間章
「王が七大臣下の方々に聖剣と宝槍を与えられたそうだ」
そこはかつて世界のもう一つの中心だった場所。
肥沃な大地、限りない富、荘厳な宮殿と広大な王都。
過去、世界で最も繁栄を極め世界の半分を手に入れていた国。
王都の華やかな街並みの中でもさらに中心に近い場所。
円形の王都の中心部より少し南、大神殿のすぐ近くの大通りで数人の神官が話している。
こちらに、マスターに気づいてもいないみたいでした。
噂話は続く。
「……王の力を受け継ぐためか……」
「言葉に気をつけろ! 王の死など考えられん、まだまだ先のことだ」
マスターはあからさまに面倒臭そうな顔をしている。
王国の最高貴族の当主のくせにこういうゴタゴタというかネチネチというか、そんな感じのいざこざが苦手な人だった。
しかし宮殿に入るまでにこの神殿の近くを通らない道はかなり遠回りだし、そもそも大陸の外から帰還した時は神殿で体を清めなければ王宮には入れない。
さすがにマスターも観念したのか止めていた足を進める。
「オホン!」
「っ!? これはこれは、…………様、レムリアでのお勤めはもうお済みで?」
「そうでなければここにはおらんだろうが……。王は宮殿におられるのかな?」
「はい。…………様が守護の任についておられます」
「それは存じている。では、私は清めの儀を行うので、失礼する」
そう言ってマスターは相手の返事も聞かずに歩き出した。
後ろからはマスターを揶揄する声が聞こえる。
無論わざとだろうが………。
『マスター? 放って置かれるのですか?』
「ソラス……言いたい奴には言わせておけばいいのだ、面と向かって抗議することもできん奴に付き合う義理はない。
そもそも、ただの嫉妬にすぎん。言わせておいてやろうではないか。
みな、お前達、聖剣を欲しがっているのだよ」
『フフ、照れますね』
「熱くなりすぎて刀身を溶かさないでくれよ……」
『冗談ですよ。あんな輩にいくら欲しがられても気分が悪くなるだけです』
「無論、私の言葉も冗談だとも」
『チッ』
「ハハハ! 君のような剣に出会えてよかったよ」
『私もあなたのようなマスターに出会えて嬉しいです』
「光栄だ、ハハハハハハ」
場面が切り替わる
そこは王国の中心の大陸、アトランタから少し海を渡った場所にある大陸の端だ。
川を挟んで二つの軍が睨み合っている。
敵はアカイア人の国。
我らが王国軍に叶うとは思えないが、軍ではなく平均した個の力で考えるならば負けているかもしれない。
アカイアには傑出した英雄が数人いると聞く。
その誰もが神の血を引いていて、化け物めいた力を持っているとか……。
対して我が軍もなかなかに精鋭ぞろいではあるが、王国法によって対神兵器の対国戦争利用が禁じられているため、持ち出せたのは移動手段以上の力を封じられた魔術潜水艦や、効果の大きすぎない魔術道具だけだった。
我が軍に神の血と単体で対抗できる、いや上回れる兵器は私と私の兄弟しかいないだろう。
聖剣三振り、宝槍一本、そしてその担い手たる最高貴族の者が四名、マスターはそのうちの一人でもある。
王が亡くなって次七大臣下に受け継がれた原罪の力を使いこなすには私とその兄弟である六大聖剣、三大宝槍のサポートが必要不可欠だ。
本当のところ、私たちはリミッターでしかないのかもしれないが……。
私のマスターは…………家の次期当主。
彼の父君であり私の前マスターであるお方が病弱だったため、早めに聖剣の継承を行ったのだ。
そのため齢わずか十五にして故郷であるムゥから遥か遠いこの戦場まで出征されている。
こんな歳にもかかわらず戦場にあって全く緊張した様子もない。
すでに戦い慣れてしまっているのだろう、彼の初陣は数年前のことだ。
私はそんな彼の自信に満ちた姿に少し不安を覚え、幼い我がマスターに話しかける。
『マスター、原罪の力使いすぎないでくださいよ』
「うるさいなぁ……。わかってるってば。それよりソラス、アカイアの英雄は強いって話だったよなぁ! 楽しみだなぁ!」
彼は本当に獰猛に笑って川の対岸を見つめる。
言葉は恐怖を紛らわすための虚勢ではなく完全に本心のようだった。
『マスター! 真面目に聞いてください! ハァ…………。私は不安ですよ……』
そんな彼を見ていると安心感が沸くのと同時に、また別の不安が湧いてくる。
「悪い悪い……。そう怒んないでよ。僕だっていたって真面目さ……。原罪の力は敵を潰すためにはほんの少しも使わないよ。この力は民を救うための力だ、戦場で使うとしても味方を助ける時だけだ」
しかし、彼もさすがにこの力の強大さと使いどころはしっかりわきまえているようだった。
これなら少し安心できる。
『分かってるならいいんです。うっかり戦いに夢中になって使ったりしないでくださいよ!』
「わかった、わかったからその目はやめろって……」
『ジト〜』
実際に口に出して、さらに幻想の人体を実体化してジト目でマスターを見つめる。
本当に王はなんでこんな機能まで一介の剣にお付けになったのだろう……。
「本当、不思議な
『光栄ですマスター、あなたと共に在れたこと、誇りに思います!』
「ちょっ! バカ! なんで今そんなこと言うんだよ! 完全に負ける予兆じゃないか!」
『ふふん! わざとです!』
「おいいぃぃぃぃぃぃっ!」
縁起は悪いかもしれませんが、はっきり言うと原罪の担い手が数人我が軍にいる時点で相手に勝ち目はありません。
負ける可能性は極めて薄いでしょう。
しかし、彼の心が傷つく可能性は大いにあります。
戦、しかもこれほどの規模で強い相手と戦えば当然、死者が出ます。
怪我人もでます。
彼には戦場は地獄に等しい。
助けを、救いを、救済を求める人間が多すぎる戦場は彼に膨大な負荷をかける。
せめて戦いの前だけはリラックスしていてほしい。
『大丈夫です! 我が軍は勝ちます。なにせ私が、あ……ついでにマスターも付いていますからね!』
「お、オレはついでなのかよ……」
『フフ、まぁあなたあっての私ですから』
「じゃあ逆でしょ!」
『マスター、勝ちましょう!』
「急にマジモード!? まぁ勝つけどな! それが我らが王と我が祖先の約束だからな」
そう、約束。
それこそが七大臣下の義務であり、逃れられない責務。
彼は、彼の一族はその責任から逃げ出せない。
「将軍様! 将軍様! 敵陣に動きが! 川を渡ってこちら側へ進行してきます!」
雄叫びが耳に届く。
対岸からアカイア軍が進行し始めたのだろう。
実体化を解く。
ここから先は地獄だ。
「よし動いたな! こちらも突撃する! 全軍突撃だ!」
「全軍突撃っ!」
「「「「「「「オオオオオオオオオオオォォォォォォ!!!!」」」」」」」
「アテナイもヤバいのはいたけど、全体としては大したことなかったなぁ」
『マスター…………もう、御心はよろしいのですか?』
「ああ、問題ないよ」
戦いはひとまず終わった。
アカイアの国家を支配するか否かは王国臣会の決定待ちだ。
今はとりあえず王国のある大陸、アトランタに戻って補給を受け、今後の指示を待つ。
過去には王国は三つの大陸を支配していたそうだが、今は二つしか残っていない。
レムリアと呼ばれていたその大陸は一晩のうちに地震と津波で滅び、海の底へ沈んでしまったのだ。
今ではマスターの故郷、ムゥと首都のあるアトランタしか残っていない。
アカイアを出て中海を進んでいる。
夕焼けに染まりオレンジ色に輝く水面が美しい。
浮上して航行する潜水艦隊の甲板には多くの兵士の姿が見える。
皆、戦いの疲れを癒しながら健闘をた耐えあっていた。
死者への追悼と別れの儀はすでにアカイアの地で済ませている。
中にはまだ涙の収まっていないものもいたが……。
マスターも先ほどまでは船室にこもっていた。
彼の場合はその一族の呪いによるところもあるのだけれど…………。
穏やかな海面は夕日の色と相まってなんとも言えない雰囲気を生み出していた。
風もほぼなく、穏やかな夕暮れ。
数十隻の潜水艦はただ、静かに海を進んだ。
その動力は主に魔術、魔術兵が交代で船の動力を務めることで、ありえない速度を叩き出せるのだ。
もし今、アカイアの軍勢から敗走していたとしても、アカイアの三段櫂船ごときでは数分で見失うだろう。
その上、潜水まですればもはや追うことは彼ら神話の力を持ってしても不可能に近い。
そして、それは閉じた海を抜け、外海に出た時に始まった。
これが、王国の滅亡につながるとはこの瞬間は欠片も考えていなかった。
海が揺れた。
海が振動した。
轟音が鳴り響き、前方に視認できるアトランタから一筋の火柱が立ち上った。
二筋、三筋、火柱の数はどんどん増えていく。
轟音は止まらない。
『マスター!』
思わず叫んだ。
本体は彼の腰に下がっているが慌てて彼がこちらに駆けてくる。
「ソラス! まずい、潜水しようと思うが」
『はい。私もそれがいいと思います』
兵士たちは慌てふためき、王に祈るものまでいる。
アトランタの上空に異常に分厚い雨雲が広がり、拡大していく。
その雲はあっという間に空を覆いこちらまで到達した。
雷鳴が響く。
地は揺れ、雷が飛来し、海は荒れた。
これは、これではまるで、あのレムリアの時のようではないか。
彼方の海面が持ち上がりこちらまで恐るべき速度で迫ってくる。
潜水は間に合わない。
半数の兵士が船内に避難したところでそれが船に直撃した。
艦隊は波に揉まれ分断されていく。
波が過ぎ去った時、甲板に残っていた兵士のほとんどが消えていた。
『マスター! マスター? 無事ですか?』
実体化を解いて剣に意識を戻して腰からマスターに問いかける。
マスターは甲板の手すりにつかまって難を逃れていた。
「あぁ問題ない。それよりこれはなんだ? なんなんだ!? アトランタが崩れていく…………」
『っ…………わかりません……』
なにも答えることができない自分に腹がたつ。
空は暗雲に覆われ、地は火を噴き裂けていて、海は高い波が連続して湧き上がる。
マスターの顔が急に蒼白になった。
今までよりさらにいっそう酷くなる。
「まさか!? まさか《神》なのか!?」
『神?』
「おのれ! 神め! 祖と祖の父を追放するだけでは満足しないのか! 王国の王家の呪いを未だに解かぬというのに!」
マスターがここまで取り乱しているのは初めてみる。
それだけに異常な事態なのだが、「神」とは一体……?
王家の呪い?
追放?
罪?
原罪の力のことだろうか……?
『マスター! 落ち着いてください! どうしたのです?』
「あ、あぁ、すまないソラス」
『とにかく、決断を! アトランタはおそらくもうダメです! このまま航路を南に変えてムゥまで避難されては?』
ここからかなり遠いので食料が持たないかもしれないがここで死ぬよりはいい。
ムゥまでこの災害が追ってくることはないだろう。
大きく南に迂回すればアトランタを襲う天災を避けてムゥまで帰還できるはずだ。
「ダメだソラス、アトランタは見過ごせても王家の方々と民は見過ごせない。
今も、聞こえるんだよ、あの陸からたくさんの「たすけて」が……。
おかしくなりそうなくらいに……、オレは行かないと」
マスターの呪い。
救済を求める者の叫びを無視できない。
救済者としての役割から彼を逃さない呪い。
過去に王と彼の祖先が交わした誓い。
それでも賛成できない。
『ダメです! マスター、この船はどうなるのです?』
「王族の方々とアトランタの民をできるだけ詰め込んで脱出する。
兵たちには悪いが手伝ってもらう」
そう言う彼の声は、救済を求める民の声に心を抉られて震えているものの、確かな意思が宿っていて、反論を許さない。
許されない。
幼いその横顔は久々にみる恐怖と絶望に染まっていても、目の光だけは死んでいなかった。
『…………わかりました。マスター、あなたについて行きます』
「ソラス、聞いてくれ」
『はい? どうしたんです? マスターとならどこにだって行きますよ?』
「違うんだ……。よく聞いてくれ……」
『マスター?』
「ソラス、お前とはここでお別れだ」
『どうしてです? マスター!』
「ソラスは先にムゥに戻って家族、そして大陸議会にアトランタ滅亡の知らせを入れてくれ……。
ムゥに危機が迫っていることを伝えるんだ!」
『? どういうことです? アトランタとムゥは地球のほぼ真逆ですよ?
この大災害もムゥまでは届かないでしょう?』
もし、この災害がムゥを襲うなら、それは地球のほぼ全てが滅亡する時ではないだろうか?
「いや……、もし、もしこの災害の原因がオレの考える通りならムゥも危ない。
いいか、ソラス、議会にこう伝えるんだ「王国は神の怒りに触れた、直ちに対神戦争の支度をされたし」わかったか?」
また、「神」。
マスターの言葉からは神殿の神様とは別の邪悪な雰囲気が感じられる。
おそらくは全く別のもの、マスターの顔がその言葉を吐くたびに嫌悪に歪んでいる。
しかし、私も譲れない。
『そんな、マスターはどうするのです? 私なしでは満足に原罪の力を解放できないでしょう?』
「安心しろって、なんとかしてみせる。お前は安心して先に行け」
どうして今にも泣きそうで、心折られそうな彼を置いていけるというのだ……。
安心なんて少しもできない。
『嫌です! マスターを残して帰ることはできません!』
「ソラス! 頼む、オレの家族を救ってくれ!」
『そんな……、嫌ですマスター。私はあなたの剣です。如何なる時もあなたのそばであなたに使えます』
「すまない、ソラス。今まで本当にありがとう」
『マスターっ!』
「ソラス、王国第三聖剣、クラウ・ソラスよ。
第三十四代、管理者の名において命ずる!」
管理者の正式な命が私の意思を拘束する。
自由を奪う。
『マスターッッッ!』
「王都に戻り、議会に危機を知らせ、オレの家族を救ってくれ!」
それは命令にしてはあまりに弱々しくて、彼の懇願でしかなかった。
それでも、管理者の言葉には逆らえない。
『マスター、そんな……』
マスターの魔術がその言葉に含まれたイメージによって空間を塗りつぶしていく。
「グスッ、ソラス……今までオレなんかに使えてくれて本当に、ありが……」
そして、マスターの言葉が終わる前に景色が遠のいた。
荒れ狂う海が、
光る稲妻が、
立ち上る火柱が、
潜水艦の甲板が、
響く轟音が、
マスターの涙と雨に濡れた幼い泣き顔が、
マスターの手のぬくもりが、
マスターの原罪の反応が、
マスターの声が、
マスターの感触が、
消えた…………………………。
そして、そこはもう、ムゥの主要都市から北に少し離れた場所にある聖剣の保管庫だった。
暗い、暗い静かな部屋で私の叫びが響いた。
そして、その後、マスターが家族の下に戻ってくることはなかった。
調査隊の報告によれば、アトランタは消滅。
海上を漂っていた戦艦で、王家の方々を保護。
戦艦はマスターの家の旗艦であり、艦は多くのアトランタ市民を積んでいたが、マスターはいなかった。
王家の方々によれば、最後までアトランタに残り民を救っていたそうだ。
アトランタに属していた三つの貴族は当主を失い、その後行方不明。
アカイア戦争に参加していた各家の当主は全員がアトランタで民のために災害と戦い死亡した。
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