第3話 こう言っちゃなんだが、終わりよければそれが全てだ。

俺は「ありがとうございましたー、これからも弊社をよろしくお願いいたします」と丁寧に頭を下げ、その家の玄関を出て、両手を添えてドアを閉めた。


物腰は柔らかく、且つ紳士的に。

今朝剃ったばかりの髭が伸びていないかバックミラーで確認しつつ、次へ向かう。

これが終われば、あの賑やかな戦場が待っている。

俺はスケジュールの最終確認をして、その日はぱたんと手帳を閉じた。



蛍の身元が知れてから、薄情なようだが、俺達夫婦は見舞いにすらいっていない。俺達には生活があり、うるさい子供達を連れて行くわけにもいかない。

俺は「ただいま」と玄関をくぐると、「パパおかえりー」と突進してくるヒナを受け止めるために腕を広げてかがみこんだ。

「おかえり」「おかえりー」

総勢11人の大盤振る舞い。俺は訳あって、縁もゆかりもない子供たちを引き取り、育てている。LINE名は「ビッグダディ・宮下家」。

俺は「お疲れさま」と台所に立つ美緒と穂乃果に目を止めてから、もう一人この家からいなくなった家族のことを考えた。

子供たちの中でただ一人、マナは蛍と同じ二十歳で、この家からいなくなって久しい。真崎さんに聞くとほぼ毎日、夕方ごろに訪れては、色々と未だ眠りの中にいる蛍の世話を焼いているらしい。


穂乃果と同じように定時制の高校に行くかと聞いたら、「あたし一人暮らししてファミレスで働くわ、あそこ履歴書いらないし、制服可愛いし」と言い、早々と家を決めて出て行ってしまった。

早速次の日から駅前のローリイホストで働き始めたと聞き、「ブラックじゃないのか?」と聞くと、「世の中みんな、そんなもんでしょ」とさらりと返してきた。

俺はじゃあ、黒に戻した方がいいんじゃない?と頭を指して聞くと、「店長がそのまんまでいいって、多分あたしが可愛いから」と普通に答え、俺はその気の強さに舌を巻いた。

後日様子見がてら部下を連れて一服しに行くと、「いらっしゃいませー」とマナは完全に板についた接客態度で完璧に仕事をこなし、さらりと「二名様、禁煙席にご案なーい」と意地悪をしてきて、俺と部下は慌てて煙草をしまった。


「今の子超可愛いっすね」


ぱつきんの部下がそう言い、「手、出すなよ」と言うと「なんで先輩にそんなこと言われなきゃいけないんすか」とやや鋭く睨んできたので、「娘なんだよ」と言うと、目を丸くして、「へーえ」と言って代わる代わる俺とマナを見ていた。

俺は「なんだよ」と言い、「なんでもありません」と笑ってこの業界らしく賢い返事をするそいつに、俺はんだよーと軽く蹴りを入れた。


さて、話題を我が家の子供たちのことに移したいと思う。


光輝より一つか二つ下の慶介、七海、浩太。光輝と同級生の道宏、えみりは「学校に行きたい」という意志が強く、俺と美緒は自宅と市役所を何度も往復して電話でやり取りし、学校にも「親戚の子を急に引き取ることになりまして」と嘘八百のお愛想で頭を下げ、特別学級から入学することになった。


それ以外の学、迅、穂乃果は比較的年齢も高かったため、俺達夫婦の倫理を学んでほしいという理由から、「自分の人生、自分で切り開くもの」と言い聞かせ、定時制の高校受験を受けさせることにした。


一番末っ子のヒナはまだ3歳で、いつも美緒のエプロンを握って離さない。

そしてここにストレンジャー、天性の愛嬌を持つ食いしん坊の雄太は、もちろん小学校に通わせようとしたが、「俺コロッケ屋さんのおっちゃんにスカウトされてるから」と言い、毎日その店に行っては椅子にただ座ってもぐもぐとコロッケを食べ、その愛くるしさに客がついコロッケを買ってしまうという驚くべき能力を発揮していた。

道を歩けば「雄ちゃん、これ食べてくかい?」と声がかかり、商店街の人気者だ。

お陰で安くついていいと、美緒がほくほくとして「雄太神様、様様よ」と半額のシールが付いた鶏肉400グラムを見せ、俺は「いつもすいません」と手土産を持って肉屋に挨拶に行き、ご主人が何も言わず握手を求めてきて、握ると肩を叩かれ、「しっかりな」と言われた。

俺は、「はい」とその手をしっかりと握り返した。

わかる人には、わかる。


小学校組は美緒と光輝にああだこうだと言われながら勉強を教わり、俺も金のことには汚いので少なからず算数くらいは教えられた。

丁寧な言葉遣いや礼儀を教え、変なお辞儀をすると「違うだろ」とぱしんと新聞紙で叩き、ふざけている奴の頭を掴んで「よろしくお願いします、ありがとうございました」と教え込む。


高校生組もまずは受験レベルから勉強しなくてはならず、学と迅はおろか、穂乃果ですら受験資格を得る作文を書くことに四苦八苦している。

今までまともな字すら書いたことがないらしく、皆みみずのようにのたくった字で、それでも一字一字丁寧に書くように努力している。

俺は小学館の漫画と三國無双、戦国無双をブックオフで大量に購入し、暇さえあればそれを読ませたり遊ばせたりして、自分の知る限りの雑学を教え込んだ。

穂乃果は「ゲームしたら駄目、ゲームしたら駄目」とぶつぶつ言いながら割と画面に見入り、図書館で独眼竜など俺でも引くような分厚い本を借りてきて、一心不乱に読んでいる。意外な芽が出たなと俺は思った。色んな意味で。


3月にあった受験とは名ばかりの教師と一対一の面接を終え、三人とも無難に受かった。

「こういう子たちをサポートするのが、私たちの仕事ですから」とマリオみたいな髭を蓄えた柔和な顔の先生に微笑まれ、受験結果を別室で待っていた穂乃果たちは終始笑顔だった。俺は「これからが、始まりですよ、お父さん」とここでも握手を求められ、俺は「大丈夫です、強い子たちですから」と握り返した。


皆が幸先のいいスタートを切った。小学生組は学校に居残って先生に根気よく教わり、穂乃果は「福祉の勉強がしたい」と寝る間も惜しんで勉強に励み、学はよく本を読み、一番勉強ができた。マナから何か言われたのか、求人誌をよく見ていたが、近所の古本屋で働きだした。

ちゃっと知的な眼鏡をかけ、よくレジ前に座って本を読んでいた。

「お前いいなー」と俺が言うと、何が?と無言で目を上げた。

俺が鋼の錬金術師全巻をレジに置くと、学は「うちって遅れてる」とはあっと息を吐いた。

俺は「いいじゃん、やらない善よりやる偽善」と言うと、学は「それが真理か」と真面目な顔で答え、「2700円です」と言った。


さて、皆が皆順序良く進んでいたかと言えば、そうでもない。

かつての美緒に出会う前の俺のように、恵まれた環境下にいるというのに、ぐずぐずと愚図りだす奴がいた。


迅だ。


進みたい方向って、なんだよ。俺字もまともに書けねえのに、どんな職に就けるっていうんだよ。

将来なんか見えない。それより遊びたい。同い年の奴らみたいに、俺もバイク乗ったり彼女作ったりしたい。

蛍兄ちゃんみたいに強くなりてえ。


迅は俺達が気づかないうちに道を大きく逸れて行った。その思考回路は、もやもやとして、ふにゃふにゃで、自分に自信がなくて。


迅は帰ってくるのが夜遅くになり、LINEにも応えなくなり、ただ美緒にだけ、「あのさあのさ、俺今日、河原でバーベキューすんだ!」などと嬉しそうに報告していた。

あまりに楽しそうなので、俺達は見逃していた。迅の黄色くなった頭も、いつの間にか吸い出した煙草も。



その日俺は、マナと一緒に真崎夫人の家を訪れていた。

蛍がようやく腕のギプスが外れ、後は顔に張られた大きな絆創膏のみとなった。

「この子、不良なのよ」

私の家のワイン、上手いこと言ってほいほい飲むんだから。

そう真崎さんが言い、蛍はマナに「あんたまだそんなことやってんの」と呆れらた。

いいじゃん、俺はこれで生きてくよ。そう言う蛍に、俺は「じゃあこれはお預けだな」と遅ればせながら二十歳の祝いに持って来ていた缶ビールを見せた。

「どこのコンビニで誰から買ったと思う?」

それを聞くと蛍は「嘘!無し無し!無しだから!」と言い、マナに「ったく、誰が今まで面倒見てやったと思ってんのよ」と睨まれながら、その内一本を取り出し、ロロノア・ゾロのキーホルダーを見て嬉しそうにしている。

早速スマホを弄りだすそいつに、俺は「あ、何お前、もう手出してたのか!」とスマホを取り上げようとした。

「やめてよ、返して返して!」

そう言って必死になっていた蛍だが、あっさりと俺の腕を取りベッドの上に足技を使って組み伏せてしまい、「ぐえ」と俺はスマホを奪われた。

その体制のままスマホをポチる蛍に、「汚ねえぞ!」と抵抗しながら俺は叫んだ。

「あんまり埃が立たないようにね」

真崎夫人がその様子を菩薩のように微笑んで見ている。

マナはあーあ、と言い、「ねえ、こないだ店に一緒に来てた金髪の人、今どうしてる?彼女いんの?」と聞き、「ああ?やめとけやめとけ、あんな奴、碌でもねえよ!」と俺が言うと、マナは「あん?男は甲斐性さえあればいいんだよ」と腰に手を当てて言った。

「そうそう、私の夫も、昔はそれは鳴らした口でねえ」と真崎さんが余計なことを言ってくる。


俺は結局マナに連絡先は教えず、打撲痕が無くなるまではまだ帰ってくるなと蛍を真崎さんに預けた。

マナに「お前切り替え早いな、未練ないのか?」と聞くと、マナは「そりゃ、あるに決まってんじゃん、でもしょうがないよ、人の物だもん」と返した。

俺はマナの瞳が少し赤いことに気が付いた。

「泣いてるのか?」と聞くと、「男のことでは、泣かない」とマナははっきりと答えた。

そして突如、「くっそー、泥棒猫め!」と近くに植えてあった苗からゴーヤをブチっと毟り取った。

「いやお前何してんの!?」

俺がそう言うと、マナはゴーヤに噛り付いた。

むしゃむしゃと咀嚼しながら、「女には、こんな時もある。甘いときもあれば、苦いときもある」と意味不明なことを言う。

すると「ねーちゃん、儂のゴーヤに何するんじゃー」と網戸を開いてステテコとタンクトップ姿のよぼよぼした爺さんが出てきて、怒った。

マナは「すんません、ゴーヤ美味いよ!」と相変わらずむしゃむしゃしながら叫び、爺さんが「そんなん、美味いわけねーだろ!」とよぼよぼと手を振り上げて抗議した。

俺はなんだかおっかしくて、心の中でヒイヒイ笑いながら、「すみません、すみません」と必死に堪えて謝っていた。


さて、こんな風に何もかもが快調に回り、俺達は運命について、少し調子に乗っていた。

乗りすぎていたと言ってもいい。

マナは立派に独り立ちし、蛍は彼女といい感じ、穂乃果は学校と伊達政宗への勉強に明け暮れ、小学生組は地域のサッカーチームにまとめて入り、学は一人黙々と本を読み、雄太は相変わらず肉屋の良い看板。最近厨房にも立つらしい。


さて、ここで忘れてもらっちゃ困る、最後の一人を紹介したいと思う。

それには、次のエピソードが絶対に必要だ。


迅のことである。


迅は最近ますますヤンキー化し、バイクの免許を取りに行ったり、年上の友達のCDショップや居酒屋に顔を出したりと、表向きは前向きに進んでいた。

しかし、根本的なところで、間違っていた。

今からそれを、書きたいと思う。


蛍の傷跡も綺麗に無くなり、俺達は満を持して真崎夫人の家から撤退した。

お世話になりましたと頭を慇懃に下げる俺達に、「またいつでも騙されてあげるから」と真崎夫人は優雅にほほ笑み、扉を閉めた。

泥棒猫を連れて行きたいんだけど、良いかな?

そう聞く蛍に、俺は「ああ、そんなの全然大歓迎だ」と笑った。

コンビニの前で時間を潰していると、やがて蛍が彼女を連れて出てきた。

清楚な感じの子で、ボブにカットされた髪型に柔らかではっきりとした二重瞼と背丈が低いのが可愛らしい。

女の趣味は同じらしい。

俺は「足元気を付けて、この車ぼろいから」と蛍が失礼なことを言うのを聞き流しながら、彼女がバックミラー越しに目を合わせて会釈するのを見て、うん、合格と思った。


その日は自家用ではなく社用車だった。そんなことばかり覚えている。


それから帰宅し、俺達を出迎えた皆が「蛍兄ちゃん!」と仰天していた。

ヒナが「にいちゃんおあえりー」と走り寄ってきて、彼女が「可愛いー」と蛍より先に抱き上げ、頬ずりしていた。

ヒナはびっくりしていたが、自然に「おねえちゃんすきー」と喜んでいる。


「誰?」「だれだれ?」

皆がひそひそ話し、まさか?と蛍を見て、次に口笛が飛んだ。

その日は庭でバーベキューをした。初秋の頃で、カナカナカナと虫が鳴いている。

夜になり、皆でwiiUをしながら談笑し、酒を飲んで会話を楽しんでいた。


と、そこへ。


ブォオオオオオオン、と爆音が家の真ん前で止まり、怖がってえみりと浩太が庭から家の中へ逃げてきた。

がちゃり、と玄関が開く音がし、「たぁらいまー!!」と大きな声がして、のっしのっしと迅が入ってきた。

俺はその酒臭い息に目を険しくした。

蛍やマナとは違う、ガキっぽい酔い方だ。

俺は「おかえり」と厳しい声を出し、迅は「なーにパパ、何怒ってんの?」と以前のように舐めた口調で言った。

瞬間、蛍が飛んできて「ただいまお父さんだろ?お前何調子乗ってんの」と羽交い絞めにした。

迅は「んだよ!!やめろよ!!」と大声で喚き、すると一瞬動きが止まって、蛍はくるりと宙返りをしていた。

俺達は呆気に取られた。あの蛍が。


迅はびっくりした顔で床からこちらを見ている蛍を見下ろし、けたけたと笑いながら「見てた今の!俺凄いっしょ!」と台所で固まっていた美緒によたよたと寄って行った。

すると。


パシン。


乾いた音が響いた。

美緒が迅の顔に平手打ちを食らわせたのだ。

「出て行きなさい」

あなたはもう、うちの子じゃありません。


美緒がそう決然と言い放ち、迅はぽかんとした後、みるみる真っ赤になって、「んだよ、母親じゃねーのかよ!?」と叫んで壁を殴った。

ドゴオッと音がし、柱が通っていなかったそこは見事に凹んだ。

迅は肩で息をして周りを見回していたが、蛍の彼女を見つけると、けけっと笑って、絶望を告げた。


「人殺しの癖に彼女作って、人生楽しんでみたり?ばっっかじゃねえの」


空気が凍った。言ってはならなかった一言を、迅は口にしてしまった。

蛍が「てめえ」と立ち上がりかけたのを制し、俺は迅を担ぎ上げると、喚くのも聞かず外へ連れて行き、ぺっと放り出した。

ぽかんとしている迅の目の前で、ばたんと扉を閉め、がちゃりと鍵をかけた。

窓も同様にだ。

瞬間、ワーッと迅が吠えるのを聞いた。泣き声だった。

ごめんなさいごめんなさい、お父さんごめんなさい。

思わず駆け寄りかけた美緒を抱きとめ、俺は首を横に振った。


長いこと迅は扉を叩いたり謝ったりしてそこにいたが、やがて諦めたのか、音がしなくなった。

俺は扉を開けた。

迅は小さな子供みたいに、爪を噛んで蹲っていた。

俺が「もう二度と、しないか」とゆっくりと聞くと、迅はこくりと頷いた。

俺はそれを聞いて、ぽん、とその肩を叩いた。美緒が飛んできて抱き締め、迅はまたうぇええ、と弱弱しく泣きだした。美緒はそれをしっかりと抱き締めた。しっかりと、しっかりと。



その後、蛍は彼女を送りに、外を一緒に歩いていた。

彼女が「良い家族だね」と言い、笑って蛍を見たが、蛍はどこか遠い目をしていた。

「ロロノア君?」

彼女が不思議そうに立ち止まって前に回ると、蛍は「ねえ、泥棒猫」と言った。

別れない、俺達。

彼女は目を丸くして、「嘘」と言った。なんで?

私達、ロロノア・ゾロと泥棒猫なんだよ?麦わら海賊団なんだよ?なんで?


すると、蛍は言った。

「俺、人殺してんだよ?」

左目に傷とか、ありえないでしょ、普通。


そう言って、蛍が目をそらすと、途端バチンと顔を両手で挟み込まれ、無理やり前を向かされた。

彼女の怒った顔があった。


「私だって、普通じゃない」


彼女は言った。


「私だって、親にいきなり死なれて、そのことで散々虐められて?あそこで働いてるのだって、楽しいんじゃないよ、生活のためだよ。まっとうな仕事してる人がみんな良い人だなんて限らないんだよ、努力してるんだよ、前向きに人生歩んでいこうって、負けないようにって、無理やり笑って作ってるんだよ。私だって、幸せとは限らないんだよ」


だから自分ばっかり、犠牲者だなんて思わないで。

悪者ぶらないで。

地獄に落ちる時は、一緒だよ。


そう、ナミは目を見て言った。

蛍は、ただ手を伸ばして、ナミの目に溜まった涙をその傷だらけの指でそっと拭った。



さて、その後迅は髪を黒髪に戻し、悪い連中とは手を切った。

ぼおっとしていたり、何気に求人誌を眺めたり、悪戦苦闘しているようだった。

どうしたら家にいられるか、奴なりに考えていたらしい。


しかし真っ当にするというのは奴には難しいらしく、俺の会社に弟子入りしちゃダメか、と言うので、「それだけは、辞めろ。お前百回死ぬぞ」と俺は言った。奴はビビったらしく、以降俺には相談しなかった。


学の本屋に、と言うと学が「迅ってレジとかできないでしょ、算数知らないんだから」と冷静に言い、ダーッと迅はのたうち回った。

マナのように根性もない。


迅は河原で途方に暮れていた。

万事手は尽くした、最早これまで、と迅がスマホで昔の仲間に連絡を取ろうかと考えだした、その時、神は降臨した。


「迅にいちゃーん」


振り向くと、夕日を背に、コロッケを両手に持った雄太神が立っていた。

その姿は、間違うことなく福の神であった。

雄太は土手を下りてきて、「はい」とコロッケを差し出した。

迅はほけっとしてそのアツアツのコロッケを受け取った。

白い包み紙には、「合田精肉店」と店名と電話番号が青い判で明記してあった。


その後。


迅は「いらっしゃいいらっしゃい、揚げたてコロッケが美味しいよー」とエプロンを付けて合田精肉店で働いていた。

その傍らには、雄太神がもぐもぐとコロッケを頬張り、「うまーい」と言って笑っている。


イケメンと可愛い福の神がいるお店。


そんなキャッチコピーで店は飛ぶように売れた。

親っさんは最近痛めた腰を叩きながら、「迅、もっと腹から声出せ、腹から!」と余計な口を叩き、奥さんに「あんたこそ働けないなら声ぐらい出しなさいよ、いらっしゃいませー!!」としばかれている。


「はいよー、いらっしゃいませーえ!!!」


迅も自分の道を見つけた。

俺はそれを見やりながら、やれやれとドトールで煙草を吹かした。

「先輩って、意外と苦労人なんすね」

俺から全てを聞き終えた後輩が、向かいでマナと二人、椅子に座って煙草も吸わずに俺を見ていた。

マナはこの男と来年、ジューンブライドを挙げる。

安い駅前の喫茶店でと言うのが如何にもな二人で、俺は「おめでとう、泣かしたらお前地獄の果てまで追い詰めるから、そのつもりでな」と冗談を言い、マナが「だから男のことでは泣かないって言ってんじゃん、こんなん契約結婚だよ」と笑い、後輩が「そんな、マナちゃ~ん」と泣きついた。


どいつもこいつも、幸せになりやがれ。

そんで勝手にどっかへ飛んでいけ。


俺は煙草をもみ消し、「くれぐれも、泣かすなよ」とそのネクタイを掴んでかつてないほど凄んだ。

後輩は、「は、ひゃい」と返事をした。


その頃、ようやく家に誰もいないのを見計らって、穂乃果がポテトチップスとコーラを持ってリビングにスタンバイした。

PS2を立ち上げ、オープニングが流れると、「独眼竜、推してまいるぅあ~」とキャラと声を揃え、一人ご機嫌にニコニコしている。

あの大騒動があった日も、穂乃果は二階で戦国BASARAの動画を夢中になって見ていて、階下の大騒ぎに気づいていなかった。

後日壁の痕を見て、「誰か物でもぶつけたのかな」くらいに思っていた。


ゲームは至福の時間なり。


「ただいまー」と美緒とヒナが帰ってきた。部屋に入ると、そこには消えたテレビの前で「ぐー」と寝こけたふりをする穂乃果の姿があった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

お母さん今いません 夏みかん @hiropon8n

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ