すぐそこに神話がありました

采火

すぐそこに神話がありました

 小さい頃は裏手の山を駆け回り、家の前を流れる小川で水遊びをした。

 小学校は一時間歩いたところにあって、晴れの日も雨の日にも負けずに六年間通った。

 中学に入って都会というものに憧れた。

 高校でこの町にしかない「好き」な所を見つけた。

 そして今、私が目指したいものはこの町に帰結する。


 私の住む場所は岐阜県の中南部にある町の東の外れ。市街地と比べて、まだ手の入っていない山が残っている場所。

 岐阜の山と言えば高山とか飛騨とかの山岳地帯だけれど、私の住む場所は山岳地帯のド田舎ではなく、かといって都会の人から見れば、電車の本数が少ない、バスは予約制、車がないと不便な場所にある。

 田舎は田舎。でもここよりもっと田舎な場所があるのを知っているから、まぁまだマシな方。そう思って暮らしている。


 私は歴史を専門にして学んでいる。昔から父の影響で歴史が好きだったけれど、今はそれを越えて、もっともっと知りたいと思っている。その発端となったのは、こんな田舎にある史跡群。


 この町は森蘭丸が有名で、他にも多くの武将の名前を見かける。けれど私はそれよりももっと古くからある時代の史跡に夢を見た。

 日本武尊。

 この名前は誰でも知っていると思う。古事記や日本書紀に描かれる神話が好きだった私は、日本神話がモチーフにされている小説を気に入っていた。だから日本武尊が主人公である本を読むのも必然だった。

 とある小説の舞台に私の住む町にある史跡の一つ、「泳宮」が使われていることを知った。

 泳宮は日本書紀において、日本武尊の父である景行天皇が行幸をする際に仮宮とされた場所と言われている。日本書紀とは違う物語を描いた作者の舞台に飛び込んでみたいと思った。


 そしてある日、同じ思いの友人と共に自転車をこいで、史蹟に行ってみた。


 泳宮史蹟はとても小さな場所だった。

 季節は秋で、沢山の落ち葉が、景行天皇が鯉を放ったという池の跡地を埋めていた。池と言っても小さなもので、ちょっとした豪邸の庭に池を作ったような程度のもの。そもそも泳宮史跡そのものが、田舎の住宅に囲まれてひっそりとたたずむとっても小さな公園であったから、期待していたものとの差に少し肩を落とした。

 しかしそれでも、神話の時代と見えるものが違えども、歴史が続いてここに自分が立っていることに感動した。自分の目で見られたことに、価値があると思った。

 たとえすぐ近くに住んでいるとはいえ、私はあの本との出会いがなければ、また、同じ思いの友人がいなかったら訪れなかった場所。まだまだこの町には私の琴線に触れる何かがあるのかもしれない。


 そして私はこの感動の熱が覚めぬまま、自分が見聞きしたものを見比べた。日本書紀、史蹟の碑文、熱心に碑文を読んでいた私たちに通りすがりのおじいさんが話してくれたこと、そして私たちの町に伝わる昔話。

 ほんの少しずつ違っていて、ますます私の興味を引いた。それと同時に、自分の住む場所の目と鼻の先にある歴史を今まで知らなかったことと、生まれ育った町の昔話を知らなかったことが、私の視野の狭さを物語っていた。


 こんな田舎なんてと悪態ついて都会に夢を見ていた頃を思い出す。

 この町には都会にはない浪漫がまだ残っている。

 私の心をときめかせる、古代の時の流れにまつわる物語。


 近年、岐阜という場所は多くの物語の舞台となっている。

 その多くが青春を過ごす少年少女の物語。

 私はもうその青春を通りすぎてしまった。物語のように輝くような学生生活を過ごしたのかと問われれば、どうだろうかと自問自答する。

 私が憧れていた青春というものは、友達と学校帰りにスタバで寄り道をしてみたり、休みの日にショッピングをしに行ったりするようなもの。そんな都会的な青春をしたくてたまらなかった。

 でもその代わりに、私は自分の住む場所に目を向けることが出来た。休みの日に退屈を紛らわせる読書から、私の故郷ふるさとに存在した浪漫を拾いあげることが出来た。


 過去、岐阜という場所は多くの歴史の舞台であった。

 有名なものは、戦国の世を駆け抜ける武士もののふの歴史。

 岐阜と言えば山岳地帯の飛騨と平野部の美濃。美濃といえば戦国の乱世、織田信長が稲葉山城を岐阜城と改名し、本格的に天下統一に乗り出した場所。そしてまた、天下を二分した関ヶ原の戦いが起きた場所。そして私の住む町は、天下統一を目指した人の重用した小姓が生まれた町。

 けれど、戦国乱世はまだ浅い。

 もっと深い時代の歴史が残っている。知名度こそないものの、この町が古くから人の住んでいた場所だという証。


 古い古い、神話の時代から存在していた町だと思えば、こんな田舎なんてと嘆いていた自分を叱ってやりたくなる。

 よくごらん、ここは昔から人が住むような、とても住みやすい土地なんだ。


 どんな場所でも言えることだろうけれど、岐阜という名でくくられた田舎の町は、ただ田舎というには惜しい場所がいくつもある。こうやって歴史を紐解いたら素敵な浪漫があるかもしれない。もしかしたら、もっと殺伐とした人の生きざまを見るのかもしれない。

 まさに町の歴史はパンドラの箱。自分から能動的に開けてみなければ、箱の中身は分からない。

 私が言える義理もないけれど、この町の昔話を知っている人がどれだけいるのだろう。その中に隠れている町の歴史を知っている人はどれくらいいるのだろう。


 私の町へと来てみて。四方を小高い山に囲まれた町。発展途上の田舎というものは、いずれ消えてしまうかもしれない歴史の足跡をまだ残している。

 あなたの町にも行ってみたい。あなたが知る、その土地の昔語りを、歴史を、私に教えて。

 人が生まれ、人が集まり、人が作っていく町。


 田舎と言われても恥じることはない。

 歴史ある土地は、人が選び、生きてきた町だから。

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