第5話 朧月夜の告白
月には魔力があるんだよ
満月に近付けば近付くほど その魔法は大きくなって
僕たちが力を分けてねってお願いすれば
お月さまはいつだって 力を貸してくれるんだよ
例えばお気に入りの水晶のペンダントを
一晩 月の光に当ててみて
次の日の朝には 水晶の力が満ちているはずだから
でも気をつけて
お月さまの魔力は いつ僕たちが受信してしまうか分からない
ちょっとスリリングなものだから
うっかり魔法を浴びてしまったら
気になるあの子に 思いがけない告白をしてしまうかもしれないよ?
月の魔力に当てられた、って言っても
お月さまには責任はとれないから
ご用心
――絵本「魔法使いのケーキ屋さん」より
私、ケーキもミルクティーも存分に堪能して、すっかり幸せな気持ちになって、さぁ帰ろうって伝票とバックを持って立ち上がった。
その時、カランカランとドアのベルが鳴り、入ってきた人が見えた。
長身で細いシルエットのその人は、塩沢くん……!
そういえば塩沢くん、珪樹さんのお店にたまに買いに行くって言ってたっけ……。
こんな所でバッタリ会ったからって、焦る必要はないのだけれど。なんでだろう。塩沢くんと話しているところを珪樹さんに見られるのが、嫌だ。珪樹さんと話しているところを塩沢くんに見られるのが、気まずい。
立ち上がったのにまた座り直すわけにもいかず、平静を装ってレジまで行った。
ケーキのショーケースを覗き込んでいた塩沢くんが、案の定私に気付いて声をかける。
「杏樹ちゃん!」
いつもは元気をもらえる、爽やかで屈託のないその笑顔と、嬉しそうなその声が、今は眩しすぎて、返す笑顔がぎこちなくなってしまう。
塩沢くんが杏樹、と呼んだ声に、ショーケースでケーキを補充していた珪樹さんがこちらを振り返ったのが目の端で見えた。
「塩沢くん、偶然だね。もしかしてお姉さんのお使い?」
「今日は母のお使いなんだ。うちみんな甘党だから、家族全員分買うと、毎回結構な量になるんだよね。車出して欲しかったんだけど、歩いて行って来いってさ」
「塩沢くんの実家って、このへんなの?」
「うん、この近くなんだけど。杏樹ちゃんは一人暮らしだったよね」
「うん。私のアパートもすぐ近く」
「もう、外暗いよ? 危ないから、俺が送って……」
言い終えないうちに、塩沢くんの前に並んでいた人の注文が終わって、店員さんに声をかけられた。
「あ、はい。えっと、マカロンとギモーヴのセットをそれぞれ一番小さい箱で。あと、全部二つずつで、メレンゲのモンブランと、巨峰のタルトと……」
塩沢くんは、続きを言いたそうな表情をこちらに投げかけたけど、真剣にケーキを選び始めた。
「お客様、最近よく来てくださいますよね。ありがとうございます」
若い女性の店員さんは、にこにことした屈託のない笑みを浮かべている。
「えっ……、あっ、はい」
「塩沢くん、最近お使いが多かったの?」
「……そうだね、たまたま。ここ一週間くらい」
「そっかあ。大変だね」
私もお会計を店員さんにしてもらう。珪樹さんは、さっきこちらを振り返ったけれど、塩沢くんのことに関しては何も言ってこない。いつもより事務的で、ポーカーフェイスからは何の感情も読み取れない。珪樹さんにとっては、どうでもいいことなのかもしれない。どうでもいいことだなんて、思って欲しくなかった。もっと気にして欲しかったの。そんな自分の気持ちがおかしくて、よく分からないよ。
「じゃあ塩沢くん、また明日ね」
途中までになってしまった台詞は聞かなかったことにして、ケーキを包んでもらっている塩沢くんに声をかけると、
「あっごめん、ちょっと外で待っていて」
と言われた。アパートは本当に近くだし、一人で帰るのはいつものことだし、本当に大丈夫なんだけど。
塩沢くんらしくない押しの強さに若干の違和感を覚えながらも、外で断ろうと思って、お店のアーチから出たところで待っていた。
「杏樹ちゃん、お待たせ。ごめん、寒かった?」
紫色から紺色に色を変えた夜空を見上げて、星座を数えながら待っていた私に、塩沢くんが駆け寄ってきて声をかける。吐き出す息は塩沢くんのほうが白かった。
「ううん、大丈夫。あのね、私の家、本当に近いから大丈夫だよ。まだそんなに遅い時間じゃないし。気を遣ってくれてありがとう」
「……そう言われちゃうと、つらいな」
なぜか塩沢くんは悲しそうな笑顔になって、頭を押さえている。
「え? あの、」
「あのさ、杏樹ちゃん。俺さ、彼女とは別れたんだ」
問い掛けようとした私の言葉を遮って、塩沢くんから突然のカミングアウト。
「え!? そっか、そうなんだ……。ごめんね、月並みなことしか言えないんだけど、元気出してね」
今まで誰かと付き合ったこともない、そもそも恋愛すらしたことのない私だから、こんな時に気のきいた慰めすらできない。
「ありがとう。でもそれは、もともと時間の問題だったんだ。遠距離になって早いうちからダメになっていて。でもお互いに話し合えずにずるずる来ていただけだから。はっきり結論が出せて良かったんだと思う」
「そっか……」
「杏樹ちゃんにね、告白された時も」
「えっ!? う、うん」
急にその話をぶり返されて、しどろもどろしてしまう。
「別れるのは時間の問題って感じだったんだ。でも俺、せっかく杏樹ちゃんが真剣に気持ちを伝えてくれたのに、中途半端なことはしたくなくて」
この状況ってもしかして。鈍い私でも分かる。そして、珪樹さんに塩沢くんと話しているのを見られるのが嫌だって思った理由にも、気付いてしまった。
「ちゃんとケリがついたら、俺から告白し直すつもりだったんだ。俺もずっと杏樹ちゃんのこと、素直で純粋で可愛いって思ってて」
私はなんとなく気付いていたんだ、塩沢くんの気持ちに。でも塩沢くんには彼女がいるから、それは勘違いだと思おうとしていた。ささいなサインにも気付かないふりをしていた。
珪樹さんは鋭い人だから、塩沢くんの気持ちにも、そういう私のずるい気持ちにも気付いてしまうんじゃないかって怖かったんだ。
「もし杏樹ちゃんの気持ちが変わってなかったら、俺と付き合ってくれないかな」
「……!!」
まさか、一度ダメだと思った人にこんなことを言ってもらえるなんて、嬉しいはず、だよね? 塩沢くんは本当にいい人だし、彼女のことも絶対大事にしてくれるタイプ。でも、どうしてだろう。胸が高鳴るどころか、もやもやが止まらない。
「今すぐ返事なんて無理だよね、ごめん。でも俺、もうすぐ誕生日なんだ。OKしてくれすなら、誕生日ケーキ焼いてほしいんだ。杏樹ちゃんのケーキ、今度は俺のために焼いて欲しい」
何も答えられずに、ただ塩沢くんの真剣な表情を呆然と見つめている時に、お店のドアが開いて、中から人が出てきた。
振り向いた私の目に映ったのは、無言でこちらを見ている珪樹さんで。私の視線で、人が来たことに気付いたのか、
「……じゃあ、そういうことだから。今日はおとなしく帰るよ。じゃあまた、学校で」
塩沢くんは手を挙げて、後ろを振り向かずに走って帰って行った。
私は珪樹さんとも顔を合わせられずに、下を向いて立ち尽くしていると、ザッザッと音を立てながら、街灯でできた珪樹さんの影が近付いてくるのが見えて。……ふわり、と私の首周りに、柔らかくてあたたかいものが触れた。
「マフラー忘れてるんだよ、オマエ」
「あ……」
それは恵麻ちゃんに借りたマフラーで、椅子にかけたまま忘れてきてしまったみたいだった。珪樹さん、気付いて届けようとしてくれたんだ。
「……ケーキ」
「え?」
「ケーキ、作ってやるの?」
「話、聞こえていたんですか……」
「そりゃ、こんな所で話されていたらね……。誰が通るか分からないよ?」
「……」
「ま、聞こえていなくても、店にいた時から、さっきの奴とオマエがお互いに気があるのはバレバレだったし。ケーキ作ってやるんだったら、協力するから。今までアルバイトしてくれたお礼」
「ちょっと待ってください。お互いにって、どういう意味……」
私の言葉には答えずに、珪樹さんは夜空を見上げた。
「もうすぐ満月なんだな。月がもう、こんなに丸くなってる」
私も、空を見上げる。濃紺の夜空に浮かんだ、黄色くて少し霞んだお月さま。まん丸になる日は、もうすぐ。
「アルバイトは今日まででいいから。その代わり今度の定休日、店に来て。ケーキ作り、手伝ってあげるから」
「……珪樹さん、私っ……! むごっ」
いきなり、マフラー越しに鼻をつままれた。
「にゃ、にゃにするんでしゅかっ!」
「……オマエが言いそうなことは分かってるよ。僕のことが好きだって言うんだろ?」
「なっ、なん……で……!?」
顔を真っ赤にして、口をぱくぱくさせる。私にも分かっていなかったことが、珪樹さんには分かっていたんだ。理解できない感情の理由も、もやもやの理由も。
「オマエのこと、一ヶ月近く見てきたんだよ? オマエ、本当に分かりやす過ぎ。顔に出過ぎ」
「だったらっ、なんで、そんなこと……っ」
ケーキ作りを手伝う、なんて、遠回しな拒否なの?
涙目になって、必死に珪樹さんを見上げると、凄く悲しそうに、凄くつらそうに微笑んで。
「オマエの気持ちは……恋じゃない。ただの好奇心なんだ」
そして、悲しいのに静かな、本当に優しい声で、こう言った。
「オマエが好きなのは、本当の僕じゃない。魔法使いとしての、僕だよ――」
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