第2章 出会い

第11話 隠し子?

 瑞歩という名の、長身でとても姿勢の良い娘は、白いTシャツにジーンズ姿のラフな格好をしておりまして、Tシャツの胸元にはチワワという、小型犬の顔がくっついておりました。

 そのチワワの顔は、大阪のおばはんがよく着ているような、下品なアニマル柄のプリントとはひと味もふた味も違っていて、チワワの表情や最大の特徴である大きな瞳などが、細部までとてもリアルに刺繍で表現されていて、たかがTシャツとは思えないほど、見るからに上品で高級なお召し物だという感じを受けました。

 私はそのチワワの、ふざけた部分が微塵も感じられない、真剣で前向きな目を見た瞬間、いつかこの犬は私を噛むだろうと思いました。それはなぜかと言いますと、何しろ私は今まで4匹の犬に、延べ7回も手や足を噛まれてきましたし、そのうちの2匹は母の飼い犬という、とても親しい間柄でありましたので、私は犬に裏切られたり、噛まれたりすることに関しては、ちょっとした手練てだれとでも言いましょうか、慣れておりますので、私のことを噛むか噛まないかは、たとえプリントや刺繍の犬であっても、その目を見ればすぐに分かります・・・ 

 といったような感じで、目の前の現実を逃避していると、リビングの入り口で仁王立ちしていた瑞歩が、

「ハッセ! どういうことよ!?」と、大声で再び怒鳴りました。

「!・・・」

 私は自分が怒鳴られているのではないことは分かっておりましたが、椅子から立ち上り、思わず回れ右して気を付け!といった感じで畏まってしまいました。おそらくハッセというのは、ハセガワのハセからとった呼び方なのでしょう。

「あんた私に、今日から東京に出張やから、家庭教師は休むって言うたんと違うん?」

 どう見ても二十歳前後にしか見えない瑞歩は、長谷川に飛びっきりの上から目線でタメ口を利きました。 

 ということは、長谷川は瑞歩の家庭教師のアルバイトでもしているのでしょうか?・・・

 瑞歩は長谷川を睨みつけながら、

「ハッセ、とりあえず書斎においで!」と言って、踵を返してモデルのような歩行姿勢でリビングから出て行ってしまいました。

 まず私が思ったのは、なぜ瑞歩は誰の断りも無しに、他人の家に勝手に上がりこんできたのかということと、なぜこの別荘に書斎があることを知っているのか?ということと、家庭教師の件を含めて、その他諸々と数え上げればきりがないほど疑問だらけでしたが、自分でも何から説明を求めればいいのか分からなかったので、

「長谷川さん・・・ もしかしたら、あの子はアキちゃんの?」と、瑞歩を見た時に、2番目に思い浮かんだことを口にしました。

 長谷川は本当に申し訳なさそうな顔で、

「西村さん、隠していてすみません・・・・ 確かにあの子は福山さんのお嬢さんで、亡くなられた野間会長のお孫さんの、野間瑞歩ちゃんです」と言いました。

「!・・・」

 瑞歩がアキちゃんの娘ということには(やっぱり!)と思いましたが、(野間会長の孫?)ということに驚き、ますます頭の中が混乱してきました。

「私は野間製作所の顧問弁護士をしながら、瑞歩ちゃんが中学のときから家庭教師もしておりまして、野間会長が亡くなられてからは彼女の保護者であり、後見人という立場なのです・・・・ 今日は東京に出張に行くと言って嘘をついていたのですが、何故かバレてしまいました・・・」

「?・・・・」

 なぜ長谷川が瑞歩に嘘をついたのかが分かりませんし、それよりもなぜアキちゃんの娘が、野間会長の孫なのだろうと思ったとき、再び瑞歩がリビングの入り口に現れて、

「何してんのよ? 早くこっちに来て説明しいよ!」と言いました。

 長谷川は力なく私に微笑んだあと、まるで夢遊病者のような表情で、たどたどしくリビングを出て行きました。

 ということで、ひとりぼっちとなってしまった私は、アキちゃんの妹の愛子あいこが突然、目の前に現れたのではないかと思うほど、瑞歩と愛子があまりにも似ていたので、目の前で何が起きていて、これから何が起ころうとしているのか全く想像できませんでした・・・・

 おそらく、長谷川が私に隠していたのは、アキちゃんの娘の瑞歩の存在であったのでしょう・・・ しかし、私はアキちゃんから娘がいるという話を聞いたことがありませんし、妹の愛子からも、そのような話を聞いたことがありません。

 そして、私はアキちゃんと愛子から、幼いときに両親は交通事故で亡くなったと聞いておりましたが、アキちゃんの娘の瑞歩が野間会長の孫ということは、アキちゃんは野間会長の息子ということになりますので、愛子も当然、野間会長の娘ということになります。 

 そうすると、私がアキちゃんと愛子から聞いていた、幼い頃の貧乏な身の上話は、いったいなんだったのでしょう?・・・

 もともとアキちゃんと愛子も良く似た兄妹なので、愛子と瑞歩が似ているということは理解できるのですが、それにしても良く似すぎているというか、とにかく二人は、意志の強さともろさを同時に感じさせるような、涼しげでいて力強い目元といい、透き通るような肌の白さといい、細く長い手足といい、今時珍しい胸元までの黒いストレートの髪形といい、おまけに愛子が一番自慢にしていた姿勢の良さまで、二人は頭のてっぺんから足のつま先まで、まるで生き写しの双子のように良く似ていて、二人の見た目の違いは、瑞歩がおそらく170センチ近くの長身なので、愛子よりも5センチほど背が高いというくらいでありました。

 しかし、瑞歩のことを全く知らない私が、こんなことを言うのもなんですが、二人の決定的な違いは、愛子は誰に対してもタメ口は利きませんし、人を頭ごなしに怒鳴りつけたりしない、とても大人しい性格の女性であったという事です。

 それにしても、瑞歩と長谷川の二人は書斎で何を話しているのでしょう? さきほどの瑞歩の物凄い剣幕を考えますと、おそらく長谷川は彼女からこっ酷く叱られていると思いますが・・・

 ということは、もしかすると流れ的に、私も瑞歩から叱られるのではないかと思いましたが、いくらなんでも初対面の善意の第三者を叱るなど有り得ませんし、私には叱られる理由がありません。

 ということで、どうも私は自分が部外者のような気がしましたので、本日引っ越してきたばかりでございますが、二人がいない間にさっさと荷物をまとめて、伊丹の自宅へ帰ろうかと思った時、

「!」

 長谷川と瑞歩が連れ立ってリビングに戻ってきました。

 二人はダイニングの椅子の横で突っ立ったままの私の横を通り過ぎて、向かい側の椅子の前で立ち止まり、長谷川はとても疲れた表情を私に向けて、

「西村さん、こちらは福山さんのお嬢さんで、野間会長のお孫さんの瑞歩ちゃんです」と、あらためて私に紹介した後、

「瑞歩ちゃん、こちらの方が、今日からこの別荘の管理人になられた西村さんです」と、私を紹介しました。

 私はどのように挨拶しようかと少し迷いましたが、

「初めまして、西村です」と、オーソドックスに瑞歩ではなく、胸元のチワワに向かって挨拶しました。すると、私が挨拶したチワワではなく、瑞歩の口から、

「初めまして、涼介叔父さん!」という言葉が返ってきました。

「!・・・」

 なぜ瑞歩は、涼介という私の下の名前を知っているのだろう?と驚いていると、長谷川が私の気持ちを代弁するかのように、

「リョウスケオジサン?って・・・ なんで瑞歩ちゃんは西村さんの名前を知っているの?」と言ったあと、今度は私に向かって、

「もしかして、お二人は知り合いだったのですか?」と言いましたので、私は首を横に何度も振りしました。

 すると今度は瑞歩が、

「だって、涼介叔父さんは、パパの妹の愛子叔母さんの、元の旦那さんやもん」と、長谷川の疑問に答えました。

「福山さんの妹の元の旦那さんっていうことは・・・西村さんは、福山さんの、元の義理の弟だったということですか?」と言いましたので、私は長谷川に向かって首を縦に振りました。

 いったいなぜ瑞歩は、私と愛子が結婚して、離婚したことを知っているのか全く分かりませんが、とにかく考えることがあまりにも多すぎて、頭の中を整理できる状態ではなかったので、まずは落ち着いて話ができるように、

「とりあえず、座って話しましょう」と言って、私たちは椅子に座ったあと、私は瑞歩に思いついたことから訊ねることにしました。

「あのぅ、瑞歩ちゃんって呼ばしてもらうけど、俺と愛子のことを、アキちゃんから聞いたん?」

「アキちゃんって、誰?」

(いきなりタメ口かぃ!)と思いましたが、「ごめん。アキちゃんって、瑞歩ちゃんのお父さんのことやねん」と言いました。

「違うよ。パパじゃなくて、探偵から聞いた」

「!・・・」

 私は非常に驚きながら、「探偵って、どういうこと?」と訊ねると、

「探偵って、いろいろ調べてくれる人」と、瑞歩がにべもしゃしゃりもない言い方をしましたので、(そんなこと、知っとるわい!)と思いましたが、

「ということは、俺のことを探偵に調べさせたってこと?」と訊ねました。

「そう」

(どういうことやろう?)と思いながら、

「なんで、俺のことなんか調べたん?」と訊ねると、

「だって、私はつい最近まで福山章浩が私のパパって知らんかったし、ハッセは私に隠し事ばっかりして、なんにも教えてくれへんから、探偵を雇ってパパのことを調べてん。それで、その内に愛子叔母さんと涼介叔父さんのことが分かってん」と瑞歩は言いました。

 すると長谷川は、いかにもばつが悪そうに、

「西村さん、本当にすみませんでした・・・ 私は会長から、福山さんが瑞歩ちゃんの父親だということを含めて、色々と口止めされておりましたので、話すことができなかったのですよ・・・」と言いました。

 なぜ野間会長は、アキちゃんが瑞歩の父親であることを口止めしたのか分かりませんし、それよりも瑞歩がつい最近まで、アキちゃんが父親だということを知らなかったということは、一体どういうことなのでしょう?・・・

「ほんだら、今その探偵はアキちゃんのことを調べてるの?」と、私は瑞歩に訊ねました。

「そう。パパの行方を調べてもらってるけど、ハッセと涼介叔父さんも尾行しててん。それで、4時間くらい前に探偵から連絡があって、涼介叔父さんがバァバの別荘にいるって聞いて、なんで?ってびっくりしてんけど・・・」 

(バァバって誰や?)と思い、「今、バァバの別荘って言うたけど、ここは野間会長の別荘やろう?」と訊ねました。  

「そうやで。だから野間会長って、私のママのお母さんのこと」

「!・・・」

 私はてっきり、野間製作所の会長は男だと思っておりましたし、何よりも野間会長が、アキちゃんと愛子の父親だと思っておりましたので、(会長って、アキちゃんの義理のお母さんやったんか!)と驚いていると、瑞歩は私がその事実を知らなかったことが意外であったのか、少し怪訝な顔をして、

「名前は野間陽子のまようこっていうねんけど、それがどうしたん?」と言いました。

 私は先ほどまで、アキちゃんと愛子から、両親は亡くなったという嘘をつかれていたのでは?と思っておりましたので、(なるほど)と改めて納得し、

「ううん、なんでもない。それで、それからどうしたん?」と言いました。

「私が涼介叔父さんに会いに行こうか、どうかって迷ってる時に、今度は違う探偵から連絡があって、ハッセは東京に出張に行ったんじゃなくて、どうもバァバの別荘に向かってるみたいやって聞いたから、まさかハッセと涼介叔父さんが知り合いやって思ってなかったし、それに何で二人がバァバの別荘に?って思ったから、急いで彼氏に連れて来てもらって、ハッセが到着するのん待っててん・・・」

 ということは、一昨日、長谷川と初めて会ったときは探偵に尾行されていなかったのでしょう。

 私は次に、何を質問しようかと考えましたが・・・

「・・・・」

 何も思い浮かばなかったので、とりあえず(彼氏って、どんな人?)と、あまり関係のないことを訊ねようかと思った時、瑞歩が手にしていた白い携帯電話から着信音が鳴りました。

「こいつ、何回も、うっとうしいな!」と言いながら、瑞歩は険しい表情で電話に出て、

「ハッセに送ってもらうから、先に帰れって言うたやろう! このボケ!」と、とても良家の娘とは思えない、下町風のパンチの効いた捨て台詞を吐きながら電話を切りましたので、私は少しひるみながら、(ガラ悪っ!)と思っていると、瑞歩は真顔に戻り、私の目を見つめながら、

「私な、デートの途中に送ってきてもらってんけど、彼氏に帰れって言うたのに、まだ私のことを心配して外で待ってるみたいやし、私もまだ用事が残ってるから今から帰るけど、涼介叔父さんは今日から、管理人としてここに住むの?」と訊ねてきました。

「うん、さっき引っ越してきたとこやけど」

「じゃあ、明日の夕方に、大学の用事が終わってからまたここに来るから、その時にゆっくりお話ししよっ!」と、瑞歩は私に素敵な笑顔で言ったあと、椅子から立ち上がり、まるで大魔神のように素早く満面に怒りを露にして、

「ハッセ、あんたにはまだまだ訊きたいことがいっぱいあるから、一緒に帰るで!」と言いました。

 長谷川は驚いた表情で瑞歩を見ながら、

「えっ! 一緒に帰るって、今から?」と言うと、瑞歩は無言のまま右手で彼の腕をつかんで立ち上がらせたあと、腕をつかんだまま歩き出し、リビングの出入り口で、まるで忘れ物を思い出したかのように、いったん立ち止まって振り返り、

「涼介叔父さん、バイバ~イ」と、にこやかに左手を振り、二人は本当に帰ってしまいました。


 まさに台風一過といったように、瑞歩は突然現れては去っていきましたので、彼女がどういう人物なのかを判断するには、あまりにも材料が乏しすぎるということでコメントを差し控えますが、とにかく見た目が愛子とあまりにも似ていたので、私にとってはいつも温和でおしとやかだった愛子の、意外な一面を垣間見たような錯覚に陥り、初対面なのに妙なことですが、瑞歩がとても懐かしく、とても新鮮に映りました。

 彼女は先ほど、大学がどうのと言っておりましたので、おそらく女子大生だと思いますが、それにしては彼氏に対する言葉遣いや、長谷川に対する態度は大人気ないと言いましょうか、とにかく瑞歩は相当な勝気で、気の荒いジャジャ馬な娘だと思いました。

 何はともあれ、頭の中が非常に混乱しておりましたので、これまでの経緯を整理してみようと思い、アキちゃんの手紙から始まり、たった今起こった瑞歩の登場など、過去に何が起こり、これから何が起ころうとしているかを考えてみることにしました。

 そもそも事の発端は、野間会長が義理の息子であるアキちゃんを呼び寄せたことから始まった訳ですが、そのアキちゃんは会長が亡くなる直前に失踪し、2か月が経ってから私に手紙で別荘の管理人になるようにと指示し、私が別荘の管理人を引き受けた直後に、娘の瑞歩が登場した、ということになるのですが・・・

 おそらく、長谷川と瑞歩の言動から想像するに、二人も私と同じく、全ての事情を理解しているようには思えませんし、瑞歩に関して言えば、つい最近まで父親が誰なのかも知らなかったということは、もしかすると瑞歩は、アキちゃんの隠し子ということになるのかもしれません・・・

 ということは、全ての事情を知っているのはアキちゃんだけではないかと思いますが、肝心の本人は今、どこで何をしているのかは誰も知りません。彼が失踪した前後の状況を考えますと、おそらく野間会長はアキちゃんが今、どこで何をしているのかを知っている可能性が高いと思われますが、いかんせん死人に口無しで、今となっては聞き出しようがありません・・・

 そして、いきなり娘の瑞歩が登場したことによって、事態はますます混乱へと向かう様相を呈してきたように思いますが・・・

「・・・・・・」

 しばらく考えてみましたが、やはり混乱した頭でいくら考えても、未来の予想はおろか、現時点での分析や整理などできるはずがありませんし、考えれば考えるほど疑問が増えていくような気がしましたので、とにかく明日、瑞歩と話をすれば何か分かるだろうということで、冷蔵庫に行って冷たいビールを取り出して飲みながら、長谷川が持ってきてくれたワインで、一人寂しく引っ越し祝いをすることにしました。

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