第7話 委員長の怒り
次の日のある授業でのことだった。俺の通う学校にはグループ学習というものがあり、その名の通り自由に五人のグループを作って、出されたお題について話し合いをする。この授業の時だけは、さすがの俺もお気に入りの快眠アイテムをしまって襲いくる睡魔と闘いながら起きているようにしている。ただし、それはグループで話し合うためではない。 今回のテーマは「効果的な眠気覚まし」。夢遊病が周囲に認知されるようになり始めてから、このような内容の話し合いや授業がどこの学校でも行われるようになった。こんなことにいったいなんの意味があるのだろうか。どうせ何かをしてもしなくても、夢遊病になるやつはなるのに。夢遊病予防ができるだとか、話し合いをすることで授業中の居眠りを防止できるだとかいうことだが、少しでも多く睡眠をとりたい俺にはまったく関係ない話だ。
自由に五人のグループを作って話し合いをするように担任が言う中、俺は船をこいで動こうとしない。もう少しでいい感じに眠れそうなのだ。テーマに反するように寝ようとする俺を好き好んで誘おうとするやつもいないし、担任も特に注意したりするようなことはしない。本来この授業は眠るのに最適なのだが、正直この授業が一番嫌いなのである。話し合うお題が嫌なのもあるが、
「あんた寝てないで早くこっち来なさいよ」
グループ学習ということで、委員長がハブられている俺を強引に自分のグループに引っ張っていくからだ。この授業の度に繰り返し連れていかれるので、クラスでどのような扱いを受けているか知っている俺としては非常に面倒臭い。さっきまで談笑していたグループが、俺が来ると急に黙り込み微妙な空気になる。勝手に静かになるので、俺としては寝るのにちょうどいいのだが。委員長がいる以上許されるわけがない。まあ、最近は委員長以外、俺をいないものとして会話してくれるので幾分か楽にはなった。だが、隙を見て寝ようとすると起こされ、その度に話し合いが中断し気まずい空気になるので、できる限り起きているしかないのだ。だからこの時間が始まる頃になると、快眠アイテムをしまって待機するようにしている。いつものように眠っていると最悪、委員長に取り上げられてしまいかねないからだ。眠いのに眠ることができず、内容も興味のわかないお題も相まって、俺にとってこの授業は拷問にも等しいのである。
「あんたもなんか眠気覚ましの方法知らないの?」
必死に眠気を我慢していたところで急に話を振られる。どうやら話し合いはもうすでに始まっていたらしい。会話の内容を全く覚えていないのもあるが、半分意識が飛んでいたので反応するのに時間がかかってしまう。
「ん? あー、よく眠れる方法なら知ってるけど……」
「じゃあ、それでいいわよ」
眉間にしわをよせて嘆息している。何も意見を出さないよりはましだと考えたのだろう話すよう促される。俺としては発言する必要がないように狙った部分もあったので、若干目論見が外れたことを残念に思いながらも意見を述べる。
「睡眠を促す飲み物として王道はやっぱりホットミルクだな。あと、女におすすめなのは体温を上げる効果のあるホットレモンだな美容にもいいらし……い」
「ちゃんと起きてなさい!」
話の途中で睡魔に襲われ、気付いたときには怒鳴られていた。まったくもうと呆れられてしまう。こうなることをわかっているのに毎回誘ってくるんだよな。
「そういえば、あの時の恵もこんな感じだったわよね?」
俺の様子を見て、委員長は幼馴夢に関してなにかを思い出したらしく、グループ内にいる女子生徒に話を振る。
「恵って――誰?」
女子生徒の反応に委員長が一瞬固まる。わかっていても俺は胸が締め付けられる思いだった。慢性的に続いている眠気も吹き飛んでしまった。今の世の中、夢遊病になった人は忘れられるのが当たり前だった。それが三年前となれば、もう過去の人に等しいだろう。「だ、誰って、咲野恵よ」
笑顔を形作ってはいるが、委員長の表情は硬い。
「……ああ、夢遊病になったあの子ね。いなくなった人のことなんてもういいじゃない」 バンッ!
突然机を叩いて立ち上がった委員長によって、一瞬にして静寂が作られる。グループ学習であるにも拘わらず、一切話し声が聞こえてこない。
「ど、どうしたんだ?」
普段は優等生として通っている委員長の急な行動に、まるで腫物でも扱うように慎重に言葉をかける担任。
「どうして夢遊病になった子なんていうの!」
だが、担任には目もくれず、幼馴夢を忘れてしまった女子生徒をまるで親の仇のようににらみつけている。
「どうしていなくなったなんていうのよ!」
普段俺に向けるような怒りとは違う。相手の非を絶対に認めないという強い意志の元に本気で怒っている委員長の姿だった。
「美澤、落ち着け」
担任でさえもどうすればいいかわからないようで手を焼いていた。
「先生もです!」
「えっ、俺も?」
突然、怒りの矛先が自分に向き、しどろもどろになる担任。
「そうですよ! 一学期始めは夢遊病者を出さずに卒業するぞ、って熱意にあふれていたのに……」
瞳を潤ませて喚いている委員長の姿はまるで子供のようなのに、大人であるはずの担任のほうが子供に見えた。
「あの頃の先生はどこに行ったんですかっ!」
痛いところをつかれ、言い返すこともできず担任は苦悶の表情を浮かべている。
「先生だけじゃない。ここにいる全員、どうしてこれまで一緒に過ごしてきた仲間を忘れられるのよ!」
「……」
誰一人として反論するものはいない。正確には反論できない。
「だって、いつ起きるかもわからない植物状態のようなものなのよ。そんな人を待ってもしょうがないでしょ」
と思ったが、一番初めに責めたてられた女子生徒が、クラス全員の意思を受け継いだ意見を述べる。
「いつ起きるかもわからないなら、明日かもしれないじゃない」
「けど、一生起きないかもしれない」
「っ!?」
「そんな人をずっと延々と待ち続けるより、今いる人達を大切にするべきでしょ」
ある意味でそれも間違ってはいない。過去に縛られるのではなく、今を大切に明日に向かって生きる。言葉としては立派で聞こえはいいけれど、ようするに過去の友達を見捨てて生きようということ。なんて薄情な人間関係なのだろう。だが、これが夢遊病が蔓延する現在、当然のようにある光景。さも自分の言葉のように話してはいるが、単に女子生徒は世間の風潮に染まっただけ。これを当たり前のように受け入れているクラスメイトにも、こんなことが成立してしまう現実にも吐き気がする。
「いるわよ……」
「まさか、委員長……心の中にいるとか寒いこと言うつもりじゃ――」
「夢から覚めないだけで、みんな生きているわよっ!」
教室中がシンッと静まりかえる。担任どころか、日頃から夢遊病に関してうかつな発言をして空気を悪くしてしまう俺さえも、反応することができなかった。
「――百枝京子もっ! 神野渚もっ! 灰村隆もっ! 誰もいなくなっていないっ!」
彼女が上げたのは今まで夢遊病になった人達。ここにいるほとんどが忘れることにしたクラスメイトを委員長だけはずっと覚えていた。さすがの俺もこんなふうに皆の前で言うことはできなかった。
「目覚めないだけで、恵は今もずっと生きているんだからっ!」
まるで自分に言い聞かせるかのように叫ぶと、鞄も持たずに教室から出て行き、結局戻ってくることはなかった。
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