第15話 持ち物検査
朝、余裕を持って目覚めた俺は、身支度を整えて朝食を摂ると学校へ向かう。昼過ぎに目覚めて遅刻することもなければ、委員長に口うるさく注意されることもない。もういつも通りとなってしまった日常。クラスの大黒柱的存在の彼女がいなくなった時は、どうなってしまうかと心配する声がそこかしこから上がっていたが、数日もすればこの通り、結局何も変わりはしなかった。いや、それだと語弊があるな。実際には大きく変わっている。だけど、無くなってしまったものとして受け入れられてしまったんだから、俺が一人とやかく騒いでも仕方がない。だから俺も、彼女がいなくなる前と変わりなく過ごす。登校するや否や音楽プレイヤー、イヤホン、枕、アイマスクを取り出して寝る準備を始める。眠るときのお気に入りの曲をかけようと音楽プレイヤーをいじるが、なぜか電源が入らない。どうやら、電池切れのようだった。仕方がないのでイヤホンを、耳栓代わりに耳にはめる。最近はネット上に投稿されていた音楽を、学校で寝る際は聴いていたので、耳栓を用意していなかった。まあ、無いよりはましだろう。いないことが当然となってしまった委員長に「来て早々なに寝ようとしてるのよっ」と文句を言われることもない。どんなに偉い人も、強い人も、大切な人も現実にいなければ、何の意味もないのだ。寝ようとする俺に、奇異の視線を向けてくるやつらが何人かいるが、委員長の様に注意してくるものなど一人もいなかった。委員長がいなくなった今、誰に何を言われるでもなく気ままに現実を過ごすことができていた。だが結局、ほぼ万全の態勢で寝る準備に入っても、委員長がいなくなる前ほど熟睡することができないでいた。
「全員席に着けー」
うつらうつらとした状態のままでいると、いつの間に入ってきたのか、担任の声がうっすらと耳に入る。椅子の引く音でにわかに騒がしくなり、朝礼が始まることがわかった。だが、何があろうと俺には関係ない。もうほとんどの教師が俺を起こそうとすることを諦めている。だから授業中であっても起こされることはまれで、それが担任であるならなおさらだ。本来であればこのまま朝礼が始まり、誰がいて誰がいなくなったかの確認作業が行われ、短い伝達事項が伝えられて終了。俺は誰にも咎められることなく昼休みないし、放課後まで眠るはずだった。
「突然だが、持ち物検査を始める。全員鞄の中のものを出せー」
急な担任の宣言にざわめく教室内。たまたま没収されるようなものを持ってきたらしいクラスメイトの言い逃れめいたものも耳に入る。
「おい、小貫っ! 眠ってないで鞄と机の中のものを出せ。まあ、おまえの場合は出さなくても、没収するべきものはわかっているけどな」
さすがにいくら起こすことを諦めている担任でも、イヤホンとアイマスクをして枕に頭を預けている俺を、放っておくようなことはしなかった。このまま眠ったふりを続けても、見逃してもらえるわけではないので仕方なく体を起こす。
「起きたよ」
「あいつが一回呼ばれただけで起きるなんて珍しいよな」
「そのまま眠ってりゃいいのに」
「確かにっ、あいつが起きたところで誰も嬉しくないしな」
イヤホン越しに耳に入るクラスメイトの声。ヘッドホンか耳栓だったら、ここまで明瞭に聞こえることもなかったろうに。机で眠るときに邪魔だからという理由で、ヘッドホンにしなかったのを、こんなところで後悔するとは思わなかった。別にクラスのやつらからどのように言われているのか、以前から知っているので、今さら驚いたり傷ついたりはしないが、耳にして気持ちのいいものでもない。だから、アイマスクをして視界を覆い、イヤホンと音楽で耳を塞ぎ、夢の中へ行くことで現実からの誹謗中傷を絶ち切る。どうせ寝るなら快適に眠れるよう、現実と繋がる部分を極力排除してきた。俺は夢と違って、現実がどんなところかよく知っていた。
「ほら、おまえらもしゃべってないでさっさと鞄と机の中のものを出せ」
特に注意したりはしない。イヤホンをつけている俺の耳に入るのだ、担任に聞こえていないなんてことはないだろう。クラス連中のように口にすることはないが、担任も同じように思っているのだ。最初はなんとか夢遊病者を出さないよう熱意を持っていた担任も、座席に穴が空くたびに元気をなくし、今では淡々と日々の業務をこなすだけとなってしまった。だが、そんな担任にも感情が宿るときがある。それは俺を見るときの視線。今や俺に向けられる担任の目から伝わってくるのは「なんでこいつはいつも眠っているのに夢遊病にならないんだ」というクラスのやつらのものと同じだった。夢遊病が流行りだした時から、周囲にはそんなふうに見られてきたので、わざわざ口に出されなくても目だけでどのように思われているのかわかってしまう。だから見ないように見られないようにアイマスクで現実を覆っていた。
「じゃあ、見て回るぞ」
言うや否や、廊下側の前の席から順番に持ち物検査を始める。パッと見、目につくのは漫画やゲーム、女子に至ってはお菓子だが、それ以上にコーヒーやガムなどの眠気覚ましグッズが多かった。クラスにいる俺を除いた全員が、必ず持っているといっても過言ではない。まあ、穴だらけの座席を目の当たりにすれば、誰だって夢遊病にならないように気を配るものだろう。初めは多く感じられたクラスも、もうすでに三分の一が夢の世界へと旅立ってしまった。徐々に人が減っていくこんな光景を登校するたびに目撃していたら、担任も夢遊病を出さないようにすることを諦めるし、普通の生徒なら眠らないよう工夫をするものだろう。担任というか、学校側も黙認しているところがあり、別に授業中にコーヒーを飲んだり、ガムをかんだりしていても、特に態度に問題がなければ、基本的に注意されたり取り上げられることはない。だから持ち物を見て回っている担任も、漫画やゲームは没収しても、眠気覚ましグッズに手を出すことはなかった。順番に検査を終えた担任が、いよいよ俺のところへとやってくる。
「おいおい。小貫、なんだこれは?」
「アイマスクです」
「これは?」
「枕です」
「これらが何かわかっているのか?」
「眠るための道具です」
誰もがわかっていることを一々尋ねてくる。まるで公開処刑だった。担任が嫌みったらしく問いかけるたびに、クラスのやつらの笑い声や誹謗中傷が耳に届く。もちろんこの状況を作り出している本人が止めるようなことはない。一学期当初の担任なら、こんなことはしなかっただろうし、クラスメイトを注意しただろう。厳しい現実が担任の夢を壊してしまった。いや、夢のせいで現実で壊れたというほうが正しいか。クラスの皆に自己紹介をしていた時には「全員で三学期を終えるぞっ!」と息まいていたのにな。
「世間でこんだけ騒がれているんだから、お前も知らないわけじゃあるまい」
最初から何もかも知っている。どうして夢遊病になるのかも、夢の世界がどういうところかも。だからこそ、学校に来てまで眠ろうとしている。
「なのにこんなものを毎回毎回持ってくるなんて、なに考えているんだ!」
諦めたくせに今さら説教か。なれるものならなりたいさ。こんな現実なんかより、幸せな夢にいたい。自分達はただいなくなった人達から目を背けているだけじゃないか。
「もちろんこれらは没収だ。これだけの人数が夢遊病になっているんだから、常識で考えればわかるだろうっ」
呆れたように、さも誰もが寝ないよう気を付けることが当然だというように、嘆息する担任。
じゃあ、考えた結果がこれなのか?
周囲の穴だらけの席を順番に眺める。今までいた人をなかったことにして、日常を送るクラスメイト。誰がいなくなっても動じない担任。これが常識なのか。夢遊病になってしまった人は悪で、現実に起きている人が善。俺は今やいなくなった委員長の席に視線を向ける。あいつがいたらきっと「先生は今持ち物検査をしているんですよね? 私には生徒を蔑んでいるようにしか見えないのですが」とか言うんだろうな。自分の勝手な妄想に思わず苦笑する。いなくなってしまった人のことを考えても仕方ないのに。
「本当にわかっているのかっ?」
何も答えず自分の妄想で笑っていた俺に、担任が声を荒げて念押ししてくる。最初からずっと続けてきているのだから、担任こそ答えを聞かなくてもわかっているだろうに。まあ、一人また一人と現実に帰ってこなくなるものがいる中、いくら寝ていても夢遊病にならない俺がいることで、気が狂ってしまいそうになるのだろう。
「常識で考えればコーヒーとガムも没収されるべきだと思います」
だが、俺は首を縦には振らない。例え、一時の嘘であっても担任の言葉を肯定することはなかった。
「そういうことを言っているんじゃないっ!」
怒りの頂点に達した担任の形相が変わり、拳を叩きつける。だが、机には俺の枕が置いてあったため、拳が大きな音を鳴らすことはなかった。ただ、衝撃でアイマスクと音楽プレイヤーが落ちてしまい、愛用している枕が拳の形にくぼんでしまったことが気がかりだった。先ほどまで笑っていたやつらの声がピタリと止む。怒鳴り散らす担任の姿を恐々と見守るクラスメイト。だが俺は「ああ、初めはこんなふうに熱意を持った担任だったっけ」としか思わなかった。
一通り怒鳴られ、説教を受けた俺の持ち物検査は「こんなものは処分するからなっ!」という捨て台詞と共に終わった。
コーヒーやガムの目覚ましグッズは許されて、快眠グッズは許されないなんて……なんなんだこの世界(現実)は?
さすがに説教を受けた直後で誰一人味方のいない今、考えを口に出したりはしない。だけど、疑問を抱かずにはいられなかった。
担任が出ていくと、俺は仕方なく腕を枕代わりにし、眠る態勢に入る。しかし、快眠アイテムを全て持って行かれてしまったので、寝にくいことこの上ない。明かりがまぶたの裏を刺激し、周囲の雑音が耳に入り、頭を乗せている腕が痛む。
「あいつ頭おかしいよ」
「さっさと夢遊病になっちまえ」
耳を塞いでしまいたかったが、聞き耳を立てていることを知らせるようなものなので、我慢して無理やりこのまま眠ろうとする。イヤホンと音楽がないため、否が応にも周囲からの非難の声が直接耳に届く現実は、俺に幸せな睡眠をもたらしてはくれない。そして今の俺にとって、委員長のいない現実の学校で起きている意味などなかった。
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