甘納豆赤飯を噛みしめて

深水千世

甘納豆赤飯を噛みしめて

 夫の友人から赤飯をいただいたときのことだ。


「わぁ、小豆の赤飯だ」


 思わず歓声をあげた私を、夫は『何を当たり前のことを』とでも言いたげな顔で見ていた。そして、赤飯にうきうきと鼻歌交じりで紅生姜を添えると、夫の目は点になった。

 

 群馬県出身の彼は、北海道の赤飯がどんなものか知らないのだ。


 北海道の赤飯は小豆ではなく甘納豆だ。じゃあ、あの赤い色はどうやって出すんだと思いきや、食紅を使って着色する。そこまでして甘納豆を入れる。そして、大抵は紅生姜のスライスが添えられている。


 山形県で生まれ、中学生のとき北海道に引っ越した私は、初めて甘納豆赤飯をスーパーの店頭で見かけて「とんでもないところへ越してきたのかもしれない」と思った。今だから「そんなおおげさな」と笑えるが、当時の私にはカルチャーショックの連続だった日々の中でも、特に大きな衝撃だったのだ。


 本州から津軽海峡を越えただけで、北海道というのは別天地のような気がする。

 飛行機から降り立った瞬間のすがすがしい冷えてカラリとした空気に触れれば、異世界に降り立ったような気分にもなるだろう。

 逆に青函トンネルを越えて北海道から青森に行けば、「あぁ、本州の街並みだ」と、その違いがわかることだろう。


 北海道には梅雨もなく、スギなどの花粉症もない。空気がカラッとしていて心地良いのだ。

 ゴキブリもほとんどいない。札幌近郊に住んでいたせいか、街角に無秩序に墓や祈念碑、祠の類が出没することもあまり見たことがない。

 気候ゆえに本州のように実のなる植物が庭に植えられているのも少ないし、見かけない花も多い。キンモクセイの香りは、道産子は芳香剤でしか知らない人が多いと思う。竹藪もない。

 道路が広くて真っ直ぐというのは有名ではあるが、家と家の間隔も広めで、塀や堀が少ない。家々には灯油タンクが置かれていることがほとんどだ。


 それだけではない。暮らし始めてわかったことだが、道産子は唐揚げを『ザンギ』と呼ぶし、絆創膏は『サビオ』というらしかった。

 家には瓦屋根がない。そして窓は大抵二重になっていて、三重窓の家まである。家々の玄関は雪よけや防寒のため『玄関フード』と呼ばれる仕切りがついていることが多い。それでも、真冬の玄関は冷蔵庫のようになるし、あまりに寒い夜だと水抜きをしないと、水道管も凍りかねない。テレビに水道管凍結注意の字幕が流れる始末である。

 北海道弁ではゴミを捨てることを『ゴミを投げる』というし、結婚式は会費制で、地下鉄はタイヤで走り、区間によっては地下鉄のくせに地上を走る。信号機は横ではなく縦になる。


 30半ばになって群馬県に嫁ぐまでの20数年間、私は北海道の空気に馴染み、そういった本州との違いを当然のことと受け止め、すっかり道産子になりきっていたつもりだった。


 だが、甘納豆赤飯はいつまでたっても、どうしても一口目に勇気がいった。

 おはぎを食べる心づもりで箸を持っても、そこに降りかかったごま塩と紅生姜が「これはおはぎじゃない、赤飯だ」と語りかけてくる。北海道にいた頃の私は甘納豆赤飯にだけはどうしても馴染めなかったのだ。そもそも、赤飯に甘納豆を使う発想を恐ろしいと思っていた。


 それなのに、北海道を離れた今、とてつもなく甘納豆赤飯を恋しく感じる。

 群馬県の赤飯は生まれ故郷の山形県同様、小豆の赤飯だ。実のところ、小豆の赤飯が大好物であり、実際には甘納豆赤飯を食べても複雑な顔つきになるだろう。それでも、恋しいと思う。

 長い北海道暮らしの名残で、小豆赤飯にも紅生姜を添える癖がついた。夫には『なんだ、その組み合わせ』という非難めいた目で見られているが、これが道産子だと胸を張って箸を持つ。


 何故、私が生まれた山形県よりも北海道を故郷だと思うのか。

 それは、思春期だった私が北海道に受け入れてもらえたと感じたからだ。

 北海道には本州と明らかに違う空気が流れている。これだけ多くのギャップがある北海道に馴染むのはハードルが高い気がした。それは故郷を離れた孤独感をいっそう強めていた。

 しかし、私が引っ越した地域は特に転校や引っ越しが珍しくない土地だったせいか、クラスメイトや先生は、すんなりと私を受け入れてくれたのだ。それがきっかけであれだけ大きく感じたギャップがいつしか自分の常識に変わっていた。風習も人々も合理的で風通しがよく、自分の性格に合っていたせいかもしれない。


 そんな私は不思議なことに、小豆の赤飯を見るたびに、故郷となった北海道を思い出すのだ。当時は甘納豆であることに違和感を持っていたはずなのに、今では甘納豆でないことに違和感を覚えながら。せめて少しでも北海道に近づきたくて、小豆赤飯にも紅生姜を添える。

 そして、いつか帰ろうと思いながら、甘納豆の代わりに小豆を噛みしめる。合間に囓る紅生姜がピリリと『いつになることやら』と辛口のヤジを飛ばすが、それでも甘い豆を夢見て頬張るのである。

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