第4話 逃走と惨状


「はぁっ……はぁっ……」


 ただひたすらに全力で駆けたフォルムートは、ようやく立ち止まり、息を荒く吐く。

 どれほど走っただろう。

 未だ街道であるが、振り返ってみれば、どうやらかなり遠くまで無心に走ったらしく、エドルマのボロボロとなった城壁が涙でにじんでおぼろげに小さく見えた。


「……ぐすっ……何なのだ……私がいったい、何をしたと言うのだ……」


 男曰く、エドルマの街を破壊しつくした。

 女曰く、民の、人類の敵。


「そんなことをした覚えなど、無いに決まっておろう……ぐすっ」


 自分が単なる蘇生魔法による復活を受けたわけではない、と、フォルムートはここでそれに気づく。


「……民は、私を慕っていたはずだ」


 自分で言うのもなんだが、と心中思いながらつぶやく。


「……あれほどの拒絶の仕方……」


 しかし、その拒絶は少女が民を虐げたとしか思えないような度合いのものであった。


「……何だ、何が起こっている……私は、いったい? ここは、何かが違う……」


 自問する。

 元居た世界とこの世界は何かが違うのを、彼女はひしひしとしかし漠然と感じていた。

 しかしもちろん、答など出るはずも無く。


「……誰かに聞くしかあるまい」


 しかし、エドルマに言っても拒まれるのが関の山だろう。

 なら、何処へ行くべきか。


「……なら、王都だ。エドルマで駄目ならば、王都に行けば――」


 何とかなるだろう、というその言葉には、根拠と呼べるようなものはなかった。

 しかし、それで何とかならなければ――そう、またもや拒まれたりなどすれば――今度こそ少女の精神は参ってしまうだろう。ならば、何とかなると思わねば、どうにもならないような気がしたのであった。


「そうと決まれば――ぐすっ――」


 ぐしぐしと手の甲で涙を拭い、頭を振り、気を取り直す。

 フォルムートは落ち込みやすくとも、立ち直りはさらに早かった。


 地平線に紅い太陽が沈みかけている。

 本来ならば適当な場所で昨日と同じように野営するところだが、フォルムートにその気は無かった。


「……うむ、征こうか」


 幾度も歩いたことがあり、勝手はある程度分かっている。獣や夜盗の類が現れたとしても、少女なら対処しきれる。暗くとも、少し足元が不安な程度で、後は無問題である。

 そして何よりも、フォルムートは今、何かにすがりたい気持ちでいっぱいだった。


「我が王都、ヴェニールまで――」






 ――実のところ、少女は立ち直ってなどいなかった。その傷ついた心が表に出ないよう押さえ込んだだけであった。

 いわば無理やりの抑圧。無論、その防衛機制は何かの拍子に簡単に崩される。そして抑圧が崩された場合、少女はいっそうにショックを受けるだろう。

 そして、今――


「――――――」


 ――フォルムートは、言葉を失っていた。

 否、魂を失ったようになっていた。


「――――――」


 数日にわたり野営と移動を繰り返した結果、フォルムートはかなり早くヴェニールへと到着することができた。

 ――到着してしまったというべきだろうか。


「――――ぇ――」


 絞り出されるように、声が漏れる。喘ぐように、悲痛な声であった。

 頬には、一筋の涙が流れている。

 何故か。


 それは少女の目の前に広がる光景を見れば一目瞭然であった。


「――何故だ――なぜ――」


 人が、打ち捨てられている。

 幼い人間だ。

 何者か――魔獣か、そうでなければ野生の獣の類――に腹を食い破られて、目を見開き、苦悶の表情を浮かべている。

 体の欠損が激しい。もう少し時が経てば、性別の判別も難しくなってしまうだろう。


「――あぁ、あぁ――」


 別の場所に目を移す。

 そこに伏せているのは、男であった。

 大人である。屈強な、剣を両手に握った男だ。

 顔は憤怒一色である。半身を失っていた。


 他の場所に視線を移す。

 人。


 視線を移す。

 人。


 移す。

 人、人、人。


 そこにはエドルマの街よりも酷い有様が広がっていた。

『惨状』とはこのことである。地獄を体現したかのような、そんな光景であった。

 民家は一つ残らず荒れ果て、膝を突くフォルムート以外は、虫一匹に至るまで、動くものはすべて死滅しているようであった。


 察するに、この光景を造り上げた者は、およそ慈悲と呼べるものは持っていないのだろう。

 そう、フォルムートは心の底から感じた。憎いほどに、そう感じたのだった。


「………………どうして」


 長らく固まっていた少女はつぶやく。


「――どうして、こんな……」


 理不尽と疑問。それと困惑が混ぜこぜになった、複雑な声であった。そしてどこまでも悲痛な声であった。


「……誰だ。あの貴族どもか、それとも――」


 活気の感じられない街で、少女は座り込んだまま、誰がこの凄惨なことを行ったのか考える。

 貴族、というのは考えられなかった。民から貰う税が彼らの収入なのだから、民を殺す理由など在りうる筈も無い。


「――そうか、私が居なかった間に……そうだな、私が居ないのであれば――他国が征服しに来るというのは、必然か」


 フォルムートは女王であると共に一人の戦姫であり、セルメス王国の最大戦力であった。

 他国の参謀の評するに、フォルムートは『セルメス最強の個』。

 その存在自体が抑止力でありたがのようなものだったのだが――それが外れれば、どうなるかは明白であろう。

 他国が侵略してきた、そう考えるのが妥当だろう。


「……くそぅ」


 そう、少女は考えた。

 そして不甲斐なさに唇をかむ。


「……私が殺したも、同然か……」


 貴族を御していれば、と思う。

 しかし、悔やんでも仕方の無いことである。現に起こってしまっていることを変えることはできない。

 せめて己への楔に、と、少女はその壮絶な光景を見つめる。


「――――――」


 民を苦しめた者への憎しみを、そして哀しみを忘れないようにと。


「――――?」


 ――不甲斐なさといっそうの哀しみがこみ上げてくると共に。

 少女は一つ、異様なことに気づいた。


 壊れた家々の向こう側。荒れ果てた街の光景の向こう側。

 青い空にそびえる様に、それは当たり前のように立っていた。

 否、それは当たり前に立っていて然るべきものであった。

 しかし、それがどうにも、フォルムートに違和感を与えた。


「城が――」


 フォルムートが住んでいた場所。そして王の一族とその使用人たちの住まう場所。

 セルメスの象徴とも言える、雲にも似た純白の、白亜の城である。

 それは、やはり当たり前のように――高貴そうな紫色の国旗をその周囲にはためかせながら、そびえていた。


「無傷……?」


 しかしエドルマの街に刻み付けられていた大きな爪あとのような刀創が、城壁には見当たらない。それどころか、多少の傷さえも。そこにはまるで芸術品のような壁がそびえるばかりである。


 それは、あまりに不自然なことであった。


 なぜなら、エドルマやヴェニールを襲った者が『王城は綺麗だから傷つけずに置いておく』などという発想に至るはずが無いからである。そのような美的感覚を持つ者であれば、街も傷つけずに置いておくはずだからだ――街と城は二つで一つの景観を形作っているのだから。つまるところ、侵略されたわけではないのだ。

 征伐せいばつを目的とするならば、逆に街や家々は残しておいて城だけを完膚なきまでに破壊するという行為に出るだろう。なぜならば街はそのまま再利用できるのだから。そして城は統治者の象徴であり、旧い統治の代表と言える物なのだから。

 なんにせよ、街を破壊しているのに象徴シンボルである城を、置いておくはずが無い。ましてや旗を置いておくなどありえないことである。

 街と同じように城も破壊されているか、それか街も城も無傷で置かれているか。

 そのどちらかであるのが自然と言えよう。


 故に、その光景は彼女にとって違和であった。

 一般に考えて、その光景は、外国から侵略されたわけでもないのに街が荒れ果てているということを示しているのだから。

 城は今も旗をはためかせながら、堂々と立っているのだから。


 不幸中の幸いか、城は残っているのだ。

 ならば少女が目指す場所は、自然とそこになるだろう。


「帰らねば――行かねば」


 やや重い足取りで、少女は破壊され尽くした街の中を歩み始めた。

 その肌に、ぴりぴりとした何かを感じながらも。




 フォルムートはなぜか、城に行かねばならないような気がしていた。強い義務感のようなものを感じていた。

 彼女は街に――もっといえば王城から漂う不穏な空気を感じ取っていた。それは直感によるものだろう。引き返すこともできた、しかし彼女は進んだ。

 その行動に合理的な理由は一切無い。ただ無性に、そうしなければならないと思ったのだった。


 そして少女は、邂逅かいこうする。

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