五章
1
府高・1−A
「真也、やっぱり友達いないの?」
魔導科唯一のクラスであるA組で優秀すぎるがゆえに溢れちゃってる三人組がいつも通り三人で昼食を取っていた。
正確には優秀すぎることが理由ではなく別に理由があるのだが……。
湊は入学早々少なくはない日数を家庭の都合で学校を休んでいたし、真也はそもそも新入生総代スピーチの時点で詰んでいた。
一世紀前の旧日本と違い現代の日本はオタク文化が下火なのだ。
そのため、真也のような人種に対する風当たりも強い。
優果は友達がいないわけではないが、二人に付き合っている方が気が楽である、といった理由だ。
「私たちとご飯食べてていいんですか?」
この質問は優果へではなく真也に向けて放たれたものだった。
入学式以来ほとんど学校を休んでいる湊は真也が相当なレベルで避けられていることに気づいていないのだ。
嫌味ではない、結果的にはそうなってしまっているが……。
「いいんだよ! て言うか友達がいないからここで食べてるわけじゃない!」
「そ、ソウダヨネー」
「もしもし湊さん。片仮名表記が見えるんですけど?」
「まままさか」
「わざとやってんだよね! そうなんだよね!」
嫌味成分が皆無でもなかったようだった。
真也は湊の思わぬ口撃にショックを受けている。
完全にブーメランではあるが……。
「ところで真也くんは高校慣れた?」
「う〜ん、微妙かな……」
「ひとつ言えるのはこの高校の地理が全く把握できない。教室以外に移動するときは未だにナビ使ってるし……」
「私なんて教室もナビだよ〜」
府高は普通の学校機関に比べても異常に広いためナビを使う生徒も少なくはない。
迷宮の異名を持つ地下一階などはもはやナビを使っていても迷うことがあるという。
「……最近休んでたからなぁ……。湊は休んでる間何してたんだ? 友希さんたちと一緒だったのか?」
自分たちに辛い会話が続いてライフを削られた真也がようやく話題転換を持ち出す。
「う、うん」
しかし、そう簡単に話せる類のことでもなかったらしく、気まずい雰囲気が再び彼らのテーブルを覆った。
「ああ、いや悪い。言いたくなかったら言わなくていい」
「ごめんね」
「いや、謝るのはこっちだよ。不躾な質問してごめん」
「……以外! 真也って気が使えたのね」
謝り合戦が始まってしまい優果が止めに入る。
真也を犠牲にして……。
「まともな女性相手限定だけどな。ちなみに優果はそこに入ってないぞ」
「なっ! 真也のくせに生意気!」
しかし真也もただ攻撃されて泣き寝入りしているわけではない。
彼もこの二週間で進化しているのだ。
反撃が必ずしも彼のためになるとは限らないが……。
「くせにってなんだよ!」
「まぁまぁ二人とも……」
湊は呆れ顏で、しかし羨ましそうに二人の仲裁に入る。
そして、すぐにその表情を曇らせた。
湊は何度かためらうそぶりを見せた後、遠慮がちにたずねる。
「し、真也くん、あの休んでた理由は言えないんだけど……そのことで相談させてもらってもいい……かな」
「もちろんいいよ、湊! 相談でも雑用でもなんでも来い、よねぇ真也」
「なんでだよ! まぁ相談はいいけど……。僕じゃ役不足だと思うぞ」
優果が勝手に自分の使用権を貸していることに反発した真也だったが、湊の深刻な顔を見て真顔になる。
「そんなことないよ! それで相談なんだけど……私、人を殺すことがあるの」
「? どういうことだ?」
さすがにサラッと聞いていられる話ではなかった。
真也も優果も驚愕を通り越して困惑している。
真也には少なくとも殺人の経験はない。
優果はそうとは言えないが……。
そういうこともあってか先にショックから立ち直り、この状態での先ほどの湊の発言の危うさに気づいたのは優果だった。
二人の、主に真也のリアクションでクラスメイトの好奇の視線が三人の方に集まっていたのだ。
「ちょっ! 湊! いきなり何言ってんのよ! 愛七! 防音壁お願い」
間髪入れずに三人を囲む防音壁が完成する。
そのスピードは優果の才能のなせる技であり、愛七の演算速度の力でもある。
優果の気遣いと判断の速さは彼女の根がいいことを表しているといえる。
「優果ありがと」
「ご、ゴメン優果ちゃん。ありがとう」
真也と礼称が礼を言う。
普段なら優果は照れただろうが、さすがに礼称のあの発言の後では照れることはなかった。
礼称は続ける。
「真也くん、私、間違ってるのかな?
私がしてることって結局殺人で、
それが仕方ないことでも、相手が悪いとしても、やっぱり殺人なんだよ……。
それがみんなの、兄さんのためだとしても、間違ってるのかな?」
優果は突然の話についていけなくなっている。
しかし、真也の表情はいつもとさして変わらなかった。
すこし真剣にはなっていたが。
「湊? 何言ってるのよ、わけわからないよ。
もうちょっと詳しく……」
「ご、ゴメン。忘れて! 気にしないで!」
真也が尋ねたが、湊は優果やクラスメイトのリアクションで我に帰ったのか、誤魔化そうとした。
ここで、再び再起動を果たした優果がツッコミを入れる。
「気になるわ!」
優果は真也以上に深刻な表情で湊の肩を揺する。
真也は優果の手を止めて湊に言った。
「優果ちょっと黙って。
で、湊。正直僕には何が間違っているのかがわからないからなんとも言えないんだけど……。少なくとも僕にとって大切なのは湊が人殺しかどうかじゃないよ」
優果が絶句する。
湊もその答えは意外だったようで、言葉が出なくなっていた。
「あー、いや、あの……大切な人って言っても友達だよ? これ、告白じゃないからね?」
真也があわてて補足説明をする。
優果がたまらずツッコミを入れた。
「わかってるわ! ポイントはそこじゃないから」
驚いたように、湊は尋ねる。
「私が人殺しだったとしてもそれでいいっていうの?」
「うーん……。そうじゃなくて……、いやそうかも……。
あの、僕は僕を想ってくれる人が好きだし、そういう人が仮に人を殺したとしてもその気持ちは変わらないよ?
そもそも、僕だってみんなのために人を殺さないと断言できないし……」
「? 極論すぎない?」
湊の疑問に真也は淡々と答える。
優果は何か前提からして間違っているような気がしたが、話の内容が異常すぎて混乱していたために気のせいとして処理した。
真也の答えが飲み込めたのか、湊の表情が和らぐ。
「……良かった。私、別に間違ってなかったんですね。
真也も私と同じなんですね」
その答えは少し危なげな雰囲気を纏っていたが。
「結局誰もがそうだろう? 大切な人が目の前で殺されそうになってそれでその時その原因を殺せるなら、みんな殺すでしょ」
しかし、真也はそれに気づかない。
そして、当たり前のように湊の言葉を肯定した。
「…………」
目の前の会話についていけなくなって優果は絶句する。
「ありがとう」
湊のお礼は相談にのってもらったことに対するものか、自分を肯定してもらったことに対するものかがぼかされていたが、真也は気付かなかった。
優果は、礼称の異常な質問に素で返答できる真也の異常さに気づいたが、何も言わない。
湊のお礼に込められた重さに気づかない真也の異常さにも突っ込まない。
優果は口を挟むことを諦めていた。
真也がそこに気づけなかったのは、湊がお礼と共にこぼした笑顔に見とれていたからでもあるのだが……。
「いや、こんなことでいいならいつでも力になるよ」
「うん、またよろしくね」
優果には、真也が何気なく言っているであろうことがわかったが、湊の方はただの形式的な返事に見えなかった。
真也を見つめる湊の目は普通ではない。
真也は照れて目をそらしていたが、湊の表情は恋する乙女のそれではなかった。
その表情は家族とある話をするときの自分とそっくりなのかもしれない、と優果は思う。
「あぁ。……優果、音壁もういいよ。ありがとう」
「ありがとう、優果ちゃん」
「……ドウイタシマシテ……」
二人は、二人の世界から出て来て、すぐに優果に微々たる負担をかけていたことを思い出してあわてて礼をいう。
返事をした優果はどこかモヤモヤしたオーラを出していた。
「? どうした?」
「なんでも。愛七解除お願い」
『了解です』
真也が気になって優果に尋ねたが、結局理由はわからなかった。
そのとき、休み時間の終了五分前を告げるチャイムが鳴った。
三人は慌ててお弁当に手をつけた。
否、つけようとした。
廊下からバタバタという音が聞こえたかと思うと、教室の前のドアが勢い良く開かれたのだ。
扉を開けた男子生徒は教室に一歩入って、膝に手をつき肩で息をする。
ネクタイの色は赤。
真也たちのつける第一学年の青ではない。
「兄さん!?」
湊が慌てて席を立ち、男子生徒、友希に駆け寄る。
真也と優果も後に続いた。
友希はよほど急いで走ってきたらしく、まだ息が整っていなかった。
友希との家族である湊はもちろん優果もそこまでは驚かなかったが、真也は友希に頼れて優雅な先輩のイメージを持っていたためかなり驚いている。
友希は息も整わないうちに話しだした。
「っつ、ハァハァ、湊っ! 優果と真也も、来てくれ!」
「どうしたんです……いえ、了解です、兄さん」
さすがに理解できず三人で顔を合わせた後、代表して湊が尋ねる。
友希は少しアワアワした後で演算補助無しで防音壁を張って言う。
「……終湖と響介が攫われたんだ」
その言葉は湊の相談にも動じなかった真也を驚愕させるには十分すぎる情報だった。
2
友希に連れられて、三人がやってきたのはSANC学科等の四階、魔導式研究班の研究室だった。
この研究室は特寮の身内しか使用していないため、秘密の会議をするにはもってこいなのだ。
真也たちが研究室に着いた時にはすでに他の全特寮メンバーがイスに座っていた。
それぞれ表情に差はあるが明るい顔をしている者がいないのは当然として、取り乱している者もいなかった。
六代財閥の子息やそれに並ぶ経歴の持ち主たちは伊達ではない、ということだ。
「遅くなった。これから今回のことに対する対策を考える。とりあえずオレが仕切るが、いいか?」
真也たち三人に座るように言うと、友希はすぐにモニターの前に立って全員に尋ねた。
「「問題ない」」
それに時間が惜しい、とばかりに答えたのは優姫さんと輝だった。
この中で現在の感情の大きさに敢えて優劣をつけるならば、そのトップは輝と翔朧だろう。
この二人はすでに殺気らしきモノを撒き散らしている。
「わかった。まず、みんなに伝えておくことがある。
今回の件、おそらく、原因は家にある。申し訳ない」
部屋の空気が数段重くなるのを真也は感じ取った。
真也は湊の方を伺ったが湊は辛そうに目を逸らした。
「どういうことか説明してください。場合によっては友希さんでも、柊が相手でも許せないかもしれません」
淡々と翔朧は言う。
「柊の責任なら家の方から追求が行きます。次はないですよ、次期当主殿」
輝の声はいつも通り嫌味だらけだ。
しかし、普段ならここまで棘のある嫌味を選ぶことはなかっただろう。
柊の先代が起こした事件にまだ家を継ぐ前の友希が責任を負う必要はないのだから。
そもそも、友希は長男ですらない。
しかし、二人の声は軽い怒気を孕んでいた。
「すまない。図々しいけど、これだけは守ってもらう。
今から話すことは口外しないで欲しい」
「なにをい」
「すまない。約束してもらえないなら話せない」
友希は輝の文句にかぶせるように言い切った。
「わかりました。家にも口外しません」
これ以上譲れない、というのが友希自身の意思ではないことを感じたのか、輝が引いた。
続いて全員が約束を唱和する。
真也も遅れながらに唱和した。
「では、お話しします。
まず、今回の事の原因にどのように家が関わっているかについてですが……。
私と湊、それから他二名は天神理事会直属の特殊部隊に入っています。
私が知る限りその組織には私たちしかいません」
真也を始め数人が驚いている。
しかし、当事者の湊はもちろん輝や優果の顔にも驚きはなかった。
むしろ「そういうことか」と納得している雰囲気がある。
そしてその感覚はこの場では過半数を占めていた。
友希は説明を続ける。
「私たちの部隊の任務内容は多岐に渡りますが、主な仕事は日照水域を除く、全天神地区の内部に侵入した外国勢力の監視と場合によってはその目的の妨害、そしてそのための抹殺などです」
友希は淡々と語る。
真也にはついていけていないが他に動揺を見せていたのは翔朧くらいだった。
他の特寮生たちは皆、輝でさえも苦虫を噛み潰したような渋面だった。
誰一人として質問をする者はいない。
皆知っているのだ、各地区を監督している実家の裏の、最も重要な仕事を……。
気まずそうに輝が尋ねる。
「あの、天神は天ノ原の管轄ですよね? どうして柊が?」
敬語が戻った輝の声に棘は無くなっていた。
「雇われた、という感じかな……。家の取り潰しが決まった時から決められていたことだ。
柊の失脚を最小限に抑える代わりに天ノ原の私兵となって戦うことが……」
友希の声には諦念がにじみ出ていた。
真也が湊の方を見ると、彼女の目は少し潤んでいた。
ここでようやく真也は昼休みの湊の言葉の意味を理解した。
外国勢力の抹殺。
それが彼女の、彼女たちの任務だったのだ。
今度は優果が訪ねた。
「すみません、友希さん。
今回の件との関係を詳しくお願いします。
なんとなく予想はつきますが……」
「ああ、悪い。
えー、今回私たちの部隊が駆り出されていたのはかなり大事でな……。
三週間ほど前に真也が特寮に引っ越してきた途中で巻き込まれた、中華帝国の飛行兵器、といっても爆撃機と戦闘機だが……。それらによる攻撃は覚えているだろう?」
優果の質問に答える友希は真也の方に確認を求めてきた。
「はい。流石に忘れられません……」
「それが今回の事の発端だ。
三月末に地球協和連合で可決された対日貿易封鎖だが、政府はアレを対日戦争の準備と見ている」
そこまでは予想できていたようで、真也を除く全員が頷いている。
真也は情報を送ってくる家がバックについているわけでもなければ、翔朧のようにテレビのニュースを見たりもしないので世間の情勢には疎いのだ。
一ヶ月前まではそんな彼に情報をわかりやすく解説してくれる義姉もいたのだが、孤児院を出てからは数回しか話していない。
「そして今回の戦闘機と爆撃機の侵入で、中華帝国は貴重なはずの認識阻害系の魔道を使う兵士を多数機体に乗せて天神島に侵入した。
都市の爆撃は確かに一定の被害を生んだが、こちらには死者すら出ていない」
「なるほど、なんらかの裏がある、と」
「ああ、都市の爆撃は囮だ。
奴らの目的は天神島内への潜入と工作。
そして、それの阻止が今回の部隊の任務だった。
しかし、恥ずかしながら現状では全く敵の目的を特定できていない。
学校を休んでいたのは連日敵を追っていたためだ」
友希は輝の指摘を肯定して話を進める。
「ただ、かなりの手練れだ。よく訓練もされている。
犠牲覚悟で足止めを残していくので、削れても潰せない。
その上、かなり上等な認識阻害の魔術を残して逃走するからなかなか追いつけない」
真也はその言葉で天神中央市で見つけた魔術刻印を思い出す。
礼称も思い出したようで納得顏だったが、「アレの解除が難しい?」という失礼な事を呟いていたので真也はスルーした。
これは単に魔術に関しては礼称の能力が飛び抜けているだけである。
「そして、今回の誘拐はその中華帝国の工作部隊によるものだ。
敵は、私たちの部隊の攻撃にたえられないと踏んで、隠れるのをやめたのだろう」
「誘拐の件はどのくらい広まっているんです?」
「先刻、敵から天神理事会に通達があった。
知っているのは理事会のメンバーと我々のみ。
ここで特寮生に限って情報の開示と協力要請の許可を得ている。
こんな事は言いたくはないが、一応非公式とはいえ正式な作戦なので給料もでる……」
輝の質問に対して友希が答えた。
「通達で敵が要求した事は二つ。
一つ目は私たち、部隊の身柄。
これと引き換えに二人のうち一人が解放される」
「当然却下ですよね……。というか人質増えてるし……」
「まぁ、そうなるな」
真也のツッコミに翔朧が相槌を打つ。
「ここで解放されるのは十中八九響介だ。こんな事は言いたくないが煌牙之宮分家の長男と音無直系の次期当主候補では重要度が違う」
友希の分析に文句を言うものはここにはいなかった。
六大財閥の血を引く彼らは心でどう思うかはともかくとして、継承権の重さについては全員が身をもって知っているのだ。
「二つ目の条件は自分たちの行動を妨げない事。
彼らが島内で事を済ませて脱出した後、二人目が解放される」
「当然拒否だな。聞くまでもない」
これにも反対する者はいない。
ここで完全抗戦が決定した。
「ああ、そこで作戦を立てる。
我々は完全に諦めてはいないがとりあえず要求に従っていると彼らに思わせて敵を一網打尽にする。
いや、正確には二網打尽といったところかな……」
「というと?」
「まず、この申し出に応じるように見せかけて一班が柊の部隊を装って取引先に行き、響介を救出しつつこれを叩く。
もし、ここで響介か、終湖が確認できなければ撤退、その後敵に連絡して対策を練り直す。
同時に二班が終湖を連れている部隊を発見し救出して、敵を叩く。
この作戦は人質が二箇所に分断されているために電波の速度以内のズレしか許されない」
作戦は単純ではあるが、そこに必要な技術や連携はとてつもなく高度なレベルが要求される。
こんな急造のメンバーでこの作戦が可能なのだろうか、と真也は不安に思った。
しばらく他のメンバーも作戦を吟味するように黙考していたが、考えがまとまったのか翔朧が質問する。
「質問なんですけど、一班が偽造しなくても友希さんたちの部隊が一班になればいいのでは?
そのほうが偽造を看破されるリスクがなくなるので安全だと思うのですが」
「いや、終湖捜索はかなり難しい。
天神本島から外に出た可能性はゼロだが、この島も狭くはない。
捜索に軍を使うわけにもいかないので神殿を使うことになる。
この中でその権限を持つのはオレだけだ」
友希の答えは簡潔だった。
だが、それで真也を除く全員に意味が伝わったようだった。
翔朧は納得した、というふうに引き下がった。
「まぁ実際に使えるわけではないのでそこは輝とアリサに任せる。
もちろん、覗き見たりはしない」
「いや、まぁそこに関しては信用してますよ」
「光栄だな」
ただ「神殿」は友希では使用できないのだろう。
また、二人の会話からそれに氏神の秘密が絡んでいることも明白だったが、誰も突っ込まない。
これが、特寮の暗黙のルールだろう。
互いの事情や技術について詮索しない。
それは、正しいことなのかもしれないが、今回のように大きな亀裂を生むきっかけになりかねないと真也は思った。
「あー……。でも神殿を使うならオレは必要ないですよ? リサ姉だけいれば十分です」
それは氏神の内情を少し明かす行為なのかもしれないが、輝は全く躊躇わなかった。
友希も輝の覚悟を受けて顔つきがさらに硬くなる。
「? そうなのか。まぁ、わかった。
じゃあそれを踏まえての班分けなんだが、部隊に優姫とアリサを加えた二班と優果、輝、礼称、真也、翔朧、颯太の一班に分かれる。
あと、ここからは各班ごとに作戦を立てよう。
もう全体で会議をできるほどの余裕がない。
各班一時間後に特寮を出る。
一班は指定された部隊の引き渡し場所に五時半時までに向かってくれ。
連絡の取り方は後で輝に確認する」
「わかりました。作戦に組み込んでおきます」
「了解。よろしく頼む。
プレッシャーをかけるようで悪いが、この作戦はこの伝達が全てだからな」
「はい!」
友希の確認に輝が応える。
「これからオレたち二班は一度特寮に飛んでその後神殿に向かい捜索を開始する。
一班とはここから別行動になる。
特寮までは同じかもしれないがそこからは別だ。
敵との交戦、そして姿の偽造方法についてはそちらで考えてくれ。
忠告は、敵はAMP拡散弾を保持している。
敵を確認できない時点で拡散弾を当てられて魔道偽造を確認されると思ってくれ。
あと、転移魔法の使用が禁じられている。
移動は必ず転移以外だ。
詳しいことは特寮の会議室に送ってある。
あとは頼んだぞ」
「「え?」」
この時、優果と輝の声は完全に重なっていた。
友希は無責任にも、それ以上の言葉をかけずにアリサの転移魔法で二班のメンバーと共に特寮へ転移した。
「あの〜、
人数が減った研究室に真也の声が響く……。
3
SANC学科棟の魔道研究班の研究室で会議を終えた後、真也たちは特寮へ転移してきていた。
因みに、転移魔法とは、その名の通り瞬間移動を可能とする特殊な魔法である。
その「転移先の座標の転移対象と同量の体積の物体の情報を転移対象と書き換える」という性質上、一般の魔法とは違い特殊な才能が問われる。
それは「恒久改変」という、一度魔法によって起こした改変が情報の回復力によって修正されなくなる能力である。
つまり、一度起こした現象がそのままこの世界に定着するのである。
全魔法師の約五パーセントは「恒久改変」有していると言われているが、この能力がどのような条件でその身に宿るのかは未だに解明されていない。
そして、その中で瞬間移動を可能とする程の精度、干渉力を持った人物は非常に珍しい。
この魔法技術は宇宙船の航行システムの要であり、そのために開発されたもので、この力によって人類は火星圏外へと進出したのである。
アリサと輝の有する「恒久改変」はそれほどまでに貴重なものなのだ。
転移魔法が使えればとりあえず食に困ることはなくなる、と言われるほどに……。
学校から転移した二班はすでに特寮で準備を済ませて出発している。
そして、真也たち一班は作戦を立てるべく会議室に集まっていた。
長方形の室内の短い方の壁が両方モニターになっていて、その片方には等身大の愛七が写っていた。
「真也はAMP拡散弾のことを知らないんだったよな?」
「うん」
輝にそう尋ねられて真也は慌てて答えた。
他のメンバーは全員がそれを知っているらしくこちらを見てもいない。
それぞれ事態に対応する策を練っていたのだ。
「じゃあ、軽く説明しておく。
真也はAMPが何かは知ってるよな?」
「えーっと、正式名は覚えてないけど……確か魔法や魔術を使えなくする粒子だったよね?」
輝からの質問に真也は受験勉強で詰め込んだ内容を思い出しながら答える。
「そうそう。
正式名称はAnti Magic Particle、訳して対魔道粒子とか魔道阻害粒子だな。
あと正確には、魔道そのものを阻害するのではなく、その発動を阻害する。
魔道が改変した現象まで消してしまうわけじゃない」
「えーと、そういえば精神界や情報界へのアクセスを止めるんだっけ?」
精神界、情報界は現実界と三層構造になっていて、魔道師は魔道を行使する際、必ず一度はこのどちらかに干渉する必要がある。
AMPには一度発動プロセスを終えてしまった後に残る魔道の結果である現実界の現象自体を元に戻す力はないが、その発動プロセス自体を止める力があるのだ。
地球には海抜二千メートル以内には存在しないが、宇宙ではほとんどの場所で二十パーセントを超える濃度で存在しており、一般に三パーセントを超えると如何なる魔道師にも魔道行使は不可能となる。
輝は新入生総代に解説を続ける。
「そう。
だからAMPが存在する範囲では魔道は使用できない。
本来は宇宙空間に大量に存在するモノなんだが、惑星の重力下でも使用できるように加工された粒子を詰めてその中心に爆薬を入れるとAMP拡散弾っていう起爆した地点から一定範囲を魔道発動禁止空間にするっていうお手軽な対魔道兵器になる。
もっとも、そのお値段は全くお手軽ではないけどな」
魔道最強の時代に科学兵器の力を知らしめた天神戦争以来、国によって差はあるものの世界中の国家がAMPの加工技術やその対抗策を魔道研究と同列に研究している。
その最初の成果にして、未だAMP兵器の最高例であるAMP拡散弾は加工にかかるコストからおいそれと量産できない。
そのため、世界各国は魔道を重きに置いた開発と戦争を行っているが、もし安価に大量生産されたりすればそれは、軍事バランスが逆転しかねない程の兵器なのである。
「え? それを相手が持ってるってこと?」
「そうだ」
「それってやばくない?」
「やばいから今から対策を考える」
「……了解」
ことの重大さを理解した真也は一層表情を引き締めた。
最高峰の魔道技術を持つ彼だからこそそれが行使できないことの恐ろしさがよくわかるのだろう。
「誰か対策思いついた?」
「「「…………」」」
輝が真也以外の五人に尋ねたが沈黙しか返って来なかった。
学生に五分で対策されるような兵器が十数年もの間重宝され続けるわけがないのだが……。
そこで、何かを思いついたのか颯太が手を挙げる。
「魔法無しで叩き切るっていうのは?」
「当然無しだ!
相手は確実に銃器ぐらい持ってるだろうし、そもそもそうでなきゃAMP拡散弾を使わないだろ。
自分たちも魔道っていう防衛手段を失ってしまうんだから他の武器を持ってなきゃ使えない」
案の定ぶっ飛んだ意見が飛び出たが、即座に輝に論破された。
しかし、颯太はそれでも食い下がる。
「……銃? そんなの刀でスパッと」
「それができるのはお前だけだ……。
そもそも、オレたちは友希さんたちに変身しなきゃならないんだから、魔道の行使は必須だ」
どうしようもない事実の前には無意味だったが……。
もちろん現代科学を以ってしても任意のタイミングのみ自在に変身可能な薬などは存在しない。
「一人範囲外から風を吹かして粒子を流すとか?」
「いや、即バレて追加で投げ込まれるだけだと思うけど」
「消耗戦なら勝てるんじゃないか? なにせAMP爆弾って超高価なんだろ?」
「百パー、人質を使って止めさせられるぞ。
少なくとも人質を救出するまではこっちに反抗する気があることを知られたらダメだな」
意見が出るたびに輝が潰していく。
あまりにスッパリと切り落とされていくので会議室を静寂が覆った。
しかし、彼らに黙っている時間は無い。
人質変換、いや交換の時間まで三時間強あるとはいえ戦闘準備のことを考えれば十分とはいえない。
「そういえば、変装? いや、変身かな?
誰に化ければいいの?
流石に兄妹二人だけ部隊じゃないよね?
人数がわからないと一人一人を偽装することで間に合うのか幻影で誤魔化すのかもわかんないんだけど……」
長い沈黙に終止符を打とうとしてか、やや食い気味に優果が提案する。
確かに、魔術を使うにせよ魔法を使うにせよ偽装する対象のことをどれだけ敵が知っているかによって変装する内容が変わってくる。
もし、柊部隊の情報を敵が全く掴めていないならこのままの格好の四人が出て行っても敵には疑うことしかできない。
「言われてみれば友希さんの部隊の情報はまだ見てなかったな……。
愛七、資料出せるか?」
『ハイハイ! バッチリ解除コード貰ってますよ。
まぁ、その気になれば数分でハッキングできますが』
「しなくていいから!」
なにやら皇国軍のセキュリティ的にやばいことを言いながら愛七は次々にロックを解いて情報を開示していく。
もちろん事前に友希が理事会から許可を得て特寮メンバーに公開されたコードを入力しているので国家反逆罪的な罪には問われない。
あっという間に部屋の側面のモニターに部隊の情報と今回の任務の内容や経過報告書が並んだ。
「フムフム……。四人、か。
柊友希、柊湊、柊雪乃、柊絵留?
輝は後ろ二人のこと知ってる?」
メンバー表を見ながら優果が輝に尋ねる。
「いや、初めて聞く名前だな。
家同士の付き合いにも出てこないから大方、実験体か何か……。
悪い、そういう話は詮索ナシだな」
真也や翔朧にはピンとこなかったが、魔道の最先端を研究する六大財閥には色々としがらみがあるのだろう。
口を滑らした輝はもちろん優果や礼称まで気まずげにしていた。
ここで表情を動かさない颯太は流石と言うべきなのか……。
「えーと、二人余りですよね。
その二人がAMP効果圏外からサポートする感じですかね?」
「い、いや、そのつもりはないけど、一応はその場で四人が相手に引き渡されることになってるんだから人質の受け取り役に最低でも一人回さないといけないと思う。」
「と、なると外から工作をできるのは一人だけか……」
あからさまに気まずい空気から話をそらす礼称だったが、輝と優果もそれに乗っかった。
彼女達の努力にツッコミを入れるほど空気のよめない者はこの場にいなかった。
「相手は柊部隊の誰の情報をどこまでつかんでるとかは詳しく書いてないの?」
「さぁ?」
『その辺の情報は下の方ですね。スクロールしますよ』
愛七のドゥルルルル、という空気を読まない効果音と共に情報リストがドンドン下から上へと流れていく。
早すぎて真也には全く読めなかったが愛七にはバッチリ読めてるのだろう。
的確に情報のある場所でピタリとスクロールが止まった。
「ストップ」
驚くべきことに輝は先ほどのスクロールの速さに着いて行っていたらしく愛七がスクロールを止める瞬間に声をかけていた。
『わかってますって』
「流石! バレてること、バレてないことリストにしてあるよ」
「声は問題無し」
「姿は四人全員の見た目がバレてる。
他の二人は直接戦闘してないから全く掴まれてない、か。
魔道自体はそもそもAMPの中じゃ使えないから気にしなくていいか。
じゃあ友希さんの役は真也な」
「了解!」
リストを見ながら言う輝に真也は答える。
「声はバレてないみたいだから見た目さえ変えればオーケー」
「了解だよ」
「えと、じゃあ私は雪乃さんですか?」
「そうなるな」
礼称の問いを輝が肯定する。
次々と役割が決まっていく。
輝の声に淀みはない。
「それで魔導師なのを理由に僕が?」
「そういうことだ。
受け入れろ」
輝の説明は続く。
「そういうわけで、そうだな、優果には湊役を、颯太には絵留さん役を頼む」
「了解」
「わかった」
これで女性三人の役が決まった。
「AMP効果圏内のみんなの姿の偽装についてはオレと愛七で引き受ける」
「え? 何かいい作戦浮かんだの?」
「策というよりは力技だな」
「へー。えーとそれはやっぱりAMPの届かないところからだよね?」
「ああ」
何か思いついたようだが輝は作戦を伝えなかった。
何か理由があるのだろう、と真也は判断した。
誰も輝に作戦の内容を尋ねなかった。
もっとも礼称は尋ねる勇気がなかっただ。
他のメンバーは輝、そしてメンバー全員の実力に絶対的な信頼を置いているから尋ねなかったのだが……。
「そういうわけで友希さんの役を颯太に、人質引き取り役を翔朧に頼む」
「その心は?」
「何故に謎かけ風?
……いや、単純に翔朧の方が人質取引には慣れてると思ったからだけど」
「輝……デリカシーが不足しているぞ」
「翔朧は気にするようなタマじゃないだろ?
まぁ悪かったけど」
そんなこと言ってられる事態じゃないだろう、と輝が言う。
翔朧もさして気にしていたわけでもないらしく、それ以上突っかかることはなかった。
「オレは魔術苦手だぞ?」
「そこは多少無理にでも頼む。
友希さんは魔導師だし基本魔法で問題ないけどな」
颯太は魔術を多少は使えるが、魔術師としての才能は凡人以下なのだ。
御三家の人間としては颯太のように魔法に特化しているのが普通である。
「あの?
どのみち魔導師を一人、魔法師で補うんなら僕が湊役なのは何故……」
「じゃあ会議終了。
各自一時間後に装備やらを整えて玄関ホールに集合な。
戦車みたいなのは無しだが歩兵の携行するような装備なら偽装できるから、まぁライフルくらいは持ってきても構わない」
真也の尤もな反論は、かぶせるような輝の解散の声にかき消された。
「? 輝ならともかく、僕たちってかなり敵に接近するんだよね?
ライフルなんて使い道あるの?」
「「「言葉の綾だ!」」」
真也の空気を読まない疑問の声は、輝だけでなく翔朧、優果に突っ込まれた。
本人は割と真面目に言ったのだが……。
4
目を覚ますと、そこは見慣れない白い天井と壁の狭い部屋だった。
いや、実際はそこまで狭くもないかもしれない。
部屋中が機器に埋め尽くされているせいでそう感じるだけなのかもしれない。
点滴を僕の腕に送り込む管とその先の袋。
点滴は尽きかけている。
逆の腕には二、いや三枚のリストバンドのようなセンサー類らしき物が巻き付けられている。
そこから伸びた線はすぐ近くの機械へと繋がっている。
ここは病室か…………。
ここに至り、僕はようやくその真実に気づいた。
なにか怪我を負ったのだろうか、体に異常は感じられないが…………。
見た所、包帯が巻かれているわけでもない。
また、身じろぎしても痛むところはない。
軽くセンサーが幾つも取り付けられたままの頭を振ったが痛むこともなかった。
すでに完治しているのだろうか…………、しかし、それではこのたくさんの機器の説明がつかない。
念のために「魔法」でも確認しておく。
そして僕は「魔法」を発動した。
通常、「魔法」は人工知能やコンピューターといったような外部演算装置なしで発動できる物ではないのだが、自分の体レベルならオレには可能だ。
あれ……?
「オレ」?
誰だ? それ……。
僕は、の言い間違いだよな……。
あれ? 魔法ってどうして発動できるようになったんだっけ?
魔法についてならいくらでもわかるのに……。
ん? 僕は……名前…………あれ……?。
あぁ、何も思い出せない……。
僕は……、僕は誰だ?
何だ? 何なんだ、これは……?
「魔法」は使えても、なぜ使えるようになったか思い出せない……。
「魔術」は使えても、なぜ使えるようになったか思い出せない……。
ここが病室だと分かっても、なぜ病室にいるのか思い出せない……。
僕がどんな人物だったか思い出せない。
家族関係は?
友人関係は?
学校は?
家は?
夢は?
僕は?
僕は誰?
僕の名前はなに?
これが、この状態が記憶喪失だということは分かるのに、僕が誰かはわからないなんて……、なんて間抜けな話だ……。
記憶喪失って意外と辛くないな……。
認知症みたいに中途半端でもなければ、一般常識が抜け落ちてしまうわけでもない。
まぁ、種類にもよるだろうけど……。
僕が誰かわからないことにあまり恐怖はない。
僕は僕だし、それ以外の何物でもない。
過去の自分を形作るような記憶が少しでも、残っているなら失った物を知って恐怖するかもしれないけど……、僕はその、失ってしまった物がどれほどあるのか、そもそも存在するのかすらわからない。
僕は……誰なんだろう?
あれ? もし僕が僕だというのなら、記憶喪失前にこの体にいたのは……、本当に僕なんだろうか?
もし、僕が彼と同一人物でなかったら……、僕はなんなんだろう……。
目を覚ますと白い天井が見えた。
相変わらず手狭に感じるこの部屋。
どうやら僕は自身のルーツについて考えるうちに眠ってしまったようだ。
もう、自分について考えるのはやめよう。
どうせ分からない。
今日、といっても今日が何日なのかはわからないけど、今日も病室には僕しかいない。
年齢は記憶にないので推測だけどまぁ五、六歳といったところだろう。
体はまだベッドに拘束されていて動けない。
僕の体からは何本ものチューブが伸びている。
これも前回と変わらない。
そのとき、ガラガラと音をたてて病室のドアが開いた。
慌てて中に飛び込んできたのは若い大人の男の人だった。
目に涙を浮かべて危機の上をジャンプで飛び越えて僕の寝るベットの傍に華麗に降り立った。
後から優しそうな女の人が、男の人同様涙を浮かべて涙声で「ケガ人の前でそんなことをしてはいけません」なんて男の人を叱っている。
男の人は軍服だった。
黒い生地に赤と金色のライン、そういえばこの服に憧れ………………。
服には階級章と思しき徽章がふんだんに取り付けられている。
誰がどう見ても超偉い人に違いない。
僕は慌てて手を上げて敬礼しようとして、手が動かないことを思い出した。
いつの間にか二人、男の人と女の人の後ろには三人の少年少女が並んで立っていた。
皆、呆然としていたり、泣いていたりと様々な反応を見せていたけれど、全員に共通して言えることは、その誰もが喜んでいたことだ。
反射的に僕は恐怖を覚えた。
オロオロする僕に男の人が話しかけてくる。
「真夜!
わかるか? 私だ。
良かった。
本当に良かった。」
男の人はただ良かった、良かったと繰り返す。
その声に感化されたのか女の人の涙腺も崩壊している。
後ろに立っていた僕より年上の三人の男女もいつの間にか僕の隣にやってきて真夜、真夜、真夜と繰り返し誰かを読んでいる。
この部屋には僕と五人の家族らしい人たちしかいないというのに。
真夜?
それは一体?
そして、五人も僕の反応の違和感に気づき始めたようだった。
「真夜?
どうしたんだよ?」
中学生くらいだろう少年が尋ねる。
「真夜?
律歌よ! わかる?」
小学生らしき少女が尋ねる。
「真夜!」
小学生であろう少年が呼びかける。
「真夜」
「真夜」
「真夜」
「真夜」
「真夜」
「真夜」
「真夜」
「真夜」
そう呼びかける五人の家族の目は僕を見ている。
でも本当に見ているのは僕じゃない。
僕の中にかつていたであろう誰かだ。
「真夜」っていうのは僕じゃない!
僕は、僕は、僕は…………。
わからないんだった……。
何分そんな状態が続いただろうか……。
家族たちは次第に落ち着きを取り戻していった。
彼らの僕を見ていなかった目が、そのピントが徐々に僕に合い始める。
そうなるにつれて、彼らの顔に浮かんだのは、
絶望?
悲嘆?
哀愁?
失意?
非訟?
少なくとも、それらの中にプラスの感情は見られなかった。
僕が生まれて初めて出会った人たちは、僕を受け入れてはくれなかった。
いや、その目に映ったのは、
憎悪?
ああ、その言葉が最も的確だろう。
僕の存在は歓迎されないどころのことではなかったようだった。
僕は存在を憎まれたのだと、そう理解したとき僕の心は崩れた。
壊れて、何も無くなってしまった。
僕は、僕は、僕は、存在していけな……………………。
僕は、僕は、いらない、いや、いてはならない人げ…………。
僕は、誰からも認められない存在……。
なら、僕は何のためにこんなところにいるんだろう?
僕は、何なんだ!
僕は、僕は、僕は…………。
そのとき再び病室のドアが開いた。
吹き込む風と、それに靡く純白に近い桜色の髪。
美しい、とそう思った。
そして、彼女は病室に姿を現した。
桜色の髪に、美しい顔立ち。
重ねてきた薄紅の衣。
「あ、……ぁぁぁあ」
口から声が漏れる。
それは僕の声?
それとも……。
そして少女は僕を見た。
僕は、彼女を見た。
そして、その瞳を覗き込んで、そこに映る自分を見て、思い知った。
「アァァア……、ああぁ」
それは確かに僕の悲鳴だった。
紛れもなく僕の……。
覗いた彼女の瞳に映っているのは僕であって、僕じゃない。
僕は僕の中で急速に膨らんでいく二つのソレを認識した。
一つは僕自身のものではない、彼女に対する愛おしさ。
もう一つは、その誰かと彼女の想いに対するモヤモヤした感情?
そして、決定的な言葉が彼女の口から紡がれる。
「
そして、僕の心は徹底的に破壊されて、少しだけ救われた。
僕の中で誰かが叫んでいる。
ここにいる! と。
彼女は、美しい彼女は僕のことを拒絶した。
僕は誰か、ではない、と。
そして、彼女は踵を返して立ち去った。
ただ一つ、救われたのは、彼女だけは、僕を最初から認識してくれた。
僕を、誰かの名前で呼んだりはしなかった。
「は、ははは」
気がつけば笑っていた。
彼女のその言葉だけでも救われた。
ここまで喜べた。
なら、『僕』が『
そしてそれが最後だった。
意識のブレーカーが落ちる。
よく見ると僕は手を彼女の方へ伸ばしていたのだ。
障害となるはずの拘束は「僕を止められない」ように改変されている。
そして、当然ように腕からチューブが数本外れていた。
ビー、ビー、と警報が鳴っている。
五人の家族は動かない。
皆、心が壊れたかのように立ち尽くしている。
それが本当の最後だった。
そして記憶は完全に抹消される。
真也は作戦会議のあと部屋に帰って、やることがなく、仮眠していた。
目覚めたのは四十分後。
あと七分で集合時間だ。
アラームをセットした時間ピッタリだった。
なにか夢を見ていた気がするが思い出せない。
一週間前から右手の中指に嵌めっぱなしの銀色の指輪を確認して声をかける。
「ソラス?
話は聞いてたよな?
準備問題ないな?」
『問題ありますって今言われたらどうするつもりだったんですか……』
「ソラスに問題なんか起こらないだろ?
その点に関しては絶大な信頼を置いてるんだけど?」
彼女曰く、剣は数千年海中にあったらしいから今更である。
実際、颯太にこの一週間剣の稽古をつけてもらう時には真也はソラスを使っていたのだが、一度も手入れしていなくても問題なく使えていた。
因みに真也は木刀を使う颯太に一度も勝てなかった。
『…………信頼が重いです……』
照れているのかソラスの声はボソボソしていた。
真也は聞えなかったのか何も答えずにドアを開けて玄関へと向かう。
廊下に出て階段を降りようとした時、ちょうど上から降りてきた優果とバッタリ会った。
少し無言で並んで階段を降りていたが、優果は目を合わせずに真也に尋ねた。
「ねぇ。
真也はどうしてこの作戦に協力しようと思ったの?
真也は別に実践に慣れているわけじゃないよね?
この前の戦闘機との戦いだって無人戦闘機に乗り込んだ魔法師は自分で自分の身を守れると判断したから落としたんでしょう?
人を殺す覚悟もできていないなら行かない方がいいよ。
一度殺したら、もう…………戻れないよ……」
その顔はもう、作戦会議の時のそれとは違っていた。
恐らくは他のみんなもそうなのだろう。
皇国六大財閥。
その家に与えられる任務は魔導の発展、そして魔導に関する大規模犯罪、または諸外国勢力の排除。
優果たちは、六大財閥の子供達はそんな環境で育つ。
それは、優果だけではない。
そして、それを踏まえた上で真也は答える。
「さっき仮眠した時も、またあの夢を見たよ。
あんあこと記憶にないんだけどね。
僕を知らない人の名前で呼ぶ人たちがいてね。
その人達は僕が、その名前の人じゃないことに気づいて絶望して、そして僕を睨んでくる。
『お前なんかがいるから』
『お前が存在するから』ってね。
それを見て、その時の僕はこう思ったんだ。
『ああ、僕は存在すら許されない人間なのか』って。
でね、そこに一人の女の子が来るんだ。
そして僕にこう言ったんだ。
『あなたはあの人ではない』って。
それで僕は思ったんだ。
『僕はその人とは違う。なら、僕は僕の存在を周りに認めてもらえばいい』ってね」
真也は笑っていた。
声をだしてではなく、暗く、薄く……。
優果はそんな真也を見て、誰かに似ている、と思ったがそれが誰かは思い出せなかった。
真也の話は続く。
「優果は僕が戦闘機を落とせたのは中の人が死なないと確信したからだ、って言ったよね?
でもそうじゃないよ。
僕はあの時こう思ったんんだ。
『戦うのは怖いけど、ここで立ち向かえなかったら僕は本当に要らない存在になってしまう。もしここで敵を倒せたら、僕は人から必要とされる存在になれる』ってね」
優果は目の前の真也の自分の中での人間像が崩壊していくのを感じた。
しかし、それは彼女にとって望ましい変化だったのかもしれない。
優果も笑っていた。
真也と同じように……。
そして優果は尋ねる。
「じゃあ、真也は中の人が必ず死ぬ状況でもあの戦闘機を落とせたの?」
真也は答える。
「そうだね。
少しためらうだろうけど、結局そこで踏み切れなかったら僕の存在する価値が無くなっちゃう可能性があるし」
その答えを聞いた時、優果は「それは間違っている」と思った。
しかし、優果は真也の「間違い」を指摘しない。
そして、真也は言う。
「だから、もし優果が、みんなが望むなら僕は何万人だって殺してみせるよ。
僕は、僕がここにいる価値を自分の力で示さないといけないんだから。
なにせ僕は存在することを望まれない人間だからね」
それを聞いた時、優果は気づいた。
彼の狂気は、種類こそ違えど、自分のそれに匹敵するほどのものなのだと。
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