第3話 夢遊病がある世界

 重くなりつつある室内の空気を払拭するかのように、教室の扉が開くと男性教師が入ってくる。室内の微妙な空気に気付いたらしく、首を傾げているが特に何を言うでもなく全員席につくよう促す。一学期が始まった頃であったら、どうしたのかと聞いてきただろうが、今では気遣う素振りすら見せない。あくびを噛み殺しながら寝ぼけ眼を担任のほうに向ける。ホームルームを開始し、生徒の名前を次々と呼んでいく姿は淡々としていて、まるで感情が感じられない。本来は「全員で三学期を終えるぞっ!」と息巻いてたくらい熱い性格の持ち主だったが、今ではもう見る影もなかった。委員長はそれを残念がっていたが、俺としてはうるさいのが静かになったくらいにしか思わない。眠る際に邪魔してくることが少なくなった分、ちょうどよかった。そういえばあいつは来ているだろうか。廊下側の後ろから二番目の席に目を向けると空席だった。この時間にいないということは、またあいつは遅刻か。二学期が始まってもう一ヶ月ほど経つが最近、あいつが時間通り来る姿を見たことがない。

「今日はこれで全員だな」

 いつの間にか出席確認が終わっていたらしい。俺は返事をしていないが、いつものことだ。そもそも名前を呼ばれないのだからする必要がない。

「先生、小貫の名前を呼んでいませんよ」

 クラスメイトも担任も俺でさえ、ワザと呼ばないことをわかっているのに、委員長がわざわざ咎める。

「どうせ寝てるから呼んでも返事しないだろ」

「そういう問題じゃないと思いますっ!」

「わかったわかった。出席にはしているんだからそうわめくな。まだ連絡事項があるんだから。いつも寝てるやつなんかのために時間を無駄にするわけにはいかないんだ」

 なお言いつのろうとしている委員長を語調を強めて黙らせる。俺自身、受け入れていることなんだからもうよせばいいのに。別に出席扱いにしてもらっているのだから、俺としてはなんの不満もない。今日はたまたま起きていたが、普段はこの時間も眠っているので、名前を呼ばれてもどうせ返事なんかしない。呼ばないまま出席扱いにしてもらうほうが、寝る時間を邪魔されることなく過ごせるので、むしろ助かるのだ。最近は残暑も落ち着いてきてだいぶ涼しくなったので、眠るのに快適だった。九月ももう終わりに近く、俺の通う霧雨高校ではつい先週文化祭が終わったばかりだった。中高一貫校で駅からもそれほど離れておらず、学校から二十分も歩けば住宅街に着くここは近隣の中でも規模が大きく、全学年合わせて生徒数は千を超える。そんな学校の文化祭となれば盛大ににぎわうこと受け合いでつい先日まで誰もかれもが忙しく動いていた。もちろん俺は参加することなく、文化祭の準備にいそしむクラスをしり目に帰宅時間が早いことを利用して、早々に帰宅しては睡眠をむさぼっていた。どことなく文化祭で浮き足立っていたクラスが、落ち着いてきた矢先の出来事だった。

「今日は皆に重要な知らせがある――」

 半覚醒状態のままボーッとしていると、急に担任の言葉が重みを増す。

「灰村隆が、夢遊病にかかった」

 担任の一言で教室内がざわつく中、俺は一人内心で納得していた。そうか、あいつはいつものように遅刻したせいで学校にいないのではなく、夢遊病のせいで来ることができないのか。ここ最近、寝坊して遅い時間に登校していると、学校にたびたび遅れて来ていたあいつと顔を合わせることが何度かあった。だからお互いに知らない仲ではない。むしろ俺にとっては数少ない話せる知り合いだった。といっても、精々通学路でたまたま出会ったら会話をする程度。

 ただ、何か悩みでもあったのだろう。ここ最近は俺の姿を見つけると、一方的に話しかけてくることが多かった。夢に関する内容だったので、夢遊病に関して普段からうかつな発言をする俺相手だと話やすかったのだろう。何度か俺が登校して来るのを待ってまで話しかけてきたこともあったくらいだ。寝ぼけた頭で話半分に聞いていたので内容はよく覚えていないが、何か作ろうとしているがうまくいかないといったようなものだった気がする。だが、夢遊病になったのだから、悩む必要はもうなくなっただろう。あいつが夢遊病になったと聞いても、俺はなんの感慨も起きなかった。親しくしていたやつは愕然としたり、悪い冗談だと笑ったりしている。本来であればそれが正しい反応なのかもしれない。 現在、日本だけでなく世界で蔓延している奇病。夢遊病とは本来意識のない睡眠時に行動を起こしてしまうというものだったが、今の世の中この定義はもうない。夢を忌み嫌った人達から夢に引きこもって遊んでいるという意味合いで夢遊病と呼ばれるようになり、それが世間に広がってしまった。夢で遊んでいるわけではないんだ。ただ目覚めた人達が口々に夢の中は楽しかった、ずっといたかった、自分の望む世界そのものだった、と思いを馳せた。見たことのない人達が、それを夢を見ながら遊んでいると表現しただけなんだ。夢遊病と呼ばれる所以はいつだったかテレビでどっかの誰かが「夢で遊んでいるなら夢遊病だな」と蔑んで言い、それが定着してしまったことが原因だった。

 これまで夢遊病と言われていたものは睡眠時徘徊病となった。勝手に歩きだすことがないだけましといえるかもしれないけれど、夢遊病患者は植物状態の人間と同じだ。現実だけでなく、夢にまでこもる引きこもり。誰だって一度は夢見た、こんな幸せな夢を見たままずっと眠っていたいという思いが、まさに実現したかのような病気なのだ。好きな夢も見れるし、思い通りにもなる。だから、現実が嫌で嫌でしょうがない人ほど、夢から帰ってこなくなる。どんな願いであれ、夢の中で叶ってしまうのなら誰だって夢見ることを選ぶだろう。現実に満足できない引きこもりは軒並み夢遊病になった。

 幸か不幸かこの病気が蔓延したにあたり、人の夢に入れる人物が出てきた。夢遊病患者を起こせるやつのことを世間ではドリームハンターなんて呼んでいる。響きとしては悪くないと思うが、結局やっていることと言ったら人の夢に勝手に入り込んで、起きて現実に戻れと好き放題暴れるだけ。夢を見ている側としては、ただただ迷惑な存在だ。今のところ治療方法がない病気を治すために人の夢に入れる人達の能力が買われ、今では治療が行われている。

 何もしなければ植物人間、もしくは童話の眠り姫のようにひたすら眠るだけ。一度眠ってしまえば二度と目覚めることはない。だから今のところはただ眠るだけの病気となっている。無理矢理起こさなくてもと思うが、現実に残された人達はこの病気になること、大切な誰かがなってしまうことを最も恐れている。この病気の怖いところは、昨日「おやすみ」と気軽に言って眠った家族が起きてこないのを目の当たりにしてようやく気付くところ。「おやすみ」が家族と交わした最後の言葉になりかねないのだ。

 だから、親も子もなにより眠ることを恐れる。お昼寝の時間に戻ってこなくなった子供。授業中の居眠りで戻ってこなくなった学生。単身赴任先で戻ってこなくなったサラリーマン。子供が夢遊病にかかり、現実を受け止めきれない家族全員が戻ってこなくなったところも少なくない。ニートは部屋に引きこもり、夢遊病は夢に引きこもる。いつ自分の大切な人が、自分自身が、そうなるのかわからない恐怖にみんな心のどこかで怯えている。 この教室にいるやつらも例外ではない。自分の身内が夢遊病にかかったものは特にだ。だが、幸せな夢を見ることの何がいけないのだろうか。自分の望むものしかない、望んだとおりになってしまう。夢見る幸せと現実での幸せなら、そんなのどちらを選ぶか決まっているだろう。夢でならこんなに都合のいいことばかり起こるのに……なんで現実にならない。厳しい現実に打ちのめされるくらいなら、優しい夢に抱かれて死にたい。幸せな現実は得られなくても、幸せな夢は見ていられる。それなのに、なぜか夢遊病は世間に受け入れられることはなかった。ドリームハンターが現れて以来、夢遊病は不治の病ではなくなった。夢から帰還し、今も社会で生きているものも少なからずいる。だからこそ、現実で悲嘆するやつらが、なぜそこまで過敏になるのか俺には理解できなかった。委員長が以前言っていたことを思い出す。

「だって自分の大切な人が起きてくれないなんて悲しいじゃない。私が実在する現実よりも虚像しか存在しない夢を選ばれたなんて……悔しいじゃない」

 彼女は夢遊病になった人を正しく理解していた。事実を受け止めて委員長のように嘆くのならまだわかる。だけど、単に夢遊病になることは悪いことだと決めつけて、悲しむやつらの気持ちはまるでわからなかった。あくび交じりに教室を眺めると、所々人のいない席がある。空席が目立つがこれで全員だ。俺のクラスでは一学期に六人、二学期が始まって二人の計八人が夢遊病となっている。今日なった灰村隆を入れると九人か。この数はまだクラス単位で見れば少ないほうだ。俺の学校は近隣の中でも規模が大きいので、一クラス約三十人ほどいるが、どこのクラスも夢遊病者の数は二桁に達している。ひどいところだと半分以上空席となっているところもある。これが現実。思春期で精神が不安定というのもあるが、どれだけの人達が現実より夢を選ぶかの現れだった。年齢、性別など関係なく、子供から老人にいたるまであらゆるものが発症する病。

 唯一、特徴があるとすれば症状の出方くらいだ。夢遊病には心理的ショックやストレスで突然起きてこなくなる急性型と徐々に睡眠、起床時間が延びていき最終的に起きてこなくなる慢性型がある。夢遊病になる人物の現実での特徴は夢を見たいという欲求により、起床時間が遅くなり遅刻が多くなる。夢へ思いを馳せることにより、現実への関心が薄くなる。だけど、わかったところでどうしようもない。叶わないから夢見るのだ。気付いたところで、いくら現実に引き止めようとも意味はない。灰村隆が遅刻してくることが最近多かったのは、夢遊病になり始めていたからなのだろう。あいつがいなくなってからようやく気付くが、特に責任を感じたりしたりすることはない。例え偽物であれ、ようやく望んだ幸せを手に入れた相手を羨ましく思ったりはするけれど、惜しんだりはしない。

 むしろ、せっかく幸せな夢を見られるようになったのだから、ドリームハンターに邪魔されないことを願うばかりである。当初は原因不明の眠り続ける病で治療法も原因もまったくわからなかったが、長い時間と労力をかけてようやくここ最近になって色々なことが解明されてきた病気だった。それはひとえに夢に入れるドリームハンターの功績が大きいらしい。眠っている相手に手も足も出なかった医者や研究者は、ドリームハンターが行ってきた夢を語って聞かせてくれたおかげで、夢遊病という病気だと判断することができたのである。

 もちろん、いきなり人の夢に入れるなんていうやつを信じるものなんておらず、ましてやそれが数字や実験結果を重んじる人達が相手だったので信頼されないまま、事ここに至るまで八年という歳月をかけてしまった。現在のところ治療法はドリームハンターが起こすしかないにも拘わらず、夢に入ることができる人の数が圧倒的に少ない。夢遊病だったものを起こせば、起きた人物は他人の夢に入れるようになるが、日に日に患者数は増加する一方で、間に合っていないのが現状だ。

 同じ他人の夢を見れるものとしてはあいつらは嫌悪の対象でしかないが、何年も眠り続ける人を目覚めさせたドリームハンターは、今では救世主だなんだともてはやされている。死者はほとんど出ていないが、患者数が三年ほど前から増加したことも含め、事態を重くみたWHOがパンデミック宣言を出して久しい。原因がわかった今では、もう世間一般では夢遊病は悪いものとされている。だけど、本当にそうだろうか。悲しみに暮れるクラスを見て疑問を抱かずにはいられない。

「……別にずっと寝てられるんだからいいじゃんか」

 小さな俺の呟きは、教室内の喧騒に紛れて誰の耳にも入らなかったようだ。もし聞こえでもしていたら、この場の空気が一瞬にして氷つき、先ほどのように冷ややかな視線が向けられていただろう。だが、気づいてもらえなくとも俺が心の底からそう思っているという事実は変わらなかった。ざわつく室内を担任が静かにするよう促してホームルームを再開する。だからといってすぐに気持ちを切り替えることなど生徒達にはできず、重苦しい空気の中で本日の連絡事項を告げられる。当初は自分の受け持ちの生徒が一人また一人と夢遊病になる度に担任の落ち込む姿も見られたが、今ではまるで心のないロボットのようだった。事務的な報告を済ませ担任が退室すると、再び室内が騒がしくなった。クラスメイトの一人が夢遊病になったところで俺のとる行動に変わりはない。

「さあて、寝るか」

 幸せな夢が見れるものなら見たいくらいだった。

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