第6話 この身形は趣味ではありません

 単氏現るの知らせを受けた皎祥は直ぐに行動するかとおもいきや、呑気に野営を畳み帰り支度を始めさせる。

 嬰の耳で聞き取れる限りでは、辺りは森の中に似つかわしくない人の声や物音が目立ち、森の住人達は怯えて隠れてしまったのかと勘違いするほど静かであった。


 恒人達が忙しそうに天幕を解体し、荷物を細長い荷車に載せている所で、皎祥は腕を大きく振り回して指示を出している。

 嬰の寝床と化していた倉庫代わりの天幕もあっという間に姿を消し、中の大袋を黄婁や崔賀が胸に抱きよせると、河の方へ運んでいった。


 所在なげにきょろきょろと周囲を見回していた嬰は、皎祥の元へ小走りで近づくと、単氏が現れたのに何故帰り支度を始めたのかと問いかけた。

 しかし、嬰の声は周りの雑音に掻き消されたらしく、もう一度普段出さないような声量で尋ねると、今度はきちんと伝わり雷のように響く声で皎祥は答える。


「態々我々から出向かずとも、道中で待っていれば向こうからやってくるだろう。それに、明るい内に襲って顔を覚えられでもしたら困る」

「では、街道沿いへ移動して夜を待つということですか」

「ああ、事が終わればその後は急いで帰らねばならんからな。余計なものはここで纏めて、一足先に馬氏の元へ向かわせる」


 安全そうで羨ましい役目ではあるが、ここでその役目をやらせてくれといえるほど図々しくもないので、嬰は適当に相槌をうち仕事を求める。


「そうだな。移動の時には皆と一緒に荷物を担いでもらわねばならんが、今は何があるかな。慣れない力仕事で体を壊してもらっては困るから、まあ鋭気を養っておいてくれるか」

「承知致しました」


 結局暇を与えられた嬰は、居心地が悪そうにこそこそと野営地の中をうろつく。

 四頭の馬が繋がれていた木柵が目に付いたが、既にそこには一頭もおらず、そう古いものではなさそうな沢山の足跡だけが、はっきりと乱雑に残されていた。


 嬰は寂しそうに鳴いていた馬のことを思い出して、何をするでもなく立ち尽くしていると、不規則に散らばる馬の足跡が幼かった友人たちのそれに重なり、彼らは元気にしているだろうか、などと思ってもいないことを呟く。


 暫くすると六人の恒人が来て柵の根元の土を掘り返し、倒れた柵の紐をほどいて分解し始める。

 彼らはばらばらになった紐や木の棒を担ぎ、足で地面を均して戻っていった。

 不意に目頭の熱くなった嬰は彼らを追い、足跡を一つ残らず消して歩いていった。

 

「嬰殿、いかがなされましたか?」


 下を向いて歩いていた嬰が驚いて顔を上げると、目の前にいるのは簡広であった。

 白い粉で飾られた顔色がやや不健康に見える彼は、右手に蓋の開いた筒を持ち嬰を凝視している。

 異様な光景につい目を逸らすと、空っぽの布袋が地面で潰れており、筒の蓋と思われるものが上に置かれていた。

 返答を待っているのか、無言で視線を合わせたまま動かない様子から察するに、嬰が彼に近寄って行ったことになるのだろう。


 奇妙なことに、皎祥でさえ庶民風の粗末な布衣を身に着けているにも関わらず、目の前の簡広は綺麗な桃色の着物を着用して、円形で側面は赤く天辺は平らで黄緑色の帽子をかぶり、草履の代わりに見慣れない革の靴を履いていた。

 顎の下から黒い帽子の紐の両端がちょろりと伸び、まるで髭のようである。

 

 用事はなくとも疑問が生じてしまったので、嬰は簡広の姿を指差して尋ねる。


「いえ、用事ではありません……その姿は一体どういうことなのでしょうか?」


 簡広は恥ずかしそうに笑い、白い粉の付着した左手で頬を掻く。

 

「誤解されては困りますから先に言っておきますが、別に私も好きでやっているのではないですからね。どうにもこういう格好は慣れません」

「は、はあ……」


 嬰は答えに窮して苦笑する。

 簡広は冷ややかな反応を示す彼に構わず、続けて言った。

 

「嬰殿、あなたも同じようなことをしなければなりませんよ」

「……商人のふりをする、ということでしょうか?」


 皎祥と出会った夜、本気なのか冗談なのか、そう言われたことを思い出す。

 落ち着いてみれば、天辺が黄緑色の帽子は翠国や皇帝への服従を表し、赤色や赤に近い色の衣装は、商人達を重要視し保護した武帝が彼らを一目で判別するために定めた規則によるものである。

 また、顔に白粉を塗すのは商人連中の間での礼儀らしい。


「察しが良くて助かります。嬰殿が主人役で私と他三名が従者役だと王子が仰っていました。威圧感がなく警戒され辛そうな貴殿は、単氏を騙すのにうってつけの人物だと喜んでおられましたよ。ははは」

 

 全く嬉しくもない起用された理由を聞かされて、嬰は深くため息を吐く。

 気を取り直して筒の中身について質問しようとしたが、それより先に右方から声をかけられる。

 

「そろそろ出立だからね。二人も遊んでないで準備をしてくれよ」

「ああ、承知致しました。崔佐将軍」

「秀弓、いい加減にたった数十人の集団で、将軍などと大仰な呼び方はやめてくれ。こそばゆくて仕方がない」

「佐将軍ですか?」

「嬰殿、秀弓達が勝手につくって呼んでいるだけだから、あんまり笑わないでくれよ。はは」

「いえ、笑ったりなど」

「そうか。嬰殿にも教えておきましょう。王子を補佐する崔佐将軍に、一番の猛者で天下に並ぶものなき黄無双将軍、そして知勇兼備の郭剛胆宰相です」

「な? 妙なことを考えたものであろう。そのくせ自分は秀弓と呼べと言うのだ」

「私は将軍なんてがらじゃありませんので。さあ崔佐将軍、準備をしましょう。嬰殿は先に行って、私達は少し遅れると言伝をお願いします」

「全く……。すまないがそうしてやってくれるか、嬰殿。秀弓は早く着替えよ、大事な着物をここで汚してしまったら、どうするつもりだ」

「承知致しました」


 各々の役割を与えられた恒人が別行動をしているため、森を抜けて東街道付近まで移動する一団の人数は、嬰も含めてきっちり三十人となった。

 二列に並び先頭を崔賀と簡広が行き、皎祥と郭謀が中央、後方の四人が荷車を伴って歩き、更にその後ろの殿を黄婁と嬰が務める。


 嬰が最後方に回されたのは隊列の乱れを防ぐためで、黄婁は見守る役目を任されたというところだろう。

 実際、彼は頻りに嬰の様子を気にしながら歩いていて、少し疲れたような素振りを見せると気を遣って声をかけてくれた。


 森の中は数え切れない大量の木々が風に揺れて、蝉と共に絶え間のない大合唱を続けているが、人間三人分の横幅の荷車を阻むほどに障害が密集しているということはなく、三十人の集団は滞りなく進んでいく。

 時折地上に出っ張る木の根っこや大きめの石が邪魔することもあるが、そういう時は怪力の黄婁が手伝い一気に踏み越えた。


 嬰は他の恒人と同じく背に袋を背負って歩いている。

 とはいっても少し配慮がなされているらしく、隣の黄婁の袋を持たせてもらった際には重過ぎて腰が砕けそうになった。

 

 何度かの小休止と昼には長めの休憩をとり、それ以外の時間は留まることなく歩き続け、一行が障害物を避けて滑らかに動く様は、俯瞰してみれば白い大蛇そのものであった。

 尻尾に限っては千切れてしまうこともあったものの、足手まといにはなりたくないと必死に歩き、なんとか胴体について行く。



 森を抜け出た頃には既に日が傾き始めており、南方から恒人が一人馬を走らせてやってきた。

 彼は単氏がまだ通過していないということを伝えると、再び馬に乗り今度は東へ向かって駆けて行く。


 皎祥達は連絡を受けて安心した一方で、休む間もなく天幕の設営に取り掛かった。




 豊陽の南の関所にて、恒人らと同じ日の下に汗を流し、身に纏う黒い戦袍に矛を掠らせ合う兵士達の姿があった。


 この巨大な関所は南北二箇所に平行に並ぶ関門と、東西の高地に囲まれている。

 豊陽からすぐ南に位置して、南側からの侵攻に対して豊陽を守る要衝であり、豊港から西街道を行く者が必ず通る所でもある。

 

 常に万を越える兵が常駐して通行人に睨みをきかせているため、通行量の多さにも関わらず殆ど問題が発生することはない。

 そのような中で中央に陣取る黒い戦袍の兵団は異彩を放ち、常駐兵や通りがかった商人は皆彼らに視線を向け目を丸くする。


 先頭で満足気に胸を張り、走るとまではいかずとも足を忙しく進める男が一人。

 黒光りした兜と戦袍を身に着け、背中で激しくなびいている灰色の外套は彼の肩に必死にしがみ付いている。

 腰の革帯に小さな翡翠が一直線に並び、鞘に納まる長剣は歩調に合わせ振動する。

 眼前に現れた馬車をじっと見据える碧眼は、鋭さのあまり非情な人物かと思わせるが、少なくともこの時に限れば、口元は緩み薄い唇の間に白い歯が垣間見え、温かな感情を露わにしていた。


 男の長身は関所の中でも並ぶ者が見当たらず、皆先を競って彼を見上げる。

 しかし、我に返った兵士たちは身を乗り出す商人を慌てて制し、兵団と馬車の周囲にちょっとした壁をつくって彼らを見守った。


 男は馬車の前までやってくると、足を止め拝礼して言った。


「陛下が直々にお越し下さるなど、身に余る光栄にございます。しかし、このような場所に突然ご出馬なされては皆困惑いたしましょう。そのうえ、陛下に対して良からぬ感情を持つものがこの場にいないとも限りません」

「そう言うな溜将軍。朕から卿と兵士達へ、親愛の情を表明しているのだ。大陸を縦横無尽に行き交う商人共に見せつけ、翠の盤石であることを知らしめるためにな」


 馬車から降りて溜将軍りゅうしょうぐんの言葉に答えたのは、時の皇帝溜和りゅうかその人である。

 皇帝が姿を見せると溜将軍は前を向いたまま右腕だけを上げて、背後の兵士達に合図を出す。

 瞬く間に黒衣の兵士達は整列し、横に二十、縦に四十の計八百人は先頭の彼に視線を集中させた。


 万を超える人の群れの中で、皇帝溜和は唯一溜将軍と並び立ち、垂れ目の尻にしわを寄せ大口を左右に引き伸ばして彼に微笑みかける。

 二つの巨塔に差異があるとすれば、しっかりとした体つきの溜将軍に比べて溜和は少し細いということだろうが、それは溜将軍がより優れているというだけの話で溜和が劣っているというわけではない。


 溜和は、いつか豊陽の宮中で覗き見た、龍の描かれた翠色の着物を着用している。

 帝冠もやはり翡翠の埋め込まれた美麗なものである。

 彼は細長い五本の指で小さな斧鉞を握り、腕を伸ばして溜将軍に賜ったが、恐縮した溜将軍はそれを受け取りながらも慌てて答えた。


「臣が豊河を渡るのは自ら大軍を率いるためではなく、あくまで陛下の代理として南方に展開する官軍を慰労し、各地の情報を収集するためでございます。出過ぎた真似をすれば味方を混乱させ、鄭将軍の顔に泥を塗ることになりましょう」

「うむ。それはその通りではあるが、卿が配慮を怠るとは微塵も考えてはおらぬ。それに卿も知っての通り、朕は北地巡幸の準備でこれから忙しくなる。暫くの間軍務に関しては、将軍に一任しようと思うのだ」


 北地巡幸とは天下統一後に武帝の代より始まったもので、年に一度夏場に旧翠地きゅうすいち、即ち本格的な拡大を始める前の翠の領土を訪ね、民衆の声を聞いて回り、祖先の霊廟に参詣する一大行事である。

 

「左様でございますか。……いや、武帝も旧翠地の民を特に大切になさり、北治巡幸を欠かしたことはありませんでした。そのためとあらばやむをえません。この斧鉞、暫時預からせていただきましょう」

「頼む。それにしても、卿の抱える兵士らの精悍な面構えは見事なものよ。平和に慣れて弛んでいる他の将兵にも、見習ってもらいたいくらいだ」

「それだけ陛下の徳が天下に知れ渡り、好く治まっているということでしょう。ただ、翠兵の間に漂う厭戦気分が敵を利することにならぬよう、気を引き締めていかねばなりますまい」

「その通りだ」


 溜和は歩いて馬車を離れ黒衣の兵士達の前に立ち、侍従が慌てて後を追いかけようとしたが、溜将軍に止められて渋々立ち止まる。

 真剣な面持ちの彼は腰に帯びた剣を抜き、腕を伸ばして高々と掲げ、切っ先を真直ぐ太陽へと向けた。

 そして大きく深呼吸すると、細身に似合わぬ太く勇壮な声で八百人に語りかけた。


「朕が同行することは叶わずとも、この魂は常に諸君と共にある! 翠国の支配を確固たるものとして、万民が生を謳歌する安寧の世を実現するために、持てる力を尽くして職務を全うして欲しい!」


 溜和が喋り終えるやいなや、大げさに両手を上げた溜将軍は率先して叫んだ。


「皇帝陛下万歳! 大翠帝国万歳!」


 続けて、黒の兵団が矛を天に掲げて口々に連呼する。


「皇帝陛下万歳! 大翠帝国万歳!」


 更に、関所内の兵士達もこれに倣って声をあげ始めた。


「皇帝陛下万歳! 大翠帝国万歳!」


 万歳を唱える声が関所中に響き渡り、初めは呆気に取られていた通行人達も、次第に場の雰囲気に呑まれて次々と翠兵の真似をする。


「皇帝陛下万歳! 大翠帝国万歳!」


 絶え間なく浴びせられる声に若干恥ずかしそうに頬を赤らめた溜和は、溜将軍に目配せすると侍従と共に馬車の中へと姿を消し、豊陽へと帰って行った。

 





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