第1話 目を覚ませば

 少女はひたすらにうろたえていた。

 しかし、いい加減にそれではいけないだろうと、フォルムートはひとまず冷静になることにした。

 改めて周囲を見渡す。

 薄絹一枚では少し肌寒い場所だ。風の音など、外部からの音は聞こえず、壁が厚いのだろうか、それとも地下などにこの空間が在るのだろうか。真正面には一本の通路があり、そこから移動できそうであった。

 見る限り、部屋――本当に部屋なのかどうかはまだわからないが――は石で作られている。気温の低さはそれによるものもあるだろう。


「……うむ?」


 続いて足元を見ると、絵に描いたような魔方陣がある。祭壇のような場所、というよりは祭壇であった。

 ミミズののたうった様な字で呪文らしきものが書かれている。魔法にある程度通じている彼女でも見たことの無い文様であった。


「召喚か」


 しかし、自らが魔方陣の上に立っている事から、そして魔法にある程度通じていることもあり、彼女は自らが何らかの理由で『召喚』されたのだと理解した。


「召喚されたのは初めてだが――」


 再度、辺りを見渡す。

 召喚の魔方陣があるということは、そして召喚されたということは、必ず召喚者が存在するということである。基本的に召喚された者は召喚者に従うこととなるのだが――


「……居ない?」


 それらしき人影は一切無かった。

 もう一度辺りを見渡し、魔方陣から足を踏み出してみる。


「……う、む?」


 自由に動くことができるようであった。行動の制限は無い。

 何もかもが不可解である。召喚者が存在しないのに、どうして召喚されることがあろうか。


「わからないことだらけだな……うむ、とりあえずは――へくちっ」


 寒さが災いしたのか、フォルムートは小さく鼻をすする。


「……まずは着るものだな。【魔衣まごろも】」


 肩をすぼめるようにしながら、虚空に命じる。

 身にまとっていた薄布が淡く光ったかと思えば、体のラインに沿うようにして紅い布が彼女の体を包んだ。見た目はまるで上品なドレスのようである。


「……ふむ? やはりおかしい――いや、今はそんなことよりも」


 現状確認の方が大事だ、と続ける。

 というのも、生前の、つまり召喚される前までのフォルムートの『魔衣』は紫色であった――玉座の間で着ていたのがそれだ。

 普通、その色が変わるなどありえないのだが、召喚の影響だろうか、ととりあえずそれらしい結論を出しておいて、行動に移る。


「――【門よ】」


 歩みを止めることなくつぶやく。

 地面でなく空間に黒い穴がぽっかりと開く。どこまでも深く続いていそうな、穴だった。魔法は変わらず扱えるようでほっとする。

 フォルムートは無造作にその中に手を突っ込み、黒剣こっけんを取り出す。


「よし」


 手元に愛剣があるというだけで安心感がわきあがってくる。

 少しだけ軽くなった足取りで、少女は通路を歩いてゆく。


「征こうか」






 木の鬱蒼と茂る山中であった。

 石の通路を通ってゆくと、階段があり、そこを登ると小屋の中に出た。気温はそんなに変わらないが、草の青々とした澄んだ空気が少女の鼻腔を満たす。

 朽ちた小屋である。壁のところどころには穴が開いており、やたらと風通しが良い。おかげで蔦も生え放題である。屋根は長年風雨に晒されたおかげで剥げており、雨は防げそうに無い。レンガ造りの暖炉はぼろぼろと崩れている。踏むたびに木の床はぎしぎしと軋み、あまり強く力を入れるとたちまち抜けてしまうだろう。とうの昔に捨てられた小屋のようであった。

 少し触れただけで勝手に倒れたドアを踏み越えると、山中に出たのである。


「……山か……街中ならまだ良かったのだが」


 召喚されるということは、その世界が元居た世界と同じとも限らない。そういった場合はまず街など人の多い場所で情報をかき集めなければならない。もしくは召喚した者から情報を聞かなければならない。のだが。


「街どころか、人なんて影も見えない」


 どうしたものか、と首をひねる。

 行動の目標は、とりあえずのところは、街を探して歩くことだろう。悩むのはその点に関してではない。


 ――どちらの方向に向かうべきか。

 それがなかなか重要な事項であった。

 もし山中へ山中へと進めば、いくら何でも体力が尽きてしまう。だからといって、さっさと動かなければ何も始まらないだろう。召喚されたということは、何か為すべき事があるのだから。


 フォルムートは王女であるからといってサバイバルの知識が無いわけではなく、生きるためなら不味いものでも構わず食べるという貴族にしては珍しい人物であった。食料の確保は剣と魔法があれば問題ない。別に寝る場所がふかふかのベッドでなくとも彼女は構わないので睡眠の面に関しても心配はない。


「さて、どうしたものか」


 飛行の魔法も無いことは無いのだが、彼女はそれを習得していない。

 上から見渡すことで街の場所を推測するというのは無理である。ならば、取るべき行動は――


「登るか」


 と、フォルムートは緑一面の斜面を見ながら言ったのだった。




「……はぇ」


 間の抜けた声。

 それは、山頂に生えた木の頂点から辺りを見渡した時に発された声であった。

 頭上には雲ひとつ無い空が広がっている。眼下には一面の緑である。風が吹くたび葉がそよいでこすれあい、さらさらと音を立てているその様は妙に趣があった。


「………………」


 だが、そんなことに心を揺り動かされ声を上げたのではない。

 ぐるりと辺りを見渡すと、街が見えた。霞むほどに遠いが、街である。

 しかし、それ自体にも問題は無い。


「あれは――」


 ――問題は、フォルムートは、その街に見覚えがあるということだ。


「……エドルマの街、だな」


 セルメス王国の都市のひとつである、エドルマ。遠方に見える街はそれだった。

 少女は思い切り首をかしげる。


「何故、エドルマが?」


 自分は何者かによって召喚されたはずでは無いのか。そういう考えから来る疑問であった。

『召喚』といえば、基本的に他の世界から何かを呼び出すというのが相場である。呼び出される側からすれば、自分のまったく知らない世界に呼び出されるというわけだ――はた迷惑な話である。

 しかし、エドルマの街が存在するということは、偶然遠くに見えるその街がエドルマによほど似ているというわけでなければ、彼女は同じ世界に呼び出されたというわけだろう。

 そんな事例はほとんど聞いたことがなかった。というより皆無であった。


「どういうことだ……理解に苦しむ」


 額を手で押さえて、フォルムートは木からひょいと飛び下りる。

 大剣は手に持ったままだが、しかし音も無く着地した。

 行くべき場所は決まった。とにかく街へ行かなければ何も分からない。


(何だ、魔王や英雄、もしくは使い魔なんかとして召喚されたのかと思っていたが、もしかすると私に使われたのはただの蘇生魔法だったりするのか? いや、何か違う気がする……しかし召喚者が姿を見せないというのは――不可解だな)


 疑問は尽きない。

 ついに少女は思考をやめ、ひとまず行こうと、空を見上げながら歩み始めた。

 澄んだ青色の、彼女がだった。




 足元を疎かにした故に、岩などに容易に躓いたのは言うまでも無い。

 王女であるというのに、彼女にはどこか抜けているところもあるのだった。

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