第8章 みにくい白鳥の子
第55話 彷徨う心
すべてを読み終えた時、私は愛子の死に対して、悲しみよりもむしろ、驚きの感情を覚えました。
そして、その驚きの感情のあとに、悔しさと、虚しさと、無力感を覚えました。
何も気付いてやることができなかった悔しさと、ひとり蚊帳の外に置かれた虚しさと、救うことができなかった無力感です。
愛子の死を受け入れ、悼み悲しむためには何か特別な感情が必要で、今の私にはその感情が、まるで鋭利な刃物で切り取られたかのように、すっぽりと抜け落ちているのではないかと感じました。
その特別な感情を、どのような言葉で表していいのか分からず、まるでカオスのような・・・・
いや、混沌というような、言い表せない曖昧な感情ではなく、敢えて言葉にするならば、無責任な・・・・
そう、私は間違いなく、愛子の死に対して悲しみよりも、無責任な怒りを覚えたのです。
白鳥美智子に対する怒りというよりも、野間陽子、石本加代、そしてアキちゃんと自分自身を含めた、関係したすべての人たちに対する怒りであるとともに、自ら死を選んでしまった愛子にさえ感じた怒りです。
なぜ、悲しみではなく怒りを覚えるのか・・・
もしかすると私は、過去に起こった全ての出来事を、自分が当事者としてではなく、どこか第三者として、客観的に捉えているからかもしれません・・・
それとも、私が読んだ『白鳥の里』という物語が、まったくリアリティーを感じられない二流のサスペンスか、或いはあまりにも生々しく、現実的に過ぎる、タチの悪い御伽おとぎ噺ばなしを読んでしまったかのように、そう感じたから怒りを覚えたのかも知れません・・・
どちらにしても、私の理解力や処理能力は既に限界を超えており、その機能や能力を失っているのでしょう。
もう何も考えたくはないという思いと、何も理解できないという思いから、いっそのこと泣いてしまおうかと思いました。
瑞歩のように、大声で泣くことができれば、少しは気が楽になるだろうかと思ったときでした。
愛子がなぜ、私との間に子供を作ろうとしなかったのか・・・
その理由がようやく分かったような気がしました。
おそらく愛子は、瑞歩を手放したことで、自分は母親になる資格がないと思っていたのかもしれません。
もし、愛子がそう思っていたのであれば、私が子供を欲しがったことで、私は愛子を苦しめ続けていたのでしょう。
私が感じている怒りとは、愛子を苦しめ続けていたという、私自身に対する怒りであり、愛子を死に追いやってしまった原因の一端を担っていたということで、誰よりも自分自身に向けられるべき怒りなのです。
しかし・・・
その怒りは既に、愛子の死によって憎むべき相手も無く、晴らすべき恨みも無いといった、もうどこにも行けない、或いは行かない、行く当てを無くしてしまい、私の心の中で永遠に彷徨い続ける無責任な怒りなのです。
やはり、今は泣くべき時ではないように思い直しました。
悲しみよりも怒りの感情が勝るのであれば、今の私は泣くことができませんし、
もしかすると私は、泣く資格さえないのかもしれません。
そして、何よりも私と瑞歩にとって、本当に泣くべき時が、これから先に訪れるのではないかと、そう感じたからです。
私は自分に残された、僅かな能力を振り絞って椅子から立ち上がり、机から離れて書斎を出ました。
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