哀しみの魔王

反比゜例

プロローグ 亡国の戦姫


「――ふむ」


 炎が燃え盛っている。

 獄炎のような、炎だ。それが、少女の頬を優しく撫でている。

 少女は、玉座に座したまま一切動じない。


「どうしたものか――」


 頬を撫でる焔のように、紅い髪であった。それは艶やかなまでに、炎の中でよりいっそう輝いているようであった。

 顔立ちは非常に整っている。その瞳は髪と同じく燃え盛るようであったが、その視線は極寒の様相を呈していた。まるで熱く冷たい、紅玉のようであった。

 背丈は少女相応の物である。見るだけで高貴だと分かる服は紫色で、華美な宝飾品が付いていた。しかしそれは目立つことなく、飽くまで着用者である少女を引き立てるにとどまっている。

 その顔に笑みと呼べるような物は浮かんでおらず、しかし哀しんでいるようでもない。不機嫌そうな、むすっとした表情だ。

 頬杖を付き足を組んだまま、彼女は動かない。ただ、なにかを待つようにして座するのみである。


 セルメス王国。

 数千年と続く、由緒正しき王族の治める国である。周辺国家でも稀に見る善政を敷く国であり、また周辺国家の中で最も栄えていた国である。

 そんな王国では、今――


「私は何処で間違ったのか」


 ――反乱クーデターが起こっていた。


「十分に民の顔を見ていなかったか」


 少女は自問する。自分の何処に至らない点があったのか、と。

 そんなことはなかった。その少女は誰よりも民のことを考え、誰よりも民のことを見ていた。民もそれは感じるが故に少女の支持率は非常に高かった。


「軍部への飴と鞭の配分を見誤ったか」


 少女は思索する。自分の采配に不備があったか、と。

 それも違う。その比率は反乱が起きない程度に、しかし国家の予算を占めすぎず軍部の独走を起こさない程度という絶妙なものであった。


「――何れも、違うな」


 もちろんそれは少女にだって分かりきっている事だ。少女は慎重にかつ上手く事を進めることにおいてはセルメス王国で一番であると自負していた。そしてそれは間違っていない。


「ならば」


 こたえは一つしかなかった。

 簡単な答だ――貴族である。


「やはり、誤りはそこか――」


 民はコントロールできていた。軍部も統治できていた。なら、反乱の要因となるであろうものは貴族である。事実、そうであった。

 元来、貴族社会では伝統とその血の高貴さが何よりも重視されていた。しかし現在は、その少女の父が大規模な改革を行ったため、実力主義的な物となっている。

 その際に恨みを買ったのだろう――元々高い地位に在ったのに、改革によって最下位にまで落ちた貴族の家は少なく無い。

 そしてそういう家に限って無駄に財力と人脈を持ち併せているのだ。


「貴族というものは、自らの利益のためなら正義や矜持きょうじなどドブに捨てるような奴等だが……まさかここまでとは」


 人間の欲望と腹黒さを見誤った。それが少女の――執政者の、唯一の、そして最大の失敗であった。


 ――靴音が鳴り響く。

 少女のものではない。いくつもの、金属同士のこすれる音が混じったものである。音の主が甲冑を着込んでいると考えずとも分かった――それも複数だ。統率の取れた、鎧を来た軍団がやって来ていると嫌でも分かる。


「――来たか。己の不甲斐なさを悔やむ間も与えてくれないか……」


 かつ、と、玉座の間に靴音が響く。こちらは少女のものであった。


「せっかくの最期だ、一花咲かせよう――【門よ】」


 虚空に命じる。

 少女の足元に小さな異空間へ通じる黒い穴が開き、そこから大きな剣が現れる。

 黒い大剣であった。柄も刀身も黒く、まるで漆黒を体現したような剣だ。装飾の一切無い、無骨な剣であった。鋭く光を放っており、それを見た者は触れるだけで斬れてしまうような感覚を覚えるだろう。

 その柄を力強く握って、軽くステップを踏むように、玉座から立ち上がる。


「――括目せよ!」


 重そうな大剣は軽々と少女の細腕に持ち上げられる。

 同時に、何十人もの、重厚な鎧を着た騎士たちが、玉座の間へ闖入してくる。

 掲げた大剣をピクリと動かしもせずに、少女は大きく叫んだ。


「私こそはセルメス王国六十五代女王――フォルムート・セルメスである! 首は此処であるぞ! 手柄がほしいのであれば剣を持て! 槍を握れ! 火を放て! そして一片の情けも無く私を殺してみろ!」


 剣を、くれないのカーペットに突き立てる。

 額にかかった長髪を煩わしそうにかき上げる。その瞳が、よりいっそう強く紅く紅く輝きだす――


「私は修羅だ! 鬼だ! 貴様らを断じて許さない復讐者だ! 貴様らが私に剣を向けた時から、貴様らは私の敵と相成り、私は貴様らの敵と相成った!」


 足音が止まる。玉座の間に残響だけが響く。

 誰もが、その畏怖に、息すらも止めているようであった。


「もう一度言おう、私は此処だ! 来るならさっさと来い、私は逃げも隠れもしない! 容赦なく私を殺せ――我が愛しの民草たちよ!」


 そこに居るのは年頃の少女ではなく、戦姫せんきであるフォルムートであった。

 再度、巨大な剣の黒い柄を握る。それを口切としたかのように、騎士たちが走り出した。


「――これで良い」


 どこか自らに言い聞かせるようなつぶやきは、誰にも届くことなく。


 勝敗は、明白であった。






 膝を突く。

 剣が手から滑り落ちる。

 紅いカーペットに倒れ付す。


「……は」


 体の至るところに傷を負いながら、少女は笑っていた。


「はは……」


 未だ立っている騎士の数は最初の三分の一程度にまで減っていた。三分の一は疲労のあまりに膝を突き、もう三分の一は少女と同じように倒れ付していた――彼らが峰打ちで気絶しているだけであるということに気づくものは誰も居なかった。


「……これが褒美か。これが、精一杯の執政をした褒章か」


 らしくない、と少女は思う。

 己が無意識のうちに恨み言を吐いたのだ。それは少女からすれば驚くべきことであった。


「……民は悪くない。悪いのは貴族だ……」


 言い聞かせるように、つぶやく。

 腹黒い貴族が扇動したのが悪いのだ。決して民衆が悪いわけではない。その憎しみの矛先を勘違いしてはならない。彼女の中でそれだけは許されてならなことであった。


「――悪いのは貴族だっ!」


 カーペットに拳を叩きつける。

 言えども、言えども、しかし自分の心の動きを変えることは難しい。


「……彼らが、彼らこそが……悪逆の徒、なのだ……」


 剣を握ろうとし、取り落とす。

 気づけば、腱が切れているようであった。指一本動かすことができない。

 魔法を、と思い口を開こうとする。しかし魔力はとうの昔に枯れており、重い疲労感が体の芯に感じられるだけであった。


「……無駄、か」


 ため息をつくと共に、少女は自分のすぐ傍まで死が迫ってきているのを感じた。

 途端に、普段あまり感じることのなかった『恐怖』がこみ上げてくる。

 どのような生物でも、よほどの訓練を受けなければ『死』に対する恐怖はぬぐいきれない。少女も、その例に漏れなかった。


「……く、そぅ……」


 四面楚歌。万事休す。

 そんな言葉が似合う状況であった。

 少女は呪う、自分の不甲斐なさを。

 少女は呪う、己のこの上ない非力さを。

 少女は呪う、腹黒く利己的な貴族たちを。

 少女は呪う、誰も自分を助けてくれない民を――


「――い、や……違う。それ、だけ、は」


 ――それでも。

 少女は、民を憎く思うことは無かった。

 紅い長髪が掴み上げられる。痛みに思わず顔がゆがむ。

 目標の殺害は首級しるしを取ることによって証明される。首を持ち帰らなければホラ吹きであると嘲笑されるのは分かりきったことである。そしてそれは手柄や利益目当てで反乱に加わった兵士からすれば望まないことだ。


 髪がかき分けられ、白いうなじが曝される。


『……お覚悟を、フォルムート殿下』


「言われずとも――」


 他に比べて立派な武装をした騎士が、剣に付いた血を拭いつつ、それを高く振り上げる。


『……何か、最期に仰ることはありませぬか』


「……言わせてくれるのか?」


『……ええ……』


「心優しいのだな――」


 死期に似つかわしくない、花の咲くような笑みを浮かべ、少女は言った。


「――私は、お前たちが好きだった。大好きだった。愛していた。まるで息子のように、娘のように……」


 騎士の数人が顔を背ける。


「……なあ。私は父上のように、お前たちを統べられていたか? 君臨するものとして不足は無かったか?」


 その言葉は、宙に溶け消えるようで。

 しかしその言葉は、きちんと届いていて――剣を振り上げた騎士は、ただ静かに頷いた。


「……そうか。なら、もう不満は無い。未練は無い。不平は無い。さあ、私を――」


 紅い瞳を、ゆっくりと閉じる。

 諦めたようでもあり、吹っ切れたようでもある――美しい、微笑みを浮かべていた。


「――殺せ」


『――殿下』


「御託は良い。私は敗者なのだ、早く――そう、この決意が鈍らないうちに、私が無様に泣き出さないうちに」


『……フォルムート殿下』


「何だ、まだ何かあるのか――」


『敬愛しておりました。そして……今も』


「――――――」


 微笑みが、固まる。


『――御免!』


 その言葉は――


(――くそぅ。最後の最後に、卑怯だぞ――)


 ――死への決意を、ほんの少し鈍らせた。


(嗚呼、もう少し、ほんの少しだけ――)


 今更ながら、少女は生へ執着する。しかしそれは、あまりに遅すぎた。

 一瞬の冷たい感触。それに続く熱さにも似た痛み。昔の記憶が電撃のように脳裏を走る。そして意識が溶けるように――











「――――――」


 ――閉じたまぶたを、開く。

 ぱちくりと、紅玉のような瞳が瞬かれる。


「――――――」


 何故、という疑問がフォルムートの脳内を満たす。

 目が開く。景色が見える。即ち死んでいないということだ――もちろん死後の世界が存在しないということは言い切れないのだが、しかし彼女の首は確かに斬り落とされたはずである。生命活動はほぼ間違いなく停止するだろう。

 周囲の光景も違った。ところどころ火の付いていた玉座の間では無い――どうやら祭壇のような場所らしい。先ほどまで居た騎士たちの姿も見えない。


「――ここは」


 次に、視線を己の体に移す。

 視界には入ったのは、先ほどまで着ていた、紫の高貴な服ではない。

 そこには、まるで聖女の身に纏うような、白い薄絹一枚しかなかった。


「……へくちっ」


 思わずくしゃみをする。


「……何なのだ」


 肌寒さに肩を抱えながら、そして状況の意味不明さに困惑しながら、少女は小さく言う。


「これは―― 一体何なのだぁっ!?」


 ――こうして亡国の女王は、再度この世に生をけたのであった。

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