第3話 魔法使いの厨房

 魔法使いの厨房へようこそ!


 瓶に入った調味料には気をつけて

 ただの砂糖やシナモンじゃない それは秘密のスパイス


 鍋の中の琥珀色の液体には 手を触れないで

 お気に召さない人が触れるとね 怒って色が変わってしまうから


 砂時計には仕掛けがあるんだ

 使うと三分間 時間を巻き戻せて

 横にすると 少しだけ時間を止められる

 気をつけてね 知らないまま使うと

 キミの時間が永遠に 止まってしまうかもしれないから


 夜 泥棒に入る人は気をつけて

 フォークやナイフは ケーキ屋さんの用心棒

 怪しい足音を聞き分けると 引き出しからヒュンヒュンと飛んでいって

 悪いヤツをやっつけるから


 不思議がいっぱいの 魔法使いのケーキ屋さんの厨房

 キミも遊びに来たくなったでしょ?


 ――絵本「魔法使いのケーキ屋さん」より


「お、おはようございま~す」

 次の日の朝、私は店の裏口から出勤し、珪樹さんに声をかけた。

 裏庭に来てみてびっくり。木がたくさん繁っていて、ちょっとした森みたいになっているんだもん。地面に落ちている木の実から、ぜんぶが胡桃の木だと分かった。

「遅いっ!」

 裏口に立ってびくびくする私の前に現れた珪樹さんが、仁王立ちしてドスの効いた声で凄む。

「ええええ!?」

 だって、まだ七時前のはず! まさか時計、止まってた?

「嘘、時間通り。ご苦労様」

 バッグから携帯を出そうとしておたおたしていると、珪樹さん、ニヤリとしてそう言った。

 ……遊ばれてるっ! 昨日から絶対この人に、遊ばれてるっ!

 珪樹さんの肩から、リスもぴょこっと顔を出す。本当にいつも一緒なんだなあ。絵本と同じで、相棒って感じ。

「リスくん、おはよう! あ、えーと、名前……」

「ビスケ。ビスって呼んでる」

「ビスケ?」

「そ、ビスケット色だから」

「そっかぁ~、美味しそうな名前! よろしくね、ビスくん!」

 そう笑顔で挨拶すると、ビスくんからはやっぱり、ぷいっとそっぽを向かれてしまった。そう簡単に懐いてはくれないのかなぁ。それとも、

「あーあ、嫌われた~」

 珪樹さんが、わざとらしい意地悪な口調で言う。

 や、やっぱり? 昨日の帰り道も目を合わせてくれなかったし、なんとなく気付いてはいたんだけど、やっぱり直接突きつけられると、ショックだよ。

「いいじゃん別に、ビスに嫌われようと」

「良くないですっ!」

 さらっと追い討ちをかける珪樹さんに、涙声で反論する。

「何でさ」

「だって、肩にリス乗せるの、夢だったんだもん……」

 あと、ポケットに入れてお出かけしたりとか。

「子供っぽい夢だね」

 !! やっぱり珪樹さん、ひどい。

 ああ、最初、見た目も中身も天使みたいと思った珪樹さんは、どこに行ってしまったんでしょう。さよなら、天使の珪樹さん。こんにちは、小悪魔な珪樹さん……。

 思いきりしょんぼりしていると、珪樹さんが呆れたようなため息をつき、

「……ビス」

 顎を私のほうにしゃくって、そう呼んだ。ビスくんは不満そうな顔(本当にそう見えた)をしたけれど、

「!!」

 次の瞬間、私の肩にピョンと乗り移ってくれた。

「わっ、わああぁ~! 軽いっ! いや、重いっっ! くすぐったい~!!」

「どっちだよ……」

 嬉しくて、よく分からない嬌声をあげてしまう。

 肩を一周すると、ビスくんはまた珪樹さんの肩に戻ってしまった。珪樹さんの肩、よっぽど居心地いいんだろうなぁ。動物って、本能的に優しい人が分かるって言うよね。きっと、ビスくんをとても大切にしているんだろうな。

「軽いと思ったら、意外と重みがありました!」

 あと、爪が食い込む感じも分かるんだなあ。洋服越しに体温も伝わって、触れてみるとその命の重みが分かる。魔法使いってすごいんだな。私の長年の夢だって、簡単に叶えてくれる。なんだか少し絵本の世界に近づけたみたいで、ドキドキが止まらないよ。

「珪樹さん、ありがとうございます!」

 頬を上気させながらそう言うと、

「いや、僕は何もしてないから。お礼ならビスに言えよ」

 そう言ってそっぽを向かれてしまった。なんか反応がビスくんと似ているなぁ。

「とりあえず、早くこれに着替えて」

 気を取り直したように溜め息をついて、脇に持っていた、新品の白いダブルボタンのコックコートとスカーフ、コック帽を渡してくれる。珪樹さんのとお揃いのコックコート。

「そしたら厨房に入って。材料は、もう調合して鍋に入っているから、そんなに難しい作業じゃないから」

「はい、分かりました!」

「あと、ちゃんとバイト代は出すから。いくらオマエのせいって言ったって、タダ働きさせるのは寝覚め悪いし」

「えっ、ありがとうございます!」

「朝からいちいち元気すぎてうるさいよ。なんでそんなに張り切ってるの?」

「そんなの決まっているじゃないですか!」

 昨日の夜は、ドキドキしてワクワクして眠れなかった。

 魔法使いに出会っちゃった! 魔法使いの厨房に入れるんだ……! 普通のキッチンとはきっと、全然違うよね? どんな魔法がたくさん隠されているんだろう、って……!

「……まあいいよ。とにかく着替えたら来て。更衣室兼事務所はそこのドア。あとこれはロッカーの鍵だから、貴重品は名札の貼ってあるロッカーに必ず入れて」

「はい! ……あっ、あのっ」

「何?」

 昨日からずっと気にしていたことがあった。

「昨日は本当にすみませんでした! 風邪、あのあと引きませんでした……?」

「大丈夫だって言っただろ? それとも、僕の声が風邪声に聞こえる?」

 鼻声でもないし、体がだるそうにも見えない。

「いいえ……」

 良かった。ホッと胸を撫で下ろす。朝コンビニで買った栄養ドリンクと風邪薬には、出番がないみたい。背中に隠しておいたコンビニの袋を、バックの中にこっそりしまった。

「分かったら、早く用意して」

「はーい!」

 いけない、更衣室までスキップしていきそうになっちゃった。いくらワクワクしてるって言ったって私のせいでこんなことになったんだから、浮かれていちゃダメだよね。

 四畳ほどの更衣室の、「栗原」と書かれているロッカーに荷物を入れ、緩んでいた顔を引き締めてコックコートに袖を通す。

 緊張して胸がドキドキする。実習以外でコックコートを着るのは初めてで、何だか憧れのパティシエに一歩近付いた気分。

 ぱりっとアイロンがかけられたコックコートは染みひとつなく純白で、着ただけで気持ちが引き締まる気がした。臙脂色のスカーフをネクタイの要領で首に巻く。曲がっていないかロッカー扉の裏の鏡で確認。

 うん、まあまあ似合っているかな? 鏡に映った自分の姿が照れくさくて、でも憧れのコックコートに身を包んだ姿をもっと見ていたくて、むずがゆい感じ。

 はっと我に帰り、あまり待たせちゃいけないと、慌てて髪をヘアゴムでくくって帽子をかぶり、廊下を挟んだ厨房に急ぐ。

「失礼しま~す」

 おそるおそる厨房の扉を押すと、泡立て器がボウルを空中でシャカシャカかき混ぜていたり、珪樹さんがひょいっと指を動かすとお砂糖が飛んできたり、

 ……な~んてことはなく、ごくごく普通の、ピカピカに磨かれた使いやすそうな厨房だった。珪樹さんはすでに仕込みを始めていて、焼きあがったスポンジや生クリーム、果物などが中央の大きな作業台に置いてある。

 が、がっかりなんて、してないよ? でも顔に出ていたのか、

「あからさまにがっがりしてるだろ、ウサギ」

 あっ、またウサギって呼んだ! 今日はふたつ結びにしないで、帽子の中に髪の毛を入れているのに……。

「そ、そんなことありません。道具が浮いているとか、勝手に動いているなんて、そんな想像していないです」

「してたんでしょ?」

 呆れたような顔で、ため息つかれちゃった。

「オマエ、魔法使いってどんな想像していたの?」

「え、箒に乗ったり、呪文を唱えたり……」

 魔法使いって言ったら、どうしてもそういうイメージがある。

「僕がやっているのは、そういうのじゃないから」

 言いながら顔を背けられ、珪樹さんは生クリームをパレットナイフでスポンジの表面に塗っている。数回ナイフを動かしただけで、表面のクリームはみるみるうちに平らになる。すごい、魔法を使っているわけじゃないのに、魔法みたい。

「そういうのじゃない、って?」

「普通にケーキ作っているだけ。僕がするのは、ケーキにほんの少しきっかけや幸せを与えるだけ」

 初雪のゲレンデみたいになったスポンジの上に、壊れやすい大切なものを扱うような手つきで苺を載せていく。

「普通の人間と大して変わらないよ。特殊なのは、動物と話せるくらい」

 誰も踏みしめていないゲレンデの上で、苺が命を吹き込まれたように生き生きと輝きだす。

「大したことはできないんだ。僕は食べた人に小さなきっかけを与えるだけ。その人の心まで変える力はない」

 でも私、最初に珪樹さんのモンブランを食べた時、すごく救われたんだよ。悲しくて寒くてどうしようもなかったのに、いつの間にか笑顔になっていた。

 その後だって毎日楽しかったんだよ。またケーキを買いに行こうって思うと。またあのケーキが食べられるんだって思うと。

 大したことはないの? そんな素敵なことが?

「そんなこと、ないと思います……」

「え?」

「大したことはないって珪樹さんは言うけれど、そんなことないです」

 怪訝な顔をして、珪樹さんが振り向く。

「私、本当に、珪樹さんのケーキにたくさん幸せと元気をもらいました。私だけじゃなくて、珪樹さんのケーキは、食べた人みんなが幸せになると思います」

「…………」

 珪樹さんは手を止めて、思わずドキっとしてしまうような真剣な眼差しで私をじっと見ている。

「そんな、そんな素敵なことが、大したことないわけないです。私も、人に幸せを与えられるパティシエになりたいって、子供の頃からずっと思っていたから……」

 だんだん声が消え入りそうに小さくなり、最後はうつむいてしまった。差し出がましいことを言ってしまったかな。また、余計なこと言うなって呆れられてしまうかな。

「……ありがとう」

 小さな声で囁かれたその意外な返事に、私は驚いてぱっと顔を上げる。

 えっ、今、笑ってくれた……!? 一瞬だったからよく見えなかったけれど、瞳と口元がふわっと柔らかくなって……。うわぁ、やっぱり笑った顔、凄く綺麗でカッコいい。微笑まれただけで胸がドキドキしてしまう。

 窓から入る陽の光で、ミルクティー色の髪の毛が蜂蜜みたいにキラキラ金色に輝いて、コックコートも純白で、地上に降りてきた天使みたいに思えるよ。珪樹さんの作るケーキは天上の食べ物みたいだね。

「見とれていないで、とっとと始めるよ」

「み、見とれ?」

 天使みたいに見えたのは一瞬で、すぐにそっけない口調と顔つきに戻ってしまった。ああ、もったいない、ビデオだったら一時停止したのに。そして、ふと違和感に気付く。

「あれ、そういえばビスくんいませんね」

 なんだか肩のあたりがさびしいな、と思ったらビスくんが消えていたんだ。

「厨房にリスを入れるわけないだろ。今は部屋で朝風呂でも入っているんじゃないの?」

 ええええ、リスがお風呂!? というか、部屋ということは。

「この店、住宅兼だから。二階が僕の住居」

 そうなんだ、お店の二階に珪樹さんが住んでいるのかぁ。どんな部屋なんだろう。珪樹さんは清潔好きそうだから、ものすごくきちんと整頓されてることだけは間違いないかも。

「期待しているようだけど、部屋には入れないからね」

「しっ、してませんっ」

「顔、ポヤーってなっていたよ。あ、もともとか。ゴメンゴメン」

 嘘っ、そんなに? 手のひらで顔中をぺたぺた触る。あ、でももともとなら、今更どうしようもないじゃん!

「オマエからかうと、面白い。すぐ表情くるくる変わるし」

 ほっぺたをみよーんと引っ張っていた私を見て、珪樹さんが意地悪そうな笑みを浮べる。そっか、からかわれていたのか。いつも真顔で毒を吐いて、本気なのか冗談なのか分からないから、厄介すぎるよ!

「もうっ、それより早く作りましょ! 満月の雫っ」

 これ以上からかわれる前に、早く作業に集中してしまうに限るかも。

「オマエに言われると、何かムカつくな」

 ぶつぶつ言いながらも、コンロにかかった鍋の前まで連れて行かれる。鍋の中には、とろりとした光沢のある透明な液体が入っていた。

「これは、シロップに月の涙と、薔薇にたまった朝露、すずらんの鈴の音、四葉のクローバーの歌声を混ぜたもの」

 プリーズ、ワンスモア。月の涙と朝露は分かるけれど、鈴の音と歌声?

「えっ、クローバーって、歌うんですか!?」

「……歌うでしょ。動物だって、植物だって」

 何当たり前のことを、という顔で見られる。いいなぁ、私も聞きたいなぁ、四葉のクローバーって、どんな声で歌うんだろう。

「これをとろ火で煮詰めていくと、琥珀色に変わるから、そしたら出来上がり。媚薬っていうのは大げさだけど、恋に効くエッセンスになるから」

「はい」

「月の涙だったら毎日採れるから、次の満月までよろしく」

 一ヶ月かあ。短期のアルバイトだと思えばいいよね。私のせいなのにバイト代までもらうのは何だか心苦しいけど……。アルバイト代をもらうんだから、しっかりやらなきゃ!

 コンロに火を点け、火加減を調節して一番小さくする。

「絶対に煮立たせないようにだけ、気をつけなよ」

「はい!」

 お玉でゆっくりゆっくりかき混ぜる。私だって、パティシエの卵。絶対に立派に完成させてみせるんだ!

 学校の成績だって、実は結構いいんだよ。暇があれば、家でお菓子を練習に焼いているから。今度、珪樹さんに食べてもらって、アドバイスもらおうかな……。

 火の調節をしながら、沸騰しないようにゆっくりとかき混ぜる。後ろの作業台やオーブンからは、珪樹さんがきびきびと立ち動く音。ここで、あのケーキたちが生まれるんだなぁ……。

 シャカシャカ響く泡立て器のリズム。鏡のような床の上できゅっきゅと鳴る足音。この厨房で生まれる音は、ぜんぶが耳に優しく響く。

 うっとりと目を閉じて、ケーキが生まれるまでのパレードのような音楽を味わう。厨房はファンタジア。道具や材料たちの行進。指揮者はケーキ屋さんの魔法使い。

 私は、珪樹さんのケーキを初めて食べた時のことを思い出して、幸せな気持ちになっていた。

 真剣に作業に没頭するうちに、どれくらい時間が過ぎただろう。見れば、シロップは透き通った綺麗な琥珀色になっていた。ううん、これはきっと例えるなら、満月の光の色!

「珪樹さんっ!」

 嬉しくなって、大きな声で珪樹さんを呼ぶ。

「どれどれ……、へぇ」

 珪樹さんはお鍋の中を見たあと、感心したように呟いた。

「どうでしょう……?」

 その表情に、どきどきしながら尋ねる。

「オマエ、何を考えながらこれ作ってた?」

「何、って?」

 私が考えていたことと言ったら、珪樹さんのケーキのこと、珪樹さんのこと……。

「怒りとか悲しみとか、そういう気持ちで作っても、このシロップは完成しないんだ。幸せな気持ちでかき混ぜないと」

 ああ、そうなんだ。だったら私はこのシロップの効果には、誰よりも自信があるよ。心の奥から何回も取り出し眺めていた、色あせないようガラスの瓶に入れてしまっておいた、あの日の気持ち。

「こんなに早く出来上がるなんて、よっぽど幸せなことを考えていたんだね」

「……珪樹さんの、」

「え?」

「珪樹さんのケーキを食べた時のことを、考えていました。だからかな。本当にすっごく、幸せな気持ちだったから」

 幸せな気持ちじゃないと完成しないなら、このシロップが完成したのは珪樹さんがいてくれたから。珪樹さんのケーキがあったから。

「……そっか」

 珪樹さんが、目を細めて笑う。でもどうしてかな、その笑顔がすごく寂しそうに見えるのは。風もないのに、胸の奥でちいさな鈴が、ちりん、と音をたてた。

 出会ってから少ししか経っていないのに、珪樹さんのいろんな一面を見ている。どれが本当の、珪樹さん?

 もっと知りたい。素の珪樹さんを、もっと見てみたい。そう感じるこの気持ちは、今までに感じたことのない気持ち。初恋だと思っていた塩沢くんにも、感じたことのない気持ち。

 今はこの気持ちが何なのか、自分でも分からないよ……。

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