二
「うるさいぞまったく」
「キュアの鳴き声を聞くとつい」
「それ、アホにしてるのっ?」
「ち、違うよ。いつも言ってるけど、なんだかオレも吠えたくなるんだよ」
すぐにエオンが人の姿に戻ると、キュアも同じく戻った。そうしてやはりバカにされていると思い、カレシに対して頬をふくらませている。まあまあとなだめてみれば、すぐに戻ったけれど。
「それよりこれからのことをだな」
「ええ、そうですね」
一行は襲撃を行った歴史博物館のある第四区から、隣の五区のある目的地へと移動した。道中は分散し、あらゆるルートを使って。前述の通り、どこのルートでも攻撃を受けることはなかった。
そうしてたどり着いて占拠したのがここ、オーロ放送協会と呼ばれる公共放送局の本社屋だった。深夜の放送休止時間中に無事集結できた一行は、外部への通報をする間を与えずに占拠し終え、さらに周辺の住民たちをこの場所へと連行していた。病人であろうと関係はない。
エオンが寝ていたのは社屋の適当なオフィス部屋で、ここに仮眠室のベッドを持ってきていたのだ。だから周りにはデスクも椅子も置かれていて、テレビもしっかりついている。
「そろそろ放送の時間ですね」
「ああ。放送休止時間が過ぎても放送が開始されないのは、放送機器のトラブルだと報告させてある。ようやく復旧したかと思えばオマエが映る。これでお茶の間はびっくり仰天だな」
「それにしても昨日といい、簡単にいくよね」
ベッドに腰掛け、脚をぶらぶらさせてキュアが呟く。
「超越者の能力は人間を軽く超えている。同じ目的を持った集団となればわけない。みんな人間にずっと抑えられ続けて、反乱という発想を持てなかっただけで」
「人間に使われて当然だというのが、大部分の認識だったからな。腐るほどの年月で続ければ本能にもなる」
室温からすればバルトロの恰好は暑い。けれど吸血鬼であるからか彼は一筋の汗をかくこともなく、さらに懐から出した煙草に火をつけて楽しみ始めた。
「だが気を抜くんじゃねーぞ。こんな調子でホイホイ上手くいくなら、もっと昔にオーロは超越者たちの楽園だ」
「それはそうだねー」
こくりと頷くだけのエオンと、声を出して同調するキュア。ふうと煙を吐き、本当にわかっているのかよとバルトロはキュアの顔を見る。
「わ、わかってるよ!」
まあまあとせわしないキュアを落ち着かせ、エオンはバルトロに尋ねる。大きく深呼吸をしたあとのことだった。
「それで人質は全員無事ですか?」
ぼりぼりと頭をかき、バルトロはその質問に苦く呆れた顔をして答えた。
「ああ、それなんだけどよ」
こつこつと部屋を出、しばらくして戻ってくれば一人の超越者の男性を抱えて戻ってきた。バルトロは雑に縄で縛っているその男を床へと放り投げると、近くの椅子へと座った。
縄はバルトロの力が込められていて、だからいくら超越者といっても逃れられはしなかった。男はひどく怯えた表情のまま見上げ、主導者の顔色を伺っている。
「こいつが一人食べてたところを見つけてな」
「……そうですか」
超越者の大半は元々人肉を好む。そして長年食べさせてくれることはなかっただろうから、今になってその味を覚え、こうして食べることに夢中になっている者もいた。
それに関しては良い。それよりもエオンが気に入らなかったことは、
「話を聞いていなかったのか?」
「いっ、いやっ……」
「そうか、聞いていたのに破ってしまったんだな。合図があるまで一人も殺さず、丁寧に、接客するくらいの気持ちで扱えとオレは言った。が、お前はどういうことか客をいたぶるどころか食べたんだな」
エオンの瞳に射抜かれてしまって、男は滝のような汗を流していた。キュアもバルトロもこれからのことは彼に任せているので、特に口を挟むことはなかった。主導者は彼なのだ。
「お腹、減っていたのか? 確かに頑張ったから」
「そ、そうだ、昨日頑張った分、腹が減ったんだよぉッ。だからついつい……破ろうなんて気はなかったんだぁッ」
「そうだな。オレにはわからないけど、人肉ってのはすごく美味しいんだものな」
ぼそっとキュアが呟く。
「牛肉の方が圧倒的に美味しいのにねー」
特にその呟きを拾うことはなく、エオンはしゃがみ込んで目線の高さを男と合わせる。そうして大きく息を吐き、こくりこくりと相手にもわかるように頷いた。
「あなたはこれまで何度かの違反を犯している。本当なら自害というところだが……本能には逆らうのは難しい、だから……」
男の表情が緩んだ。あまりに安心したからか、目には涙が溜り始めていた。それなりの年齢を重ねているのにもかかわらず、なかなかにみっともない姿だけれど助かるのならこれほど嬉しいことはないだろう。
「バルトロさん、この人が食べた部分ってわかりますか?」
「ん? ああ、確か……右腕――」
彼が伝えた途端、男に向かって光が走った。そして時間差でびしゃりと赤黒い液体が床を塗った。
「あがぁ――」
男の悲鳴が途中で中断された。バルトロの術で声を一時的に奪われたらしい。
いや、奪われたのは声だけではない。右腕だ。男の右腕が上腕から完全に切断されていた。エオンが刀を抜いたままに、痛みと恐怖と混乱が混ざりに混ざって震える男を見下した。
「おいおいやるなら前もって合図を出せよ。声を聞かれるとまずいこともあるだろ」
「すいません。それで、次は?」
「左腕だったな」
躊躇なくエオンは男の左腕を飛ばした。右腕と同じように。あっという間に両腕を失くした男は痛みでもがこうとするも、エオンに頭を強く踏まれて動きづらくなる。押し付ければ床はめりめりと音を立てた。
「キュア、オレは食べたことがないからわからないけど、そんなに腕というのは美味しいの?」
「ううん。完全にその人の趣味だよ」
「そうか、自分の趣味のせいでこんな風になってしまったんだな」
流れるべき場所を失ったことをその部分が判断できるはずはない。あるものとして考え、そのままに血を送り続ける。だから脈のリズムを感じさせながらどくりどくりと粘り気のある、食べた人肉も源として混ざっている血がリノリウムの床に広がっていった。
くすんだ白色に臭い赤が広がっていく様をエオンは、掃除が大変であると今になって思った。
「キュアはどこが好きなの?」
「だからーワタシは人肉あんまり好きじゃないの。牛肉派。でも、強いて言うなら……肝臓かなあ?」
「へえ、そうなのか」
と見ることもせずに男の肝臓の辺りを刀で貫いた。
「多分この辺りだ」
「おいおい、ワシはまだ何も言ってねーぞ」
その部分を完全に破壊するようにぐりぐりと捻り、それから刀を抜く。
さすがは血の流れの多い臓器らしく、刀身にはびっちりと血が塗りたくられた。男もとうとう口からどばっと吐き、しかし腹を抑えようにも両腕がないし、頭も踏みつけられたままでどうしようもなかった。
「人肉があまり好きじゃないキュアでも美味しいと感じる部位なんです、この人が食べていないわけないでしょう?」
「はは、面白い理屈だな……ああ、多分肝臓も食べてたな」
「次は?」
「左脚、右足、舌、耳、鼻で最後に首だったな」
「残念。あなたは食べ過ぎてしまった」
男にそう告げ、エオンは言われた順番通りにすべてを切断した。すればさすがの超越者であっても生きていられるわけはなく、術を解いた時、排水溝の奥のごぼっとした音に似た声を最後に、うんともすんとも動かなくなった。
「もっと覚悟を持つべきだったな」
刀を男の服で拭い、鞘に収めて一息つく。けれどそこで部屋の空気があまりにも鉄さび臭いことに気づき、膝に手をついた。
「部屋を移すべきだった……はあ」
「気づいてなかったのかよ。ばかすか斬りおってからに。まあオマエラはもうここから出て放送の準備をしておけ。ワシはアレの処理をしてから合流する」
「お願いします……飲むんですか?」
ぴんとエオンの額をバルトロが軽くデコピンする。それでも十分な威力があり、エオンは手でさすった。キュアは当然の報いであると、じとっとした眼差しでそんなカレシのことを見ていた。
「バカ野郎。誰が床にこぼれたのをすするんだよ」
「冗談ですよ、冗談……」
「わかってるからその程度で済んでるんだろ。バカが、早くやるべきことに集中しろ」
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