第60話 岐路

 翌日の朝、私は瑞歩の、

「おはよう!」という挨拶で目を覚ましました。瑞歩は私が目を開けた瞬間、掌で私の目蓋を覆い、軽く口付けしたあと、

「今の涼介が、私の運命の人ってこと?」と言いました。

「違う・・・ 今からの俺やな」

「だから、どういうこと?・・・ 意味がわからん」

 私は今、自分が岐路に立っているということを認識し、後戻りする意思のないことを確かめたあと、自分の覚悟が、微塵も揺らいでいないことを証明するために、

「瑞歩、今から二人で書斎に行って、バァバが書いた小説を一緒に読もう」と言いました。

「バァバの小説?」

「そう、瑞歩が旅行に行ってる間、ミツコさんがこの別荘に来て、バァバがこの別荘の書斎で書いてた小説を持ってきてくれてん」

 瑞歩は目を大きく見開き、

「バァバの小説をミツコさんって・・・・ それって、私が涼介に話した小説のことで・・・それをミツコさんが、ここに持ってきたってこと?」と言いました。

「そう、『白鳥の里』っていうタイトルの小説やねんけど・・・

 今から二人で、その小説を読んで、俺と瑞歩の過去に何があったんか、一緒に確かめよう」

 瑞歩は、私が今まで一度も見たことが無いような、困惑しきったという表情で、

「涼介、どういうこと?・・・ 昨日から涼介、絶対おかしいって! 私に隠し事なんかしたらいやや! 全部、正直に話してよ!」と、大きな声で言いました。

 私は瑞歩に、ミツコが訪れた理由を話した後、アキちゃんが私に読ませるために、小説をミツコに託した、ということを含めて、今までの流れを大まかに説明しました。

 しかし、瑞歩は頭の中が非常に混乱しているらしく、うまく伝えることができませんでした。

 何の事情も知らない瑞歩が、頭を混乱させるのは無理もありませんが、その事情を説明しているはずの私自身も、はたして何から話せばいいのか、非常に頭が混乱しておりましたので、当然のように私たちの会話は、まったくかみ合わなくなりました。

 これ以上、的を射ない質疑応答を重ねても仕方がありませんので、

「瑞歩、とにかく小説を読んだら、すべて分かるから」と言って、私は岐路のその先にある、書斎という名の、不鮮明で不確かな未来へ、瑞歩を連れて行きました。


 読み始めてから4時間が経過し、瑞歩は第10章を越えたあたりから急に、次の原稿用紙をめくることを躊躇いはじめました。

 私はその都度、まるで瑞歩の心の傷口にできた瘡蓋を、無理やり引き剥がすかのような錯覚に捉われながらも、覚悟を決めて一枚、また一枚と、原稿用紙をめくり続けました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る