第9話 準備

 翌朝、何はともあれ昨日から作家となってしまった私は、引越しと執筆に向けた準備を進めるために、朝から大忙しでした。

 まずは荷造りから取り掛かろうということで、今から約10年前、日本国民の半数以上が熱狂と興奮の坩堝と化すほどの、圧倒的なインパクトを携えて衝撃的なデビューを飾った、『奈良の騒音おばさんこと、河原○代子』のデビュー曲、『近所迷惑の歌・布団叩きバージョン』の、

「ひっこ~し♪、ひっこ~し♪、さっさとひっこ~し♪、しばくぞ!」という軽妙なリズムの歌を口ずさみながら、『ひっこ~し♪』はあくまでリズミカルに、『しばくぞ!』はあくまで力強くという、近所迷惑防止条例違反のメロディーに乗って、軽快に荷造りを進めました。

 別荘にはありとあらゆる物が揃っておりますので、荷物はパソコンと衣類と洗面道具といった身の回りの必需品だけで済み、近所迷惑の歌の軽妙な布団叩きのリズムの効果も手伝って、荷造りは2時間ほどで終了しました。

 ということで、今度は執筆に向けた準備のために、別荘から乗ってきたランクルでJR伊丹駅前の巨大商業施設・ダイヤモンドシティーに行きまして、文房具店で安物の万年筆と原稿用紙を10冊買ったあと、書店に行って小説の書き方に関する本を買って、伊丹の自宅に戻りました。

 買ってきた商売道具をテーブルの上に並べ、何から手をつけようかと迷いましたが、やはり作家たるもの、まずは体の一部であるべき万年筆を手に取り、詰め替え用のインクのカートリッジを差し込んで命を吹き込みました。するとその万年筆は、まるで私の手に握られるために生まれてきて、私との出会いを一日千秋の思いで待ち望んでいたのではないか、という感じは全く受けませんでしたが、とりあえず原稿用紙を開いて、まずは『作家 西村涼介』と、自分の職業とフルネームを書いてみました。

「・・・・」

 しかし、どうもしっくりこないと感じました。やはり、生まれて初めての挑戦ですので、しっくりくるはずなど有り得ないと自分に言い訳したあと、気を取り直して『正しい小説の書き方』という本を読むことにしました。

 その本の出だしに、『作家を目指すみなさん!』と、誰かに呼びかけておりましたので、私は自分に対する呼びかけだと思い、

「はい!」と、元気よく返事をして続きを読みました。

『小説を書くという作業に入る前に、まずは自身の能力を本格的に過信し、才能を徹底的に過大評価した上で、「自分は天才だ!」と、暗示を掛けた上に輪を掛けて錯覚するという、大きな勘違いの作業からスタートです。』と書かれておりましたので、意味はよく分かりませんでしたが、(なるほど)と、思わず納得してしまいました。

『勘違いの作業の次に、みなさんはいまから、「自分はこれから作家になるのだ!」と、周囲の人たちに思いっきり宣言してください。 

 するとあなたは、周囲の人たちから理解や協力を得ることはできないでしょうし、時には侮辱され、時には白い目で見られた挙句、あなたが普段から迷惑を掛けている人たちからは罵倒されてしまうかもしれません。しかし、その心と体の痛みに耐えた者のみが、あなたが目指す「作家」という、素晴らしい・・・』といった、まるで人を小馬鹿にしたような自己暗示的な文面や、自己啓発的な文章が書かれておりました。

 こんな本をこれ以上読み続けてしまうと、私は『作家』ではなく、サッカにクとカをプラスした、『錯覚家さっかくか』になってしまうだろうと思いましたので、5ページほど読んだところで本を閉じました。

 改めて、テーブルの上に並んだ品々を眺めながら、どうしてこんな無駄遣いをしてしまったのか、自分でも分からなくなってしまいました。

 どうもこの二日間、私は誰かに遠隔操作をされているような気がしましたので、もしかすると頭に無線アンテナが取り付けられているのではないかと、本当に頭を触って確認するという、輪を掛けてバカなことをしてしまいました・・・ 

 なぜこういった事態に発展してしまったのかというと、私の嘘が原因であることに間違いは無いと、本人も納得して素直に認めているのですが、果たして原因はそれだけでしょうか?・・・  

 複雑な真相に迫ってみたいと思います。

 私は時々、思いもよらない場面に出くわしたときに限って嘘をつきますが、私は決して妄想癖や虚言癖などを患っているという訳ではありませんし、私の嘘は面倒くさがりという性格が起因しているのであって、決して人を陥れてやろうと思って嘘をついているのではありません。なので、嘘をついたからといって、人から恨みを買うことなどありませんし、まして一度も目指したことが無い作家になってしまったということに、どうも納得がいきません・・・

 しかし、今更どうのこうのと言ってみても、もう後戻りすることはできないと諦め、本当に有馬の別荘の書斎で小説を書いてみようと決心しました。

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