第2話 山中幕営

 流石に、一日だけで街に着くということはできなかった。

 獣道を辿るようにして、時に茂みや木々を掻き分けつつ、ちょうど陽が暮れかけたころ、少し開けた場所へと出た。

 木の姿が無く、短い草が生えるばかりである。ちょっとした広場であり、野宿には適していると思われた。


「この辺りで一晩明かそうか」


 そうと決まれば、フォルムートの行動は迅速だった。

 適当にかつ大量に小枝や草をかき集めてきて、大き目の石に草を敷き、そこに向かって器用に大剣を振り下ろす。火花が散り草に小さな火種が灯ると、それを草の山に放り込んだ。

 全体に火が行き渡るのを確認した後、少女は黒い刀身を見た。

 石に叩きつけたというのに、刃こぼれ一つ見当たらない。軽くそれを振ってから、地面に横たえる。


「さて、さて」


 燃える草の山から小枝の山に火を移す。

 暖かい光が辺りに広がる。少し肌寒く感じていたフォルムートはほうと息をついた。


「……う、む……」


 途端に、きゅぅ、とお腹が間抜けに鳴る。

 誰かが聞いているわけでもないが、フォルムートは頬をほのかに染めて、立ち上がった。


「……おなかすいた」


 行動を開始するなら早めのほうが良い。時が経てば経つほど空腹は進み、動きが鈍るためだ。

 まだ陽は残っている。しかしこれ以上時が経てばやがて陽は沈み、街灯など明かりになるようなものはもちろん無いので、辺りは暗くなるだろう。

 しかし暗いと言っても星明りはある。故に本当に真っ暗になるわけではないが、それでも危険だ。夜行性の凶暴な獣だって生息しているし、足元が見えないというのは怪我の可能性だって増える。


「……気は進まないが、狩るか」


 剣を手に取る。

 狩るというのは、肉となる動物のことである。または茸など食に適する植物のことである。少女は、なるべく後者のほうが好ましかった。


「……生き物は、なるべく狩りたくないのだが……しかし植物だけだと腹は満たしきれないか」


 つぶやき、目をつぶり、小さく息を吸った。


「……【五感強化】」


 身体強化魔法の一種を使用する。文字通り、五感を強化するものである。

 フォルムートの耳に様々な音が聞こえてくる。

 葉がこすれあう音。獣の息遣い。鳥の寝息。川のせせらぎ。

 それらがうるさいまでに少女の耳に飛び込んできた。


「……う……何度やっても、慣れないな……」


 耳を押さえたく思いつつ、フォルムートは獲物の場所を探る。

 無闇に歩き回って探すより、こうしたほうが時間の無駄も少ない。ただ、少しうるさいのが難点であるが。

 さらに耳を澄ます。精神を集中すればするほど、五感は鋭くなる――今のフォルムートには、地下水の流れる音まで聞こえるようであった。


 ――そして。


「……ふむ」


 ぱちりと、紅い目を開く。

 心なしか、剣の柄を握る力が強くなった。


「いるな。探す必要も無かったか」


 それは直感によるものであった。

 目に見えるわけでもない、聴こえるわけでもない。

 ただ、向けられた殺意を彼女は感じたのだった。


「……もしや、彼奴きゃつの縄張りだったか……? ううむ、それは悪いことをしたな……」


 そう言いつつも、剣を構える。

 未だ強化されている聴覚に、不自然に葉のこすれる音が入ってくる。

 かなり、大きな獣のようであった。


「……ここから離れて赦してくれるのならそれでよいのだが……」


 どうにもそう上手く行きそうには無い。

 少女に向けられる敵意は大きくなる一方である。ちりちりと肌に感じるほどまで膨れ上がったそれは、フォルムートの一身に向けられていた。

 辺りはすっかり暗くなってしまった。やがて、その紅玉のような双眸が紅く輝きを増す。

 夜闇の中で、それは、筋のように残光を残しているようであった。


「……侵入者の分際ですまないが、私の夕食となってくれるか」


 獣が姿を見せる。

 目が血走っている。鋭く発達した凶悪な爪が地面を踏みしめている。

 口からは粘着質な唾液を垂らし、獲物を前にして興奮している様相であった。

 生半なまなかな爪や牙では傷をつけることさえ不可能であろう毛皮。しかしそれは数多くの傷跡を残しており、幾度の縄張り争いを超えてきたのだと分かる。

 それは森の捕食者であった。食物連鎖の、生態系の頂点に君臨する者である。いわば『森の主』。そんな者を相手にしては、ひ弱な少女程度、小石ほどの障害にもならないだろうが――


「あいにくだが、向かってくる敵にかける慈悲というものを私は持ってない。まぁ縄張りを侵したのは私のほうなのだが……」


 じり、としっかり地を踏みしめ、左足を前に出し、右頬の横に黒い剣を構える――西洋剣術で言う、雄牛オクスの構えだ。

 それは少女ではなく、剣士であった。


「本当に、すまないな」






 薪を新たに調達し、火の中に放り込んで火種とする。

 しっかりした枝を尖ったように加工し、それに肉を刺して火で炙る。


「……はぁ。だから嫌なのだ、生き物を捌くのは」


 未だ体に残る血なまぐささにうんざりしながら、フォルムート自身も火に当たり暖を取る。

 別に他者の命を奪うことに抵抗があるわけではない。そうしなければ自分の命が危ないかもしれないのだ――それに、彼女はすでに戦場でいくつもの敵兵を屠っている。獣一匹の命程度いまさら何をというべきだろう。


「しかし……くそぅ、美味ではないか」


 しかし、苦労に見合うだけの味ではあった。

 元から空腹気味であったのと、獣との格闘という運動があったため、少女の空腹度合いは限界近くまでになっていた。それが最高のスパイスとなったというべきだろう。


「……ごちそうさまでした」


 少女はそのまま仰向けに寝転がる。

 様々な疲労からだろうか、途端に眠気が襲ってきた。しかし食後すぐに寝れば胃が悪くなる、それはいけないと空を見上げ始めた。


「しかし、どうにも見たことのある星空だな――」


 夜、寝付けないとき、彼女は自室の窓から星空を見上げる習慣があった。星を眺め、その数を数えていたら、いつの間にか眠くなるのである。ぼーっとしていると、そのまま窓のへりを枕にして寝てしまうのであった。

 そうやって何度も見たことのある空が、フォルムートの頭上に広がっていた。


「……うむ。謎は深まるばかりだな、まったく。そして判断材料が少なすぎて考えても結論が出ないと来た」


 難しいことを考えるのはやめ、明日どうするかを考える――もちろん、街まで歩くだけである。


「愚問か」


 言うまでも無く愚問であった。

 そうこうして様々なことを思考していると、本格的に睡魔が少女を眠りの世界へと誘おうとしだしたようで、少女はうつらうつらとしだす。


「……ん……ぅ。いかんな、眠すぎるな……【感知結界】」


 思わず舟を漕いでしまう。

 少女は起きておくのをあっさりと諦め、外敵の接近を感知する魔法だけ使用し、目を瞑る。


「……くぅ」


 まだ色々と考えるべきことはあった。

 しかし睡眠欲には勝てず、諦めて寝ようかと決め、睡魔にその身を預けた途端に、少女の意識は溶けるようにして消えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る