六章

 天神島の西外周区である工場地帯を抜けた先には、島に運び込まれる物資が詰められたコンテナが並ぶコンテナヤードがある。

 ここのコンテナは直接ここに船から降ろされたものではない。

 天神島はテロ組織や外国の諜報員等の皇都への侵入を食い止めるために、本島への直接入島が禁止されている。

 一部のVIPを除くすべての船舶、航空機、航宙機は島の西に島を沿うように緩やかな弧を描く西分島、通称「出島」に泊まる。

 人、物はそこで降ろされ入念な審査を受ける。

 そして、その後、本島と西分島をつなぐ虎白大橋を通って本島へ入る。

 先日、中華帝国の部隊が爆弾に紛れて潜入するという無茶をやったのも、普通の潜入方法では天神島には入れないからだったのだ。

 本土と天神島を結ぶ天神急行もこの「出島」に止まって、その後「天神モノレール」に乗り換えて入島するのだ。

 中華帝国の工作部隊が、通常のそれと意味の異なる人質交換の場所として指定してきたのはこのコンテナヤードの中心、虎白大橋のコンテナレールの終端の真下だった。

 大橋の下の海上に少し出っ張った場所だ。

 真也と颯太と翔朧と優果と礼称の五人はその舌のように出っ張ったコンテナヤードのに来ていた。

 そして、その舌全体を囲むように円形の結界が敵の魔術師複数人によって張られている。

 舌の全長が約五百メートル。

 一人で直径五百メートルの魔術結界を張ることは不可能に近い。

 しかし、サポートの魔術師を複数人用意すればそれは可能となる。

 精神界における固定イメージの引き継ぎ。

 通称「チェイン」だ。

 これは複数人の魔術師の協力による規模や威力の増加は魔術全般に応用可能な技術であり、魔法にはない利点だ。

 もっとも、一朝一夕に身につくものではなく、習得には長い合同訓練が必要だが。

 その結界は真也たちが舌に踏み入った瞬間に発動した。

 侵入を知らせる探知魔術が設置されていたのだ。

 これには五人も、というか礼称が気づいていたが、人質をとられている以上気にしても仕方がないので、無視して入り込んだのだ。

 そして、もちろん結界は敵のメイン武器? の補助でしかない。

 結界の展開と同時に数個、颯太の勘によれば四個のAMP拡散弾が炸裂した。

 結界の効果は五人の撤退を阻むものでも、外からの侵入を拒むものでもなく、ただ内部のAMP、反魔道粒子の分布を均一にし、かつ外へ流されないようにするものだった。

 コンテナヤードは約二十四メートル平方のスペースに等間隔に固めて置かれているコンテナの集まり、コンテナブロックが壁のように屹立している。

 そしてその中でも高いところまで積み上げらているブロックの二番目に高い位置にあるコンテナの上に登って周囲を双眼鏡で観察している颯太が言った。

「敵の魔術師は結界の外だ。球状の結界を囲むように等間隔で並んでいる。誰が発動者かはわからない」

 五人いるわけだから、もう一人ぐらいコンテナに登って偵察すれば良さそうなものだが、登っているのが颯太だけなのは他の五人はコンテナを登るほどの運動能力がないからだ。

 同年代最強クラスの魔道師が集まっても魔道が使えなくなれば烏合の衆だった。

「響介は見えるか?」

「ここからじゃ見えない」

 下で待っている役立たずの一人、翔朧の問いに五メートルほど高所にいる翔朧が答えた。

 一応フォローしておくと、役立たずたちも近付いてくる敵の警戒くらいはしている。

 作戦では、まず人質に取られている二人、音無終湖と天草響介の居場所を確認する必要がある。

 終湖が人質交換の場にいないことはほぼ確実視しているが、万が一、響介までもがその場にいなければ作戦そのものが成り立たないのだ。

「敵は見えた。指定場所のコンテナブロックの中をくりぬいて活動拠点にしているな。となりのブロックにも潜んでいるかもしれない」

 二回のジャンプで上のコンテナから地面まで降りてきた颯太が、簡単に敵の状態を報告する。

 翔朧以外、自分ではない容姿になっている五人は指定場所に向かって移動し始めた。





 天神島、西外周区の西の端、道路を挟んでコンテナヤードに隣接している場所に立つ、氏神グループ系列の工場の駐車場に一台の赤いリムジンのような車が止まっていた。

 車の装甲は厚く、屋根の下には簡易砲塔も付いている。

 そんななんちゃって戦車の中に輝はいた。

 輝の体はレースカーのように傾斜しているシートに複数のベルトでガッチリと固定されていた。

「テル君、五人が敵と百メートルのところまで接近しています」

「了解」

 車内に一切の音を出していない、愛七の声に口を閉じたまま輝が短く返答する。

 輝はヘルメットのようなものを被っており、そのメットには十数本のケーブルが接続されている。

 顔を覆う不透明のバイザーの下の輝の表情は険しく、額にはうっすらと汗をかいている。 

 輝はバーチャルリアリティ技術が産み出した仮想空間に、機械に脳内の電気信号に干渉させることによって文字通り入り込んでいるのだ。

 先ほどの愛七との会話も全て、彼の脳と、車載されたマシンの電気信号のやりとりなのである。

 輝の脳が見ているのは五人が侵入した舌状のコンテナヤードの一部を再現した3Dマップの俯瞰だった。

 現実なら上空七百メートルあたりのところに

 魔法の照準は情報界で行われる。

 情報界に立体や映像はなく、ただ情報粒子によって構成される情報の形が存在するのみだが、魔法師はその形を見た物質から幻視(魔術の「幻視」ではない)する。

 最も良いのは視認することだが、魔法師によってはリアルタイムの映像や三次元の座標などで照準することが可能だ。

 近年はブレイン・マシン・インターフェイスの進化とともに魔法の長距離照準の可能性が大きくなっている。

 3Dマップの脳内再現は視認するよりは精度に欠けるが、見えないはずの場所を映像中継より正確に魔法の対象として照準することができる。

 誰もができることではないが、才能に加え、幼い頃から氏神家という魔法工学の大家で訓練を受けた彼は本来ありえないほどの距離から魔法を作用させられるようになっていた。

 輝の眼下ではコンテナブロックが碁盤の目のように並んでいる。

 真也たちはすでに敵の潜む最も海側であるブロックから四列手前まで進んでいた。

「愛七、友希さんたちの報告はまだか?」

 徐々に敵に接近している、つまりリアルタイムで動いている四人の人間を二キロ離れた場所からピンポイントで照準しその容姿を光の屈折を操作することによって変更するという離れ業をしながら、苦しげに輝は尋ねる。

 友希たち、正確にはアリサが終湖を見つけない限り作戦を始めることもできないのだ。

 輝は長距離情報照準の作業からくるストレスとミスが許されないというプレッシャーから神経をガリガリとすり減らしていた。

「区内の監視カメラ網にアクセスすることも可能ですが、万が一この車がハッキングされたっ場合、友希さんたちの行動が敵にバレます」

 輝の問いに愛七は正論を返した。

 輝も気を紛らわすために回答の出ている問いを投げかけただけなのだが。

 そもそも、この車がハッキングされた場合、輝の方が真っ先に潰される。

 よくて脳死。

 悪くて車の暴発。

 いや、最悪の場合はこの車の止まっている工場内の兵器軍が暴発して天神島の危機なんてことになりかねない。

 その時、仮想空間内にロック音が響いた。

 氏神家が持つ、今この車が接続している有線回路への接続音だ。

 愛七と輝の二人は敵の電子攻撃であることを想定して

 ちなみに、この電脳空間には等身大の愛七の姿がある。

 彼女はゲーム機をピコピコやっている。

 彼女の動作は実際に彼女が行っている作業とは全くの無関係だが、彼女の造り主の遺言は「遊び心を忘れるな」だったらしい。

 次の瞬間、仮想空間内の輝の目の前に八分の一スケールの友希がポンッという効果音とともに出現した。

「こちら友希。アリサが終湖を発見。その確認も終わった。今は彼女が監禁されている建物の隣のビルにいる。位置情報はすぐ送る」

「了解です」

 チビ友希の報告を聞いて友希は安堵する。

 愛七も胸をなで下ろしていた。

「それだけじゃない、アリサが無理して響介の位置も突き止めた。敵さんが指定した場所だ」

「了解です。愛七! プランDだ」

『了解です! ミサイル四機、発射準備に入ります』

 工場内で製造されているミサイルが、同じく工場内で製造された発射台にオートで設置されていく。

 工場の天井が左右に開き始めた。

「リサ姉は大丈夫なんですか?」

「命に別状はないが、丸一日は起き上がれないだろう」

 義姉を心配する輝の問いに友希が答える。

 「神殿」を使ってその程度、というと語弊はあるが、で済むならまだマシだ、と輝は思った。 

「ところでお前たち、ミサイルなんて何に使うんだ?」

「見てのお楽しみです」

「へいへい」

 ロック解除の音とが響き、チビ友希が仮想空間から消えた。

 輝はアリサに礼を言い、その後で父にミサイルを勝手に使うことを謝罪して空中に現れた、赤と黒と黄色の見るからに危険そうなボタンを押し込んだ。

 これも愛七の遊び心である。

「愛七、目標『皇城』三秒間隔・四連射でぶっ放せ!」

『ヒューウィゴー!』

 真っ二つに開いた工場の屋根から四本の白い筋が空に飛び去った。



 皇城、日本皇国の元首である天皇家と摂政せっしょう世襲せしゅうする天ノ原家が住む皇居である。

 それは島の中央にある巨大な木、世界樹せかいじゅの地上に露出した根の下の湖の中央にある島にある。

 和洋折衷わようせっちゅうスタイルの荘厳そうごんなその城のいくつかの塔のうちの一つの塔の展望台に桜髪の少女が立っていた。

 少女は島の全体を見渡せる大きな望遠鏡を覗き込んでいる。

 塔の屋根を支える支柱と支柱の大きく開いた隙間から吹き込む風に少女の桜色のストレートヘアがなびく。

 和装が似合う彼女は一心に島の西を見つめていた。

 彼女の目には友人と共にコソコソと島の端へ向かう青年の姿が映っている。

 四人の友人と同寮の後輩を救出しに向かう青年が……。

「姫様、またここにおられたのですか」

 やや、芝居がかった驚きの声に無表情だった少女の眉がわずかにひきつる。

 声の主は、展望台の端の螺旋階段を登り終えて、彼女の少し後方に立っている和風の部屋着に身を包んだ引き締まった体の中年の男だ。

 男の髪は耳の下で黒から白に変色している。

弌夜いちやか。気配を消すのはやめろと言っただろう」

 望遠鏡から目を話すことなく、少女は無表情に戻って邪険に右手を振った。

 意味するところはバイバイではなく俗に言う「しっし」である。

「姫様、これでも日本最高峰の魔術師が認識を反らしてるんですが、なぜ私だとわかるんです? 正直、自信をなくすなぁ。もしかして視られました?」

 少女の冷たい態度に傷ついたように肩をすくめながら弌夜は言う。

 しかし、その顔は今しがた自信を失った人の表情ではない。

「お前のその下心が空気を這う振動になったかのような声は魔術でもごまかせないな」

「日本最高峰の魔術師の魔術でも?」

 辛辣に応じる少女に弌夜はニヤニヤ笑いながら再度尋ねる。

「世界最高峰の魔術師の魔術でもだ」

「光栄です、姫様」

 ちっとも光栄そうなそぶりを見せずに弌夜が礼を言う。

 少女が言葉を変えても、弌夜は一切の謙遜をしなかった。

 むしろ、自身もそう考えているように見える。

「あと、姫と呼ぶなと再三警告したはずだが?」

 やはり少女は望遠鏡の先の青年から目を離さずに言った。

「なら……、『いのりたん』なんてどうだろう?」

 弌夜が満面の笑みで提案する。

 少女の眉間にしわがよった。

「死ね、変態」

 怒りを鎮めるように深呼吸したあと、少女、祈が吐き捨てた。

 彼女の罵倒を受けた弌夜は、心なしか悶えているように見える。

 祈は弌夜が小声で礼を言ったような気がしたが、気にしたら負ける気がしたのでスルーした。

「で、姫様は何をしておられるので?」

 しばらくして、罵倒されたことによる落胆? から立ち直った弌夜が急に真面目なトーンで訪ねた。

「…………」

 少女は答えない。

 沈黙が展望台を覆った。

 城を覆う世界樹が降らせる、光る結晶が風に乗って二人の間を通り抜けていく。

「はぁ…………。また、ですか?」

 数十秒の間のあとでため息をついた弌夜が少女に尋ねた。

 あくまで、その問いは修辞疑問に過ぎなかったが。

兄上しんやはもう、戻ってはきませんよ。あれは、あそこにいるのはただの偽りだ。真夜じゃない」

 真顔の弌夜が哀れむように、しかし、感情を排した声で幼子を諭すように言った。

 少女は無表情のまま望遠鏡から目を離して振り向いた。

 そして口を開こうとする。

 が、そこで展望台に弌夜のプライベート携帯端末のメール着信音が流れた。

 萌えアニメのオープニングである。

 彼は公務に関する連絡こそ多いが、プライベートなメールはほとんど来ない。

 祈は目で、弌夜に確認するように促して再び望遠鏡に目を戻した。

 弌夜は音声付き、というかメッセージが音声になっているメールを開く。

『拝啓っ!    天ノ原 弌夜 馬鹿どの

『爆弾と敵兵が降るこの春の日以下略』

『敵兵に侵入された哀れな皇都防衛軍総司令に申し上げたいことがあり、おメール差し上げた次第でございます』

 皇国軍軍事サーバーの保有する九人の人工知能随一の問題児、愛七の声で紡がれる、自身の失態を聞いて、少女に続き、弌夜の眉間にしわがよる。

『というのも……今、虎白大橋近くの氏神系列のからにミサイル四機飛ばしたから。な〜んちゃって、てへぺろ!』

『そんなわけで後処理よろ〜。爆発はさせろよ! 左向きやじるしココ重要』

『メンゴメンゴ。じゃ、本気でミサイルちゃん誘導するから、頑張って防いでね〜』

『草々左向きやじるしいや、マジで急いで書いた。二分の一秒くらいで。ミサイル着弾まで時間なかったし。

 難波愛七なんばまな

 小さな破壊音と共に、携帯端末が弌夜の魔術で強化された手の中で砕け散った。

 そして今の彼に許された抵抗はそれだけだった。

 皇城に上空からの攻撃を知らせる緊急警報が鳴り響く。

 一度、空高く上がったミサイルが曲射弾道を描いて落下してきているのだ。

 西外周区の工場から皇城までの直線距離ならメールを読む間に着弾しているだろうが、工場や西内周区の企業ビルに阻まれて直射はできない。

 皇城を狙うには一度高く上げてから弧を描いて落とす必要があるので、宣戦布告擬きをする時間が生まれているのだ。

 しかし、そうは言っても発射から着弾までの時間はわずかである。

 メールを出した頃に発射したのなら、着弾までは後数秒だ。

 しかし、そんな状況でも弌夜は慌てていなかった。

 それどころか口元には悪戯を思いついた時のような笑みが浮かんでいる。

愛三あみ! 障壁魔法でミサイルを樹の上で爆散させた後、移動魔法で圧縮して前の庭に落とす。愛七との手合わせは久しぶりだろう? 負けるなよ!」

『了解! セブンごときのアルゴリズムなどで私は振り切られません』

 弌夜は右手で右の髪を耳にかけ、ブレフォンの側面をタップしてスリープを解除して、彼のパートナーである愛七と同系統の人工知能に命令する。

 愛三は彼の命令に活気を押さえ込んだような声で応えた。

 そして、彼は展望台の中央に向かって駆け出す。

 さすがの祈も、もう望遠鏡から目を離していた。

「弌夜、もし無理なら手を貸すよ」

 そして、なぜか自分の方に駆けてくる弌夜に声をかけた。

 ミサイルが地上まで千メートルを切る。

 警報の音が一層大きくなった。

『そういえば、前の庭には、奥方様のプランターが、多数置かれていますが、爆発後の、ミサイルの塊を、落として、構わないんですね?』 

 警報の音に負けないように愛三が確認を取る。

「!? あっっっ! ちょっと待っ」

『すみませんもう無理です。命令変更禁止。命令は録音してあるので奥方様に送っておきます。私は無罪です。そう、無罪』

「オイ、待てよ! 頼むから……」

無理ですね再演算不可、命令実行します!』

 弌夜の顔色が最悪になっていた。

 ミサイルが飛んでくるとわかった時は少しも慌てていなかった彼の額に汗が浮かんでいる。

 背中も冷や汗でぐっしょりだった。

「後生だからなんとかし……」

『オウトウ、フカノウ、メイレイ、ジッコウ、スル』

「わざとか!? わざとだろオイィィィ!」

 ふらつく足で祈の方へ歩きながら何度もブレフォンに叫ぶ一夜の声が虚しく展望台に響く。

 一夜の悲鳴は上空で炸裂した爆発音にかき消された。

 爆発音が連続して四度響く。

 爆散したミサイルの破片は数秒後に空中の一点に目掛けて集まっていく。

 そして、圧縮され、四つの塊が空中に形成された。

 そして、四つの塊は自然の風と移動魔法に揉まれて落下していく。

 弌夜はふらつきいながらも展望台の中央まで歩き切って、糸が切れたように前方に倒れこんだ。

 祈を押し倒す形で。

「祈ちゃん、あっぶなーい」

 精気の抜けた声を弌夜が漏らす。

 涙目の弌夜を見て、押し倒された怒りが消えてしまった祈は、なんとなく彼の頭を撫でてやることにした。

 弌夜の脳裏に、子どもの頃に誤って魔法の訓練中に許婚いいなずけ、つまり今の妻のチューリップ入りのプランターを壊して半殺しにされた時のトラウマが甦る。

 二人の耳に落下したミサイルの破片の塊が、前の庭のプランターを破壊する音が届いた。



「大尉、迎えの部隊から連絡がありました。あと二時間強で天神島本島の西岸に到着するようです。作戦通り、囮の航空部隊も東から本島を目指しています」

 部下の報告に、中華帝国軍の特殊作戦部隊の指揮官、楊大尉は顔をしかめた。

 作戦で予定された時間より、脱出手段の到着が一時間以上遅れるというのは作戦が失敗する可能性を高める。

 楊は、彼の顰めっ面を自分への非難だと勘違いした部下に気づかず、彼をそのまま下がらせた。

 コンテナボックスをくり抜いてコンテナを簡易住居に変え、内部に天幕を張って作戦の拠点に作り変えた『砦』の中央よりやや海よりに張られた指揮官用天幕の彼のデスクには電磁波妨害と内部のAMP分布を均一にする結界魔術が張られている。

 楊の部隊は全員、非魔道師、要するに普通の人間だ。

 彼らはこの結界を『檻』と呼んでいた。

 天幕内にある唯一のデスクの上にある端末には『檻』とそれを囲むように配置した魔術師部隊、そして、結界内部を飛んで情報を集めている監視用ドローンが送ってくる敵の位置が表示されていた。

 そして、端末の他にもうひとつ、重石代わりの軍帽で抑えられた一枚の写真が楊のデスクには置かれている。

 写真には彼と彼に少し似ている高校生と思しき女の子が写っていた。

 彼女は楊の娘で、中華帝国においては数少ない魔法師だった。

 中華帝国は魔術師の数こそ世界一位をほこり、大英帝国に次ぐ魔術大国として世界各国に認知されているが、それに反比例するかのように魔法師の数が少ない。

 総体人口としてはもちろん、絶対人口としても少なかった。

 そのため、中華では魔法の才能を持つ子供は六歳で強制的に家庭を離され、第一級の魔法師となるよう育成される。

 もし、ここでエリートとして成果を出せなければ、次世代の魔法師の質や量の向上のための人体実験や、その他の酷い未来しかない。

 楊の娘は幸いにも、結果を出して帝国のエリート魔法師として働いているが、もし彼女が脱落していたら、と考えると彼は今でも恐ろしくなる。

 しかし、エリートには脱落者よりはマシかもしれないが厳しい生活が待っている。

 まず、彼らに休暇という概念がなく、年に一度、自分の誕生日にのみ家族と過ごすことが許されるのだ。

 そして彼らは軍務を国家の命令以外で放棄することを許されていない。

 他にも彼らの不条理を挙げればきりがないが、任務がない場合は高い給料を浪費して暮らしているらしい。

 楊の娘も、特務部隊で普通の兵士よりは遥かに高い給料を稼ぐ楊自身の何十倍もの給料をもらっているらしかった。

 楊の部隊は非魔道師で構成されているわけだが、魔術師でない人間には『檻』は張れない。

 『檻』を張っているのは彼の部下に組み込まれた帝国魔術大学の学生だった。

 彼ら魔術師は軍役が魔法師ほど厳しくはないもののほぼ強制的に存在する。

 彼らのような学生が敵国の中枢に潜入するような危険な作戦に駆り出されているのは彼らが優秀だからだ。

 今回の作戦は終始彼らが、その中心だった。

 楊の部隊は彼らのサポートと護衛であった。

 もちろん、楊の部隊が魔道師に全くはが立たないために学生の魔術師を同伴させているわけではない。

 楊たちは軍事学校で、戦場において魔道は絶対ではない、と教えられ、彼の部隊は実際に多くの戦場で多くの魔道師を屠ってきた。

 しかし、今回の敵は格が違っていた。

 吸血鬼やイギリスの不死兵団のように撃っても、切っても、潰しても、平気で立ち上がって自分たちを殺しにくるような悪鬼や、自在にイメージを具現化させて不死の男をサポートする女。

 彼らは悪夢のように仲間をたやすく殺していった。

 楊の部隊は逃げて、仲間を犠牲にし、目的を果たす。

 このサイクルを繰り返し、主目的を果たした頃にはすでに部隊の三分の一と、学生魔術師の四分の三が失われていた。

 敵に自分たちの国籍を裏づけさせる明確な証拠を渡さないために、仲間の遺骸はあらかじめ仕込まれた魔術によって灰も残さず焼き尽くす。

 異国の地で存在した証を残せずに散っていく仲間を見るうちに楊は人間として大切なものが自分の中から欠落してくのを感じた。

 さらにその死んだ仲間の半分以上が自分たち、一般兵を守るために殿しんがりおとりとして奮闘した学生である。

 軍の誇りは市民を守ることだと考えていた楊にとってこれは耐え難いことだった。

 正確には中華帝国の法律で魔術師は終身軍人である、と規定されているわけだが、そんなことは彼にとって少しの慰めにもならない。

 何度も、何度も敵を殺し、仲間の被害を食い止める作戦を立てた。

 指揮官を逃がすために命を落とした仲間は、自分の作戦立案能力を信じていたからだと思い込んで。

 何度も、何度も、楊は考えたのだ。

 自分の娘と同年代で、おそらく家の立場が弱くなってしまったがために、拒否することもできず自分たちを襲っているのであろう子供たちを殺す算段を。

 その度に彼らの姿が、一度だけ戦場で一緒に働いた娘の姿に重なる。

 そして楊は毎日罪悪感に苛まれた。

 もっとも、彼の作戦で敵を殺せたことは少なくとも今日までなかったが。

 暁帝国などの国と違い、中華帝国は信仰を強制していないし、彼自身も神を信じてなどいなかったが、彼は思った。

 この、世界地図上ではほんの小さな点でしかない島で起こっている小さな戦争は自分が今まで経験した戦場の中で最も地獄に近い、と。

 悪鬼のような敵に、存在した証を残せず燃えて消える仲間。

 娘と姿が被って見えるような子供と戦う罪悪感。

 軍人である自分たちを守って血を流し、命を捨てる学生たち。

 もし、神がいるならば助けてくれ、と楊は願う。

 仲間と私をこの地獄のような場所から引き上げてくれ、と。

 それが叶わないならせめて私に救済をを殺してくれ……、と。

 と、そこで楊は弱気になった思考を打ち切った。

 両の頰を手のひらで叩いて、自分の心を叱咤する。

 作戦は簡単だ。

 第一にこの国を、島を脱出する。

 第二に人質の少年より多くのモルモットを手土産に持ち帰る。

 それだけだ。

 デスクの上の端末では、五人の敵、つまり敵側の交換用の人質の位置を示すマーカーが『砦』のすぐそばに接近していた。

 「全ては皇帝のため、国のため、大切な人のために、おのが命を燃やし尽くせ」。

 中華帝国軍の非公式モットーだ。

 楊は静かにその言葉をつぶやいて、地に落ちた軍人の誇りを拾い上げ、デスクの上の軍帽を冠る。

 そして、もう一度写真の娘にキスをして楊は写真を胸ポケットにしまい天幕を出た。





 その少し前、砦となっているコンテナブロックまであと一ブロックのところを進む五人の耳に東にそびえ立つ世界樹の方で爆発音が立て続けに四度聞こえた。

「一、二、三、四……四回か」

「輝からの連絡だ。プランDだな」

 ミサイルが派手に撃墜された音を聞いた四人が輝からのメッセージを受け取っていた。

 爆発音の数で、『檻』の中で電波の届かない五人に作戦の変化を伝えるためのミサイルだったのだ。

 皇城に向けたのは敵を混乱させる狙いがある。

「Dってことはリサ姉、頑張ってくれたんだ。ありがとう」

「お姉さまが終湖だけじゃなく響介の位置まで特定してくれたおかげで、響介がここにいない場合を考えずに済む」

 優果がアリサに礼を言い、真也もそれに同意した。

 プランDはアリサが捜査で終湖を見つけたあと余力があれば響介の居場所も探して、敵の指定した人質交換場所に響介がいる場合の作戦だ。

 作戦の確定を受けて、五人は作戦開始の場所、敵の砦へと急いだ。



 四段以上に積み上がったコンテナに囲まれたコンテナボックスの手前で五人は『砦』の中の様子を伺っていた。

 と言っても、彼らは魔道なしで内部の様子を正確に把握する技術を持っていないので完全にポーズだけだったが。

 すると五人の立っていた場所のすぐ近くのコンテナの側面の一部が開いて、砦の中から武装した兵士が十人ほど飛び出し、五人に携行している銃を向けた。

 魔道の発動速度というものは魔道師の技量次第だが、一般に上位数パーセントの魔道師にしか至近距離からの銃撃には対応できない。

 翔朧以外の四人はその上位数パーセントに属する魔道師だったが、あいにくここはAMPの影響下だ。

 兵士が飛び出してきた出入り口を通って五人は砦の中に入れられた。

 颯太は傭兵会社を営む四方院家の仕事柄、正規軍のものでない装備や兵器を見慣れている。

 彼は敵の装備が欧州の企業が傭兵会社を中心に販売しているものだということに気づいた。

 万が一、武器が敵に鹵獲されても国籍を特定されないようにしているのだろう。

 それは柊の部隊が追跡していた時に、敵が遺体を魔術によって完全に焼失させていたことからもわかっていたことだ。

 おそらく中華帝国には、少なくとも今は完全に開戦することを望んでいないのだろう。

 日本皇国の優秀な人材を誘拐するためだけにこんな大掛かりな作戦を起こすのも妙ではあるが。

 出入り口になっている空のコンテナの逆の側面に開けられた穴から五人は砦に入れられた。

 砦の内部にはいくつかの天幕があり、簡易住居と化した複数のコンテナがある。

 すでに大半の天幕は畳まれており、中華軍が過ごしていたのであろうコンテナの中からものが消えていた。

 真也が引っ越してきた日に潜入した彼らが、それからずっとここを拠点に潜伏していたのならおそるべきことだと優果は思った。

 礼称は砦の四方の四段目のコンテナに認識阻害の結界用の魔術刻印が刻まれていうのを見つけている。

 刻印はすでに傷が付けられており、その効果を失っていた。

 そして、当然、翔朧以外の四人は輝の遠距離魔法によって姿を柊部隊のメンバーのものに変えている。

 今のところ、その偽造は露呈していなかった。

 ちなみに、今回の柊部隊四人と天草(煌牙之宮)響介、音無終湖の人質入れ替えという一見、無茶苦茶な取引が成立したのには原因がある。

 柊部隊は皇国六大財閥に属する柊の子息三人と養子の四人だ。

 そして、その四人の身柄の対価として中華軍が用意したのは、同じく六大財閥の音無、煌牙之宮の子息二人。

 これだけを見ると、この取引は破綻している。

 当然、日本側からすれば全く有り得ない交換条件だ。

 人質を取り戻すために他家の子息を差し出す。

 しかも人数を増やして……。

 日本側がこの取引に応じたのは、あくまで特寮の提案した作戦を成功させて全員奪還するためだ。

 はなから、まともに取引する気がないのである。

 そうなると不可解なのは中華軍の要求だ。

 しかし、中華側が日本側に何のメリットもなく、むしろデメリットしかない要求をしたのには理由があった。

 彼らはこの取引が、最初に自分たちが音無終湖と天草響介を無理やり人質に取ったことを除いて、完全に両者に益があるものだと思っているのである。

 まず、中華帝国が求めているのは魔法師、一応魔術師も、のサンプルだ。

 日本皇国の魔法師は世界最高レベルの技術を持っている。

 柊家は魔術の名家が任命される「裏三家」の一員ではあるが、元は日本皇国で天ノ原家と並ぶ魔導の大家、つまり魔術と魔法の両方を扱う家だったのだ。

 天ノ原家は当時から摂政の役職を世襲しており、「御三家」・「裏三家」ではなかったが、柊家は「御三家」と「裏三家」を兼ね、さらに関白を世襲していた。

 現在の柊が、「御三家」でも、関白でもないのは、六年前の事件が原因だ。

 「京阪事変」。

 近畿地区、京阪地区を襲ったその侵略戦争を裏で手引きした疑いで柊家は一時、取り潰されていたのだ。

 今では冤罪だったことが、六大財閥内での共通認識となっていて、魔道に携わる者にとってはそのことは常識だ。

 しかし、世間、特に日本と国交が断たれている外国ではでは未だ「柊」は逆賊として考えられているのである。

 中華軍からすれば、サンプルは多いほうがいい。

 そして、逆賊の子息と他の六大財閥の子息なら人数に関係なく日本は後者を選んでくると思っているのだ。

 そのため、今回のような一見、不平等すぎる取引を持ちかけたのである。

 輝の魔法で変装したままの四人と翔朧は膝立ちで砦の中央に並んで待たされていた。

 五人は手を縛られていて、後ろにはそれぞれ一人ずつ中華軍の兵士が銃器を持って立っている。

 砦の中の兵士は各自の作業をしながらも、時折、五人を憎しみのこもった目線で睨んでいた。

 五人のいる砦の中央より、やや海より、西よりの場所に立っている天幕から壮年の男が五人のほうへ歩いてくる。

 男が五人の前まできて立ち止まると、五人の後ろに立っていた兵士が一斉に音を鳴らして踵を揃え、男に敬礼した。

 翔朧は、おそらく指揮官であろうその男を観察する。

 男が右手を上げて合図を出した。

 すると、男の後ろのコンテナの側面が外れる。

 中には両脇から大柄な男に抑えられた響介がいた。

 思ったより元気そうなその姿に湊に変装している優果は胸をなで下ろす。

 彼女にとって響介は姉の息子、甥にあたるのだ。

 五人が人質の姿を確認するのを待って、男が口を開いた。



 そのころ輝は仮想空間で砦を見下ろして四人の変装の魔法を発動しながら愛七まなの愚痴に付き合っていた。

 彼女は自分の誘導するミサイルがいともたやすく愛三あみに落とされたことを根に持っているのだ。

 皇国軍事サーバ内のAI同士の確執は大きいらしい。

「全力を出せば当てれました!」

「そうだね……」

 愛七の愚痴に輝は相槌を打つ。

 言い訳に聞こえるが、彼女が全力でなかったのは事実だ。

 愛七は輝の発動している、遠距離からの変装魔法の座標入力という精密な演算を同時に行っていたために、ミサイルの誘導にはほとんどキャパを割けなかったのだ。

 尤も、全力を出せば愛三を抜けた保証はないし、そもそもミサイルを皇城に撃った目的は達成しているので悔しがる必要はないのだが、人……工知能には理屈では納得できない時もあるのだろう。

「だいたい、あの女、いちいち自慢してきやがるんですよ! きーっ!

 っとテル君! 四人が敵と接触しましたよ」

 しかし、そんな状態でも彼女はしっかり衛星カメラで砦を見張っているのである。

「よし、作戦開始だ! 友希さんに連絡を!」

「あいあいさー!」

「あと、そろそろ、五人の周りのAMPを剥がそう」

「ワオ、それは私だけでは無理ですね……。愛六まなむに協力要請します」

「よろしく!」

 輝が動き始める。

 そして作戦が始まった。



 日が西に大きく傾いた、天神島の西端のコンテナーヤードの砦で中華帝国の部隊は五人を拘束していた。

 五人の背後にはそれぞれ中華部隊の兵士が銃器を持って張り付いている。

 そして、中華帝国特殊工作部隊の指揮官、楊は拘束した五人の高校生男女、否、敵兵の前に立っていた。

 連日襲われていた部隊の人間は彼の眼の前にいる四人。

 一番左端にいる男は交渉役を名乗った。

 楊は交渉役の男、カケルに切り出した。

「悪いが、ここにいるのはキョウスケという少年だけだ。少女の方は保険として、別の場所に置いている。我々が島を出たあとで彼女を拘束している仲間に連絡し、解放させる」

 楊の言葉にカケルが頷く。

 我々がこのような行動をとると想定していたのだろう、末恐ろしい子供達だと楊は思った。

 これから二人の少年少女の代わりに自分たちの捕虜になる四人の男女はうなだれてはいても泣いてはいない。

 カケルという男はこの四人と面識がないのか、四人が捕虜になるというのに平然としていた。

 うなだれていた四人のうち唯一の男子見上げて楊を睨んだ。

 英国の世に名高い不死部隊のように、いくら致命傷を負っても死ななかった少年だ。

 ヤツに殺された仲間は両の指では数え切れない。

「ってことはお前、仲間を見捨てて……天神島に置いていくのか?」

 楊は湧き上がる激情を強かな笑みの下に抑え込んだ。

 ヤツに、トモキ・ヒイラギに惨殺されていった仲間達の顔が脳裏に浮かんでは消えていく。

 他の三人の捕虜や交渉役のカケルと比べると、トモキ・ヒイラギは精神面が幼いのかもしれない。

「仲間に裏切られて人質となった身としては気になるか?」

「仲間に聞いてみろ。僕の気分は最悪、お前の仲間はそれ以上かもね」

 瞳に信念のようなものを宿して彼に訴えるトモキの目には、本気で島に残される彼にとっての敵を哀れむような色が見えた。

 しかし、彼の無礼もそこまでだった。

 彼の背後に立っていた楊の部下が彼の頭を銃身で殴りつけたのだ。

 銃身が曲がっていないか心配だったが、トモキの方は完全にアウトだったらしく、気を失って地面に倒れた。

 殴りつけた兵士は二人の仲間が羽交い締めにして離れた場所まで連れて行く。

 もし互いに生きて帰れたら罰として酒に付き合わせようと楊は思った。

 うつむいている三人の交換される人質から怒気が発せられる。

 楊はそれに気づいたが、あえて無視しておいた。

「申し訳ない。トモキの粗相を彼に変わって詫びます」

 交渉役のカケルが少なくとも表面上は殊勝に頭を下げた。

「気にしなくていい。こちらこそ部下の暴走を止められなかった」

 楊は鷹揚に頭を下げた。

 ほんの少しの罪悪感さえなければ謝罪もしなかっただろうが。

「では、我々はもうここを去る。君と、響介君を残していくからそれで構わないかな?」

 仲間が殴られても表情一つ動かさなかったカケルへの敬意を払い、丁寧に尋ねた。

 カケルは少し思案するように間をとる。

 楊は逸る気持ちを抑えて彼に向き合った。

「条件付きで受け入れましょう。条件は二つあります」

 カケルはそこまで行って再び口を閉ざす。

 楊は仲間が苛立ち始めていることに気づいた。

 脱出のチャンスはすくなく、それはここで時間を浪費するごとに掴みづらいものになる。

 カケルがそれを狙って時間稼ぎしているのかもしれなが。

「一つ目はあなた方の脱出方法を聞いておくことです。天神島になんらかの方法でお迎えが来るならそれを吹き飛ばさないためにも教えていただきたい。我々としても、うっかりあなた方の脱出手段を破壊して、人質を殺されては困りますから」

 彼の主張は尤もだった。

 しかし、楊としても簡単に言えることではない。

 楊は少し考えて自分の持っていた端末のデータを全て削除し、ダミーの無人輸送機の航空ルートが示された状態でカケルに端末を渡した。

 本命の脱出用の船の航行ルートは明かさなかったのだ。

「これで一つ目はOKかな? もしいいなら二つ目の条件を聞こう」

「はい。二つ目の条件は、音無終湖の生存確認です。

 彼女が解放されるまで、定期的に……できればオールタイム彼女の状態をこちらが把握できるようにしてもらいたい。

 言うまでもないことですが、その情報に欺瞞があると我々が判断した場合はあなた方の帰国を保証できなくなるので、ご注意を」

「了解した。残留部隊に指示する。

 彼女の状態をビデオで送らせよう」

 楊は二つ目の条件に関しては文句はなかった。

 もとより、無事に脱出できるならば彼女を傷つけるつもりはない。

「が、こちらも言うまでもないことだが、万が一ビデオ映像を用いて居場所を特定しようとすれば人質の命はない」

 念のための脅しは忘れなかったが。

 カケルは肩を竦めてそれに答えた。

「で、二つ目の条件についてだが、方法はどうする?

 何か具体的な提案はあるかな?」

 楊の質問にカケルは少し思案するように首を傾げて見せた。

 おそらくは最初から考えていたのだろうが、先ほどから彼は言葉を発する前に黙考している。

 単純に高校生がこんな交渉の場についていることにプレッシャーを感じ、発言に注意しているだけならいい。

 だが、何かのための時間稼ぎとも考えられる。

「そうですね、二つ目は音声通信を常に彼女とつないでもらえますか?

 彼女をかえしていただけるまで、です」

 しばらくして発せられたカケルの言葉に楊は再び思案した。

 彼女の生存を伝えること自体は問題ない。

 しかし、楊は自分たちがこの砦を出るまで周囲にかけられた結界の電波遮断効果を解くつもりはなかった。

 内部の交換用人質と共謀されると厄介だからだ。

 一応四人のボディチェックで通信機の類は見つからなかったが、現代の魔法師はアシスタンスデバイスを体に埋め込んでいる者の少なくはない。

 通信機を一緒に入れている場合も否定できないのだ。

 しかし、ここで拒否して日本側に攻撃されるのはさらに厄介、というよりもそうなってしまえば仮の任務を達成することは不可能になると言っていい。

 楊は部下に命じて、『檻』の外の学生魔術師たちに信号を送らせて、電波遮断の結界は解かれた。

 楊はカケルに渡すための無線通信機を音無終湖を拘束している仲間に連絡しようとした。

 その時、先ほど暴言を吐き、部下に殴り倒された青年から声がかかった。

 いや、彼は通話していた。

「そうだ、東アジア学生魔法師交流会会場だ。

 ……何? もう、侵入した? ……了解だ。

 ……そうだ、楊・紅花ホンファで間違いないな?

 ……ではよろしく。必要になれば合図を出す。

 ……あぁ、通信はつないだままにしろ」

 楊は目を疑った。

 青年、トモキ・ヒイラギの雰囲気が先ほどまでの彼から完全に変わっていたのだ。

 しかし、楊が驚いたのはそんな程度の理由ではない。

「貴様! 今なんと言った?」

 楊は自分の体が怒りに支配されていくのを感じた。

 交渉役のカケルを睨むが、彼は本当にトモキしんやの言っていることを知らないらしく、ぎょっとした表情で四人の人質を見ていた。

 隣のミナト・ヒイラギゆうかが「カゲ」と呟くのが楊の耳に届く。

 トモキしんや以外の四人は本当に彼のしていることを知らないようだった。

 周りの反応を気にせず、いや楽しみながら、トモキしんやは語る。

「上海で開催中の『東アジア学生魔法師交流会』。その中華帝国の高校生代表メンバー、楊・紅花。

 今、家の者が会場に潜入して彼女の額に狙いを定めている、と言っているんだ」

 トモキしんやの言葉に、自分の動悸が高ぶっていることを楊は自覚した。 

 敵に弱みを見せられないが、すでに自分が動揺していることはバレているだろう。

 楊はすぐに本国に事実確認をするように指示を出した。

 常時なら中華帝国の国家魔法師の所在地は機密指定事項で、楊レベルの権限を持ってしても開示されない情報なのだが、重要作戦行動の成否に影響するとなれば話は別なのだ。

「安心してくれよ、彼女の暗殺を企んでたCSAAオーストラリアの部隊はサービスで全滅させておいてやったぞ?

 あぁ、礼はいいぞ」

 楊の心音が加速する。

 トモキしんやのいうことを鵜呑みにはできないが、娘にはもう半年以上会っていない。

 中華帝国では数少ない魔法師の娘は年中多忙で、年に一度、彼女の誕生日の日にしか会えないのだ。

 しかし、楊は事実を確認するまで迂闊に行動できなくなった。

 そもそも、自分の名前も明かしたのはこの砦に彼らが入ってから、その上、彼らは砦に入ってからは外の人間と連絡を取れたはずはないのだ。

 ましてや、中華帝国が国家を挙げて隠している国家魔法師の名前や居場所などそう簡単にはわからないはずだったのだ。

 言われてみれば、最後に会った時、娘は来年度に自国で開催される国際セレモニーで表彰されると言っていた。

 楊も我が事のように喜んだのを覚えていた。

 そして、そんな彼の不安を煽るようにトモキは言う。

「ワーオ、娘さん表彰されてますよ! 

 すごい、アジア青年魔法師の魔法学の論文最優秀賞に、ノーデヴァイスロングレンジマジックの国際記録の更新!? マジですか!

 まさに文武両道ですね!」

 トモキしんやの興奮したような声が耳につく。

 彼の目は笑っていなかったが。

 楊の口内に血が滲む。

 噛み締めた唇が出血しているのだ。

「……娘は軍人ではない! 娘を人質にとることの意味を分かっているのか!」

 そんな風に叫んだ楊を冷めた瞳で睨んでトモキしんやが言う。

「中華帝国の法では魔法師は終身軍人だ。

 もちろん軍事活動に従事している時のみだが。

 そして、現在彼女が参加しているのはセレモニーだ。

 軍事行動じゃないな……」

「なら……」

「お忘れのようなので言っておくが、終湖、響介は軍人じゃない。

 もちろん軍事行動中でもなかった。

 だが、二人はお前たちが誘拐した。

 その意味を思い知れ!

 先に仕掛けたのはそちらだろう?」

 反論する楊にトモキしんやは言葉を重ねるようにまくし立てた。

 楊には返す言葉がない。

「これで、大切な人を人質に取られるということが、どういうことか理解できたか?」

 楊は反論できなかった。

 作戦に不満はあった。

 だが、自分にはどうしようもないのだ。

 楊は一瞬だけ、また心が揺らぐのを感じた。

 が、そこで本国に情報の開示を求めていた部下が戻ってくる。

 急いで駆けてきた部下は息を乱しながら楊に報告した。

「大尉、娘さんはご無事です。

 本国に問い合わせたところ、上海で行われている国際行事は『東アジア魔法師交流会』です。

 大尉のお嬢様は当然出席しておらず、彼女の現在地までは開示されませんでしたが、少なくとも上海におられません。

 ハッタリです!」

 その報告を聞いていた四人や、楊の部下は唖然としてトモキしんやを見た。

 不敵に笑う彼を見ても、楊の心には不思議と大きな怒りは湧いてこなかった。

 作戦行動中に自分が善人というより悪人であることは初めてではない。

 しかし、目をそらしていた部分をトモキしんやに指摘されて楊の心には迷いが生まれていたのだ。

 楊は邪念を払うべく、目を揉もうと手を挙げようとしたその時、複数の銃声が鳴り響いた。

 慌てて顔を上げると、トモキ・ヒイラギの体が三回衝撃に揺れた。

 彼の体が地面に倒れる。

 一瞬彼の体から波のようなものが広がったように感じて楊は目眩をおこした。

 目眩はすぐに治ったが、胸が痛む。

 彼の横では二人の少女が吐き気を堪えるように口をてで覆った。

 敵の前で平静を保てても仲間の死には耐えられなかったようだ。

 楊の心に罪の意識が芽生え始めた。

 赤い血が倒れた体の周りに広がった。

 慌てて駆け寄って右手袋を外し動脈に指を当てる。

 しかし、すでに彼は死んでいた。

 せめて、目を閉じて彼の死を悼もうとした楊に、隣から声がかかる。

「申し訳ない。こちらの者の粗相をお詫びします」

 顔を上げた楊が見たのは、先ほどとなんら変わらない表情で詫びを入れるカケルの顔だった。

 友人が殺されても眉一つ動かさないそのあり方に、楊は絶句する。

 それで、楊も心が元の状態に戻った。

「いや、申し訳ないが、君を彼の代わりに連れて行くことになる。

 詫び入らない」

 楊はそう言って、トモキの死体から目をそらし立ち上がった。

 そして、落としてしまっていた無線通信機を音無終湖を拘束している仲間につないだ。




 輝は仮想空間の中で透明なイスの肘掛を叩いた。

 手に痛みはなく、ただ、それ以上下に手を下ろすことが物理的にできないことが知覚できるだけだったが。

 真也が時間を稼ぐために盛大なハッタリをかましたことに助けられたが、彼が殺されたのは彼のミスで、自分の責任ではない。

 そうわかっていても、自分が前で、どうすることもできずに真也が倒れていくのを見ているのには耐えられなかった。

 しかし、輝はすでに光を操り、四人の姿を改変し、状況に合わせてAMPを薄くしていく作業で手一杯で、四方向から打ち込まれた銃弾を止めることはおろか、真也の治療もままならない。

 対象との間に距離がありすぎるのだ。

 無理に真也を治療すれば、四人の姿を今も変えている魔法が途切れ、全員がやられかねない。

 輝は再び肘掛に拳を叩きつけた。

「テル君。落ち着いてください!」

「落ち着けるわけないだろう……」

 愛七の制止に輝は怒鳴る。

 仮想空間内に情報粒子の操作が甘くなっていることを知らせるアラートが鳴った。

 魔術と違い、直接その発動工程に影響が出るわけではないが、魔法も人から放たれる以上、感情による影響を受けるのだ。

 しかし、次に聞かされた愛七の言葉は衝撃的だった。

「でも真也様は生きていますよ?」

「!? どういうことだ?」

 あまりに驚いたせいで、一瞬止まっていた警告アラートが再び鳴った。

 輝は深呼吸して落ち着きを取り戻す。

 仮想空間に空気はないので、あくまでポーズだけなのだが。

「私はプログラムにすぎないので理論上のことしかわからないのですが、テル君は真也様が撃たれる直前に放たれた力を感じられたのではないですか?」

 輝は思い返す。

 愛七がなぜ「力」というような曖昧な表現を用いたのかがわからないが、現代の世界で属人的、つまり一己の人間が発動できる能力は魔法と魔術のどちらか、もしくはその複合技術であるはずだ。

 しかし、真也たちがいるのはAMPが充満する結界の中で、彼にそのどちらも使えたはずはない。

 しかし、輝が微かに波のようなものを感じたのも確かだった。

 それは輝が十数年前からまったく感じなくなってしまったはずの魔術の発動に伴う精神世界のイメージの不自然な流動だ。

 魔術が発動される時、発動する魔術師を中心に精神世界の中では特定のイメージの収束が行われる。

 輝は過去に魔術師に必要な精神世界へのアクセス機能である「精神」を大きく損なってしまったために、それ以来、精神界のイメージの移動を感じたことはなかったのだが……。

 もし、先ほど感じた波動が、真也から発動されたとしたら、それはもはや魔術というレベルのモノではない。

 かなり大規模な魔術発動時のイメージ流動でも輝の欠陥した精神では感知できないはずなのだ。

 魔術を何十倍にも濃密に、強力にしたその波動を行使するには最強の魔術師の何倍もの「精神」、つまり、精神界へのつながりが必要になる。

 それほどの力ならAMPの妨害を強制的に突破してもおかしくはないと輝は思った。

「アレは魔術ではないはずだ……」

「ですね」

 呆然と呟く輝に愛七が賛同する。

「ましてや魔法ではない」

「でしょうね」

 再び同じやり取りを繰り返す。

「なら、あれはなんなんだ?

 魔術のようで魔術ではない!

 そもそもAMP濃度0.5パーセント以上の空間で魔道を発動できるわけが……」

「そうですね」

 今度は愛七の声が混乱する輝の言葉を遮った。

 その目的は彼を落ち着かせるためだけだろうか。

 モニターに表示された計測値の左上には『檻』内部のAMP濃度が未だに三パーセントをうわまっていることを告げている。

「愛七……、君は何を知っている?」

「それより、先ほどのイメージ波動はテル君のような魔法師にはともかく、精神界とのつながりが太い魔術師にはそれだけで打撃になります。

 普段から強力な魔術の行使に慣れていなければ、今頃倒れていても不思議ではありません」

 探りを入れる輝の問いを愛七は露骨に逸らした。

 しかし、輝にとって愛七の言葉は無視できるものではない。

 輝は魔法の制御に意識を戻し、優果と礼称が倒れるほどまでは弱っていないことを確認した。

 そして、砦を拡大していた眼下の3Dマップを再び『檻』の外まで見えるように広げる。

 輝のいる場所が高くなったように、眼下のマップの範囲が拡大された。

 『檻』の外には真也が起こしたと思われる波動をまともに受けた敵の魔術師たちの半数ほどが気を失って倒れている。

 魔術の発動中だったため、優果や礼称よりはるかに強く波動の影響を受けたのだ。

 輝は愛七への追求を諦めて、四人の姿の改変をしたまま、人数が減って強度の甘くなった『檻』の結界魔術への干渉を始めた。

 そこで、仮想空間内に再びロック音が響く。

 外部からの接続だ。

 友希に伝える情報を輝は頭の中でまとめ始めた。





「これから、本隊が島を脱出するまで敵は人質とこの通信をつないだままにしてほしいらしい。

 日本側が人質を引き取りに来るまで、この通信に関する判断を軍曹に一任する」

『了解しました。大尉、そちらは大丈夫ですか? こちらは今しがた日本皇国以外の勢力に襲撃を受け、撃退したもののAMP弾を使い切ってしまいました。

 もし、本隊の装備で余っていれば回していただきたいのですが……』

「悪いがこちらにももうAMP弾は残っていない。

 残りの兵器で対応してくれ。

 日本以外の勢力がどこのものかわかるか?」

『申し訳ありません。オーストラリア軍の装備ですが、おそらく偽造だと思われますので、不明です』

「わかった。では、よろしく頼む」

『大尉こそ、武運を祈ります!』

 楊は、自分たちが本隊のために島に残されたとわかっていても、こちらのことを心配してくれている部下に感謝して、カケルに通信機を放った。




 翔朧は楊が投げた通信機を受け取って、耳に当てた。

 もし、ここで聞こえてくるのが敵の声なら、作戦は失敗だ。

 人質、終湖を自分たちが交渉で時間を稼いでいる間に、友希たちが救い出していなければ、作戦の第一段階は失敗。

 そして、自動的に第二段階も失敗になる。

 真也が敵に殺されるほどのハッタリをかましてまでして、時間を稼いだ意味もなくなってしまうのだ。

『……来た、見た、勝った』

 緊張していた翔朧はふざけた友希の声に脱力した。

「当然、終湖も保護したんでしょうね?」

『ああ、もちろん……』

『……カケルお兄ちゃん。終湖だよ!』

 そして、少しの間があって、自分を兄と慕ってくれる少女の声が通信機から聞こえてきた。

 ホッとして、翔朧は通信機を右の肩に挟んだ。

 これが他の四人、いや、真也が死んでしまったので三人に第一段階の成功を知らせるサインなのだ。

「……よかった。もっと話していたいけど、まだ終わってない。

 友希さんに代わってもらえるか?」

『帰ったら……、全部終わったら、慰めてよね! 代わります』

 辛そうな様子を微塵も感じさせない終湖の声に翔朧は安心した。

 強がれるだけの余裕は残っていたからだ。

『……代わったぞ。まず状況を報告する』

「はい」

 先ほどまでのふざけた調子が消えて、完全に真剣な口調に戻った友希が言う。

『まず、第一段階フェーズ1は成功した。

 報告が終わり次第、第二段階フェーズ2に移行してくれ。

 こちらは終湖を寮へ連れて帰って、そのあとアリサの回収に行く』

「了解!」 

 翔朧は敵に声を聞かれないよう、小声で短く返答した。

『最後に、輝との連絡はこの通信機でいい。

 輝からの言葉はオレが中継する。

 輝はこの通信を傍受してるし、オレと輝が通信してるからな』

「了解です。友希さん、こちらからも報告しておくことがあります」

 翔朧は重たくなった口を無理に動かす。

『どうした?』

「実は、真也が……」

 もともとの作戦では翔朧側から伝えることはなかったので、戸惑ったように友希が尋ねる。

 隣で地面に伏している亡骸見ながら報告しようとした。

『あぁそれな、悪い。言うの忘れてたんけど、輝曰く、真也は生きているらしいぞ』

「は? え? どういうことです?」

 翔朧は取り乱した。

 そして、少しして落ち着きを取り戻す。

 慌てて敵の様子を確認したが、自分が取り乱したことを、疑問に思った様子はなかった。

 むしろ、仲間がうまく、翔朧を脅したとでも思ったのか、ニヤニヤしている者もいる。

『そういうことだ。これ以上は知らん。

 あと、さっき敵の、楊とかいう指揮官が言ってたんだが、奴らもうAMP弾を持ってないらしい。

 思いっきりかませ!』

 あまりこの通信に時間をかけると、敵に疑われると思った、友希が早口でまとめにかかる。

「はい! では真也は放っておいていいのですか?」

『そうらしい』

「了解! フェーズ2へ移行します」

 友希の懸念はもっともなので、翔朧はもう一度だけ真也の扱いを簡単に確認した。

 そして、作戦の第二段階の開始を宣言して、通信機を下ろし、ズボンのポケットにねじ込んだ。

 改めて落ち着いて見回すと『砦』の中はすっかり片付いており、敵の撤退する準備は万全のようだった。

「条件はこれで問題ないな?」

「はい」

 通信の完了を確認して、楊が言う。

 翔朧は情報粒子の操作感覚が戻っていることを確認して、それに答えた。

 すでに、四人と真也の周りからAMPは取り去られている。

 四人は、各々の心を戦闘モノードに切り替えていった。



「すみません。あなたたちに従うことはできません」

 楊は四人の青年たちに背を向け、ついてくるように指示した。

 彼らがそれに逆らう可能性など考えてもいなかった。

 だから、彼らの交渉役であり、先ほど死んだ人質の代わりに連行することになったカケルが今、放った言葉が信じられなかった。

 楊は振り返って、四人を見る。

 彼らの表情を見る限り、今の言葉は本気のようだった。

「……何を言っている? これ以上死人を出したいのか?」

 楊は撤退のタイミングを失うことを気にして焦りながら、四人に問いかけた。

 先ほど、四人の後ろで倒れている男に時間を無駄に食わされたこともあり、楊の言葉は怒気を含んでいる。

 これ以上殺したくない、という気持ちの表れでもあったが。

 楊は人質、終湖を拘束している部下のもとに再び通信をつなぐ。

 しかし、なぜか応答しない。

 楊の背を一筋の冷や汗がつたう。

 楊は四人の周囲の部下に銃を突きつけさせた。

 そして、後ろのコンテナの兵士にも、もう一人の人質、響介の頭にも銃を突きつけさせる。

「こちらに人質がいることを忘れるな!

 無駄な抵抗は止せ。AMPの充満している場所ではお前たちは無力だ」

 そう、楊たちの優位は変わらない。

 目には見えないが、AMPが充満しているこの結界の中において、手ぶらの魔道師たちと銃を持つ自分たちのどちらが有利かは明らかだ。

 しかし、彼らはひるむそぶりすら見せなかった。

 楊はやむなく、各自の判断で発砲する許可を出した。




 四人を包んでいたAMPは今や、完全に取り除かれ、四人と精神界・情報界のつながりを阻むものはなくなっている。

 銃を構え、砦の中央に立つ四人を、地面より高い位置にいる兵士が一斉に狙った。

 地上の兵士が一斉に発砲すれば、仲間に流れ弾が飛びかねないからだ。

 緊迫した空気が立ち込め、沈黙が砦を包む。

 不意に翔朧を除く三人と倒れている真也を包む変装の魔法が解けた。

 楊や敵の兵士が困惑する。

「来い! 村正、群千鳥!」

 彼らの困惑した声を無視して、颯太が叫ぶ。

 その声を術式として、精神界に納められる概念に変換されていた短刀が現界する。

 同時にその刀に付随するイメージが魔術として刀の能力を上乗せする。

 颯太は魔法師であり、魔術師ではないが、物質概念化という技術に関しては天賦の才を持っていた。

「セクメト来なさい!」

 続いて優果も叫ぶ。

 精神界内のその名称に関する人々のイメージが集約して、形成される『擬人化された概念アンスラァパァモォーフィック・コンケプトゥス』の中でも最も人らしい感性を持つ『精霊』の一種である『神霊』のセクメトが黒猫に憑依することによって現界する。

 セクメトは古代エジプトで信仰された反逆者を惨殺する女神であり、転生する前のバステトであるとも言われている。

 優果が最も相性がいい精霊がこのセクメトなのだ。

 普段バステトを神霊であるにもかかわらず簡単に長時間使役できるのは、彼女の実力に加え、相性がいいという事情もある。

「真也くんの分も頑張りますよ!

 我らが父にして、大いなる天空の支配者よ。我が身にその無限に尽きることのない威光の僅かな欠片を貸し与えよ。

 轟け、雷霆ケラウノス!」

 礼称が術式を詠唱し、彼女の右手に周囲の空気が焦げるほどの雷が出現する。

 本人は戦えない真也の代わりに雷魔術を真似しているのだが、真也が実際に雷という概念に対するイメージを具現化するのに対し、彼女の雷霆ケラウノスはギリシア神話の最高神の持つ武器に対するイメージの具現化であり、全く別のものだ。

「起動しろ! 《R・D》」

 翔朧の言葉で彼の体から熱気が吐き出された。

 彼の体の半分弱を構成している銀色の機械が心臓部の光を中心に脈動する。

 そして、彼の体から容赦なく情報粒子を吸い上げる。

 機械と体の境界線が曖昧になっていく。

 彼の義体は全て、彼が崩壊時に遭難した別位相で命を助けられた時に付けられたもので、その技術は全く解明されていなかった。

 しかし、それが今、核を得て動き始めていたのだ。

 四人のアクションを見て、高所の兵士が一斉に発砲した。

 銃声が連続して響き、そしてその全てが空中にで堕とされた。

 颯太の斬り払う刀が、優果の操るセクメトが、礼称の揮う雷霆ケラウノスが、翔朧の左手、赤い竜に変形した義手から吐き出された炎が、向かってくる銃弾を連続で防ぎきったのだ。

 遠距離からの攻撃に全く効果がないと錯覚した敵兵士が白兵戦に持ち込むべく突撃を始めて、砦の中は敵と敵が入り乱れる戦場と化した。




 楊は目の前で起きたことが信じられなかった。

 魔道を奪われていたはずの敵が、魔道を用いて自分たちに反撃してくる。

 しかも、どうやら今まで自分たちが捕まえていた敵は自分たちが思っていた人間とは違っていた。

 カケルを除く四人は偽物だったのだ。

 魔道が使えない状態でいったいどのようにして変装し、AMPから逃れたのかはわからないが、楊にはそれを考える暇がなかった。

 楊たち非魔道師にとって魔道は脅威だ。

 なにせ、その発動プロセスを理解できても、感知することも、実効することもできない。

 その上、敵がどのような魔道を使えるか全くわからない。

 そして、自分たちはそんな謎に包まれた敵に手の内がバレバレの銃器とナイフで対抗するしかないのだ。

 無論、楊たちの部隊が魔道師と戦うのは初めてではないし、味方に魔道師が居ない状態で勝利を収めたこともあった。

 しかし、今、彼らの前に立つ四人を相手にするには装備と人数と作戦、その三つの必要不可欠なものが欠けていた。

 いや、自分たちにはまだ人質が残されている。

 楊は銃を手に背後の二段目のコンテナの兵士に敵を脅せと伝えようとした。

 その時、彼の背後で悲鳴が上がる。

 慌てて振り向くと、人質を拘束していた兵士が倒されていた。 

 AMPがなくなったということはつまり人質もその力を取り戻したということなのだ。

 先ほどまでは睡眠薬を打ち込んで眠らせていたのだが、交換のために起こしていたのが間違いだった。

 人質、響介はすでにコンテナの中にはいない。

 慌てて周囲の壁面を探すと、少年は五列横の一番上のコンテナの

 楊はとっさに生け捕りを諦めて、射殺するべく銃を構えた。

 彼が最後のコンテナを駆け上がり、砦の壁の向こうへ姿を消す前に十発は打ち込める。

 楊はスコープに少年の体を捉え、引き金を引こうとした。

 しかし、罪悪感が胸を付き、指が数秒止まってしまう。

 それでも少年を殺すには十分な時間があった。

 しかし、そこで楊は後方で膨らんだ殺気に反応して大きく右方へ飛んだ。

 直後、彼が先ほどまで銃を構えていた場所を雷と紅炎が通り過ぎていった。

 その隙に人質の少年は最後のコンテナを超えて、砦の外へと脱出してしまう。

 振り返ると、カケルと女がこちらに武器を向けていた。

 二人の姿は飛び込んできた部下たちに遮られて見えなくなる。

 銃撃戦を放棄し、突撃する部下たちを止めようとしたが、楊は口を閉ざした。

 銃撃戦では敵に障害を与えらられないらしいことはわかる。

 魔道は一般的には持続力に欠けるので、AMP弾を使えないときは弾幕を長く維持するのがセオリーだが、長い潜伏によって弾薬は尽きかけていた。

 現状の戦闘に至る一連の作戦をやってのけた目の前の魔道師たちが三下でないことは明らかだ。

 そんな彼らを相手に根比べ、つまり魔道と弾のどちらが先に途絶えるかを競うのは難しい。

 楊は自分も銃に銃剣を取り付け、小さな戦場の渦中へと飛び込もうとした。

 が、そこで胸ポケットに入れてある脱出補助に来る部隊との連絡用の通信機から連絡が入った。





「うらぁぁぁぁぁあ!」

 颯太が気合とともに両手の刀を振り回し、剣撃によって敵を沈めていく。

 颯太と戦うことだけを考えたなら、白兵戦に持ち込んだのは間違いだったと言えるだろう。

 無論、他の三人、特に礼称と翔朧が遠距離からの攻撃をまったく寄せ付けず、逆に狙い撃ちにされるために、仕方のない判断だと言えるのだが。

 右手の短刀が押し切れずに敵の銃剣に捕まる。

「死ね、クソ魔法師が!」

 颯太の勢いを止めた兵士が笑みを浮かべ、中国語で罵声を浴びせながらサブウェポンで颯太を狙う。

 しかし、颯太はあっけなく短刀を手放して、加速を開始した。

「鬼切安綱、抜刀」

 そして彼の言葉とともに長刀が右手に限界した。

 視認し難い速度で閃いた颯太の右手の刀がサブウェポンを構える敵兵士の左腕と、颯太の短刀を止めた銃剣付きのメインウェポンを握る右腕を肘の上で切断する。

 敵兵士は両腕から血を撒き散らして血に伏した。

 少し早く颯太の短刀、村正が地面に落ちる。

 悲鳴をあげる兵士の心臓に颯太は容赦なく刀を突き通した。

「死ね、は余計だよ。

 四方院家家訓その八、口よりも先に手を動かせ、だ。

 おっとこれもアウトかな?」

 颯太は絶命した兵士を見下ろして呟く。

「群千鳥、収容」

 颯太が呟くと同時に、短刀は再概念化され現実の世界から姿を消した。

 颯太は刀を変えて間合いを操り、巧みに敵を翻弄し、圧倒的速度でヒットアンドアウェイ、もといヒットアンドヒットを繰り返す。

 ヒットアンドアウェイをするには敵が多すぎるのだ。

 彼の加速は魔術ではなく、魔法師らしく魔法によるものだ。

 本来、魔法には愛七のような人工知能などの外部演算装置の補助が必要なのだが、中には勘でそれを代替してしまう魔法師も存在する。

 颯太はそのタイプだった。

 「超越感覚ハイパーセンス」。

 魔法師の持つ情報界へのアクセス能力を拡張したような力だ。

 魔法師は情報界へ、脳内の『情報粒子操作部』を通じて現実世界の改変対象となる物体『オブジェクト』を情報界内の『情報形状』として照準し、そこに含まれる膨大な量の情報を演算によって必要な形に書き換える。

 颯太はそれを日常的に周囲の物体全体を一個のオブジェクトとして情報を無意識に読み取る体質なのだ。

 それによって、未来予知に近い第六感を備えており、五感で読み取れる情報以上の速度、量の情報を常に読み取り、勘で処理している。

 それによって、彼の魔法は輝のような精密性には欠けても、圧倒的な速さを手にしているのだ。

 そしてそれは、四方院家の魔法戦闘技術と合わさって魔法込みの白兵戦における颯太の力を絶対のものにしている。

 これでも彼をボコボコにする四方院家の方々ははっきり言ってバケモノなのだった。

 魔法の速度、未来予知に近い第六感、そして魔法を使った白兵戦闘技術、さらには無数の刀剣。

 四つの要素が彼と兵士たちの力の差を歴然としたものにしていた。

 颯太は決して敵を殺すことに快感を覚えたりしない。

 しかし、ためらうこともない。

 四方院家の子息は戦場のルールを正しく理解していた。



「『死ね! 死ね! 死ね!」』

 バステト、もといセクメトを宿した黒猫と優果ゆうかが、敵を血祭りにあげながら哄笑する。

 颯太とは正反対に、優果は敵を殺すことを楽しんでいるようだった。

 その姿は復讐の女神の名にふさわしく、その主人の姿も同様だ。

 優果は血を見るのが好きなわけでも、殺人が趣味なわけでもない。

 ただ、復讐のためだけに優果は敵を刺し、潰し、切断する。

 ネコの見た目どうりの敏捷性と、見た目にふさわしくない膂力を振るって、セクメトが兵士を屠っていく。

「このキチガイがぁぁぁ、死ね死ね死ねぇぇぇぇぇ!」

 恐怖に体を支配された兵士が一人、ろくに力の入らない両手で銃を握り、優香の背後から突きを放つ。

 しかし、銃剣が優果の背に突き刺さる寸前で、その兵士は左胸を右手で潰れそうなほどに握りしめて、銃を取り落とし地面に転がった。

「ぐあぁぁぁぁぁぁああ!?」

 何が起こったのか理解できずに男は心臓のあたりから生まれる正体不明の激痛に襲われる。

 その痛みは物理的なものではなかった。

 どちらかと言えば失恋や絶交時に訪れるこころの痛みに近い激痛。

 脳の働きが生み出す「心」とは別の「精神こころ」が悲鳴を上げる。

 まるで自分のものではないかのように暴れ狂う精神に兵士は発狂しかけた。

 その痛みは兵士に気絶することを許さず、しかし深刻な圧力をかけてくる。

 優果が交戦中だった敵を倒し、金色のセミロングをなびかせて振り向いた。

 その顔は嗜虐心溢れる笑みに満ちている。

「セクメト、半殺しやっちゃえ!」

『殺殺殺殺殺撲殺殺殺殺惨殺‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎』

 主人の命令が聞こえているのかも疑わしい狂乱状態の黒猫が兵士の味方のものであろう肉を咥えたまま、兵士の上に飛び乗った。

 重量の差があるにもかかわらず、兵士は身動きすることもできない。

 そして彼は物理的に体を抉られ、絶命するまで何度も意識を失い、その度に精神的な痛みで覚醒させられた。

 それを見て優果は笑う。

 暗く、暗く、どこまでも暗く。

 優果を刺殺しようとした兵士が襲われた激痛は優果の固有魔術である『精神支配』によるものだった。

 精神支配はその名の通り、人間が持つ脳が生み出す心とは別の「精神」を操る能力だ。

 人間の魂とも言えるその精神は現実界には存在せず、精神界の混沌の中に存在する。

 人間の精神は人の中にある器に、精神界のエネルギーが注がれたものだと言われるが、詳しくはわかっていない。

 その器が大きく、精神界とのつながりが太い者が魔術師なのである。

 だが、魔術師でないからといって「精神」がないわけだはないのだ。

 そして、優果はその個々の精神を精神界を中継して直接操る力を持っている。

 従来の魔術と違い、直接精神を操るため、他人の情動を変化、付与したりすることができるのだ。

 先ほどの兵士が受けた痛みは喪失感を何倍にも膨らませた痛みだった。

 颯太は敵を確実に、冷徹に、ためらいなく殺していく。

 敵を生かしておけば、それだけ不確定な要素が増えて、万が一の可能性が高まってしまうからだ。

 しかし、優果は

 あえて、血を流させることで敵に恐怖を与え、あえて、致命傷を与えないことで敵を苦しめる。

 そのスタイルはどうしようもない優果の狂気を知らしめると共に、優果の戦闘力が高いことを示していた。

 彼女に目をつけられた味方が血しぶきを上げて、しかし死ぬこともできず想像もつかない苦痛に悲鳴を上げる。

 優果は中華軍兵士にとって颯太以上に恐ろしいものだった。





 空気が焦げる音が兵士たちを恐怖に陥れる。

 何の変哲もない黒の長髪の少女が振り回す右手に握られた雷霆が、それだけで非力な少女と銃器を構える屈強な兵士たちの立場を逆転させる。

 とはいえ、武器はそれだけだ。

 その雷霆にさえ当たらなければ相手はただの女子高生である、と兵士たちはそう思っていた。

「うおぉぉぉおお!」

 雄叫びを上げて、六人の兵士が一斉に飛びかかった。仲間に当たることも厭わずに手にした銃を放つ。

光輝の鎧ランヴォ・パノプリア

 礼称れあの詠唱と共に彼女の体が眩い輝きに包まれる。

 体のラインがわかる程度の薄い光の鎧は彼女に向かう弾丸を残らず灰に帰す。

 そして、運悪く最も前に出ていた兵士も灰となった。

「うぉおぉあぁぁぁ!?」

 慌てて残りの五人が飛び退く。

 しかし、一人が恐怖で足をもつれさせて転倒した。

 礼称は神光を纏い、冷たい目でその兵士を見下ろして再び詠唱する。

山羊皮の楯アイギス!」

 その一言で彼女の右手に楯が出現する。

 礼称はそれを下に向けて足元の兵士に突きつけた。

 が、すぐにそれを消滅させる。

 維持に力がいるというよりも何か欠陥があるのだろうか。

 足元の兵士は完全に石と化していた。

 そして、鎧の間合いから逃げ切った四人の兵士は雷霆ケラウノスの間合いに戻っていた。

「雷よ敵を薙ぎ払え! でしたっけ?」

 気の抜けた声と共に礼称が雷霆を振るう。

 それだけで四人の敵は炭になった。

 彼女の見た目や雰囲気と目の前で行われた破壊のギャップに兵士たちは錯乱してしまう。

「う〜ん? これ、アダマスさんを使うまでもない感じですかね?」

 それでもいつもと変わらない彼女は異常だ。

 しかし、これは彼女の儀式だった。

 彼女は信仰・伝承に関する魔術の権威である神宮寺家の子女である。

 世界各地の神話や伝承を元に組み上げられた術式は信仰によって生まれる多量のイメージをより合わせて、圧倒的な魔術を生む。

 神話に関する魔術は使いやすく奥が深いのだが、彼女はその最新まで迫るほどの才能を持っおり、その才能を開花させるために生まれてからずっと家から一歩も出ることなく調整されてきたのである。

 礼称の性格ではいくら戦場といえど殺人はできないように思われるが、彼女に堪えた様子はなかった。

 礼称はこの殺戮を儀式の一部として考えているのである。

 魔術儀式とはそれ自体が魔術を発動するための術式であり、精神界のイメージを収束するためにはより確かな自己暗示が重要なのだ。

 そして彼女は普段ならともかく、魔術の行使に関してはプロだった。

 ようするに、殺人に対する忌避や敵に対する恐怖といった、は全て無視しているのだ。

 ギリシャ神話の最高神は決して敵に恐れをなさない。

 ただ、神の王として力を振るうのみである。

「そう、私はプレイボーイ♪」

 礼称は自己暗示を強化しながら戦場を席巻する。

 冷徹に敵を倒すほどに彼女の魔術は強化され、強化された魔術はさらに多くの敵を屠る。

 輝く鎧と空気ごと敵を焼き殺す槍、そして、要所要所で礼称を守護し、敵を石化させる楯で敵は捕縛、もしくは焦がされていった。





「うぁぁああ!?」

 翔朧かけるの右の脇腹を浅く切った兵士が悲鳴を上げて後ずさる。

 そしてそのまま仰向けに倒れて転がった。

 兵士は右の脇腹をおさえてのたうち回っている。

 兵士の脇腹には翔朧の脇腹に付けられた傷の七倍はありそうな傷が刻まれていた。

 傷口からは血が溢れてコンクリートの地面を赤く濡らしていた。

 翔朧はそんな兵士を眺めて、頬を紅潮させる。

 獰猛に笑ったその目は赤く、犬歯が鋭く突き出ていた。

「バケモノが! シネェェェッ」

 無防備に恍惚として倒れた兵士の傍にしゃがもうとした翔朧を背後から別の兵士が襲いかかる。

 翔朧はそちらを振り向くこともしない。

 背後の兵士が銃剣を翔朧の右の肩甲骨の下に突き刺した。

「ぐああぁぁぁあああ」

 直後、その兵士が右の背をおさえて絶叫する。

 兵士には肩甲骨の下から肺を通過し肋骨の前へ抜ける刺し傷ができていた。

 その傷は翔朧が彼に付けられた傷の約七倍ぐらいの深さがある。

 翔朧は背後の兵士を無視して最初に襲ってきた兵士の首筋に顔を近づけた。

「だめだ、だめだ、だめだ」

 しかし、すぐに顔を離し、目を覚ますように首を振った。

「禁欲・禁欲・禁欲・禁欲・禁欲」

 呪文のように謎の言葉を唱えて、再度首を振る。

 それは、術式などというたいそうなものではなく、単純に自己暗示みたいなものだ。

 もっとも、現代においては魔法も自己暗示に近いところがあるのでなんとも言えないわけなのだが、とにかく、彼のその言葉に魔道的な意味はなかった。

 それどころか、彼は先ほどから魔術の術式や魔法の演算など、魔道の発動に必ず必要なはずの行動を何一つ行っていないのである。

 兵士たちはなぜ、仲間が何もされていないのにいきなり傷ができ、倒れたのか理解できなかったが、何をすれば攻撃を受けるのかを理解してしまった。

「そんな……自分の受けた傷をそのまま……、いや、何倍にもして返しているのか!?」

 兵士の一人がつぶやく。

 普通の人間にとって魔道は理解できないものであるからに恐怖の対象となる。

 中華の兵士も魔道に対する恐怖がないわけではなかったが、経験と知識を持っているために、敵の魔道を適度に恐れて対抗するための方法を練ることができるはずだった。

 しかし、今、自分たちの目の前にいる敵は攻撃すればするほど自分たちがその数倍のダメージを受けてしまうのだ。

 しかし、敵を倒すには攻撃するほかない。

 一人の兵士は銃で中距離から攻撃したが結果は同じだった。

 銃弾の命中すると、兵士の全く同じ部位が対物ライフルで抉られたかのような傷を受ける。

 彼らは犠牲覚悟で、敵を潰すことに決めた。

 そうしなくては敵を倒す方法がないと判断したのだ。

 そして、彼らはさらなる絶望を目にしてしまう。

 翔朧は何故か、交渉役ゆえに身体検査時に取り上げなかったパックジュースからトマトジュースを飲んでいたのだ。

 そして、問題はその後だった。

 ジュースを飲むたびに、彼の体が修復されていくのだ。

 一度、喉が上下に動き、最初の兵士から受けた脇腹の傷が消えた。

 再び喉が動き、二つ目の肩口の傷が消える。

 三たび喉が動いて、三つ目の銃創が消えた。

「ふー……」

 ため息をついて翔朧が兵士たちを見る。

 兵士たちは呆然としていた。

 攻撃をすれば、自分も傷つき、しかも相手は修復する。

 彼らは完全に戦意を喪失してしまっていた。

 翔朧は退屈そうに、無抵抗の兵士たちを血を流させないように気絶させていった。




 戦場を離れて楊は脱出補助部隊からの通信に応答した。

『大尉、ご無事ですか?』

 楊は安否を問うその声に、彼らに非がないとわかっていても苛立っている自分がいることを自覚した。

「無事だ。が、砦が襲撃を受け、AMP弾も使い切り、『檻』もやぶられた。

 サンプルの確保は不可能に近い。なにせ、そのサンプルに全滅されかかってるんだからな……」

 楊は気持ちを抑えて状況を伝える。

 すると何やら向こうの中尉は慌てて言った。

『大尉! まずいですって、サンプルがなければ我々は島への接岸許可を取り消されます。黙っててください! 万が一、この通信が本土に届いていたら大尉たちを助けられなくなります!』

 そういうことだった。

 結局は捨て駒。

 人口の多い本国は普通の特殊訓練を受けた兵士などいくらでも替えがきくと思っているのだ。

 そして、それは間違いとは言えない。

 切り捨てられたくなければ結果を出せ、ということらしい。

 今まで通りだった。

 軍人同士なために通信先の中尉は自分たちを見捨てるつもりがない様だが、お偉い様方は早速見切りをつけ始めたらしい。

 中華の歴史に名を連ねる偉人の復活者リヴァイヴァーたちが集う至高議会で見捨てられたなら、しかたのないことに思えるから不思議なものだ。

『大尉。ダミーの無人輸送機を使って援護します。諦めないでください』

 楊はその言葉を聞いて気を取り直した。

 戦争慣れした頭が作戦を組み上げる。

 楊は中尉に作戦を伝えて、戦場に戻った。





 天神島の北部海岸上空を魔術や、魔法には劣るものの高いステルス性能を持つ中華帝国軍の無人輸送機が飛んでいた。

 すでに最終警戒ラインを超えているが、本土の皇国軍はその機体に気づいていなかった。

 科学的なサーチを潜り抜けられても、魔術索敵網を抜けられることは滅多にないのだが、現在、天神島の魔術師警備隊は島の西岸から放たれた正体不明の精神波動によって、機能しなくなっていた。

 無人航空機は西の海から送られてきた電気信号に従って、二つしかない装備の両方の発射準備を行う。

 そして、まず、下方向への指向性弾頭を搭載したミサイルを島の西外周区の端っこの兵器工場へ向けて発射した。





『テル君! 島の北部沿岸上空に未確認の機影を確認しました!』

 無駄にけたたましい(とひかるは思う)アラーム音が車内に響き、彼の脳に届く。

「そんなのどうでもいいだろう? どうせ軍の連中が処理するさ!」

 そんな愛七に輝はダルさを隠そうともせずに返事した。

 輝はAMP下で魔道を使えない四人の代わりに四人を遠距離から変装させ、かつ同時に、彼らの周りのAMPを取り除くという離れ業をやってのけた後だったのである。

 彼はすでに役目を終えて、仮想世界から出て、現実の車の中で休憩していたのだ。

 ブレイン・マシン・インターフェースを用いたヴァーチン(ヴァーチャル・インの略)を長時間行うと、やり取りする情報量にもよるが、普段以上に脳が疲労する。

 彼のやる気が低いのはそのためだった。

 しかし、さすがの彼も、続く愛七の報告を聞いては黙っていられなかった。

『いえ、変です。最終警戒ラインを超えているのに、国籍も何も表示されないなんて! しかもこのまま高度を落として直行すれば、世界樹に激突します!』

「了解、BMIセットアップ!」

『準備できてます』

 用意がいいAIに感心しながら、輝はフェイスヘルメットをかぶり、背もたれに体重を預けた。

 自動でヘルメット型BMI(ブレイン・マシン・インターフェース)にコードが接続される。

「コネクター・アクティベート」

 音声認識プログラムが彼のオーダーを正しく理解し、彼の意識は再び仮想空間へと旅立った。

 風景はさっきとは打って変わって空の中だ。

 眼科には雲の切れ間から、天神島北部の蛇亀山が見える。

 彼の横を灰色の機体が飛んでいた。

 輝の体もそれと同じ速度で

 そして、輝がちょうど、情報世界内で視覚が認識している機体を発見したその時、太った灰色の鉛筆のようなものが機体の腹から吐き出された。

 ミサイルだ。

 先ほど、二人が皇城に放ったものと違い、機体同様ステルス性を追求したものだ。

 金属の反応はほとんどなく、煙もない。 

 愛七が演算し、輝がミサイル撃墜のための魔法を編み上げる前にミサイルは二人の仮想の視界から飛び去った。

「愛七! さっきのミサイルの軌道を計算してくれ。

 同時作業で、この機体を堕とすぞ!」

「了解ですよ、テル君!」

 打てば響くようなコンビになった二人が魔法を編み上げていく。

 そこで愛七が人工知能らしからぬ驚きの声を漏らした。

「どうした?」

 嫌な予感がして輝は尋ねた。

 愛七は仮想の体の顔に焦りを浮かべて、言う。

「さっきのミサイルの誘導先はテル君の体の乗った車のある工場です!」

 輝はそれを聞いて焦り、先ほどまでの怠慢な自分を呪った。

 充分働いているはずなのだが……。

 しかし、これ以上追撃を受けないためにも、ここで無人機を潰しておく必要があった。

「愛七、車を出せ! 運転は任せる。意識を戻す前に機体を堕とすぞ!」

「はい! 車を島の中心へ向けて出しま……! ゲートが開くのにまだ一分強かかります!」

 彼女の表情は硬く、声も心なしか苦しそうに赤くなっている。

 連続して高度な演算を並列で行っているために本体がオーバーヒートしつつあることを表しているのかもしれない。

「機体の撃墜ルートの演算終了しました。撃墜魔法、行けます!」

 愛七が叫ぶ。

「圧空砲、解放!」

 輝の指令で、機体の周囲に形成されていた収縮した空気の玉の一部にかけられていた力が消失する。

 空気がその一点から一斉に元の大きさに戻るべく炸裂した。

 一気に全体を解放する圧空弾に指向性を持たせる分やや難易度が高いがポピュラーな魔法だ。

 しかし、そこに輝の技能が合わされば、超遠距離から、愛七の演算に沿った正確な爆破が可能になる。

 輸送機は爆発し、愛七の演算の通りに島の北の海へと落ちていった。

「ディスコネクトッ!」

 輝は仕事を終えて脳につながる回線を緊急切断コマンドで強制的に解除する。

 愛七もすぐに工場に向かっているミサイルから工場と輝を守る魔法を編み上げるのに必死だ。 

 そのため、二人は輸送機の爆煙に紛れて飛び去った二射目のミサイルに気づかなかった。

『すみません、テル君。演算間に合いません! 工場の方はなんとかします』

 遅々として上がらない工場のゲートを見て輝は工場から脱出する時間が無いことを悟った。

『来ます!』

 愛七が叫ぶ。

 輝は勘を頼りに自力で体の形を固定する魔法と体を完全囲む防壁魔法を構築した。

 そして、ミサイルが工場上空で炸裂し、榴弾を下方向に向かって撒き散らす。

 その多くは工場の天井を貫通し、中の地下シェルターに時間的に入れきれなかった兵器を巻き込んで誘爆を起こした。

 轟音と爆炎が輝の周囲数センチの空間を覆う。

 さすがは装甲車と同等の防御力を持つだけあって、車は内部の輝を守った。

 ガラスは全て割れ、そこから入り込んだ炎と爆風で輝は骨数本を折り、何箇所も出血したが、命と意識は無くさなかったのだ。

 生来の魔法師でない輝は颯太のような勘で魔法を完成させる技術を持っていない。

 そして、それが裏目に出て、彼は立ち上がることもできなくなっていた。

 なんとか魔法で防御したまま車の窓から、下車する。

 工場は全壊しており、数カ所から火の手が上がっていた。

 少し這っていって途中で力尽きて輝は仰向けに倒れた。

 黒い痣のようなモノが輝の体に広がっていく。

 すぐにその痣は全身に広がった。

 真っ黒になった輝の視界を縦に、工場よりさらに西に向かって何かが飛んでいく。

 ここを襲ったものと似ているそれは、島の西端の砦となっているコンテナボックスに向かっていた。





「チェックメイト、よ!」

 優果ゆうかが楊をセクメトに抑え込ませて宣言した。

 指揮官なら何か有益な情報を吐かせられるかもしれない、と殺すのを自重したのだ。

 すでに砦の中で動くものはいなくなっていた。

 中華帝国軍の兵士はその大半が死体や石像となり、残った十数人も中度以上の負傷を負って拘束されている。

 そんな状況においても楊は何故か笑っていた。

 憤慨して殺害しようとしだした優果を礼称れあが抑えて、不気味に思った翔朧かけるが楊に尋ねる。

「あんた、なんで笑ってんだ? それも、絶望じゃなく、希望に満ちた笑いだ。あんた、この状況でどうして笑ってられる?」

 翔朧は楊の襟を掴んで強気で尋ねる。

 そんな翔朧に楊は笑みを止めないまま、肩を竦めて答えた。

「日本の将棋には詳しくないんだが、こう言うんだったかな?

 逆王手だよ、日本皇国の若き兵士諸君」

「何言って……」

 思わず聞き返す翔朧。

 しかし、楊はその問いには答えず、膂力で手を縛る縄を引きちぎり、胸ポケットから娘と自分が写る写真を取り出した。

「気をつけて下さい! 紙に刻印術式が仕込まれています。高度な遅延発動型魔術であると思われます!」

 礼称が楊に最も近いところにいた翔朧に忠告する。

「ご明察! 娘がくれたお守りさ」

 楊は笑って言った。

 四人は、爆発などの攻撃に備えて、身構える。

 颯太が、楊を再度、拘束するべく魔法の発動プロセスをスタートさせた。

 そして、情報界にアクセスし周囲の情報を読み取って彼はそれの存在に気づいく。

「マズい! みんな防壁……」

「解放スル!」

 颯太が叫ぶ直前に楊が術式を唱えた。 

 彼の娘の刻んだ魔術刻印に従い、閃光が四人と楊の視界を奪う。

 視覚という最も重要な情報を失ったことによって生まれた一瞬の隙に楊は颯太に組みついた。

 颯太がまともにタックルを食らって地面に頭を打ち、平衡感覚をなくす。

 颯太の発動しようとしていた防壁魔法が不発に終わった。

 四人を無力化して、楊は一人、空を見上げる。

「三、二、一、バッチリだ中尉、感謝する」

 そして、ミサイルが炸裂した。

 しかし、弾頭が炸裂しても、状況に変化はない。

 榴弾の雨も、爆薬もなく、爆風すら四人の元には届かなかった。

「……不発?」

 徐々に視界が戻ってきた優果が恐る恐る四人全員が思っている疑問を口にした。

「セクメト、取り押さえて。軽く抉ってもいいわ!」

 とりあえず優果は足元にじゃれつく黒猫に、そう命令した。

 しかし、黒猫は優果の命令を無視して、毛繕いを始めてしまう。

 下で、体毛や爪に着いた血を可愛らしく舐めていた。

 しばらくそれを呆然と見つめて、優果は精神界とのつながりが再び失われていることに気付く。

 他の三人はすでに自体を把握していて、抵抗しようとするが、すぐに楊一人に取り押さえられた。

 なすすべもなく優果、颯太も拘束される。

A・M・Pアンチ・マジック・パーティクル……!」

 そして、ようやく自体を把握した優果が呆然と降り注いだものの正体を漏らす。

 ミサイルは不発弾ではなかったのだ。

 輝を襲ったものと同じ、下方向への指向性を持った炸薬に、榴弾ではなく圧縮AMPが詰められていたのだった。

 そして、それが砦の上で炸裂した結果、高濃度のAMPが砦を覆い、四人の魔道を再び封じたのだった。

 楊に拘束を解かれた、生き残りの兵士たちがバッグから注射器を取り出して、四人の元に駆け寄ってきた。

 指向性ミサイルによって、一時的に砦はAMPで覆われたが、先ほどと違い結界がないので、AMPはそのまま拡散してしまう。

 そうなってしまう前に四人を完全に封じる必要があったのだ。

 AMPを使わずに敵の魔道を封じる方法は単純に、殺すことと意識を奪うことだ。

 四人は首筋に薬を打たれて、深い眠りに落ちた。

 中華部隊は仲間の術式が破壊されてしまった亡骸を焼却する。

 そして、四人を連れて砦から出て行った。

 砦からは中華帝国軍の痕跡が消されている。

 後には、火をつけても焦がすことすらできない石化された中華の兵士と、血だまりに倒れたままの真也が残された。

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