第6話 別荘
喫茶店を出た私たちは、駅前のコインパーキングに停めていた長谷川の白いクラウンに乗り込みました。
長谷川の説明によりますと、別荘は有馬温泉駅の南側に広がる、温泉旅館やホテルが密集した繁華街から少し離れており、小高い山の頂上付近に建てられているので、周りに民家などはほとんど無く、とても閑静な場所だと話してくれました。
車は駅前の太閤橋を横切って有馬街道を西に進み、途中で二股に分かれた道を右にしばらく行くと大きな温泉旅館があるのですが、別荘はそこから100メートルほど先にあるということで、駅前からですと、徒歩15分といったところでしょう。
走り始めて3分後、巨大な温泉旅館の前を通過してしばらく進み、道路の左側に面した幅4メートルほどの竹林の中に設けられた間道に入って行き、50メートルほどの竹林を抜けると、コンクリート製の坂が山頂に向かって30メートルほど一直線で伸びており、坂の頂には別荘のものと思われる白い外壁が見えました。
長谷川は車を坂の入り口に乗り入れて、頂上付近に差し掛かったとき、助手席との間にあるコンソールボックスの蓋を開けて、中から何やら黒い小さな物体を取り出し、
「別荘のガレージのリモコンなのですよ」と言いました。
坂を登り終えると、高さ2メートルほどの別荘の白い外壁があり、道は外壁の前で左に曲がり、外壁に沿って20メートルほど進むと、車が3台は同時に出入りできそうな、巻き取り式の巨大な白いシャッターが現れ、その隣に黒い塗装を施された金属製の両開きの扉があり、道はそこで行き止まりとなっておりました。
長谷川が車内からリモコンのボタンを押しますと、巨大なシャッターはよほど精度が高いのか、音もなく静かに上がり始めましたので、流石は世界の野間製作所の会長の別荘だと感心しました。
シャッターが開くと、中は車4台分の駐車場となっており、一番右側の駐車スペースに、白いランドクルーザーがひっそりと佇んでおりました。
長谷川は左側のスペースに車を停めたあと、
「さぁ、到着しましたよ」と言って車から降りましたので、私も続いて車から降りますと、長谷川はズボンのポケットから鍵束を取り出して、駐車場の隣にあった黒い両開きの扉に鍵を差込んで右側の扉を開き、私たちは別荘の中に入りました。
長谷川は入り口のそばで立ち止まり、
「西村さん、まぁ、じっくり眺めてください」と言いましたので、私は長谷川の隣で立ち止まり、じっくりと別荘を眺めました。
山の頂に建てられた別荘の敷地は、テニスコート4面分ほどの広さがあり、先ず私の目を引いたのは、睡蓮の葉で覆われた25メートルプールほどの楕円形の池でありました。
池の周りには柳や松や楓といった、日本の背の高い木々などが植えられていて、どこか東洋と西洋の文化の混在を思わせるような、異国情緒漂う不思議な印象を受けました。日本風太鼓橋は架かっていませんが、おそらく歌川広重の版画や、北斎の浮世絵に影響を受けたとされる、モネの『睡蓮』をイメージして造られたものだと思いました。
次に家屋の方は、ハワイやグァムといった、常夏の高級リゾート地に多く見られる平屋建ての白い洋風の建物で、いかにもリッチなセレブが住んでいそうな感じの、洒落た印象を受けました。
私はしばらく別荘の風景を眺めた後、
「庭は広くてきれいですけど、手入れとかが大変そうですねぇ」と、正直な感想を述べますと、
「いやぁ、そんな心配は全くいりませんよ!月に一度、野間家専属の庭師が庭の手入れに来ますので、自分がいじりたいと思わなければ手間も費用もかかりませんよ。それでね、ここのお風呂は地下から温泉を汲み上げていますので、いつでも本物の温泉を楽しむことができますし、2ヶ月に1度、別荘を所有しているノマシステムから職員がやってきて、温泉の汲み上げモーターの整備と温度調節と成分チェックを行いますから、手間のかかる作業は何も無いと思いますよ」と長谷川が言いました。
私は自分がここで、管理人として暮らした場合を想定して、
「じゃあ、私はここで何を管理するんですか?」と訊ねますと、
「実は、私もそれを考えているのですが、家の中の掃除以外に何も思いつかないのですよ・・・」と言ったあと、「差し当たって何も管理するものがありませんので、西村さんはじっくりと執筆に専念できますよ。じゃあ、次は家の中を案内しますね」と言って、長谷川は家に向かって歩き始めました。
私も長谷川に続いて歩きながら、もしも管理人を引き受けた場合、本当にスカトロ冒険物語か、SM官能ミステリー小説でも書かなければならないような気持ちになってきました・・・
別荘の玄関に到着し、長谷川が見るからに重厚そうな木製のドアの鍵を開けて、
「どうぞ中に入ってください」と言って、ドアを開けて中に入りましたので、私も続いて中に入りました。
長谷川は靴を脱いで下駄箱の中にあったスリッパを履き、
「まずは、キッチンから見ましょう」と言って、廊下のすぐ左側にあったドアを開けました。するとそこは、30畳ほどのダイニングを兼ねたリビングルームとなっており、その奥は6畳ほどのキッチンスペースとなっておりました。
リビングスペースには6人掛けのベージュのソファーがL字型に置かれていて、その脇にはガラス製のサイドテーブルと50インチほどの巨大なテレビがあり、ダイニングスペースには6人掛けの大きなキッチンテーブルがありました。
リビングとダイニングを抜けてキッチンスペースに行きますと、そこにはまるでレストランでも開けそうなほどの、巨大な冷蔵庫と巨大な食器棚があり、食器棚の中には様々な大きさの皿や茶碗やコップなどの食器が整然と並んでいて、機能的なシステムキッチンと一体となった収納スペースには、世界各国の調味料と、ありとあらゆる調理器具などが所狭しと収められておりました。
私がキッチンルームの品揃えの多さに驚いていると、
「西村さん、もし管理人を引き受けてくれるのなら、ここにある全ての調味料や調理器具を、好きなように使ってもらっても構わないですよ」と長谷川が言いました。
「えっ! これみんな使ってもいいんですか?」
「もちろんですよ! 福山さんとの契約は、この別荘の中のものを全て自由に使用することができる、ということになっておりますので、何も問題はありませんよ」
私はここで暮らして、何かの料理をしている自分の姿を想像して、
「こう見えても私は、調理師の経験がありますから、これだけ道具とか調味料が揃ってたら、調理人として幸せな気分になりますね」と、2年前まで勤めていた、居酒屋での経験を思い出しながら言いました。
「そうなのですか、私は料理が全くできないのでうらやましいですよ」と言ったあと、「じゃあ、次は自慢のお風呂に行きましょう」と言って、長谷川はキッチンからリビングを抜けて廊下へ行き、向かいの扉を開けて中に入りましたので、私も続いて行きますと、中は4畳ほどの脱衣所となっておりました。
脱衣所の奥にある、曇りガラスがはめ込まれたアルミ製のドアを開きますと、そこには2人が同時にゆったりと浸かれるほどの大きな木製の湯船が現れ、風呂場の外壁は埋め込み式の小窓ではなく、ベージュ色の防水のカーテンが付いた、透明の大きなガラス扉となっておりました。
おそらく山頂という立地条件と、別荘を取り囲む外壁のおかげで、誰かに覗かれる心配はないでしょうから、安心して風呂場から庭を眺めることは勿論、出入りもできますので、ちょっとした温泉旅館の露天風呂のようだと思いました。
「この湯船は檜なので、落ち着いた良い香りがしますし、この湯船の蛇口をひねると、本物の有馬の銀泉が出てきますよ」と言われましたので、
「銀泉って、なんですか?」と訊ねると、『銀泉』とは有馬特有の呼び方で、無色透明な炭酸を多く含んだラジウム温泉のことだと説明してくれました。
ちなみに、湧き出し口では透明ですが、空気に触れると化学反応で茶褐色に変化する含鉄強食塩泉を『金泉』と呼びます。
なお、『金泉』と『銀泉』という呼び方は、有馬温泉旅館協同組合の登録商標となっております。以上。
私は湯船へと伸びた蛇口をひねり、銀泉とやらを出してみましたが、何の変哲もないただのお湯にしか見えませんでした。しかし、銀泉様に対してそんな失礼なことを言うわけにはいきませんので、
「なんか、いかにも体に良さそうなお湯ですね」と追従したあと、風呂場から見える庭の景色を眺めながら、(こんな所で温泉三昧の生活できたら、きっと幸せやろうなぁ)としみじみ思い、まさに至れり尽くせりといった言葉しか思い浮かばず、管理人を断る理由が全く見つかりませんでした。
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