第4話 夢と現実

 俺は僅かな時間も睡眠にあてるため、自前の快眠グッズを取り出すと寝る準備を始める。鞄からアイマスクとイヤホン、横にかけてある袋から枕を出すと机の上にセットする。引き出しはもちろん空っぽで、教科書なんて一つとして入っていない。全てロッカーの中に突っ込んだまま、一度として出したことはない。ポケットから音楽プレイヤーを出すと、イヤホンを取り付けて曲をかける。最近では珍しい快眠をテーマにした曲で、ネットにアップされていたものをダウンロードしたものだ。夢遊病がある現在、眠気覚ましの曲は溢れかえっているが、眠りを促す曲はほとんど見かけなくなったので非常に重宝している。素人が作曲したものらしいが、とても耳に心地いいのでお気に入りだ。近頃はどうやら作曲がうまくいっておらず投稿が滞っているが、次がアップされるのを密かに心待ちにしている。

「あんな話を聞いた後に眠れるなんてどうかしてるよ」

 イヤホンをつけようとしたときに、耳障りな声が耳に届いたが、聞こえないふりをした。どうせ寝るならいい気分で寝たいので、少し音量を高めにして周囲の音が気にならないようにする。こんなふうにうるさいところではなく、夢の中では静かなところに行きたいものだ。アイマスクを装着する前に、天敵である委員長の様子を確認しておく。下手をすると、寝ようとした直後に妨害されることもあるのだ。なので教室を見渡し、委員長の姿を探すと、クラスメイトを励ましたり室内の混乱を治めようとしている。自分が一番悲痛な表情をしているくせに。委員長はいつもそうだった。クラスメイトが夢遊病となるたびに傷つき、責任を感じ、それが仲が良かったやつでも、なかったやつでも誰よりも悲しそうだった。彼女のことだ。どうせ自分がもっと頼りになれば、気付いてあげられれば、夢遊病にならなかったかもしれない、とでも思っているのだろう。勘違いもいいところだ。委員長がどうあっても夢遊病になることは変わりない。自分の思った通りの夢と思い通りにならない現実、どちらがいいかなんて誰でもわかることだ。

 だから委員長が責任を感じることはないし、辛い中頑張らずとも周囲と一緒に悲しめばいいのだ。まあ、それがわからないところが委員長らしいといえばらしいのだが。恐らくこの調子だと騒ぎが収まるまでだいぶ時間がかかることは、容易に想像できる。授業さえ始まってしまえば委員長に邪魔されることはない。これまでほぼ全ての授業で寝続けた俺を、起こそうとするものは教師でさえまずいない。一学期は担任などしつこかったが、今ではたまに「起きろ」と軽く注意されるだけだ。

 なので、二年半の付き合いになる委員長さえ手を出せなくなってしまえば、快適に眠れるのだ。そういう意味では灰村隆はいい仕事をしてくれた。俺がクラスで名前を憶えているのは委員長を含めてごく少数しかいない。ましてや会話をするとなると、委員長と灰村くらいだった。だが、別に話し相手が減るくらい俺としては大した問題じゃない。せいぜい灰村とは朝遅刻したときにたまたま出会ったら会話する程度だ。なにか最近悩みがあったらしいので、むしろ夢遊病になれてよかったと思う。今頃、悩みが解決した夢を見ているだろう。本人が幸せになったのに、俺と違ってたくさん話せる相手がいるはずのクラスメイトが、なぜこんなにも騒ぐのかわからなかった。

「おやすみ、灰村隆」

 喧騒をしり目にアイマスクを着けると、灰村を祝福しながら夢へと旅立った。


 目を閉じるとすぐに意識が沈み、まどろみの中へと誘われる。

 暗闇の中でジッとしていると、閉じている瞼に明るさ、普段は眠気でボーッとしている頭が段々とはっきりしてくる。ただ、おかしいのは耳栓をしているはずの耳に明瞭な音が聞こえてこないことだった。いつもだったら何かしら音が聞こえるので、自分が夢の中へと来たことがすぐにわかるのだが、今日はその合図がない。疑問に思いながらもゆっくり目を開けると、眼前には先ほどまでいた教室とは違う景色が広がっていた。壁に掛けられた絵画、ゆっくりと歩きながらそれらを観賞する人々。厳かな雰囲気が漂い、しゃべる人もいなければ音を立てるものもない。無音の状態の中、黙々と一枚の絵を見ては次を見る。延々とそれが繰り返されている。

『なんだ、この夢は?』

 思わず出た呟きが声にならないことで、始めてこの世界では音が存在しないことに気付く。静かなところに行きたいとは思ったが、さすがに無音の夢は予想外だった。たまに色のない白黒の夢を見るが、音のない夢というのは珍しい。絵画に集中してもらいたいという思いから、夢の主が音を無くしたのだろう。野沢遙のざわ はるかと作者が全て同じところを見るに、自分の絵を認めて欲しいという思いがあるのだろうけれど、人がいるのに何も聞こえないというのは恐ろしく不気味だ。次から次へと人が入っては出ていく、という行動が延々と続く静かな光景。夢の主は果たして現実に起きているのだろうか。これならまだ前に見た西洋の城にクレオパトラがいるような、わけのわからない夢の方が何倍もましだった。状況を呑みこむのに精一杯になり、夢遊病かどうか気にする必要がないからだ。音もなければ大きな変化もない。淡々と壁に掛けられている人物画や風景画を見ているだけの光景に耐えきれなくなる。

『昨日は結局あいつに会わなかったし、待ち合わせの夢に行くか』

 喚くクラスメイトの中では平気で眠る俺も、さすがにこの空気の中では現実での委員長のように居づらくなったので、次の行動に移ることにする。探し物をしてさっさと出ようと心に決めると、目立たないように夢の登場人物達と同じ動きをする。ここにはないだろうなと思いつつも歩いていると、一枚の絵画の前で足が止まった。人が集まり見つめている先には見事なしだれ桜があった。写真かと見間違うほどに写実的な絵。春という季節をキャンバスに閉じ込めたそれは、今にも春風が吹き抜け、花の香りが漂ってきそうだった。だが、俺が立ち止った理由はそれだけではない。それはこれが、この夢を形作っている『核』となっているものだったからだ。脇に貼られている説明を見ると、初めて賞を受賞した作品らしい。これがきっかけとなり世界に羽ばたくと書いてあった。

 充実してると思える世界で活躍する絵師でさえ夢遊病になるのだ。学生やサラリーマンがなるのは無理ないだろう。嫌な予感が決定的なものとなってしまう。結局、探していたものも見つからなかった俺は、彼女のところに行こうと足を動かす。本当は夢遊病の夢を見た後に会うのは控えておきたいのだが、あんまり顔を出さないのも悪いからな。後ろ向きな理由で決意を固め、俺は観賞している人物達と同じようにやり過ごすと、夢の主が誰かも分からないまま静かに部屋を後にした。帰り際、なぜかポツンと誰も寄り付かないエリアがあったので気になったが、チラッと見た感じただ白い壁があるだけで、何もなかったので歩みを進めた。

『二度も続けて夢遊病になった人の夢を見るとはついてないな』

 思わず呟いてしまった言葉は、音にならなかった。


 他に俺の知る夢遊病かどうか確かめる方法。それは『夢の回廊』に行くことができるかどうかである。大体は夢の内容や先ほどのように核があったり、持ち主の表情を見ればなんとなくわかるが、夢の回廊に行くことができれば確実に夢遊病者だと断言できる。夢の中から出ると、無数の光がアーチを形作っているトンネルのようなところへ出る。光は野球ボールくらいの大きさでその一つ一つが輝きを放っている。真っ暗な道をそれらが半球状に取り囲み、さながら洞窟のように続いていた。

 ここが俺が夢の回廊と呼んでいるところで、この規模からして夢の主は夢遊病になって一年くらいだろう。これまでの経験上、夢遊病者にしか存在しなかったところなので、ここに出れるということは夢の主は間違いなく夢遊病だろう。普通の人は一つの夢しか見れないが、夢遊病者は多くの夢を次々と見ていき、一度見た夢が消えることはない。ずっとずっと幸せでいられるように、これまでの夢が積み重なってできているのだ。本来は夢の中という孤独の空間を幻想的に照らし、夢の主を満たしてくれる。

 優しくもあり、厳しい場所。自分の望んだ幸せな夢が見ていられるということは、現実では望んだ夢を見ることが不可能だということ。だけど、それでいいのだと思う。叶うかどうかもわからない夢を見るより、叶うことのない夢を見続けられるほうがきっと幸せだろう。夢遊病になったら一生目覚めることなく死ぬかもしれないと言われているが、幸せな夢を見たまま死ねるなら本望だろう。せめてドリームハンターに壊されないことを祈るばかりであった。

 ひとしきり夢の回廊を眺めると、移動を開始する。彼女のいる夢へ行こうと意志を固めると、明瞭だった視界が歪んでいく。まばゆく輝いて見えた光の玉が、大量の水に一滴のインクを落としたようにだんだんと滲んでいき、最終的に見えなくなった。ぐにゃぐにゃと視界が歪んで酔いそうになるので目をつむる。体はまるで波に揺られるように大海原を漂う感覚に見回れ、立っていられなくなりそうだ。最初は耐え切れず、何度か転んだり、膝をついたが、今ではもう慣れたものだ。そうやって俺は次の夢へと旅立った。

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