第6話 現実での生活

 お見舞いに向かう委員長と別れ、もう日も落ちた中歩いて二十分ほどの住宅街にある自宅にまっすぐ帰宅した俺は、鍵を開けて中へと入る。電気がついておらず、シーンと静まり返っている家の様子は空き家をほうふつとさせるが、単にしばらくの間両親が帰ってきていないだけだ。いつだったか電話で「帰れるのは三ヶ月後くらいになりそうだ」と言っていたので、そろそろ帰ってくる頃だと思っていたが、両親はまた研究所に泊まりだろうか。疑問に思いつつも玄関に鍵をかけ、廊下を歩いてリビングに入ると、固定電話の留守電を知らせるランプが明滅している。なんとなく誰からか予想は付いていたが、押してみると聞き覚えのある声で録音されているメッセージが流れる。

「父さんだ。急に仕事が忙しくなってな。まだ帰れそうにないんだ。近いうちにまた連絡する」

「信士、ごめんね。体には気を付けてね」

 父と母の声が代わる代わるしゃべるとメッセージが切れる。両親は二人とも研究者で、俺が物心ついた頃から家に帰ってこないことが多い。さらに根っからの仕事人間であるため、このようなことはこれまで度々あったことなので今ではもう慣れっこだ。夢遊病研究に関しては有名らしく、現代の奇病と呼ばれる夢遊病が世界中で蔓延している現在、家にいる時間のほうが少ない。

 食材が空っぽの冷蔵庫からペットボトルの水を取り出すと、一口だけ飲んでまた元に戻す。あまり飲み過ぎると尿意で睡眠を妨害されるので、極力取らないようにしている。冷蔵庫の中は調味料と水、冷凍食品以外入っていない。どうせ両親は滅多に帰ってこないし、俺も料理なんてできない。料理する暇があったら、寝ることに時間を費やしている。そもそも寝ぼけまなこで料理なんてしたら包丁で手を切ったり、火をかけたまま眠り込んでしまう可能性が高いので、やらないほうが安全なのだ。

 高校生といえば一番食べ盛りな時期だが、俺は元々小食なので食事はほとんど買い置きの栄養食品で事足りる。もちろん、それだけでは必要な栄養は摂れても腹は膨れないので空腹感はあるが、食事をとるくらいなら睡眠をとる。俺という人間の中で、睡眠は三大欲求の中でそれだけ上位を占めていた。起床して仕方なく学校に行き、着いたら寝る。放課後になった頃に起き出して、帰ってきてまた寝る。合間合間に腹が空いたら栄養食をつまむくらいで、寝ることを中心に生きているといっても過言ではない。

 こんな生活をしていれば家のことなんてできるわけもなく、掃除や洗濯はせずにほとんど放置状態。あちこちに埃が積もり、洗濯物は溢れ、料理は一切しないので洗い物はなかったが、カロリーセイトの空箱でゴミは増える一方だった。気付いたときには、いつだったか久しぶりに仕事から帰ってきた両親に、夢遊病になったのではないかと心配されたくらいの惨状だったらしい。見かねた様子の両親だったが、自分達も研究でよく家を空けるので、今では週に一回くらいの頻度で家政婦を頼んでいる。

 研究者という仕事で金が余っているのか、単に使わないから貯まる一方なのか、家が汚れてきたと思ったらいつでも呼んでいいと言われている。両親の言葉を思い出し、部屋を見渡してみる。若干埃っぽいような気がしたり、ゴミ箱はカロリーセイトの空箱が山積みになり、何個か下に落ちていたりするが、まあ大丈夫だろう。必要ないと判断した俺は栄養食を入れている棚を開く。中には買い置きのカロリーセイトが五十個ほど入っていた。今日はフルーツ味を取り出すとモグモグと頬張る。パサついているので口の中の水分を奪われ、喉が乾いたら水で流し込み食事を終える。空箱を捨てるが、すでに山と積まれているゴミ箱から滑り落ち、さらに何個か床に散らばってしまう。わざわざ入れなおすようなことはせず、特に気にとめることなくリビングを出る。

 以前何度か頼んでる家政婦のおばさんが、気を利かせて料理を作り置きしておこうかと提案してくれたが丁重にお断りした。世話好きのおばさんからしたら、俺の食生活が心配になったのだろう。だが、こんな食事を続けていたせいか、もう胃が縮んでしまいあまり量を食べることができない。どうせ作ってもらっても残すことになるし、腐らせてしまうくらいならこのままの生活でいい。

 こんな寝ること中心の俺とは対極に位置しているのが両親だ。二人とも夢遊病の研究者で寝る間も惜しんでとにかく仕事ばかりしている。二日三日の徹夜なんてざらで、とにかく泊まりこんで研究ばかりしているらしい。その道では結構有名な研究者とのことだが、実際のところよく知らない。息子である俺が夢遊病という病気があるのに眠ってばかりいるのは、本当はよくないのかもしれないが、まあ俺は夢遊病にはかからないので目をつむってもらおう。俺が寝ること中心に生きているとすれば、両親は仕事中心に生きている。ただ睡眠と仕事が入れ替わっただけで生活の質に大差はない。洗濯、掃除をしなければ料理もしない。食事も栄養食品がほとんどで、そんなところは親子揃って似ていた。だから自分達で家のことをやるという選択ではなく家政婦を雇ったのだろう。何日かぶりに二人が帰ってきて驚いたのは、俺が家事を放置していたことではなく夢遊病になったのではないかと思ったからだ。夢遊病の研究をしているのに、仕事の間に息子がなっていましたじゃ、両親も立つ瀬がないだろう。

 二階にある自分の部屋にやってきた俺は、荷物を置いて制服を脱ぐと、寝間着と替えのパンツを持ってワイシャツと下着姿のまま一階の浴室へと向かう。どうせあとはこのままシャワーを浴びて歯を磨いて寝るだけで、外出の予定はないので着替えるだけ無駄だ。脱衣所で今日着ていたワイシャツ、Tシャツ、パンツ、靴下を洗濯機に放り込む。もう結構たまってきてはいるが、替えはまだあるしいいだろう。三日後には家政婦さんが来てくれるはずだ。いつでも家政婦を呼んでいいとは両親に言われているが、ここ最近は頼んだ記憶はない。当初は着替えがなくなるので、洗濯のために呼び出したこともあったが、予備の着替えを多く購入することでその問題も解決した。洗濯しなくても二週間はもつように着替えを買ってあるので、今では滅多なことでない限りお願いすることはない。

 浴室に入るとシャワーを浴びて手早く頭と体を洗っていく。湯船にはここ数年浸かった記憶がない。湯を張るのに時間がかかり睡眠時間が削れてしまうのが嫌なのもあるが、いつだったか風呂で寝てしまい、溺れたことがあるからだ。たまたまその時は異変に気付いた幼馴夢に、一回帰るように言われたおかげで事なきを得た。なので、今では入浴中に寝ても溺れることがないようシャワーにしている。まあ、それでも途中で眠ってしまい頭をぶつけて起きたことは何度もあったが。風呂を済ませ、寝間着に着替えると脱衣所でついでに歯を磨く。これでようやく寝る準備が済んだことになる。

 脱衣所を出てひっそりと静まり返る廊下を歩く。まだ子供の頃は暗がりに何かが潜んでいそうな気がして、急いで自分の部屋に逃げ込んでいたが、高校になった今はもうそんなことはない。両親はほとんど家に帰ってこないので、一緒にいた時間よりも一人で過ごしている時間のほうが圧倒的に多い。こんな生活を続けていると、一人でいることに意外と慣れてしまうものだ。今では寂しいともなんとも思わないし、むしろ誰にも邪魔されることなく寝ることができるので、都合がいいと考えてさえいる。部屋に戻ると時刻はもうすでに六時を過ぎていた。せっかくの貴重な睡眠時間が減ってしまい落胆する。曜日にもよるが、早ければ四時頃には布団に入れるので、二時間もオーバーしたことになる。

 やはり下校時間を過ぎても寝てしまっていたのが原因だろう。普段は委員長が放課後になると起こしてくれるのだが、二度寝してしまうので気が付いたら最終下校になってしまうこともある。そのため警備員の人とは顔なじみになってしまった。委員長も毎回起こしてくれるわけではなく、委員会の仕事など忙しいときがあるので、その時は自力で目覚めないといけない。今日は二度寝してしまい、再び委員長に起こされるまで眠っていたので、五時半頃の下校となったためこんな時間になってしまった。長時間机にうつ伏せの状態で寝ていたので体の節々が痛む。やはり寝るならベッドに限る。

 寝るのが趣味というか、もう生活の一部となっている俺は、快眠できるよう寝具にこだわっている。それ以外にゲームや漫画、小説などは一切なく、部屋にあるのは荷物置き場と化している勉強机と椅子、あとはクローゼットくらいしかない。とにかく気持ちよく寝られればそれでいい。値段は張ったが、今時珍しい快眠アイテム専門のブランド『雪のやすらぎ』で寝具一式を揃えている。バイトはしていないが、漫画やゲームを買わないおかげで、なんとか小遣いで事足りている。他にもアイマスクに耳栓、抱き枕、遮音カーテンなど、快眠のためのアイテムには事欠かない。

 体は正直で快適に眠れる環境に来たせいか、急激に抗いがたい睡魔に襲われる。一応寝る前に忘れていることがないか確認しておく。鍵はかけたし、食事も済んだ。風呂も入って歯も磨いた。基本的に玄関しか開閉しないので、そこさえ閉めておけば戸締りは済んだも同然だ。家政婦の人が換気のために窓を開けたりするが、わざわざ確認することはない。というかできない。この段階になるともう眠気で頭がボーとして、そこまで気が回らなかった。食事もとらずに寝てしまうこともあるのだが、空腹で目が覚めたことがあるのでなるべく今は摂るようにしている。そういえば留守電の再設定を忘れていたことに気付いたが、眠いし時間がもったいないので放っておくことにした。どうせ自分あてにくることはないし、きても両親あてである。家に不在のことが多いのでこちらにかけてダメなら研究所にかけるだろう。このまま眠ってしまっても特に問題ないと判断した俺は、ようやく念願の布団に入る。さすが選り好みしただけあってとても気持ちがいい。襲いくる睡魔に抵抗することなく降参した俺はぐっすり眠りについた。

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