第16話 買い物と思いがけない出会い

 学校で快眠アイテムを没収されてしまった俺は、休日を利用して駅前にまで買い物に来ていた。ここは俺の住む町で一番栄えており、ここにさえくれば大抵のものは揃ってしまう。そのため平日、休日を問わず老若男女様々な人が行きかっている。特に今日は休日なので、平日と比べるとさらに人が多いだろう。中には俺と同じくらいの年齢であろう人の姿もそこかしこに見受けられる。大きなデパートだけでなく、レジャー施設も近接しているので、学校の奴らも遊ぶとなると大抵の場合ここにくることが多い。ただ俺の場合は特別な事情がない限り、ここに足を運ぶことはまずない。自宅から少々遠いのもあるが、一番の理由はドリームハンターに遭遇する確率が最も高いためだ。それでも今日ここに来たのは、その特別な事情になる。俺が普段から愛用しているブランドの快眠アイテムが、このデパートにしかおいていないためである。夢遊病が流行している昨今、それを肯定するような快眠アイテムは軒並みなくなってしまった。ドリームハンターに遭遇しないようネットで注文する方法もあるが、肌に触れて使う寝具類は実際に使用して確かめてみないと使い心地がわからないため、新調する際や今回のように没収されたりした場合にのみ限り、わざわざここに買いに来る。この駅前デパートはドリームハンターがいる施設が近くにあるため、快眠アイテムを取り扱っているのだ。買いにくるやつといえばドリームハンターか、俺のような一部の変わり者ぐらいなので、恐らく売る側としては儲けはほぼないだろう。それでも取り扱っている理由は、夢遊病を治療できるドリームハンターが少しでも治療をしやすいように裏で根回しが行われており、ほとんど売れない快眠アイテムをおいているらしい。どのような理由にせよ、眠ることを重視している俺にとってはありがたい話だった。駅前に着いた俺は足を止め、しばし歩いている人達の姿を目で追う。休日のせいもあるだろうが、前回ゲームセンターや映画館に来たときと比べると、明らかに人が増えているような気がする。日に日に夢遊病患者が増えているというニュースが流れているにも拘わらず、駅前を行きかう人の数は多い。この光景だけ見れば夢遊病なんて本当はないんじゃないかとさえ思えてくるくらいだ。

「あれは……」

 行きかう人々の中に見知った顔を見つける。数日前、灰村隆が夢遊病になったと担任に言われた際に、ショックを受けていたやつらだった。まるで何事もなかったかのように会話し、ふざけて笑い合うそのグループは俺が見ていることにも気づかず、ゲームセンターへと消えていく。本来であればあの中に灰村隆もいるはずだった。だが、あいつがいなくなったところで現実に大した変化はない。むしろ、元からあいつなんていなかったかのように過ごす人達の姿を見てようやく実感が湧いてくる。夢遊病は現実に存在するのだと。「……行くか」

 しばらくゲームセンターの入口を眺めていたが、今日来た目的を思い出した俺は、デパートへと足を向ける。ここはドリームハンターの活動範囲内なので人通りが多い。あんなところで突っ立っていたら、見つかりかねない。以前もここに来た際に、夢の中で見知った顔が歩いていたことがあるので、このままここにいる危険性に気付いた俺は、足早に目的地へと向かった。デパート四階、俺の求める快眠アイテムは、ベッドや掛布団が置かれている寝具類のコーナーの脇にひっそりとある。夢遊病のせいで人気はないが、以前ここでドリームハンターに遭遇したことがあるだけに、慎重に辺りをうかがう。寝具コーナーを一通り見て回り、幸いにも自分以外の客がいないことを確認すると、ようやく快眠アイテムが置かれている一角へと向かった。目的のものを購入して、すぐに帰ればドリームハンターと遭遇することもないだろう。夢遊病が流行る前と比べれば決して数は多くないが、品揃えは悪くない。今時珍しい快眠アイテム専門のブランド『雪のやすらぎ』のものも置かれており、俺はここの物を愛用している。

「これは、新しい枕っ!?」

 没収されたものと同じものを購入し、さっさと帰ろうと思っていたが、新製品が入荷しており思わず手に取ってしまった。固さ、高さ、肌触り、仰向けや横での寝心地と、様々な角度から自分に快適な眠りをもたらすか検証してみる。ここ最近はあまり眠っていないが、趣味と言えるものが唯一睡眠しかない俺は、時間も忘れて新製品の使い心地を夢中で確かめてしまった。

「ねえ」

 以前のものと新製品、どちらを購入するかで悩んでいた俺は、急に声をかけられる。夢遊病が蔓延して以降、快眠アイテムの人気は激減。今では取り扱っているところを探すのさえ難しい。これらを持ってレジに行こうものなら、店員から奇異の視線で見られること間違いない。そして、そんな商品を買いに来るのは俺のような変わり者か、眠ることこそが重要な意味を持つ者。

「現実で会うなんて久しぶりね」

 ドリームハンターしかいなかった。遭遇してしまうリスクを考えるならネットで注文するという手もあったが、寝心地だけは実際に触って確かめてみないとわからないので基本的に買いにくるようにしている。今回はそれが裏目に出てしまった。いつからそこにいたのだろうか、気が付けば俺の隣に同じようにしゃがみ込む、ドリームハンターの姿があった。店内に取り付けられた時計を横目で確認すると、到着してから一時間近くも時間が過ぎていた。すぐに帰るつもりが、新製品の枕片手に熱中していたせいで、最も会いたくない人物に出くわしてしまった。ここでこいつに会うのは二度目だった。快眠アイテムは消耗品とは違い、買いに来る頻度が少ないため、これまで鉢合わせすることはなかった。それまではこいつがここを利用していることすら知らなかった。現実であっても夢であっても、最も顔を合わせたくない相手。初めてここで会ったときに知ったのだが、不幸なことにあいつと俺の愛用している枕は同じだった。これは販売メーカーが独自に開発したもので、俺の住む近辺ではここにしか売っていない。だから、買いに来るとしたらここしかない。それを知って以降、快眠アイテムを買いに来る際は、細心の注意を払っていたつもりだった。しかし、新製品の枕につられたことがきっかけで、再び出会うことになろうとは思わなかった。状況としては悪かったが、唯一ここが現実であったことに安堵する。現実であれば、誰かの夢が壊される心配はない。最悪の事態には至っていないのだ。

「どう、その新製品の枕はよさそう?」

 一刻も早くこの場を離れたい俺は、ドリームハンターの声に耳を傾けることなく、新製品の枕を持って、そそくさとレジに行こうとする。

「――あなたの知り合いが夢遊病になったんだってね?」

 しかし、背後から投げかけられた言葉に足が止まってしまった。商品が手から滑り落ちそうになるが、何とか空中でキャッチすることに成功する。ドリームハンターの言葉の内容を、心を落ち着かせてゆっくりと考える。こいつが「あなたの知り合い」という言葉を使うことから、現実で友達のいない俺にとって、誰を指しているのかは自然と限られてくる。両親は健在だし、幼馴夢はもうすでに夢の中。となると、こいつの言う「あなたの知り合い」は委員長くらいしか心当たりがなかった。「なんでそれを?」という疑問が浮かんでくる。委員長と面識のないこいつが、なぜそれを知っているのか不思議でならなかった。夢だけではなく、現実でも俺を苦しめようと何か企んでいるのだろうか。もしかしたら何かの間違いかもしれないと思った俺は、慎重に言葉を選びながらドリームハンターの問いに答えた。

「知り合いも何も、学校でも家でも寝てばかりいる俺にそんなものいないよ」

「美澤優子――だっけ?」

「!?」

 声にならないほど驚く。最近俺の身近で夢遊病になった数少ない知り合い、ドリームハンターの口にした名前は、紛れもなく委員長の本名だった。同姓同名かもしれないなどと、楽観的に考えるほど俺は現実に期待していない。間違いなくこいつは、委員長が今現在夢遊病であることを知っているのだ。途端、俺の胸に不安が広がっていく。ドリームハンターが委員長のことを知っている。その事実が示すものは、夢の終わりが訪れることに違いなかった。せっかく委員長は、幸せな夢を見られるようになったのに、俺を恨んでいるこいつがそれを知っているという事実は、これから起こる嫌な未来を予感させた。現実での脅威はないはずなのに、目の前にいるドリームハンターが怖くて仕方がなかった。

「な、なにをするつもりだ?」

「うつ伏せ寝でも呼吸しやすいっていうだけあって変わった形ね。ただ、ちょっと硬すぎるかしら」

 震える声で尋ねるが、彼女は問いに答えることなく、俺の持つ枕を熱心に見ている。時折触ったり、他の商品と比べたりしながらぶつぶつ独り言を呟く姿に、このまま逃げ出してしまおうかという考えが一瞬脳裏をよぎる。だが、結局それはできなかった。違う意味で恐怖で足が竦んでしまったためだ。ここで俺が逃げ出したことによって、委員長の夢が壊される時期を早めてしまうのではないかと思ったからだ。まるで人質を取られたかのように、なすすべなくドリームハンターからの返答を待つ。何の抵抗もできずにいる時間はとても長く、ほんの数分が何時間にも感じられた。

「ねえ、あなた的にはこの枕どうだった?」

 しばらく我慢して待った結果、返ってきた答えは、最初にされた質問と似たようなものだった。このまま答えなければ、話が先に進まないと判断した俺は、自分の分析した結果を口にする。

「商品説明通りうつ伏せ寝でも寝やすかった。首や背中への負担はあまりないように感じたな。柔らかいと沈み過ぎて寝づらいから、このくらいの固さが俺としては一番いい。値段はちょっと高めだが、妥当だと思う」

「けど、四葉のクローバーのようなデザインだから仰向けのとき不便じゃないかしら。葉の間に頭を置くと肩に葉の部分が当たって寝づらいし、かといって葉の部分で寝ると寝相を打った時に頭が落ちちゃうじゃない」

「元々、学校で没収された枕の代わりを買いに来たんだ。机を使って寝るとなると、うつ伏せしかないだろ? だからうつ伏せで快適に寝れるこの枕を選んだんだ」

「なるほどね」

 感心したように何度もうなずいている。どうやら俺の答えは、彼女の満足できるものだったらしい。これで委員長のことについて教えてもらえるかもしれないと期待していたが、次にドリームハンターの口にした言葉は予想だにしないものだった。

「あなたの質問だけど、あたしとの話に付き合ってくれたら教えるわ」

「嫌だっ!」

 間髪を容れずに拒絶の意思を示す。彼女は何を言っているのだろうか。お互いに嫌っている間柄なのに、話に付き合えだなんて。俺にはドリームハンターの意図しているところがわからなかった。これも俺に対する嫌がらせや復讐の一環なのだろうか。

「でしょうね。あたしが同じ立場だったら、あなたのように即答するわ」

 じゃあ、なんでという疑問を挟む余地もなく続ける。

「別にあなたがそれでよければ断ってもいいのよ」

 明らかな作り笑い。一瞬寒気さえ感じた。表情と言動から何か隠れた意図があるような気がした俺は、彼女の言葉の意味をよくよく考えてみる。先ほどは条件反射的に拒絶してしまったが、本能的に避けてしまうせいかこいつと現実で出会うことはまずない。にも拘わらず、委員長の情報を持ったドリームハンターと枕を買いに来たおかげで遭遇した。これは委員長の今後を知る、またとないチャンスだろう。だからここは自分の感情をどこかに捨て置いてでも、彼女からの話を聞くほうがいい。それでいいはずなんだ。俺は自分をそう納得させてから、嫌いな相手の提案に渋々了承した。


 お互いに快眠アイテム、俺は新製品の枕を、ドリームハンターは俺も愛用しているブランドの柔らかめの枕を購入すると、彼女に誘われて喫茶店へと向かった。肩を並べて歩いているのに、道すがらお互いに一言も話すことなく黙々と進んだ。ドリームハンターの決めた喫茶店に入ると、水を運んできた店員に俺はホットミルク、彼女はホットレモンを注文する。しゃべりやすいよう水を飲んで喉を潤すと、沈黙を破ったのはドリームハンターのほうだった。

「あたしと同じ枕を買っていたから、前々から気になっていたのよね」

 今回こんなふうに誘った理由を口にする。

「別に俺以外にもドリームハンターの中に使っているやつなんているだろう」

「いないわよ。大体のドリームハンターは寝られればなんだっていいんだから」

 正直彼女の答えは意外だった。ここが快眠アイテムを取り扱っているのは、ドリームハンターのためなのに。そいつらが興味を抱かなければ、いったい誰が買いにくるのだろうか。本当にただ置いているだけになってしまう。だが、考えてみれば夢から目覚めたものにとってはそれが当然なのかもしれない。夢を失ったことに比べたら、当人達にとって寝心地なんて二の次なのだろう。ただ、自分はもう見ることの叶わない幸せな夢を、当てつけに壊すことさえできればなんだってよいのだ。悲しい連鎖であるが、原因の一端を担っている俺にとやかく言う権利はない。

「あなたとかあたしみたいなのは特別なのよ」

 特別と言っている時点で、彼女は他のドリームハンターとどこか違うのだろう。実際、確かに違っていた。彼女は俺が夢を壊して目覚めた後も、夢での出来事を覚えていたのだ。それが俺の知っている彼女と、他のドリームハンターとの決定的な違い。夢から目覚めたものは何かとても幸せな夢を見ていたという思いだけで、記憶していることなど一切ないし、思い出すこともない。だからこそ、自分の夢を壊したドリームハンターが目の前に現れたとしても、気付くことはないし、一緒に夢を壊そうと持ち掛けられても、疑問を抱くことはない。唯一彼女だけは、俺が自分の夢を壊した張本人であることを知っていた。だからドリームハンターとなり、やり切れない思いの捌け口と、俺への復讐のために人の夢を壊し始めた。

「だから、快眠アイテムについて、他の人の意見を聞いてみたかったのよね」

 それがまさかあなたになるなんて夢にも思わなかったけど、という皮肉を込める。どうやら、彼女から委員長の話を聞くのはそれが条件らしい。どうすれば自分の望む結果が得られるのか理解した俺は、彼女との話に付き合うことにした。どんな気まぐれかは知らないが、こいつと面と向かってまともに会話するのはこれが初めてだった。現実でも夢でも姿を見た途端逃げ出してきた。夢で会えば俺のいるところの夢を壊し、口を開けばこいつの言葉に心を抉られるので、話をしようとも思わなかった。にも拘らず、不思議なほど会話が弾んだ。快眠アイテムを皮切りに使用感、どこがよかった、どこが悪かった、など様々な意見と疑問が飛び交った。好きな食べ物や音楽、どのような夢に行ったかに至るまで、現実に生きる相手にはできない内容を長々と話し合った。会話してみてわかったのだが、お互いの趣味嗜好がとても似通っていること、意外なほど話が合うことに気付く。まるで十年来の親友のように話しやすく、相槌のタイミングや相手の求める答えが手に取るようにわかった。お互いに嫌悪していたが、こんな会話をできる相手がいなく、趣味嗜好だけはあうので、色々な話に花が咲き、久しぶりに楽しいと思える時間を過ごした。「現実も悪くないなんて気持ち、久しぶりだな」と話している内に思うようになる。二人のこの関係、この時間は確実に終わる。その最後の時まで楽しめるように、まるでこれまでのことなど一切なかったかのように笑い合う。こんなふうに話せるなら、四人で過ごす未来もあったのかもしれないな。途中、店員の持ってきた飲み物は話に夢中になりすぎて、すっかり冷めてしまっていた。時計を見ると、店に入ってからもうすでに三時間も経過していた。ようやく話が落ち着いて、冷たくなったホットミルクを飲んで、しゃべり疲れた口内を潤していると、同じようにしていたドリームハンターがぽつりと呟いた。

「久しぶりに、現実で楽しい時間を過ごせたわ」

 彼女が正直な答えを求めていると分かったので、俺も素直に自分の気持ちを口にした。「……俺もだよ」

「やっぱりね。そんな気がしたわ」

 ほころんだ顔は夢の中で俺に嫌がらせをする時の非情なものとも、他人の夢を壊している時の狂喜的なものとも違う。彼女自身が本当に楽しいと思う時にだけ浮かべる、曇りのない笑顔だということがなぜか確信できた。お互いに理解し合えるからこそ、相手が今考えていることがわかってしまう。

「あなたが……」「おまえが……」

「あたしの夢を壊していなければ」「ドリームハンターでなければ」

「「仲良くできたかもしれないのにな(ね)」」

 という結論に至り、お互いに笑いあう。彼女の浮かべた笑顔は先ほどとは異なり、どこか寂しそうなものだった。きっと俺も似たような顔をしているだろう。俺が彼女の夢を壊しさえしなければ、友達としてここで過ごす未来もあったのだろうか。そうすれば幼馴夢の夢は壊されることもなく、委員長も夢遊病にならず、ドリームハンターを憎むこともなければ、憎まれることもない。四人でここで他愛もない話をして、笑い合う未来があったのではないかと考えてしまう。

「えっ?」

 一瞬ドリームハンターの隣に委員長が、俺の隣に幼馴夢が座っている光景が見える。ほんの僅かな時間、まばたきをした時には消えてしまうようなものだったが、確かにみんな笑って仲良くテーブルを囲む姿がはっきりと目に映る。まるで目覚めたまま見る白昼夢。俺は起きている時でさえ、ありえない光景を夢見ていた。

「今も……胸にぽっかりと穴が空いてしまった感覚があるの」

 急な話の展開と、彼女の雰囲気が変わったことから、ようやく委員長のことを聞けるのだと理解する。目的を達成できることに安堵しながらも、心のどこかで彼女との他愛もない話が終わってしまうことに、落胆している自分がいた。ドリームハンターは胸に手を当てたまま、寂しげな目で話を続ける。

「あなたに起こされた日から変わらない。だけど、今日あなたと話している間、一時でも忘れられたわ。あんなに憎んでいたのにね。本当はここに来るまでに、どうやって嫌なことをしてやろうか、どんな方法で苦しめてやろうかって考えていたのに、話しているうちに忘れちゃったわ」

「……」

 返答に困った俺は黙って話を聞くことしかできない。

「子供の頃、親に捨てられて児童養護施設に預けられたあたしは、施設の人達と馴染めず、間もなく夢遊病を発症したわ。あたしにとって、あの幸せな夢の中だけが生きがいだった。二度と現実になんか戻りたくなかった」

 彼女の瞳は俺に向けられていながらも、どこか違う景色を見つめている。まるで夢見るように、彼女の心は今も現実に生きていなかった。

「あたしの手によって目覚めた人達は、もう決して夢で生きてはいけない。そして、夢なしでは生きていけない。でも、目覚めた時点で支えてくれる家族がいる。だけどあたしは……目が覚めた時点で一人きりなのよ」

 彼女は現実で一人だった。俺は現実では両親と委員長が、夢の中では幼馴夢という理解者がいたから問題なかった。だが、現実を捨てて眠りについたドリームハンターは、俺に起こされたあげく、夢であっても現実であっても一人だった。誰もいない、そして救われることもない。

「例え、いずれ死んでしまうとしても……あのまま、幸せな夢を見れたままなら、それでもよかった」

 すがるような視線、強い願望、目尻にたまった涙。「こいつは俺と同じだったんだ」現実でも夢でも救われないまま、夢遊病から目覚めてしまったんだ。原因を作ったのは、紛れもなく俺だった。現実も夢も含めて、こいつとのことは今でもはっきりと覚えている。 物心ついた時から自分の夢を見たことがなく、他人の夢を行き来することしかできなかった当時の俺は、夢の中で出会った幼馴夢と遊ぶのが楽しくてしょうがなかった。これが夢遊病の研究をしている両親にとって、心配で仕方なかったらしい。八年前、あまりにも眠ってばかりいる俺を心配した両親が、眠り過ぎるとどうなるか教えるために、自分達の働く研究施設に連れていってくれたことがあった。俺と同い年で、目覚めることなく眠り続ける少女。そこで出会ったのが、今ではドリームハンターと呼んでいる彼女だった。両親は彼女が親に捨てられ、養護施設というところに預けられてすぐに、ずっと眠ってしまう病気になったということを話してくれた。両親が案内してくれた当時、夢遊病は原因不明の眠り続ける状態で、詳しい原因も治療法もわからず、病気事態も世間にはまだ正しく認識されていなかった。ずっと眠ったままの人はどういう夢を見ているのか気になった俺は、興味本位で彼女の夢に向かった。

 今思えばこれが間違いだった。彼女は夢の中で美味しいものを食べているでもなく、心躍るような冒険をしているでもなく、ただ自分を捨てた両親と過ごしていただけだった。目覚めないほど眠り続ける人は、どれだけ楽しい夢を見ているのか期待していた俺は、少なからず落胆したのを覚えている。だが、すぐに興味深いものを発見した。それは彼女の両親の中心に何かがあるのを感じとったからだ。最初はわからなかったが、よくよく目を凝らすと、それは強い光を放つ野球ボールくらいの玉と、今にも消えそうなくらいわずかな光を発している玉だった。今では夢遊病の核と呼んでいるものだったが、当時の俺はそれを知らず、興味本位に触れてみようと考えた。そして、彼女が目を離している隙に手を伸ばし、彼女の両親の中にある光の玉に同時に触れた。本来であれば肉体に阻まれて、触れるどころか、見ることさえできないはずなのに。なぜか俺には目を凝らせば見え、触りたいと思えば、直に触れることができた。両手に触れた玉の感触は無機質なものだったが、強い光を発しているほうは温かく、逆に弱い光の玉は冷たかった。次の瞬間、俺の手を伝って、強いほうから弱いほうへと光がどんどん移動していく。まるで電気の回路のように、俺の手を介して二つが繋がったことにより、光が流れ始めた。異変に気付いたドリームハンターが両親を見た時には、すでに強い光を放っていた玉は、まるで電気が切れてしまったかの真っ暗になり、ついには二つとも壊れてしまった。

 そこからの終焉は早かった。まるで夜のとばりが下りるように徐々に、だが確実に夢の世界を形作っていたものたちが薄れて消えていく。最後に両親の姿がなくなったかと思うと、俺達は夢の回廊へと出ていた。スイッチの電源を切るかのように無数にある夢の明かりが消えていく中、ようやくこの原因が俺だと理解したドリームハンターが肩を揺さぶり責めたてる。「返して」「元に戻して」と、どうすればいいのかわからず、なすがままだった俺は「起きたくない」という言葉を最後に消えたドリームハンターの姿を、呆然と見届けることしかできなかった。その後、現実で両親からドリームハンターが目覚めたことを聞いて以来、夢の中で玉を見つけても触ろうとはしなかった。それから五年の歳月が流れ、彼女の中学入学祝いを機に、両親がドリームハンターを家へと連れてきた。そこで初めて、現実に目覚めたドリームハンターと顔を合わせた。夢から目覚めた人達は、夢でのことを覚えていないので大丈夫だと思っていた。ただ素知らぬ顔で、中学入学祝いの席を楽しもうと考えていたのに、彼女は俺が自分の夢を壊した人物だと覚えていた。俺と出会うまでは夢での出来事なのだからと諦めていた彼女にとって、その衝撃は大きかったらしい。自分のことを知らないかとしつこく尋ねてくる彼女にしらを切りとおしたが、疑惑は晴れなかったようだ。

 そんな彼女に再び出会ったのは、幼馴夢の夢の中だった。中学に上がってから、夢に長居するようになった幼馴夢に付き合い、俺はますます夢へと入り浸るようになった。それこそ、三日も起きずに眠り続けるなんてことはざらだった。俺が夢遊病だと思い込んだ両親は、長年研究してきたある仮説を世間に発表する前に、実験しようとドリームハンターを夢へと送り込んできた。これまでの恨みをぶつけるかのように、見るも無残に壊された夢。核が一つ壊されたものの、もう一つは無事だったので時間があれば、いずれ元通りになるはずだった。しかし、なぜか修復することなく幼馴夢は夢から目覚めなくなった。居場所がなくなった俺は、夢にいずらくなり目覚めていることが多くなる。これで自分達が立てた仮説が正しかったと考えた両親は、夢遊病の治療としてドリームハンターを導入し始める。俺は幼馴夢の夢が壊されたこと、夢が壊れれば目覚めるという仮説を立証させてしまった罪悪感から『本当に夢遊病』になってしまった。夢遊病から目覚めさせようと再度、俺の夢に両親がドリームハンターを送りんだ際に夢から目覚める方法を偶然見つけたのは幸か不幸か。その後、二度も俺が夢遊病になったと思い込んだ両親が、世間からの風当たりを心配して、幼馴夢のいるこの街に引っ越し、現在の学校で幼馴夢の親友である委員長と出会った。これが両親どころか、幼馴夢でさえ知らない、俺とドリームハンターとの間にある真実。

「あなたの知り合いの美澤優子さんだけど……」

 現実では決して変わることのない過去の出来事を振り返っていた俺は、ドリームハンターの口から放たれた委員長の名前で意識を現実へと引き戻される。

「研究者の特別な計らいで娘さんを治療しますと彼女の両親に持ち掛けたら、喜んで食いついてきたわ。都合よく治療を希望していたしね」

 先ほどとは打って変わり、見る影もない邪悪な笑顔。何度も見てきた夢奪うもの、ドリームハンターとしての彼女の顔だった。ついさっきまで、十年来の親友のように接していた姿は、幻だったのかとさえ思う。彼女をこんなふうにしてしまった原因は、俺にあるのだとわかっていても、どこか心苦しかった。

「……いいわよね。自分のことを心配してくれる人がいるって」

 まだこちらの弱々しい顔のほうが、彼女の本当の姿を映し出しているようにさえ思えた。いや、むしろこちらが本来の姿なのかもしれない。俺に夢を奪われた彼女は、現実で頼る相手もおらず、心の拠り所もなく、ただ憎しみでしか生きることができなかった。恐らく、それしか生きる糧がなかった。だから多くの夢を壊し、俺から大切な人を奪った。普通の人のように、俺が自分の夢を見ることができていれば、彼女による被害者はもっと少なかったかもしれない。もっと早く俺自身の夢が犠牲にさえなっていれば、幼馴夢が夢に閉じ込められたまま、三年の月日を過ごすこともなかったかもしれない。今日、面と向かって話したからこそわかった。夢に現れたときの狂気じみた笑顔、彼女はきっとあの裏で泣いていたんだ。彼女も本当はこんなことをしたくなかった。ただ、普通の生活を送りたかった。両親がいて、学校に通って、他愛もない日々を過ごす。夢遊病によって死んでしまったあの少女と同じくらい純粋で、決して叶うことのない願いを夢見ていた。それを俺が壊してしまったことで、どうしようもなくて、やりきれなくて、ただ当てつけに人の夢を奪うことしかできなかった。彼女のやってきたことは、決して擁護できるようなものではない。だけど、同じ立場になった時、果たして俺は今と同じように、夢を肯定できただろうか。

「あなたが壊しさえしなければ、あたしにも夢の中にだけは心配してくれる人がいたのよっ」

 責めるような口調、刺すような視線。だが、彼女の言うそれは偽りでしかない。本当に誰かが心配してくれていることなんてありはしない。「もしかしたら、現実で自分を捨てた両親が……」という希望さえ持たない。ドリームハンターはわかっているのだ。俺と同じように、彼女も現実に夢を抱いていない。夢を行き来できるからこそ、人一倍、現実世界の脆さを知っている。そして、偽りだからこそ、夢の世界がいかに強固にできているか知っている。夢を肯定している俺が、偽りであっても幸せでありたいと思っているドリームハンターに、反論する余地などありはしなかった。

「ごめ――」

「謝らないでっ!」

 彼女は謝罪の言葉なんて求めているわけではないとわかっているのに、思わず口から洩れそうになる。結局最後まで言わせてはもらえなかったが。

「あたしは、あなたを憎んだままでいたいの」

 冷たくも意志を感じさせる視線。能面のように無表情の中、眼だけが彼女の真意を雄弁に物語っている。きっと、ここで謝罪を受け入れてしまえば、生きる意味がなくなる。俺に復讐するという糧を失うことは、現実で死ぬことに等しいと考えているのだろう。それこそ、夢遊病から目覚めた多くの人達のように、廃人になって夢を失ったまま生き続けることにもがき苦しむ未来がわかっているからこそ拒絶したのだ。そして俺も、これまで彼女のしてきたことを認めるわけにはいかなかった。夢を失ったからこそ、その大切さがわかるはずのに、多くの夢を奪ってきた彼女を許すことなどできなかった。

「……わかった」

 だから、誰よりもお互いのことを理解できていながら、俺達は決別したままでいなければならなかった。そうしないと、二人とも心の支えを失うことがわかりきっていた。彼女は生きる目的を失い、俺はあの少女を見殺しにしてしまったという現実に、きっと耐えきれなくなってしまう。

「で、美澤優子さんのことを聞いてあなたはどうするの?」

 まとう雰囲気、目つきが変わり、とうとうドリームハンターが現実に現れる。夢で俺を散々苦しめるドリームハンターは、現実でも安息を与えてくれなかった。

「あの絵画の夢みたいに、どうせまた見殺しにするんでしょう? なら、あたしから話を聞いてもしょうがないじゃない」

 事実と現実を織り交ぜ、的確に俺を追い詰めてくる。ぐうの音も出ないほどに。確かにそのまま放っておくということは、本来救えるはずの命を見捨ててしまうことと等しい。かといって、ドリームハンターのように幸せな夢を見ている人達を悲しませるようなことはできなかった。俺は誰よりも、それを失った時の悲しみを知っていたから。

「あなたは何がしたいの?」

 答えられない。答えを持っていない。

 俺はいったいどうしたいんだろう?

 どうすれば幸せになれるんだろう?

 黙っている俺をよそに、ドリームハンターは喋り続ける。最初から答えなんて期待していなかったのだろう。俺が彼女の心境を容易に理解できたように、彼女も俺のことをわかっていたのだ。

「美澤優子さんはもう病院に入院しているわ」

「う、嘘だろ?」

 病院にいるということは、委員長の夢が壊れることを避けることはできないことと同義だった。ドリームハンターである彼女自身が、動こうが動かまいが関係ない。この先、委員長の未来には、偽りの幸せさえ存在していなかった。本来ありもしないものを得ることなどできないのは当然のこと。どんなに願っても、突然魔法を使うことなどできないように。そんなことは誰だってわかりきっている。だが、夢見ることさえできないのは悲しいことだった。

「信じられないなら、自分の目で確かめてみなさい。彼女は霧雨病院に入院しているわ」 聞かされた場所は、夢遊病研究施設として有名な病院だった。夢遊病になっている患者達はまずここに入院し、様々な検査を受けた後に、ドリームハンターによって治療が行われる。表向き未だに解明されていないことが多く、原因究明のため研究施設に入れていると言われているが、理由の一つとしてこうしないと治療ができないらしい。俺や目の前の彼女のような例外を除いて、普通のドリームハンターは治療者の近くで寝ないと、対象の相手の夢の中に入ることができないらしい。だから、そこに入るということは、必然的に治療が確定したようなもの。死に至る可能性があるとわかった今では、希望する患者で溢れ、何ヶ月も待たされる状態が続いているとニュースで言っていた。現在では入院することすら難しい病院に委員長がいる。「なんで……」という思いが胸にこみ上げてくる。だが、委員長の親を責めることなんてできないだろう。親達はただ娘を救ってやると差し伸べられたドリームハンターの手にすがっただけなのだから。かといって、ドリームハンターを責めることもできない。彼女はただ、委員長の親が望んだ救いを差し伸べただけなのだから。思いをぶつける先が見つからず、爪が食い込むほど拳を握りしめ、体の震えを我慢することしかできない。俯いている俺の前に、ドリームハンターから一枚のカードのようなものが差し出される。

「話に付き合ってくれたお礼よ」

 手渡されたカードには霧雨病院通行許可証と書かれていた。

「今はあまりにも入院希望者が多いから、施設関係者や患者家族以外立ち入り禁止にされているの。けど、それがあれば警備員に止められることなく中に入れるわ。もし、お見舞いに行くなら早めに行っといたほうがいいわよ」

 通行証を渡してくれた今の彼女はドリームハンターと萩野未希、果たしてどちらだろう。本当は心優しい彼女が、一瞬垣間見せた優しさなのだろうか。

「現実を目に絶望するがいいわ。あなたと違って、あたしのしてきたことは正しかったのよ」

 そんなことなどなかった。結局彼女は非情であり続けただけだった。ここでさっきはあんなに仲良く話せていたのに、なんてことを口にすることはできない。彼女がそれを望んでいないし、きっと傷つけるとわかっていたから。今の俺は彼女の言葉を否定することができない。現実で夢を失うからという理由で、眠っているものを起こそうとしないやつはきっと世界中を探してもいないだろう。夢遊病者を持つ家族に聞いたら、全員がドリームハンターを支持するはず。世間一般的に見て、どちらが正しいのかは明らかだった。反対に、俺は彼女の言うように間違っていた。そのせいで、少なくとも当たり前の日常を夢見た少女は亡くなったのだ。俺はただ、彼女から差し出された許可証を受け取ることしかできなかった。自分が間違っていたということを目の当たりにするために。跳ね除けるほどの強さも、受け取らずに逃げ出してしまうだけの愚かさもなかった。心は打ちのめされているのに、頭は妙に冷静だった。ここで逃げたところで、委員長の未来を閉ざしてしまうのは目に見えていた。これが夢遊病になった委員長にとって救いかどうかはわからない。だけど、この選択はきっと俺を今後苦しめることになるだろう。現実なんかから逃げ出せばよかったと……。

「わざわざこんなもの渡さなくても、今から一緒に病院に行って案内してくれればいいんじゃないか?」

 せめてもの抵抗を試みる。こんなものがなくても、ドリームハンター同伴で口添えしてくれれば、問題なく中へと入れるだろう。許可証を彼女の一存で勝手に譲渡するということは、立ち入り制限が設けられていることから考えても、きっと施設職員から何かしらのお咎めがあると思われる。まあ、これを採用されてしまうと、ドリームハンターとしての彼女と一緒にいる時間が伸びてしまうので、決して俺にとって良い案だとはいえないのが痛いところだった。

「これからあたしは仕事なの」

 仕事ということは、また誰かの夢を壊しに行くのだろう。俺と違って、正しいことを続けていくのだろう。

「それに、一緒に行ったあたしに責められることに耐えられるの?」

「……」

 黙ってしまった俺の姿を見たドリームハンターは、フンッと鼻息を鳴らすと伝票を持って立ち上がる。

「ここはあたしが払っておくわ」

 なんだか借りを作っておきたくなかったので財布を取り出すが、ドリームハンターに止められた。

「あたしはあなたと違って夢遊病者を救って国からお金を貰っているの。あなたもふらついてばかりいないでやってみたら?」

「絶対に嫌だ」

「だと思った」

「あっ……」

 そういって浮かべたドリームハンターの顔は、恐らくもう二度と見ることのない彼女自身の笑顔。席を立ったドリームハンターは夢へと向かい、俺は現実へと赴いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る