第7話 真実を告げるモンブラン

 大好きなあの人に気持ちを告げたいなら ケーキを一緒に作ろう

 

 そのケーキに キミの気持ちをたくさん詰めれば

 きっと世界で一番 甘くて美味しいケーキになるから


 一口食べたら 大好きなあの人は

 キミの甘い気持ちに きっと笑顔で応えてくれるから


 ――絵本「魔法使いのケーキ屋さん」より


「おはようございます」

「ああ、おはよう」

 月曜日、私はアルバイトと同じ時間に〈Ange〉へと来ていた。もちろん今日は、ケーキを一緒に作る約束のためだ。

 笑顔で元気に挨拶した私を見て、珪樹さんは一瞬複雑そうな表情をした。

 今日もコックコートを借りて着替える。厨房に行くと、珪樹さんはすでに準備を始めていた。

「どうする? 今日は、何のケーキを作る?」

「モンブランをお願いします」

「モンブラン? バースデーケーキなんだから、ホールケーキのほうがいいんじゃないの?」

「いいんです。どうしてもモンブランを作りたいんです」

「……そう。なら、いいけど」

 珪樹さんは、少し不思議そうな顔をしたけれど、納得してくれた。

「だったら4号くらいの大きさの丸いモンブランにしようか。高さを控えめにして、ドーム型っぽい感じにして」

「えっ、そんなことできるんですか?」

「もちろん。ホールケーキにしては小さめになるけど」

「充分です。ありがとうございます」

「ベースはうちのモンブランのレシピでもいい? それをアレンジして、ここをこうしたいとか希望があったら言って」

「はい」

 珪樹さんに指示を出してもらいながら、私は作業を始めた。どこに何があるか、厨房の配置も覚えて使い勝手にも慣れたから、準備作業も最初に比べたらだいぶスムーズになったと思う。

「……前にさ」

「はい?」

 泡立て器をシャカシャカかき混ぜる私に、そのボウルの中身をじっと見つめたまま、珪樹さんが尋ねた。

「僕のこと、ケーキに例えるならモンブランだって言っただろ。あれってどうして?」

「髪の色が、ちょうどマロンクリームに似ていて。あと、瞳の色がマロングラッセにそっくりだから」

「ああ、なるほど」

「でも、それだけじゃないですよ」

「え?」

「……はいっ、できました!」

 かき混ぜていたボウルを、ずいっと珪樹さんに差し出す。

「あ、ああ。うん、オーケー、じゃあ次は……」

 それだけじゃないよ、モンブランに似ているって言った理由。そして私が今日、モンブランを作りたいと言った理由も、きっとあなたは分かっていない。

 作業が進むにつれ、厨房の中が甘い匂いで満たされていく。珪樹さんの厨房でしか出せない匂い。

 モンブランの中に入れる栗を煮る段階になって、私が言った。

「栗は、あんまり甘くない大人の味付けにしたいです」

「ああ、別にいいけど、どうして?」

「珪樹さん、どうして僕がモンブランに似ているんだって、さっき聞きましたよね」

「……ああ」

 若干構えるような硬い声で、珪樹さんがうなずく。私はそれに気付かないふりをして続ける。

「最初はね、甘くってふわふわしているモンブランみたいな、そんな人だって思ったんです」

 そう。マロンクリームの、栗の味が効いた甘さ。その後、ふわふわのスポンジが口の中でふわっと溶けるぜいたく。最後に、てっぺんに載ったマロングラッセを食べた時の、あの特別な幸せ感!

 有名な山の名前がつけられた、見た目のバランスも味のバランスも完璧なケーキ。

 そんな特別なケーキ……モンブランにとっても似ているって、このお店で最初に食べたモンブランにこの人はそっくりだって、あの時思ったの。

「でも、少し違ったんです」

 そう、その例えはほんの少しだけ違っていた。

 モンブランを幸せな気持ちで崩していって、マロンクリームとふわふわのスポンジの中からマロングラッセが出てくると思って楽しみにしていたら、栗の形をした爆弾が出てきちゃった――!!

 苦い爆弾が口の中でいたずらして、弾けて。涙が出てくるよう……。

 そう、もうひとつの小悪魔な珪樹さんを知ったときの私の気持ちは、まさにそんな感じだったの。

「見た目は、上品で繊細なモンブランのままでした。でも本当の珪樹さんを知って、ふわふわの甘いスポンジとマロンクリームじゃないって思ったんです。珪樹さん、中身は全然甘くないんだもの」

 でも。苦味の中にほんのちょっぴり効いた甘さは、ただ甘いだけのケーキよりも私を虜にしたの。わざわざ意地悪でコーティングした優しさ。

 ちゃんと隠せていないことも、それは逆効果なことも、あなたは気付いていないよね。だって苦いものを食べたあとに甘いものを食べたら、いつもよりもっと幸せな気持ちになるものでしょう?

「モンブランの中身は甘くなくても、甘さ控えめなマロングラッセでも美味しいじゃないですか。見た目は可愛い、でも食べたら甘くなくて、大人の味でびっくりする……。そんなモンブランがあったら、きっと私はそのモンブランが大好きになります。そんなモンブランを、今日珪樹さんと作ろうと思ったんです」

 私が今日ここに来た理由、モンブランを作りたいと言った理由。それは塩沢くんに贈るためではなくて、あなたに伝えたいことがあったから。

 伝わった? 気付いてくれた? モンブランに賭けた、私の気持ち――。

 ドキドキと大きく脈打つ心臓を押さえ、じっと真剣に珪樹さんの瞳を見つめる。

 珪樹さんの栗色の瞳は、驚きに大きく見開かれていて、とても澄んでいて――、その表情は、時間が止まったかのように、口を引き結んだまま静止していた。

「……僕は」

 ゆっくりと珪樹さんの表情が動きを取り戻し、苦渋に満ちた表情でまつ毛を伏せ、搾り出すような声で語り始めた。

「オマエに嘘をついていた……」

「……え?」

「オマエは本当のことを知らないから、そんなことが言えるんだ。僕が真実を告げたら、きっとオマエの気持ちなんて変わる」

 その意外な言葉に、私の心臓も小さく跳ね上がる。

 珪樹さんの表情からも、これから語られることはささいなことではないのだろうと想像し、喉がコクリと音を立てる。

 でも、珪樹さんの唇が吐き捨てるように告げたその言葉は、私の鼓動を止めた――。


「僕は。僕は……、魔法使いなんかじゃ、ないんだ――」


 何秒たっただろう。一瞬、世界が止まってしまったように感じた。

 悪い目眩を起こしたように、床と天井が歪んで揺れる。ぐらぐら揺れる頭をなんとか抑えて珪樹さんに向き直ると、自嘲するような微笑を浮かべてこちらを見ていた。

「ほら、やっぱりオマエは動揺する。だから言ったんだ。オマエは僕が魔法使いだから好きなんだって」

 珪樹さんのからかうような口調には、私を責めるような響きも含まれていて、私は自分が動揺してしまったことを激しく後悔した。

「それも嘘……とか言うんでしょう?」

 無理やり作ってこわばった笑顔で、震える声で、珪樹さんを問いただす。そんなことはないって、そんな冗談を言う人じゃないって、分かっているのに。

「嘘じゃない。魔法使いっていうのが嘘なんだ」

「だって、じゃあなんでそんな嘘……!」

「最初はただ、ちょっとからかってやろうってだけの気持ちだったんだ。まさか信じるとは思わなかったんだよ。魔法使いだなんて突拍子もない話」

「だって……じゃあ今までの魔法は?」

「あんなの全部嘘だよ。ちょっと考えれば分かるだろう?」

「私が毎日作っていた満月の雫は?」

「あれは、ただのシロップ」

「でも、それを食べてカップルが仲直りしたし」

「魔法とか関係なしに、ケーキで気が緩んだんでしょ」

「ビスくん、喋っていたじゃないですか!」

「……あれは、腹話術。だからその後は一言も喋らなかっただろ」

「満月の夜に、あんなところであんな腹話術するんですか!?」

「僕、劇団サークルに入っているんだ。その練習だったんだよ」

「そんな……。だって珪樹さんのケーキは、こんなに夢みたいに美味しいじゃないですか!!」

 信じられない、そんな話。

「オマエが、面白いくらい何でも信じるから……。嬉しそうに、目を輝かせるから。その子供っぽくて馬鹿みたいな夢でも、付き合ってやってもいいかな、なんて思ったんだよ……」

「……」

「こんなに長引かせるべきじゃなかった。きりのいいところで、笑ってすませられるところでやめようと思ったのに、本当のことを言うタイミングが見つからなかった。傷つけるつもりじゃなかった……ごめん」

 ごめんだなんて、聞きたくないよ。ねえ、顔を上げて笑ってよ。そしていつもみたいに、「冗談だよ」って言ってよ、珪樹さん。

「僕には魔法は使えないから、このケーキに魔法はかけられないよ。でも、オマエが美味しいと言ってくれた僕の腕のすべてをかけて、世界一のケーキを作るから。……オマエの恋が叶うように」

 もう、仕上げるだけになっていたモンブランを、呆然と立ち尽くすだけの私の前で、珪樹さんは完成させ。

「……できた」

 箱に入れて私に差し出し、無理やり手に持たせた。何も言えずにいる私を厨房の外に押し出し、微笑む。

「行っておいで、ウサギ。今までごめん。でも楽しかったよ、オマエが魔法使いだと信じてくれた時間は。僕のケーキを魔法だと思ってくれて……嬉しかった」

 その笑顔は、とても柔らかくて、優しくて。別れの笑顔なのだと、分かった。


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