第19話 委員長の過去と願い
何日かぶりに委員長の夢を訪れる。偶然でもない限り、俺が同じ人の夢に行くことはまずない。以前見た絵画の夢は、その数少ない巡り合わせだった。詳しい理由はわからないが、たぶん波長があったのだろう。だから自らの意志で、しかも現実でも接点の多い委員長の夢に、再び足を運ぶという選択をしたことに自分自身驚いていた。今までの俺だったら他の人達と同じように、そのまま現実で何事もなかったように過ごしていただろう。現にそうしようとしていた。だけど、どこか納得できなかった。自分でもなぜそうしようとしていたのかわからない。その答えが、立場は違っても恵の目覚めを待ち続けていた委員長の夢にあるような気がしたのだ。
微睡から目覚めたときには、光のアーチとどこまで続くかもわからない暗い道の真ん中に立っていた。前回来た時とは全く異なる景色だが、ここは間違いなく委員長の夢の中だった。俺は直接夢を見ている当人がいるところへも行けるが、本当は全ての夢に行き来できる。この夢の回廊と呼んでいるところにも、最初から自分の意志で行けるのだ。直接委員長のところに行かなかったのは、やはり心のどこかでおびえていたからかもしれない。体よく委員長の夢にヒントがあると言っておいて、本当は未だに面と向かう勇気がないだけだった。委員長の夢を狙ってやってくるであろう、ドリームハンターと鉢合わせするのも怖かった。だから、まず最初に俺はここを選んだ。夢の回廊でなら夢を見続けている彼女と遭遇することはないし、ドリームハンターは来ることができない。今まで選択したことが間違っていた俺にとっては、ここに来るだけでもとても勇気のいることだった。また俺の何気ない行動で、誰かの幸せが傷つくことがなによりも怖かったのだ。無数にある夢の中から委員長のいる夢を探すのは、本来であれば非常に骨の折れる作業であるが、俺はなぜかここにいても夢の主がどこにいるのかすぐにわかる。これは夢遊病になる前から人の夢を行き来できる俺の特別な能力なのか、それともたくさんの夢を見てきたおかげで見分けることができるようになったのか、自分でもわからない。ただなんとなくわかるのだ。今のところどこかの夢にドリームハンターが来ている様子もない。あいつらが夢を壊している時は、常に光り輝いている夢が明滅しているので一目でわかる。まだ委員長の夢が無事であったことに安堵する。当の彼女はというと、依然とは違う夢にいた。どんな夢で幸せを享受しているのか知った俺は、思わず目を背けてしまう。見るに堪えないというわけではない。むしろ、ずっと夢見続けていただけに直視することができなかった。彼女の望んだ幸せを奪ってしまったのは自分なのだから。
「これは……」
背けた先にあった夢に俺は目が釘付けになった。そこにいたのは過去の委員長。恵と委員長だけが知る大切な思い出だった。恐らく、俺が軽々しく覗き見ていいようなものではない。いけないことだとわかっていても、目を離すことができなかった。今の委員長の理念、思想、行動原理、なぜ俺に対してやたらと口を出してきたのか、それらの理由を形作る重要なもの全てが、凝縮されているといっても過言ではない記憶。
「だから、委員長は俺が夢遊病にならないように心配していたのか」
夢遊病になった恵がいたからこそ、委員長は親友と同じような道を辿らないよう、常に俺を気にかけていた。委員長の過去の記憶にある恵の行動や夢への考え方、価値観はまるで今の俺そのものだった。眠ることを重視し、夢でのことを第一に考え、夢遊病を肯定し、最後にはとうとう現実に帰ってこなくなる。最後の結末以外、まるで俺の行動を再現でもしたかのような過去の恵。それを親友なのに現実に引きとめられなかったと後悔する委員長。同じような行動をしている俺と出会い、きっと現実に思いとどめようと必死だったのだろう。だが、結局彼女自身が先に現実を諦めてしまった。二人が夢から帰ってこなくなり、一人現実に残された俺。なぜ、俺は一人だけ現実にいるのだろうか。なぜ、幸せな夢を見ていられないのだろうか。一見すると恵は夢の中で楽しい時間を過ごし、委員長は夢の中で救われ、俺は気兼ねなく夢を享受できる。なんの問題もない状況。
だけど、誰一人として本当の意味で幸せにはなっていなかった。もう誰にとって何が幸せなのかわからない。どうすれば幸せになれるのかもわからない。夢見る幸せは三人一緒なはずなのに、誰一人として願いを叶えられていなかった。未だに納得しきれないのはそのせいだろうか。だから、俺は未だに迷っているのだろうか。いくら考えても答えは出ない。結局、委員長の夢に来ても、俺は疑問を解消することはできなかった。けど、委員長については一つの答えを導き出すことができた。彼女はここで確かに幸せになっている。だって、今も委員長はあそこで現実で得たかった夢を見ているのだから。それを壊そうとするほど俺は無粋ではなかったし、夢遊病について肯定的に捉えていた。あとはドリームハンターがこの夢を壊してしまわないようにするだけ。それだけで、委員長は確かに幸せなままでいられた。もちろん、それが難しいことはわかっている。だけど、これまで長い間一人で親友を待ち続けた彼女がようやく手に入れた幸せを、守ってあげるくらいのことをしなくては委員長にしてしまったことは償えないのではないかと思っていた。この夢が壊されない限り、委員長が不幸になることはないだろう。だって、『後悔してやまなかった思い出』の傍にずっと夢見ていた幸せな夢があるのだから。
「……え?」
自分の考えに違和感を覚える。
なんで、未だに後悔している思い出が、幸せな夢の傍にあるんだ?
ここは現実を捨て、幸せな夢だけを見る場所なのに。だから、夢遊病にかかった人達は現実に戻ってこないし、戻ろうとも思わない。自分に都合のいいことばかりが、全て夢という現実になるのだから。
なのになぜ、委員長の夢には幸せではない思い出があるのだろうか?
しかも、最も幸せな夢のすぐ近くに。確かに夢でなくても、現実で起こったもので良い思い出なら、そのまま夢遊病で見ることはある。以前見た両親と一緒の時間を過ごしていた少女も、きっと起きていた頃の幸せな思い出をそのまま夢見たのだろう。けど、委員長のように辛いはずの思い出を夢見るものなど、今まで一人もいなかった。理屈はわからないが、俺が未だに導き出せない答えがそこにあるような気がした。後悔している委員長の思い出を食い入るように見つめる。当初浮かんでいた罪悪感や後ろめたさは、今や完全に吹き飛んでいた。普段は週一回。なにかイベントや嫌なことがあった場合には、その都度恵の元へ足を運ぶ委員長の姿があった。時には楽しそうに思い出を語り、時にはしょうがないと呆れ、時には涙を流す委員長の姿を眺め続ける。いつまでもいつまでも、いつか必ず目覚めると信じて待ち続ける姿に、いたたまれない気持ちで胸がいっぱいになるが、それでも俺は今度こそ目を背けることはなかった。いくつかの季節が過ぎ、恐らく最近のお見舞い風景であろう場面で、ようやく彼女の真意をくみ取ることができた。それは恵のことを忘れてしまったクラスメイトに激昂した直後、鞄も持たずに教室を飛び出した委員長は病院へとやってきていた。
「絶対に……絶対に、私は忘れないから」
眠り続ける親友の手を握りしめて、彼女は誓ったのだ。どれだけの月日が経とうとも、自分だけは親友のことを忘れないと。夢の中で求めてやまなかった幼馴染がいるにも拘わらず、夢遊病になっても委員長は忘れることができなかった。委員長にとっては、きっとそれほどまでに大切な思い出で、後悔していることだったのだろう。夢の中でも忘れられないほどに。委員長の夢の中に辛い記憶がある理由がわかったと同時に、彼女の心の内がわかった。今も委員長は苦しんでいるんだ。目の前に幼馴染がいる夢を見ていても、現実で救えなかったことを後悔しているんだ。夢見ていながら、きっと『現実で過ごす未来』を諦めきれないんだ。ああ、そうだったのか。どうして頭ではわかっていても、納得がいかない理由がようやくわかった。俺も委員長と同じで、『三人で過ごす未来』を諦めきれなかったんだ。恵が現実に戻ることを望み、委員長が現実に帰ってくることを望み、俺が現実で過ごすことを望んでいるのなら、やることは一つしかない。長い年月の末、ようやく決心のついた俺は、三人で過ごす現実を実現するために委員長のいる夢へと赴いた。
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