第2話 委員長
「――起きなさい!」
再び聞き覚えるある声が直接脳内に響き渡る。
「信士。いい加減寝てないで起きなさい!」
どこか遠くから声が聞こえてきたかと思うと、世界が段々暗転してくる。どうやら今日はここまでみたいだな。夢から現実に戻り、目を開いても世界は闇に包まれていた。右を見ても左を見ても景色は変わらない。目の周囲の妙な圧迫感と、快適な眠りをもたらしてくれる音楽が右耳にだけ心地よく響いている。左耳から多くの人の話声と委員長の怒鳴り声が聞こえてきたことで、アイマスクとイヤホンを装着したままだったことを思いだす。アイマスクを外したことで一瞬目がくらんだ。何度か目をしばたたかせて光に慣れると、茶色がかった黒髪を肩くらいまで伸ばした眼鏡の女の子が、眉間にしわをよせてこちらを見下ろしていた。美澤優子みさわ ゆうここと、委員長である。女性であるにも拘わらず、俺より5センチも高い170センチの身長と、眼鏡の奥のツリ目も相まって妙な威圧感があるが、今ではもう慣れてしまった。明らかに怒っている様子が見て取れるが、特に気にすることなく睡眠妨害をしてきた委員長にあくび交じりに挨拶する。
「……おはよう」
「『おはよう』じゃないわよ! まだホームルームも始まってないのに早々に寝ているなんて何しに学校に来ているのよ!」
眼鏡を人差し指で押し上げ、委員長がいかにも彼女らしい真面目なセリフをのたまう。そうしたいのは山々だが、毎日浅い睡眠しかとれていないため、こちらとしては起きたまま担任が来るのを待つなんて無理な話だ。一部の人達を除き、誰よりも睡眠時間を取っているという自覚はあるが、人の夢の中で活動しているせいか、起きても眠さとだるさが常に付きまとい、慢性的睡眠不足に陥っている。目の下にあるクマはここ数年取れた記憶がないほどだ。むしろ夢の中でのほうが調子がいいくらいである。だからこそ現実では僅かな時間でも睡眠に当てたいというのに。学校に来ているだけでも見逃してもらいたいところだが、事情を知らない委員長が許してくれるはずもない。
「俺の居眠りなんて、今に始まったことじゃないだろ?」
「改善しようとする意思がないから同じ行動を繰り返すのよ」
「別に眠いんだから寝るくらいいいだろう」
暇があれば眠っている俺に向けるクラスメイトの目は冷ややかだった。
「『夢遊病』になったどうするのよ!」
委員長がやたら突っかかってくる原因はそれにある。といっても睡眠中に異常行動を起こす夢遊病のことではない。夜に十時間以上眠り続け、日中も耐え難い眠気に襲われる過眠症に近い。だが、決定的に違うところがあって『一度眠ってしまえば、自力で目覚めることのない病気』それが一般的に夢遊病と呼ばれている。
「言うことが固いな委員長は……そんなんじゃ、いつか夢から起きてこれなくなるぞ?」「「「「!?」」」」
にわかに教室内がざわめく。所々から「冗談にしても最悪」「どうかしてる」「おまえがなってしまえ」だとか非難の声が上がる。どうやらまた地雷を踏んでしまったらしい。夢遊病がある現在、その言葉は禁句のようなもの。誰もが悲しんでいる葬式の場でいうブラックジョークと同義だった。
「やめなさい!」
委員長の一喝でクラスが一瞬にして静まり返る。だが、今度は委員長を除く全員から敵意のこもった瞳で睨まれた。
「「「「…………」」」」
ひたすら責めるような視線がクラス中から俺に降り注ぐ。
「と、とにかくもうすぐ先生がくるから寝るんじゃないわよ!」
ビシッと俺を指さし、捨て台詞と共に自分の席へと戻っていく委員長。恐らくこの空気の中、居づらくなったのだろう。同じく居心地の悪くなった俺は、この空気から逃げるように視線を外へと向ける。俺の席は窓際の一番後ろで周囲から少し離れてポツンと置かれているので、窓からの景色が良く見える。ホームルーム間近なせいか、校庭には学生服を着て歩いているものは誰もいなかった。
周りから距離を置かれているせいか、少し視線を動かすだけで、クラス内の様子も良く見えた。委員長の席に人だかりができており、口々に「大丈夫?」「あいつひどいよね」「もうほっとけばいいのよ」だとか聞こえてくる。なんだかんだで彼女はこのクラスの中心人物だった。あんなふうに口答えしていたが、内心委員長には感謝している。恐らく、委員長がいなければこのクラスに俺の居場所はなかっただろう。今も決してあるとは言えないが、彼女のおかげで幾分かましと言える。
俺はこれまでの行いのせいで、教師含め、ほとんどのクラスメイトからいじめに近い冷遇を受けている。無視や陰口は当たり前。基本いないものとして扱われ、時に非難の対象となる。俺の親が親なので暴力や恐喝をしてくるようなやつはいないが、自分をかばってくれる存在というのはありがたいものだった。そんな委員長との関係は、俺が二年半前にこの町に引っ越して来てからだった。ある理由から以前いた町を離れなければならなくなった俺は、偶然顔を知っていた委員長と一緒のクラスになった。俺が一方的に知っているだけで相手にとっては面識もなにもないはずなのに、眠っているとやたらと突っかかってくるようになった。そんな腐れ縁が、以来ずっと続いている。今でもただ一人、委員長だけがいつも抗議して俺を気遣ってくれていた。もし委員長がいなければ物を隠されたり、壊されたりといったさらに陰湿な嫌がらせを受けていたかもしれない。
理由は自分でもわかっている。常に眠っているからだ。これには先ほどの夢遊病が大きく関係している。夢遊病とは現代で最も恐れられている奇病。八年前からチラホラ患者が出始め、三年ほど前から急激に発症者が増えたという。患者は日々増えつづけ、今では四人に一人は夢遊病患者と言われている。発症すれば現代の医学では治療する手立てはなく、半永久的に眠り続け、最後には死に至るであろうと言われている。確定ではないのは、まだ流行り始めて八年ほどと歴史が浅いことと、患者はただ眠り続けるだけなので、研究が非常に困難であることが関係している。
夢遊病という病気だと発覚したのも、つい三年ほど前だ。それまでは数日から数週間にわたり連続した睡眠状態となるクライン・レビン症候群の一種だと考えられていたが、食事やトイレに行くこともなく、ずっと眠り続けてしまうことから全く別の病気だと判断された。今ではテレビで特集がくまれ、眠気覚まし商品は軒並み売り上げが増加した。夢遊病患者が出始めて八年、今のところ夢遊病が決定的死亡理由につながった事例はないが、少なからず死人は出ている。といってもそれは入浴中に発症して、そのまま浴槽で溺れてしまったことが原因だ。現代でこそ目覚めなくても、点滴で栄養が取れるため死に至っていないがこれがもっと昔、点滴がない時代であったなら多くの人が栄養失調で亡くなっていただろう。
だが、死に至る病でないにも拘わらず、死因に大きな変化が起きた。夢遊病患者が増え始めてから自殺者の数が増えたのだ。もちろん眠っているものが自殺などできはしない。それには目覚めた後の夢遊病者が密接に関係している。先ほど現代の医学では治せないと言ったが、夢遊病者を起こすことができるものはいるのだ。それがドリームハンターと呼ばれるもの達である。あいつらは人の夢に入ることができ、眠っている人達を起こす方法を見つけることができた。
おかげでずっと寝たままということはなくなったが、夢から覚めたものの多くが自殺するようになったのだ。夢遊病から目覚めた人は夢が無くなってしまう。正確には生きる気力を失うのだが、それは未来に向かって努力することがなくなると同義。ようするに生きる希望を失うのだ。自殺の道を選ばなかった人でも無理矢理起こされたせいで心に大きな傷を負い、カウンセリングを受けざるえなくなったものも多い。現実に戻ったってどうせ死ぬなら、幸せな夢を見せたまま死なせてやればいいのに。だが、世間はそれを許してはくれなかった。うかつな発言をしてしまったこともあるが、未だにチラチラと教室中から向けれられる視線が、夢遊病がどんなに嫌われているかを物語っていた。
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