第3話 城塞都市エドルマにて

「――ふむ」


 炎が燃え盛っている。

 蒼い、炎だ。美しくもあり、しかし危険をはらんだ蒼であった。チロチロと、まるで蛇の舌のように、それは踊っていた。


「征くべきか」


 ――人の山がある。屍の、山だ。

 男、女、子供、老人――山を作っている人間は、老若男女多種多様であった。

 五体が完璧にそろっているわけでもなく、必ずといって良いほど、その死体はどこかが欠けていた。共通しているのは、どれも無惨な傷跡を体に負っているということ。その山からにじみ出た血液は、元より紅色のカーペットをいっそう紅く染め上げている。


 積み重なった死体を前にして、は、言う。

 頬杖を付いて、足を組み、とてもけだるげにしながら。


「嗚呼、本当に、どうしようもなくけだるいな――ははっ」


 それはわらう。

 何もかもを嘲笑するように、笑う。

 それは万象を見下したかのような高笑いであった。そしてどこか投げやりな嘲弄ちょうろうであった。


「あは、ははは、ははははは――!」


 それ少女は、ただ、壊れたように笑い続けた――






「――ようやく、着いたか」


 紅い衣を纏った少女がつぶやく。

 城門を前に、じっと立っていた。


 城塞都市エドルマ。

 セルメス王国防衛の要である。

 他国との戦争において、エドルマにある砦は幾度となく侵攻を食い止め、セルメスを救った、歴戦の要塞。その中に敵を通したことは無く、『不壊の堅城』とまで呼ばれた拠点。

 その堅固な砦が――


「……何があった、エドルマに」


 ――今となっては、見るも無惨な様相を呈していた。


「いったい、何が――」


 城壁には虫食いのように穴が開いている。それはぽっかりと空いているわけではなく、えぐられるようにして作られたもののようであった。

 巨大な怪物の爪あとのような刀創とうそう。深く大きな傷は、まるで幼子が悪戯に引っかいた痕のように、無数に城壁に刻み付けられていた。

 金属製の丈夫すぎるほどに硬い門は、捻じ曲げられひしゃげている。いったいどのような怪物が襲ってくるとここまで酷い状態になるのだろうか、と少女が疑問に思うほどに、無惨であった。


「……誰か居らぬか!」


 非常に複雑な感情を抱えた末、発したのはそう言った言葉であった。

 返答は――無い。


「……くそぅ、一体全体どうなっているというのだ! ――【門よ】!」


 半ば吐き捨てるように叫びつつ、剣を異空間から取り出す。

 そしてできる限りの警戒をしながら、もはや門の体を為していない金属の塊を通り過ぎ、城壁の内部へと入った。




「誰か、居らぬか――!」


 廃墟然とした街に、声が凛と響く。

 それに返す者は誰も居ない。少女には、ただ、反響した彼女の声が返ってくるばかりである。


「――何が起こっているのだ」


 いったん、足を止める。

 フォルムートが叫ぶ間、視界に人間が入ることは無かった。

 ただひたすらに、瓦礫、瓦礫、瓦礫。

 かつて城塞都市として栄えていた姿は、影も形も無かった。


「誰も……本当に誰も、居ないのか?」


 しかし、最近まで人が住んでいた痕跡はあるのだ。だいぶ前に放棄されたという可能性は無い。

 不可解である。そして不自然である。


「……しかし、本当に酷い」


 フォルムートが通ったのは、大通りであった。エドルマ最大の道であり、いつも行商人や人々で賑わっていた。

 そこに面していた建物は、民家だろうが、商店だろうが、教会だろうが、関係無しに破壊されていた。おかげでガラスが散乱していて非常に危ない。

 そしておそらくだが、通りに面していない建物もすべて破壊されているのだろうと少女は思った。

 フォルムートはそれを改めて見――握りこぶしを作る。


「これを為した者には、いつか報いを与えねばな」


 街とは、王の財産のようなものである。建物一つを取っても、民衆一人を取っても、一つ一つが大切な財なのだ。そしてそれを無惨にも壊されたならば、その怒りは至極当たり前のものであった。


「……嗚呼、怒ったぞ。私は久しぶりに怒った、実に怒った――」


 歩みを進める。街を歩けば、他に何か分かるだろうという思いで。

 案の定、その考えは当たっていた。


「――おや」


 目の端に、動くものが映った。

 そちらに視線を向けてみると、人が居た。

 男であった。着る物はぼろぼろで、体の所々に切り傷がある。左足を引きずるようにしており

 崩れた家の中で、瓦礫を放り投げては、何かを探すように辺りを見渡している。


「良かった、まだ生存者が……」


 つぶやき、安堵しながらその男に近づく。何か聞き出そうと思って。


 少女は、気づかなかった。


 己が歩みを進めるごとに、その男の顔が恐怖に染まってゆくことに。


「な――っ」


 声をかける間もなく、男は一目散に走り去っていく。

 その際、男の横顔がちらりと見えた――それは、怯えと恐怖の混じった表情だった。

 男は明らかに、フォルムートを恐怖していた。


「――ま、待て!」


 我を取り戻し、フォルムートも駆ける。

 少女と、大の大人。競争すればどちらが速いかといえば、まあ普通は大人のほうであろうが――


「話くらい聞かせんか、不敬な輩め!」


 少々逆ギレ気味に、少女はその男の首根をひっとらえた。

 元からぼろぼろだった服は簡単に破れ、男は上半身裸の状態となる。それでも、必死に走る。


「待てと言っておろう!」


『頼む、殺さないでくれぇっ!』


 後ろから首に掻きついてそのまま地面に組み伏せる。

 ガラスなどが散乱していれば多少危なかったが、幸いそういった危険物は落ちていなかった。


『嫌だ、嫌だっ! 頼む……!』


「だから何故逃げる!? 私がいつお前を殺すと言った!?」


『何でもする! 命だけは――』


 いい加減に鬱陶しく思い、少女はその額にでこピンを放つ。

 男は悶絶した。


「いったい、どうして私が殺すなどと……貴様はこの町の民であろう? 王である私が殺す道理など何処にも無いだろう」


『ふ、っ……!』


 恐怖一色であった顔色は一転、怒りのものへと変わった。


『ふざけるなっ!』


「ふざ……っ!?」


 強い怒気をぶつけられ、フォルムートは少し面食らう。


『お前が、お前がこの――』


 やがて怯えが蘇ってきたか、語気が少々弱まる。

 それでも、男は言い放った。




『――この街を壊したんだろう!』




「――――――」


 少女は、押し黙る。

 もちろん肯定を表した沈黙ではない、それは困惑によるものだ。

 しかし男はそれを肯定と取ったか、よりいっそう顔色を怒りに染める。


『いまさら何をしに戻ってきた! 残党狩りか! それとも弱者を虐げに来たのか!』


「――違う……それは、思い違いだ。私は、そんなこと……」


『何が違うんだ――!』


 男の問いに少女が弁解しようとした時。


「っ!」


 どこからともなく、矢が飛んできた。

 寸分の狂いも無く、少女の頭部をねらっていた。咄嗟にのけぞって避けなければ、確実に当たっており、そして命を奪っていただろう。


『離れろ』


「――――――!?」


 やはり怒気を孕んだ声がフォルムートの耳に飛び込んでくる。

 瓦礫のうずたかい山の上に、弓を持った女が立っていた。少女は記憶を探る――確か、エドルマの統括を任されていた女だ。フォルムートはその女に何度か会ったことがあった。

 その視線は冷たい。しかし、その目の奥には、男と同様に恐怖が見えた。


『――今すぐに』


「――」


 やじりは少女の額に向いている。

 引き絞られた弦を離せば、途端にその矢は少女の脳髄を穿つだろう。さすがのフォルムートでもそこまでされればひとたまりも無い。


「……なん、なのだ」


 ゆっくりと立ち上がり、後ずさりする。

 明確な敵意。少女のあまり感じたことのないものであった。


「なんなのだ……っ!」


『………………』


 矢をつがえた女の視線は、冷たい。

 親の仇でも見るような、そんな瞳であった。


『……そうだな、お前が何か……さて、強いて言うならば――』


 微動だにせず、女は言い放つ。


『――私の敵、否、私たちの敵――否、人類の敵だ』


「――――――」


 フォルムートは、言葉を失う。

 絶句という言葉が似合っていた。


「――――う……」


 しばしの沈黙。その後、フォルムートが取った行動は――


「……う、うわぁああああああんっ!」


 ――逃亡であった。

 一目散の大逃走。それも涙を流しながらの。矢を向けられているにも関わらず、背を向け、大剣を握り締めたままである。

 しかしそのスピードは尋常ではなく、フォルムートの背中はあっという間に小さくなった。射ようと思っても、瞬く間に弓の射程外まで出て行ってしまい、仕留めることは不可能だろう。


 ――もっとも、女には元よりフォルムートを射ようという意思は無かったのだが。




『……大丈夫か』


『あ、ああ……』


 矢をつがえていた弦を緩め、女は男に手を差し伸べる。

 顔には安堵が浮かんでいたが、同時に違和感が混じっており、よく分からない表情となっている。


『……アレは、何か、違う気がするな』


 唐突に、女がつぶやく。


『何がだ?』


『……何、とは……また表し辛いんだが……何故だろうな、何かが違う』


『………………?』


 男は首をかしげる。女もまた首をかしげる。

 違和感はあるのだが、それが何によるものかわからないようであった。そしてそのせいで、非常に気持ち悪く思っているのであった。


『あの暴虐王とは何か違う気がした。ただそれだけだ……あの刺々しいなんて言葉じゃ生易しいような殺気が感じられなかった。まあ、違うだなんて、そんなこと、あの少女が王と瓜二つの別人でなければありえないだろうが――さて、皆のところに戻らないと。心配されているぞ? 探していたものは見つかったのか?』


『いや……まだだ』


『……それは災難だったな、また今度探しに行くと良い。今日はもう日が暮れるからな、危険だ』


『……応』


 男は肩を竦めて立ち上がる。すると、赤くなりつつある日がその目に入った。

 少女に相対していることで気づかなかったのだが、すでに日は傾きかけていた。徐々に世界はオレンジ色に染め上げられてゆく。そう経たないうちに日は沈みきり、辺りは真っ暗となるだろう。


『……本当に、何なんだろうか』


 女は弓を背負いつつ、またもつぶやく。


『この違和感は』


 遠い、城壁。

 そこに刻み付けられた大きな爪あとを目を細めつつ眺めながら、女は言った。

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