」
「そうですよね! 全く商人という奴らは見栄っ張りで偉そうで鼻につく!」
「……別にそこまでのことは言っておりませんが」
「稀安五月蠅いぞ」
「……あ、すみません」
寛海に叱られた稀安は喋るのを辞める。
しかし時すでに遅しということか、彼方の集団は静寂の中突然上げられた甲高い音をどうにも不審に思ったらしく、焚火の近くに胡坐をかいていた者が二人立ち上がりこちらへと向かって歩き始めた。
下手に動いて警戒されることを恐れた四人は変わらぬ様子で荷車を押し前進し続けていたが、二人と接触した時の対応に困った嬰は小声で隣の簡広に尋ねる。
「あの、こちらに向かってきている二人との接触は避けられないと思うのですが、なんと言って誤魔化せば良いのでしょうか?」
「我々は酒の行商をしているという体で、翠兵から命令されて酒を持ってきたということにしましょう」
「わかりました」
やがて接近してきた二人は嬰より少し大きな背丈で、平服に剣を帯びている。
五人が動きを止めて会釈すると、左側の男は頭を掻きながら彼らを見回した後、嬰と視線を合わせて面倒臭そうにぶっきらぼうな声で話しかけた。
「貴殿らはこんな所で何をしておられるんだ? 夜道をせっせと歩いて、夜逃げでもしてきたのか」
「いえ、えっと、私は酒の商いをしている嬰と申します。翠兵の方からのお言いつけであちらの商人様方へ酒を届けるために、こうして参った次第でございます」
「なるほどなあ。さて、俺らとしてはありがたいことだが雇い主様が何というかね」
男は右側の男と顔を見合わせて笑った。
酒の贈り物と聞いて二人の態度が和らいだところで、すかさず簡広が口を挟む。
「雇い主というのはどこのどなたなのでしょうか? 差支えなければ教えていただけませんか?」
「ああ、単氏という商家の主人だよ」
「名は?」
「さあ、そこまではわざわざ追及しないな。きちんと給金さえ出れば俺達はそれで構わないからね。まあそう言うことならついてきてくれ。とりあえず聞いてみるから」
「どうか、よろしくお願いいたします。あ、これはほんの気持ち程度の物ではありますがどうかお二人に……」
簡広は二人を手招きすると、まず左の男の差し出した手を両手で包み込みなにやらごそごそとしている様子で、続けて右の男にも同じ動作を繰り返す。
その甲斐あってのことなのか、二人は上機嫌で五人を明るみへと先導してくれた。
焚火の近くまで到達すると、二人は単氏を呼んでくると言って奥の天幕へ消える。
彼らを待つ間、単氏の集団からすれば素性の知れぬ四人と荷車は周囲の気を引いていたが、かと言って進んで話しかけてくる者もおらず、ただじろじろと見世物のように視線を向けられていた。
周りに見える限りでは男が八人、女が三人の計十一人で先程目で計った時よりも増えている。
二人と単氏を足して十四人の集団か、あるいはまだ他にもいるのだろうか。
へらへらと笑顔をつくる嬰に対して彼らは口元をぴくりともせず、居心地の悪さから簡広を一瞥すると、簡広は苦笑しながら酒沼へ、酒沼は流れるように稀安へ、稀安は困った様子で寛海へと目配せして、最後には寛海から彼の元へと返ってきた。
気にすることはないとでも言いたいのだろうか。
寛海は落ち着き払ったまま微笑みを絶やすことなく、無言で嬰と目を合せる。
嬰は仕方なしに空を見上げると、ちょうど月が雲に覆われてしまった。
月光が阻まれ暗くなった大地にあって焚火はより一層明るさを増し、直後に奥の天幕から現れた三人の姿を際立たせた。
最初に接触した二人に加えてもう一人、嬰に似た商人風の装いに身を包む恰幅良い中年の男の姿が視界に捉えられる。
嬰は、再び問うまでもなくこれが単氏に違いあるまいと察した。
慌てて拱手した後嬰が口を開こうとすると、それに先んじて単氏と思われる男が嬰に問いかけた。
「酒売りの嬰というのはお主のことか?」
「はい、嬰とは私の名で相違ありません。向こうで野営している翠の兵士様より、礼儀正しい商人様への労いの品を、と依頼されてやってきました」
「……そうか、むむ、まあ受け取らないのも失礼だろうし、変に機嫌を損ねては面倒だが……。ところで嬰氏よ、商売を始めてまだ日が浅いとみえるから知らぬかもしれんが、翠の兵士様、ではなく、兵士様、とした方がよい。この天下には既に国は二つと無く、兵士と言えば翠の兵士なのだから。翠人の中でも気位の高い者は逐一五月蠅いから気をつけられよ。先達としての忠告だ」
単氏は嬰と目を合せて片時も逸らさず、ゆったりとした声でそう言い終えると、軽く息を吐いて口元を緩めた。
どうやら嬰を姓であると勘違いしているらしいが特段訂正する必要もないので、嬰はそのまま会釈してこれに返答する。
「これは知りませんでした。ご指摘ありがたく存じます」
「うむ。ここで追い返せばお主も戻ってから報告しづらいであろう。その酒はこちらで頂戴する」
単氏の返答に歓んだのは嬰氏一行では無く、彼らを取り巻く雇われ者達である。
見知らぬ男達に向けられた視線はばらばらに吹っ飛んでしまい、皆それぞれに歓声をあげ舌なめずりする。
単氏は彼らの様子に呆れた顔をしながら、嬰に甕を荷車から下ろすよう促した。
嬰が指示をするより先に簡広が動き出し、他の三人と息ぴったりに甕を下ろしてみせる。
これ見よがしに胸を張る彼の姿に単氏は言った。
「主人が言う前に察して行動できる有能な付き人達、というよりもまるであんたが主人であるかのようだ。頼りない主人と堂々たる従者とでは、予め知っていなければ主従を逆だと勘違いしてたところじゃわ」
「いえ、それは褒め過ぎでしょう。私などには過ぎた言葉です」
「そう謙遜するな。ううん……よし、この酒まずはあんた達にやろう」
「はあ、んん、はい? ……ああ失礼。そんなことが知れてしまえば信用に関わります。我々は兵士様から貴方へ届けてほしい、と御用を承ったのですから」
本心ではどう考えているのかわからないが、単氏は上機嫌なふうに弾んだ言葉で酒を勧める。
不意のことで動揺した簡広だったが、なんとか表情に出さないように慌てて取り繕う。
天下に仇為す敵討ち 石粉護符 @iskgh
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